白雨
2024-04-01 23:51:50
3330文字
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うっすらと明主。他のカップリング要素、死ネタ等はありませんがなんでも許せる方のみどうぞ。

 軽やかに跳ねるような自分の足音が心地良い。花壇を彩る花の香りを胸一杯吸い込むと、ふわふわとした気持ちになる。それ以上に、今から会えるはずのひとの顔を見るのが楽しみで仕方ない。見慣れた小道に佇むルブランの扉を、涼しげなベルの音と共に開く。真っ先に視界に入ったのは、カウンターの中でコーヒーを淹れる彼の姿だった。それから、向かい合うようにして座るもうひとり。先にこちらを見た明智さんは柔和に微笑み、そのすぐ後、凪先輩も私に気付いてにこりと笑った。
 「いらっしゃい」
 「久しぶりだね、芳澤さん」
 少し見ない内に雰囲気が変わった、などという事は全くない。彼らは二人とも、まるで変わる必要なんてない、最初から完成された存在にすら見える。
 「はい、ずっとお会いしたかったです。凪先輩に、明智さん」
 凪先輩の「まあ座れよ」という言葉に従い、明智さんの隣に腰掛ける。こぽこぽというサイフォンの音が心地良い。
 「帰ってきたって聞いたから、全速力で来ちゃいました」
 そう口にすると、隣の明智さんがくすりと笑った。
 「そうだろうなと思ってた。おめでとう、君が一番乗りだよ」
 どうやら私の行動は読まれていたらしい。そしてこの調子だと、私だけではなく他の皆さんにも声を掛けていたのだろう。
 真先輩や春先輩と同じように卒業した明智さんが進学の道を選ばなかったと知った時はびっくりしたし、しかも「旅とか面白そうじゃない?」なんて言い始めた時はもっと驚いた。なるほどこれが仰天というものなのか、と見当違いの納得すら抱いた。更に、近頃は凪先輩も明智さんについてふらりとどこかに行ってしまう事が増えた。彼の方は一応在学中のはずなのに、何処までも自由な人だ。
 不思議な事に、それらはほんの少し前に聞いた話なのに随分昔に感じる。というか明智さんが卒業したのって、凪先輩がついていく事を決めたのだって、まだ、数ヶ月、も──
 ふと視界の端がぼやけて揺れた。思わず目を瞬かせる。目眩とまではいかない、ただ一瞬だけ居眠りをしてしまったかのように頭がぼんやりとした。
 「どうした?」
 先輩の声で現実に引き戻される。柔らかな表情で私を見つめる彼の瞳は、名前と同じように凪いでいる。彼の瞳を見ると、私はいつもしんと落ち着いた夜を連想するし安心する。散り始めていた思考はすぐに元に戻った。きっと練習で疲れているんだなとひとり納得し、二人ににこっと笑いかける。
 「なんでもないです! それで、お二人は今回何処に行ってきたんですか?」
 当てもない旅行というのは、きっと私には一生出来ない気がする。だから帰ってきた二人に色々な話を聞くのが好きだった。
 「ちょっと南の方に」
 「南……え、沖縄とか?」
 「残念、そこまでじゃないよ。少なくとも海は渡ってない」
 となると、九州とかその辺りだろうか。いいなあと呟いていると、凪先輩がカウンターの中からすっと丼を出した。
 「いっぱい食べる後輩にはこれを進呈します」
 「言い方が分かりにくいよ。お土産ね」
 私の困惑は明智さんの補足で納得に変わった。思いっきりラーメンの丼だったので、なんとなく何処に行ったのか想像がつく。
 「ありがとうございます、嬉しいです!」
 ありがたく受け取った丼はずっしりと重い。このお土産を持って帰ってくる時、きっと凪先輩と明智さんの間で一悶着あったはずだ。彼らはよく言い合いを──
 あれ、違う。そんな事はしていない。二人はとっても仲良しなんだから、そんな事はするはずない。頭がぼんやりする。なんでだろう。私はそこまで疲れているのだろうか。
 「なんだー、残念。一番乗りじゃなかったか」
 今度はちりんいう鈴の音で我に返った。扉の方を見ると、杏先輩と双葉先輩とモルガナ先輩が立っていた。ちっとも残念そうには見えず、むしろ楽しそうな三人が加わった事で一気に賑やかになった。その後加わった他の皆さんの温かさのおかげで、いつの間にか私の頭にかかる靄はすっかり晴れ、その存在すらも忘れていた。


 皆さんで集まって、「またね」と手を振る。ちょっぴり寂しいような、浮かれた気持ちが残っているような、お祭りの後のような気分になる。さっきご飯は食べたはずなのに、もうお腹が空いてきた。そう考えながら、「ただいま」と家の扉を開ける。
 「あ、おかえり。縺吶∩繧�」
 顔を上げる。丁度通りかかったのか、廊下の先にいた彼女がこちらを見つめている。私と似た顔。鏡合わせのような顔。私の双子の──双子の──
 双子の、蟋�。
 顔がぐちゃぐちゃに塗り潰されたようにぼやけた、私の蟋�。
 「……え」
 思わず後ずさる。
 何か、変だ。ぐにゃりと世界が歪んでいるような錯覚に陥る。顔が分からない。認識出来ない。ずっと一緒に育った双子の顔が、私はどうして分からないのだろう。
 「どうしたの、縺吶∩繧」
 「それ」はきっと私の名前を呼んでいる。機械音声じみていて、ノイズのかかったその箇所が全く聞き取れなかった。でも、駄目だ。これでは心配をかけてしまう。それでなくても、私は甘えてばかりなのだから。
 「大丈夫、なんともないよ。縺九☆縺ソ」
 目を見開く。口元を抑える自分の手は震えていた。
 違う、違う、違う。何かが、違う。
 これは何? 今、私は「それ」を何て呼んだ? 「それ」は私を何て呼んだ? 今や世界の終わりみたいに、私の中はぐらぐら、ゆらゆらと揺れていた。どこか遠くでアラートが鳴っている。今、私は何か「見てはいけないもの」と直面しているような気がした。すぐにここから離れなければと思った。
 「あ、待って! どこに行くの!?」
 何処? 何処だろう。分からない。踵を返して走る。酷い眩暈に襲われながら、走る。何も分からなかったから、けたたましいクラクションが鳴った事にもすぐには反応できなかった。視線を動かした先からトラックが突っ込んでくる。その瞬間頭に流れ込んできたのは、ぞくりと悪寒が走るほど生々しい手触りをした光景だった。
 血。血だまりの中の、誰か。私が呆然としている。全ての理解を拒否している。
 ぐっと強い力で腕を引っ張られた。見上げると凪先輩がいた。隣には、初めて見たくらい感情の消えた表情でこちらを見つめている明智さんもいる。普段と変わらない凪先輩に淡々と「危ないぞ」と言われた時、何かの糸が切れた。
 「わたし──私、変で──先輩、私は誰ですか。誰なんでしょうか、私」
 凪先輩の瞳がさっと翳った。その代わりのように、冷めきった声色で明智さんが言う。
 「芳澤かすみ。それが君だろ」
 そう、そうだ。私はかすみだ。双子の姉。
 それなのに、私はどうして、こんな。
 「……っ、違う……嫌、助けて、凪先輩、私、こわい──」
 頭が痛い。眩暈が酷い。限界だった。急激に薄れていく意識の中で、ただ一言、「大丈夫」と凪いだ声が聞こえた気がした。



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 頭がずきずきと痛む。ううう、と呻きながら起き上がると、傍らにいた彼女が安堵したように笑った。
 「急に出ていったと思ったら、すごいイケメン二人が運んでくるんだもん。びっくりしちゃった」
 「出ていく……?」
 思い出せない。私は何をしていたんだっけ。少し考えて、自分の大事な姉妹ににっこりと微笑んだ。
 「心配かけてごめんね。でも、もう大丈夫」
 お腹も空いてきたし、と冗談めかして付け加えると彼女は「食いしん坊だなあ」と笑ってくれた。

 そう、これが私の幸せだ。





 「そろそろ限界かな」
 ぽつりと呟く黒髪の少年の隣で、琥珀色の髪の青年が素っ気なく返す。
 「そろそろどころじゃないでしょ。とっくの昔に壊れてるよ、ここ」
 二人は高層ビルの上から街を見下ろす。どこか輪郭がぼやけ、どこか甘い香りの漂うその世界。しばらくそれを見つめた後、少年は興味をなくしたように街に背を向けた。




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