河童の皿箱
2024-04-09 09:33:13
3416文字
Public 遊戯王:短め(2024年度)
 

鉄切

Mme.スパイダーの人形展示をとある怪物が見に来るだけ

 昔ながらの木造建築。住居というには仰々しく、宮というには無骨なつくりの社。提灯がずらり並んだ軒下にするりと真っ直ぐ伸びているのは、炎の如き紋章が描かれた幟である。
 ここは、遥か昔に起きた、妖との戦いにて用いられた刀を神として祀り、安置した神社である。その信仰は今でも連綿と受け継がれ、年に数度行われる祭事は古き形を残し続けている。武勇を尊び、世を覆う闇を祓い、平安の灯火をもたらす。代々の宮司や巫女たちは古き教えを伝え続け、いずれまた来たるその時のために、弛まぬ訓練を続けているのだ。
 とはいえ、戦いのない平和な時分、刀を神とし祀るといえどその社は、まつりの由来もわからぬ民衆にとっては、他の神社と特段変わりない。年が明ければここで頭を下げ息災を祈るか、たまにぶらりと立ち寄って、その古き良き空気を吸いにくる程度のもの。ごくごく稀に、賽銭泥棒が身の程知らずにも忍び込んでは、勇ましき巫女とその友たる優麗な美女にお縄を頂戴され、朝に報じられる、ぐらいなものだった。

 さて、普段は静かなこの神社では、珍しくまつりではない催しが開かれていた。とある人形師の個展である。拝殿の前では小さく愛らしい巫女の人形が訪れる人々を出迎えてくれ、せっかくだからとお参りをしては、せっかくだからとおみくじを引き、せっかくだからとお守りを買う。授与所で巫女や宮司がせっせと人々に平和の祈りを手渡す傍ら、人々の最終的に向かう先はこぞって社務所であった。
 個展は、この社務所の一部を間借りしている。30歩も歩けば1周する広さに、ずらり並んだ華やかな人形たち。その人形たちの前を、感嘆の声をあげてみて歩く人々。その片隅に黒き衣を纏って座るこの人物こそ、人形たちを作り上げた主であり、人形たちに仕えし黒衣である。黒衣は名をMme.スパイダーと云う。伝統を受け継ぐ人形師の一面と最先端技術を扱う技師の一面を併せ持つ傾奇者で、各地へ歩いては眠る古きを訪ね、技術書と論文をめくっては新しきを知るまさに、温故知新を体現したかのような人物である。この神社も訪ね歩くひとつで、個展は黒衣たちの芸術活動の一環でありながら、黒衣たちが様々なことを教わる見返りとして執り行われているものでもあった。
 さてこの黒衣、その手腕は見事なものだと、世間の注目を集めている。舞台上という極めて遠くから眺めるしかできぬ普段と違って、この個展では作品たる人形を間近でじっくりと見られるのもひとつの魅力であり、いつも人形と暗闇のかげに隠れた黒衣自身を、それはもうしっかりと見られる貴重な機会でもあった。故に、人形や技術を目当てに来る人、あるいは黒衣を目当てに来る者、たまに、黒衣以外の仲間たちも居ないだろうかと来る者などなど、実に様々な人々がこの社務所に設けられた展示場を訪れた。
 各々の目的を果たして満足した人々が、ふらり立ち寄り、立ち去って。黒衣が人形を遣って見せたり、技術の談義をしたり。応対する中で、ここを何度も人物は居なかった。ただ、ある1人を除いて。

 個展の最終日、陽が傾き、巫女が灯籠に火を灯す頃。今までの賑わいは何処かに消え去った。からくり時計のチクタク鳴る音だけが、静かな社務所に響く。人形たちの衣装を綺麗に整えた黒衣がひとり、耳をすませば、外から聞こえる玉砂利を踏む音。巫女や宮司と違って、随分と粗野な音であった。
 社務所の扉がガラリと開き、鴨居をわざわざ潜って現れたのは、その鴨居が隠れてしまいそうなほどの大男である。血の如き赤い髪をひとつに結び、立派な毛皮を丸ごと羽織っているかのような分厚い上衣を、力づくのように帯で締めている。如何にも傾奇者、あるいは婆娑羅者、そのように形容できる大男は、何を話すでもなく、黒衣に礼を一つした後、展示場に草履を脱いで上がった。

 この大男は、初日から最終日である今日に至るまで毎日、こうして日が暮れた後に姿を見せた。そして、展示室が閉まる時刻まで、ずっと居座り続けている。その間、何を言うでもなく、ただじっと人形たちを眺めるばかり。黒衣に話を振るでもなく、ただただ、じっと。黒衣は確かにこの場において唯一の解説者であったが、解説を求められなければ、黒衣に徹していた。故に、黒衣も大男に話しかけることはなかった。
 黒衣が舞台上でも愛用する特別製の、遊女の人形。黒衣の身ほどもある巨大な人形は、鋼鉄の体を休め、遊女は静かに眠るかのように、じっと佇むのみ。大男は専らこの遊女の前にドカッと座りこむ。

 チク、タク、チク、タク。陽が完全に落ちた頃、黒衣は俄に、大男への興味が強まった。今日で展示が終われば、恐らくもう会うことはないだろう。黒衣は座布団をひとつ持って、大男の隣を陣取った。

 チク、タク、チク、タク。ふと、大男は口を開く。これは女郎蜘蛛か、と。黒衣は頷く。

 チク、タク、チク、タク。大男は口を開く。動かしてもらえまいか。黒衣は要求に応え、立ち上がっては遊女の陰へと入る。
 遊女は緩やかに動き出す。手に仕込まれた扇子をぱっと開けば、その華やかさにも磨きがかかる。大男が不意に手を伸ばせば、遊女の顔がガバリと開き、ほっそりとした目の装甲すら剥がれ、口が大きく裂ける。開いた装甲の先端には、鬼火のようなホログラムが纏わり、鬼女の面を妖しく照らす。凶悪な形相の遊女は言う。お客さん、お触りは許しません。大男は目を大きく見開いて、次にガッハッハ、と大口を開けて笑った。なるほど、こりゃあいいガブじゃあないか。その声に、黒衣は再び、ひょっこりと顔を覗かせた。
 いやはや、あっぱれだ。アンタさんは初めて見たが、人形の出来も良い、動かし方も良い。大男はその巨大な手で膝を叩いては、上機嫌であった。そして続ける。アンタさん、こういう話に詳しいのなら、男の人形は作らんのか、と。遊女の顔がもとに戻り、一礼して再び眠りにつくと、陰から出てきた黒衣が、今度はしわくちゃな老人の、小さな人形を取り出してみせた。
 ふむ、こりゃあ土蜘蛛か。大男が言えば、黒衣は頷き、また命を吹き込む。緩慢な動きから突如体のあちこちから脚が生え、大蜘蛛の姿に変われば、大男はまた愉快そうに笑う。こいつも良い土蜘蛛だな。すると大男は、この人形はなんだ、と、あれやこれやの詳細を尋ねた。黒衣は淡々と人形を動かし、大男が答え、黒衣が頷く。

 そうして歩んだ30歩。最後に大男が尋ねた5体の人形たちは、巨大な筆を持つ男と、数多くの楽器を持つ男と、双子の様に姿が似ている2人の子供と、そして黒衣の人形。黒衣は動かさず答える。これは観賞用、仲間の人形だ。それぞれ、浮世絵師と、雅楽師と、能楽師、そして自分だ、と。大男は頷き、手を伸ばすことなく、じっと眺める。はぁ、なるほど。アンタさんは随分、歌舞いた連中なのか。大男はまた、ガッハッハと笑った。

 チク、タク、チク、タク、ゴーン、ゴーン。からくり時計が重い鐘を突けば、展示の終了時刻を告げた。どれ、そんなら帰るかね。大男は踵を返し、草履を履いては、見送りに来た黒衣に一礼する。
 アンタさんのこたぁ、ここで初めて知ったもんだ。つい見覚えのある演目だったものでな。ま、ここまできた甲斐があったさ。ありがとさん。大男はまた鴨居をくぐり、粗野な足取りで玉砂利を踏む。夜の帷にその姿が消える頃、玉砂利を踏む音も消え去って。

 あの男に似合う呼び方を、黒衣はひとつ思い浮かべた。そして、次に作る人形の設計図が自然と思い浮かんだ。あぁ、その名がぴったりだ。どうして今まで作らなかったのだろう。



 それからしばらく。黒衣は新しい人形の製作に取り掛かった。黒衣は夢中になって、昼夜を問わず作業をしては、おいこらいい加減休めと絵師に止められ。渋々手を止めつつ、けれど、胸に宿った炎で鉄を切り、鉄を融かし、鉄を繋げる。色を塗る時には浮世絵師の筆を借り。音を宿すときは雅楽師の音を借り。最後に魂を宿すとき、その身振りを能楽師に教わり。だが、それを動かせるのは、浄瑠璃人形師の黒衣だけ。幾度も幾度も、その巨大で恐ろしく、粗野な仕草を盛り込んでは、なお自分たちが究めし幽玄の基にそぎ落としては。何度も何度も、修練を積む。

 ある時、舞台の上で、黒衣は勇ましき男の陰に隠れた。大男の名を、八束脛と云う。