Privatter+
Font
Serif
Sans Serif
Color
Light
Dark
auto
Font size
Large
Medium
Small
Language
Japanese
English
Sign in with Google
Sign in with ID and password
Account ID
Password
Sign in
Forgot password?
Create account
Ykanokawa
2024-04-09 20:44:56
11410文字
Public
クリテメ
Clear cache
ラタトゥイユとパプリカファルシ
※エピローグまでクリア推奨
※エピローグ後にフレチャで同棲しているクリテメが料理を作って食べるだけの話
レシピを紹介する作品ではありません。料理して食べる2人を眺めるだけ。むしろレシピを守っていないので参考になりません。
一瞬の油断だった。
「助けろ、テメノス!」
「あ、こらっ! 駄目ですよ!」
大人しく隣を歩いていた男児が唐突に駆け出す。両手が塞がっているクリックにはそれを止める術がない。
テメノスとクリックが住まう家の玄関先。足元に一抱えほどの大きさの木箱を置き、手紙と思しき便箋に目を通していたテメノスが顔を上げる。と同時に彼のもとに到着した男児はテメノスの腰元に抱き着いて盾にした。
顔を半分だけ覗かせて威嚇してくる様は怖いというより微笑ましい。
「おや、どうしました? クリック君にいじめられたんですか?」
「そう!」
「違います!」
やや味方の姿勢を見せたテメノスに触発され、それまでクリックの側にいた他の子どもたちが彼に駆け寄る。
クリックがいじわるなんだ。クリックにいじめられる。
直訴の声が次々と上がった。
テメノスはそんな子どもたちを困ったような、その実、ちっとも困っていない顔で眺めるだけだ。土塗れの手で法衣を掴まれようが、空いた手を引っ張られようが、彼らの好きにさせている。ああいったところが彼らに懐かれる要因なのだろう。
――
でも〝コレ〟に関してその人は味方にならないと思うんだけどな。
子どもたちをのらりくらりと落ち着かせ、彼は改めてクリックを見て首を傾げた。
「で、君のその大荷物はどうしたの」
「えっと、これはですね
……
」
肩から提げた布袋がひとつ、両手に丈夫な皮製の袋をふたつ。重いと言えば重いが訓練用の重石ほどではない。
クリックが袋を下ろして中身を見せようとした途端。
「あ!」
「だめっ!」
子どもたちの高く鋭い声が響く。いくつもの眼差しがまるで親の仇でも見るように袋を睨みつける。
さて、どうしようか。クリックが迷っているうちにテメノスの背に隠れていたひとりがうわあ、と悲痛な叫びを上げた。視線を遣るとそのひとりがテメノスの足元の木箱の蓋をばたん、と閉めるところだった。
「気をつけろ! テメノスも裏切り者だ!」
「はあ
……
?」
「中にピーマンが入ってる!」
声高に叫ばれた一声に子どもたちが凍りついた。絶望を張り付けた顔でテメノスを見上げる。
注目を浴びた当人はただのんびりと、ピーマンじゃなくてパプリカです、と訂正した。屈んで木箱の蓋を開け、色鮮やかな黄色いパプリカを取り上げて見せる。ぎりぎりテメノスの手のひらに収まっているそれはかなり大ぶりだ。一目で果肉の肉厚具合が察せられ、とても美味しそうに見える。
しかし、子どもの目にはそういった風には映らないらしい。一斉にテメノスから距離を取る様は、さながら天敵を前にしたマモットのようだった。
「そちらの箱も野菜なんですか?」
「〝も〟?」
「はい。実は
……
」
クリックはひとつの袋の口を開け、テメノスに見えるように差し出した。山盛りのズッキーニとナスが詰まっている。瞬きをひとつしたテメノスが他の袋に目を向けたので、素直に中身を答えた。
「他はトマトとルッコラとラディッシュですかね」
「
……
なるほど、なるほど?」
見事に子どもに不人気な野菜が揃っている。テメノスの胡乱な目が子どもたちに向けられた。
逃げ出そうとしたひとりの首根っこを手馴れた様子で捕まえる。だから味方にならないと言って、はいないけれども。
「君が汚名を着せられたのは理解しましたが、その野菜はどうしたんです?」
「ええと、実はですね
……
」
善意のすれ違いとも言うべきだろうか。
フレイムチャーチの町のはずれに既に仕事を引退した老夫婦が住んでいる。引退したといえ、非常に元気で健脚の持ち主なので趣味で結構な大きさの畑を持っていた。
広い畑を2人で管理する姿を見て最初に手伝いを申し出たのがクリック、興味本位で集まったのが彼に懐いている町の子どもたちだ。
土と触れ合う農作業はやってみれば楽しいもので、老夫婦は快く子どもたちにも簡単な作業を手伝わせてくれたらしい。芽が出て、茎が伸び、花が咲き。その度に歓声を上げていた彼らだったが、収穫する段階になってそれらが日頃から忌避している野菜なのだと気がついたらしい。
御礼として収穫した野菜を裾分けする老夫婦と、腰が引けてしまった子どもたち。老夫婦の好意を無碍にするわけにいかないクリックが、各家を回るからと代表で受け取ったのがつい先ほど。というのが真相だった。
クリックの話を聞き終えたテメノスは、もうひとつなるほど、と頷いた。その頃には両手でひとりずつ逃げようとする男児を捕らえていた。筋力はなくとも力を込めるポイントを抑えているため、彼らはじたばたともがくばかりで逃れられない。
やれやれと息を吐いたテメノスは、話の最中に箱の上へ置いた手紙を見遣った。
「少しは見習って欲しいものですねぇ」
「
……
?」
暗に促されてクリックは片側の袋を置いて手紙を手に取った。字を書き馴れた人特有の、ややクセのある字が並ぶ。差出人はオズバルド・V・ヴァンシュタイン。彼らしく簡潔に要点が纏められた文面だった。
「魔法学における植物の育成促進剤の研究
……
?」
「ええ。エレナさんが興味を持たれたそうで。このパプリカは彼女が育てたものだそうですよ」
味に遜色はないか、より多くのサンプルが欲しい。食材としての安全は確認済みなので問題ない。
そう書かれた一文の下に、彼の字と似た筆致で〝どうかきたんのない意見をお願いします。パパとクラリッサさんはおいしいとしか言ってくれないの。〟と添え書きがされていた。微笑ましさに頬が緩む。研究に真摯で妥協を許さない魔法学者も娘が紡ぐ魔法には形無しらしい。
――
なるほど。だから見習って、か。
確かに父親似の彼女なら、たとえ野菜が苦手であっても自ら口にしたに違いない。
逃げることを諦めた子どもたちはテメノスの手にぶら下がったり、おっかなびっくりパプリカをつついてみたりしている。
「
……
これ、美味いの?」
「ええ。美味しいという話ですよ」
「あの野菜も?」
「採れたては特にね」
嘘だ、という言葉は飲み込んだようだが、子どもたちはまだ不審そうな顔をしている。ついでにクリックが手にしている袋をちらちら気にしている。
嫌いな野菜だといっても、自分の手で育てたものなのだ。気にならないわけはない。
自分が嫌いなものはどうやって克服していっただろうか。クリックが思い返そうとしていると、不意にクリックを見たテメノスが口の端を上げて笑い。
「クリック君がもっと美味しくしてくれるそうなので、楽しみにしていましょう」
そう爆弾を投下した。
――
そう言われてもなぁ
……
。
ズッキーニ、ナス、トマト、そしてパプリカ。
ルッコラとラディッシュはリビングのテーブルの上だ。炊事場からハムとミニトマト、そして小さなナイフを持っていったテメノスがサラダにしている。
ただのサラダでは子どもたちには不評なので、一風変わったものにしているようだ。先ほどからリビングで子どもたちの歓声が上がっている。
すげーどうやるの? 私にもできる? 次、別の形にして!
それらに、野菜と一緒に食べるならね、と返す柔らかい声が聞こえる。
小器用な彼のことだ。トマトの飾り切りやハムの花づくりで場を盛り上げているのだろう。普段は面倒がって絶対にやりたがらないが。あの人も大概、子どもたちには甘い。
「子どもでも食べられる野菜料理
……
うーん」
とりあえず味が濃いものがよいだろう。ミートボールやハンバーグに混ぜるという手もあるが、どちらかといえば野菜そのものを美味しく食べる、という方向性の方がいい気がした。
「トマト、があるのなら」
食材ストックの中からオニオンと香りづけのニンニクを一欠けら取り出す。そしてクリックの手のひら大はあるブロックベーコン。これが嫌いな子どもはなかなかいない。
小鍋に水を注ぎ火にかける。まず向き合ったのは色鮮やかなトマトだ。皮まで艶々して美味しそうだが、今回はその皮を湯剥きさせてもらうことにする。
トマトの底部分に浅く十字に切り込みを入れ、ボウルに水と冷却用の精霊石の欠片を入れたところで視線を感じた。
「あれ、君は
……
?」
「
……
」
入口の影から炊事場を覗いているのは、ひとりの女児だった。
丁寧に編まれたおさげの三つ編み。意志の強そうなまあるい目。その目から感じる、若干、じっとりとした目線。そばかすの浮かんだ顔を気にしていて、きちんと手入れをすれば綺麗になりますよ、と微笑んだテメノスに顔を赤くしていたのを憶えている。
つまり、まあ、言うなればクリックの小さな恋敵である。基本的に真面目で大人しい子なので、あまり態度に出すことはないし、クリックにもよくしてくれるのだけれど。
だが、こんな機会に彼女がテメノスから離れているのは珍しい。
「えっと、どうかしましたか?」
「
……
クリックくん、本当にお料理できるの?」
訝しげにそう問われてしまった。とても懐疑的だ。思わず苦笑が漏れてしまう。彼女の心の声を代弁するのであれば、日頃からテメノスさまに任せきりにしていないでしょうね、といったところだろうか。
「ええと、まあまあ
……
かな。テメノスさんほど手際よくはできませんが」
「ふぅん
……
」
彼女は眉根を寄せつつ、クリックの手元をじっと見ている。炊事場に足を踏み入れようとしたので慌てて止める。
「だ、駄目ですよ。火を使っていますから」
「平気よ。私だってママのお手伝いしてるもん。ジャガイモの皮も剥けるし、目玉焼きだって作れるんだから」
それにクリックくんだけじゃ不安だし。
そんなことを言いながら少女が歩み寄ってくる。
少し悩む。包丁や火を扱ったことはある、と言いたいのだろう。しかし、彼女の保護者がいないところで怪我をしかねない調理をさせるのは考え物だ。本来ならしてはいけないだろう。
説得したいところだが、彼女は頑として譲る気がなさそうだ。クリックを素通りして水桶で手を洗い、指先から水滴を飛ばしている。
「じゃあ、ええとオニオンの皮を剥いてくれますか?」
これくらいなら大丈夫だろうか。3つのオニオンを渡すと、彼女は憮然として頬を膨らませた。おそらく、子ども扱いをして、と思ってのことだろうが、これ以上はクリックとしても譲歩できない。
断られたらどうしようか。内心、冷や冷やしていたが、彼女は渋々ながらもオニオンを受け取った。
クリックはほっとしてトマトに向き直る。しっかりと傍らで作業を始める彼女を目に留めながら。
トマトをお玉に乗せ、小鍋の中の湯に沈める。すぐに切れ込みの皮が捲れてくるので、そのまま冷水の中へ。2度、3度と繰り返してすべてのトマトを湯に通し、一旦、火を止めた。
「終わったけど」
「えっと、トマトの皮は剥いたことはありますか?」
「馬鹿にしないでよ」
むう、と少女が唇を尖らせる。テメノスへ好意を抱いている彼女は、どこかクリックへのあたりが強い。
彼女がどこまでテメノスとクリックの仲を察しているのかはわからない。が、女の子は成長が早く感受性が強いという。この分では少なくとも同居している友人、では通らない気がする。
「では、トマトの皮をお願いします。冷たいので気をつけて」
「わかった」
ぶっきらぼうに返しつつ、丁寧な手つきでトマトを手に取る。微笑ましいような。複雑なような。
誰からも祝福されるような仲ではないけれど、懐いている子どもたちに距離を置かれたら少々つらい。もし、彼らが真実を知ったとき、せめてテメノスからは子どもたちが離れていかなければいいのだが。
――
今から考えても仕方ないか。
気を取り直して大量の野菜に手を付ける。ズッキーニとナスはヘタを取り、パプリカは半分に割って中の種ごと取り除く。オニオンは頭と根を落とす。
なるべく小さくカットした方が抵抗が少ないだろうか。
ニンニクは粗くみじん切りに、野菜類は1cm角にカットしていく。ベーコンに取り掛かる前に、ふと思いついて食材ストックの中からセロリを手に取った。トマトの皮とヘタを取り終えた少女が吃驚してクリックを見る。
「クリックくん、セロリ食べられるの?」
「うん。まあ
……
得意ではないですけど」
「苦手なんだ。じゃあ、なんで入れるの?」
数瞬、言い澱む。口にするのはやや気恥ずかしい。
「この方がテメノスさんの好みだから、かな」
ぱちぱち、と少女の瞼が瞬かれる。しばらくクリックの顔を凝視した後に、そっと俯く。何かを深く考え込んでいるようだ。
声をかけるか迷ったが、先に包丁を使う段取りを済ませてしまおうと思い直した。子どもたちのためにセロリは心持ち少なめにする。セロリは他の野菜と同じ大きさに、ブロックベーコンは野菜よりやや大きめにゴロゴロと。少女が皮を剥いてくれたトマトをざく切りにカットしまえば切る作業は終了だ。
手早く包丁を洗って仕舞い込む。少女を伺うと何故かその表情が翳っているように見えた。
「あの、何か
……
?」
「
……
なんでもない」
明らかになんでもない反応ではないのだが、迂闊に触れてもいけない気がして口を噤んだ。
「火を使いますから離れていてくださいね」
大きめの鍋を釜戸の上へ置いて声をかけると、彼女はこくりと頷いた。おや、と思う。もっと意地を張った反応が返ってくるかと思っていた。
しかし、安全なところにいてくれるならそれに超したことはない。ごく少量のオイルを垂らし、火をつける前にニンニクを入れる。油が冷たい状態からニンニクを熱すると良い香りが立つ。そう教わったのもあの人からだ。
じわじわと熱された油が泡立ち、ニンニクが香ってきたところにベーコンを投入する。そのベーコンからも脂が染み出し食欲を掻き立てる匂いが炊事場に充満した。あちらにも匂いが届いたのか、騒がしかったリビングの声がほんの少しだけ止まる。
ズッキーニ、セロリ、パプリカ、ナス、オニオン。火の通りにくい野菜から順に炒めて、臭み消しの香草を少しだけ。無理に歯応えを残す必要はないので、木べらで掻き混ぜながらゆっくり加熱していく。
野菜がしんなりしてきた頃合いでざく切りにしたトマトを加える。木べらでトマトの果肉を潰しながら掻き混ぜる。ベーコンの脂と先に炒めた野菜から甘い匂いが鍋から立ち昇る。野菜から滲み出た水分がふつふつと沸騰してきたら塩を少量ふりかけて鍋に蓋をし、釜戸の火を弱める。あとは煮込みつつハーブソルトで味を調えれば完成だ。
少女を振り返れば、変わらずクリックの手元を観察しているようだった。しかしそれは、なんとなく、最初の居心地の悪い懐疑的なそれではなくて。
きゅ、と唇を硬く結び、前で揃えた小さな手でスカートの裾を掴んでいる。丸く大きな目は何度も瞬きを繰り返していた。
「あの
……
」
気まずい沈黙に耐え切れず、そう言って手を伸ばしかけた。が、少女は弾かれたようにぱっと顔を上げ身を翻す。わずかに見えた顔はくしゃくしゃで今にも泣きそうに歪んで見えた。
クリックが引き留める間もなく、ぱたぱたと足音を立てて炊事場を出て行ってしまう。遠くからテメノスのどうしました、という柔らかいテノールが聞こえた。
何か悪いことをしてしまったのだろうか。悪いというのなら、テメノスとの仲を隠す、という悪いことを既にしてしまっているのだけれど。そうではなくて。
彼女を宥めているだろうテメノスの姿を思い描く。声がかかるのを待っていたが、鍋の中のラタトゥイユが完成するまでクリックがリビングに呼ばれることはついになかった。
大鍋一杯に作られたラタトゥイユは味見をした子どもたちには概ね好評を頂戴した。
テメノスが裾分け用の陶器に小分けし、帰り際の子どもたちに持たせていた。陶器の中身は廻り巡って他のおかずに代わってくることが多いので、明日には千差万別のメニューが食卓に並ぶかもしれない。
「お疲れさまでした、クリック君」
空になった鍋を洗っていると、子どもたちを見送ったテメノスが炊事場に入ってきた。そのまま残っていたパプリカの箱から赤、黄色と2つずつ手に取る。念入りに水洗いし、頭のヘタ部分から近い場所に包丁を入れた。妙な切り方だが何か考えがあるのだろう。
窓を覗けば大分、日が傾いている。どうやら夕飯は彼の手製が食べられるらしい。それは喜ばしいのだが。
「あの、テメノスさん」
「何でしょう?」
「えっと、さっきの
……
女の子のことなんですけど」
話題に出してみたはいいが、具体的に何と相談すればよいのかわからない。
大丈夫でしたか。一体、何がだ。何もわかっていないくせに。
泣いていませんでしたか。年端もいかない女児にだって尽くす礼節がある。
何があったんでしょう。自分で考えることです、と返されるのが目に見えている。
喉元で言葉が詰まって出て来ない。黙ってしまったクリックに、テメノスが何かをずい、と突き出す。大きめのじゃがいもとマッシャーだった。
「任せました」
端的にそれだけ言って、自分は食材ストックを漁り始める。深く考えすぎるより手を動かせということか。それとも動かしている間に考えろということか。どちらにしろ、クリックに選択権はないらしい。
示された通りにジャガイモの皮を剥き、芽を抉って適当な大きさに切る。
ジャガイモというのはどうにも凸凹としていて均一に皮を剥くのが難しい。これを彼女はあの歳で熟しているのか。偉いな。自分で作ったものをテメノスさまに食べてもらいたかったのかもしれない。だって、クリックだっていつもそうだ。上手くなりたいと思うのは、食べさせたいと思った人がいるから。苦手なものを食べるのは一緒に食べたい人がいるから。
水から茹で、ふかしたじゃがいもをマッシャーで潰す。潰し具合はクリックの好みにして良いと言われているので、やや粗く。食べ応えがある程度に。
マッシュポテトのボウルを手にテメノスを見ると、材料を切り終わったところのようだった。スライスしたオニオン、マッシュルーム、少量の鶏肉。傍らには小麦粉とバターとミルク。その脇に鎮座する上部を蓋のように切り落とされた4つのパプリカ。
「ああ、出来たらこのパプリカの器の中に」
なるほど、器として使うのか。まだ湯気が立っているマッシュポテトを均等に、種を取り出されたパプリカの底に敷いていく。
その間にクリックと位置を交代したテメノスが釜戸の火にかけたフライパンにバターを落とした。バターが融けたら一口大の鶏肉を皮目から焼いていく。肉に粗方、火が通ったらオニオンとマッシュルームを入れて軽く炒める。
「さっきの話ですが」
具材にハーブソルトを振り、小麦粉をまぶしつつ、テメノスが口にする。
「私たちが気にしても仕方がないことです。とは言っても、君は気にするんでしょうけど」
「ええと
……
?」
「女の子は成長が早くて鋭いですからね」
まさに今日、クリックが思ったことと同じ文句をテメノスが口にした。それでようやく何があったのかを察する。耳元でざあ、と自身の血の気が引く音が聞こえた。
「ぼ、僕は何も言っていませんよ!?」
「そんなに焦らなくとも、君が何かを言っただなんて思っていませんよ」
嘘が吐けない性格だ、とは思っていますけど。
フフ、といつもと同じように笑い、テメノスはゆっくりとミルクをフライパンへ投入した。熱しながら混ぜていくと小麦粉とバターが絡み、とろみが出てグラタンの具のようになる。匂いもミルクが香るそれと一緒だ。最後にざっくりと大きく掻き混ぜ、フライパンを火から下ろす。
マッシュポテトが敷かれたパプリカのうち2つにフライパンの具材が、もう2つには取り分けてあったクリック手製のラタトゥイユが詰められていく。
「大人になるのがたまたま今日だった。それだけの話です」
「しかし
……
」
「おや? それとも君は彼女のために私と別れたいとでも?」
「それはありえませんけど!」
つい声を荒げてしまったが、テメノスはよいお返事です、と笑うだけだった。
4つのパプリカにチーズが乗せられ、香りづけの粗挽きの胡椒とパン粉が降られる。耐熱皿に並べられた4つのパプリカは、そのままオーブンの中へと消えていった。
軽く手を払ったテメノスが目を眇めてクリックを振り返る。
「それに、私はどちらかと言えば君の人気の方が不安なんですけど?」
「はい?」
人気。なんのことだろうか。確かにここに住むようになって、よく子どもたちと遊ぶようにはなった。いや、遊ぶというより。
「人気というか、僕は彼らに遊ばれているような気がしますが
……
」
呼び捨てはテメノスもされていることであるからともかくとして、やや侮られている感が否めない。かといって小さな彼ら相手にムキになるわけにもいかない。大人としても、騎士としても、失格な気がする。
そう答えたクリックにテメノスは湿度の高い視線を遣って、大仰な溜め息をひとつ吐いた。
「本当に君は鈍い
……
」
「え?」
「いいです。もう君はそのままでいてください」
「
……
?」
戯れに倒れこんできたテメノスの痩身を受け止め、軽くそっと抱き締める。普段は石鹸の香りに包まれている彼からは、料理後のほんのり甘く優しいミルクのような匂いがした。
しゅわ、とグラスの底から細かな黄金色の泡が弾ける。中身はフレイムチャーチ産の林檎で作られたシードルだ。
温暖な気候のコニングクリークでは豊富に採れる果物の果実酒が人気だ。現地のそれには及ばないだろうが、これもなかなかの出来だろう。
皿の上には赤と黄色のパプリカが2つずつ。程よく焦げ目がつき、端からは溶けたチーズが零れている。良い色になったパン粉と黒胡椒が食欲を刺激する。
テーブルの中央には昼間、テメノスが子どもたちと作ったらしいブーケサラダが置かれていた。ハムで作られた花と飾り切りされたミニトマトが、ルッコラと薄切りにされたラディッシュの上で可愛らしく咲いている。味つけはビネガーとオリーブオイルと塩だけのドレッシング。採れたての香草サラダにはこれくらいシンプルな方が味わい深い。
「お疲れさまでした、クリック君」
「はい。テメノスさんも」
食前の祈りを済ませ、いつも通りに小さくグラスを鳴らし合う。
唇をシードルで湿らせてみると、林檎の甘さがすっきりと舌を撫でて、爽やかな炭酸が鼻腔を通り抜けていった。あちらの果実酒ももちろん美味だがこちらのシードルはうっすら樽のスモーキーな香りが残っていて深みがある。
飲み物を含んだら急に空腹を自覚してしまうから、つくづく身体は正直に出来ていると思う。
勧められるままカトラリーを手に取った。パプリカにナイフを入れると、改めてその肉厚な果肉に驚く。一口分を切り取って中から流れてきたのはクリームソースに包まれた鶏肉だ。チーズとパプリカをよく絡めてそのまま口の中へ放り込む。
「はふ、あつっ
……
」
歯で薄皮を破ると一気にパプリカの甘みと旨味が口内に広がった。その甘みと胡椒をきかせたクリームソースの鶏肉が融和する。チーズの塩味と黒胡椒の辛みが後を引く。
チーズで閉じ込めてオーブンで加熱したのでとても熱い。口の中が熱くなったところでシードルを流し込んだ。シードルの炭酸が鶏肉とパプリカの旨味を引き立てつつ、後味を爽やかなものにしてくれる。
「んん
……
っ!」
「美味しいですね、このパプリカ」
向かいで別の色のパプリカに舌鼓を打つテメノスを見て、もうひとつの中身が違うことを思い出した。行儀は些かよくないが、別のパプリカにもナイフを入れてみる。
ラタトゥイユのトマトの酸味にとろけたチーズのまろやかな匂いが混ざり合う。あれだけどっさりと野菜を入れたのに、青臭さもえぐみも一切ない。クリームソースよりあっさりとしているが、その分、野菜のエキスとベーコンの脂、パプリカの旨味を吸ったマッシュポテトが存在を主張する。ほくほくしたジャガイモが旨味そのものの水分を吸ってしっとりとした口当たりに仕上がっていた。
夢中で半分以上を平らげ、ブーケサラダに手を伸ばす。ビネガーの香りがルッコラのクセを消していて口の中をさっぱりと洗い流していく。
そこで一息吐いたクリックは、はた、と思い至った。
「大変です、テメノスさん
……
」
「どうかしました?」
シードルを一杯飲み干したテメノスが怪訝そうにクリックを見る。半量も残っていない自分の皿の上に視線を落とし口を開く。
「僕もエレナさんに〝美味しい〟という感想しか送れないかもしれません」
真剣に吐露した一言を聞いて、テメノスは小さく噴き出した。
笑い事じゃありませんよ。
これは失敬、そういえばこれは大事な〝研究〟でしたね。
「では、残りはじっくり味わいながら食べましょうか。どう手紙を返すかも考えながら」
「はい!」
とても果肉が甘いですね。
はい、それにとても大きくて分厚いです。
歯応えがよいから別の料理も合うかも。
ピクルスかマリネにも使ってみましょうか。
聡明な小さな友人のために語らう食事はとても温かかった。もしかしたら、これが彼女の魔法なのかもしれない。そんなことを考えた。
翌朝のことだ。
クリックは洗濯かごを手にして庭に出た。水を吸ったシーツはそれなりに重たい。
水気を絞ってシーツを広げようとしたクリックの目の端に留まるものがあった。楓の木の裏からそっとこちらを伺う小さな影。山から下りてくる涼風に三つ編みの髪が揺れている。丸い瞳が真剣な眼差しをクリックに向けてくる。
彼女だった。
クリックが気づいたことを察すると、姿を現して昨日のように駆け寄ってくる。片手に昨日、テメノスが配っていた陶器の袋を、片手は後ろ手に何かを隠していた。
クリックはシーツを籠に戻し彼女と向き合った。どこか強張った彼女の表情に、クリックは曖昧な笑みを浮かべるしかない。
「えっと、おはようございます」
「
……
うん」
少女は言葉少なにクリックへ陶器の袋を突き出した。受け取るとそれなりの重さがある。やはり何かお返しがあるようだ。後で中を確かめなくては。
「クリックくん」
「はい?」
ほのかに甘い香りが鼻を掠めた。
クリックの胸元に色鮮やかな花冠が押しつけられていた。青い花びらがひらひらと舞い落ちる。
デルフィニウム、ラベンダー、カスミソウ、ブルースター。幸福に彩られた花冠だった。
彼女はそれをクリックの空いた手に握らせると、くるりと踵を返した。驚いたクリックは彼女を呼び止める。足を止めた彼女は振り向き、赤い目尻を押さえて、べーっと舌を出した。
「テメノスさまを幸せにしなかったら、許さないんだから!」
呆気にとられたクリックを残し、少女は走り去ってしまった。手の中には返ってきた陶器の袋と幸福を束ねた花冠がひとつ。
――
女の子は成長が早い
……
。
まったく以てその通りだ。一生懸命で、昨日の今日で大人になって、きらきらと輝いている。彼女は将来、誰よりも綺麗な女性になるのだろう。
「クリック君?」
様子を見に来たらしいテメノスが庭先に下りてきた。零れそうになった雫を拭い去り、顔を上げる。
朝の光の中でさらさらと銀糸の髪が煌めく。不思議そうに、それでいてその奥にクリックを案じる色を宿した翡翠の瞳が美しい。けれど、何よりも誰よりもその心が美しいことをクリックは知っている。
込み上げる熱いものを呑み下して微笑み、手の中の冠をそっと彼の銀糸の頭に乗せた。
「これは
……
?」
「お届け物です」
話をしたら驚くだろうか。それともふわりと笑うだろうか。どちらにせよ、きっと抱き締めてしまうに違いない。
クリック自身の最愛と、かけがえのないただひとつの祝福を授かった今日を。ずっと、いつまでも。
Reaction
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.
Custom color
Reset color
広告非表示プランのご案内