白雨
2023-01-22 20:27:32
3949文字
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おまじない

生還トリックの直後の双葉とぺごの話。
カップリング描写は一切ありません。
ただ、以前書いた尋問室、生還トリックの後の話(「あるいは朝焼けの光のような」「I **** you」)の間の話のつもりで書いているので一応前提は明主です。
前提なだけでそういった要素は皆無です。本当に何もないです。

 ──二十日午後X時頃、前日十九日に逮捕されていた怪盗団のリーダーが獄中自殺を図った事件の続報です。当時現場には取り調べの警官が二人いましたが、容疑者が自殺を図った時、警官二人は席を外しており──


 眠れやしない時間が続いて、気付けば日付けが変わっていた。
 そろそろだって分かっていた。GPS機能は掌握している。それをずっとモニター越しに確認していたから、こちらに向かっている事は把握済み。それでもたまらなく怖かった。そもそも全部バレていて、決死の大作戦も意味を成さないものだとしたら。全部手遅れで、向かっているのが持ち主不在のスマホだけだったとしたら。考え出すとキリがなかった。そんな風にドツボにハマっていく思考の中で下の階からインターホンの音が聞こえたから、モナと顔を見合わせて、部屋から飛び出していった。
 「アンタ、今何時、だと──」
 そうじろうの声が段々消えていく。体をあちこちにぶつけながら階段を降りた先。ばっと見つめた玄関にいたのは、黒い塊に手を置いて座り込み動揺している様子のそうじろうと、閉まった玄関の扉を背に唇を引き結ぶ「デキる女」。真の姉ちゃん。それから壁に背中を預けるようにして蹲ってぐったりする、黒コートを頭からすっぽり被った塊。それを見た時の気持ちを、きっとわたしは上手く言語化出来ない。嬉しくて、悲しくて、悔しくて、ほっとして、ムカついて、はらわたが煮え繰り返って、そんな濁流みたいな感情がぐるぐる混ざり合って、結局全部置いてけぼりでわたしはあいつに駆け寄る。
 「っ、なぎ!なぎっ……!」
 ああ、やだな、めちゃくちゃ情けない声だ。弱々しくて震えてて、もう泣いちゃってる。しっかりしろ双葉、オマエが泣いてどうすんだ。何度だって覚悟した、最善は尽くした、だから、絶対、大丈夫。だけど掴んだ黒コートを引っ張って、隠れていた、気を失っている凪の顔を見た時。わたしの喉がひゅっと鳴ったのと、モナが呻いたのはほぼ同時だった。
 いつもは眼鏡ともさもさの髪の奇跡的なバランスで隠れてる顔。学園アニメに出てくる眼鏡を取るとすごい系超美少女だって裸足で逃げ出すくらい、実はチート並みにやたらめったら綺麗な凪の顔。ほんとはすっごくイケメンなんだ、こいつは。でもそれが酷い有様だった。傷と青痣と腫れ。一応軽く手当てはしてもらっているみたいだが、それでもカバー出来ていない。頭には包帯、見えてる肌のそこら中に絆創膏とガーゼ。軽く捲られた制服の袖の下からは、殴られたような跡が覗いている。それから腕の内側から肘の裏側にかけての部分。白くて綺麗な肌の上に、点々と見慣れない跡がいくつか残っていた。今以上にもっと、背筋がぞわっと冷えていく。咄嗟に目を逸らしたくなったのにダメだった。網膜から脳裏に焼き付くその点々を、きっとわたしは死ぬまで忘れられない。
 これは、注射痕だ。そしてそれが何を意味するかくらい、嫌になるくらい回転の早い頭はすぐに答えを出してしまう。
 ぼろぼろと涙が零れた。ひどい。なんでこんな事するの。なんでここまで出来るの。わたしたちは、こいつは、ここまでされなきゃならないくらい、いけない事をしたっていうの。ひどい。ひどい。ひどい──
 ひどいのは、わたしもだ。
 こうなるかもって分かっててこんな役回りをさせてしまった。こうなるまで誰にも止められなかった。きっとわたしじゃ想像出来ないくらい、すごく怖い目に遭わせた。体も心も追い詰められる、一生傷になるだろう経験をさせてしまった。こいつが何をされたのか。どんな目に遭ったのか。想像したくない。したくないけど、目を逸らしちゃいけない事も分かる。優しくて強くてカッコよくて面白くて頼れる、わたしのだいじな、お兄ちゃんみたいなヤツなのに。こんなボロボロになって、全身傷だらけで、それでもちゃんと帰ってきてくれた。無事とは口が裂けても言えないけど、生きて帰ってきてくれた。
 「ごめんな、なぎ、ごめん……
 こんな傷だらけの凪の体に触れたら、きっと痛いだろうって事は想像がついた。だから何も出来なくて、せめてブレザーの端をぎゅっと握って、項垂れた頭をそうっと凪の胸元に擦り寄せた。浅い呼吸音が聞こえる。
 ああ、生きてる。それをちゃんと確認した時、堪え切れずに声を上げて泣き出してしまった。

 「フタバ、大丈夫か?」
 膝の山に埋めていた、多分洟垂れの顔をちょっとだけ上げる。和室の襖を体でこじ開けたモナが、そのまま器用に襖を閉めて近寄ってくるところだった。布団で眠る凪の顔の横にぽすんと腰を下ろし、そのまま体を擦り寄せるようにして丸くなる。何も言わないけど、モナも凪が心配でたまんないんだな。当たり前の事を考えて、布団の隙間から覗く凪の手をきゅっと握り直す。大きな手が包帯でぐるぐる巻きなのがすごく悲しかった。
 「わたしはだいじょうぶ」
 ぼそぼそ言うと、モナは呆れたみたいな声を上げる。
 「全然大丈夫って感じじゃねーぞ」
 「……凪の前で大丈夫じゃないなんて言えるか」
 「んな事気にしねえよ、ワガハイたちのリーダーは」
 そりゃそうだろうけど、凪とみんなが許してもわたしが許せない。ずずっと鼻をすすって、目を閉じる凪をじっと見つめた。
 武見って女医と新島はついさっき帰ったみたいだった。怪我だけならともかく、訳の分からない薬を投与された可能性のあるこいつを放置する訳にはいかなかった。だから怪盗団のみんなに相談してから、武見に往診を頼み込む事にした。モナによると、武見は凪の正体を知っているし信頼出来るようだったから。
 凪を見るなりそいつは派手なメイクを施した綺麗な顔を一瞬ほっとしたように緩ませて、だけど即座に歪ませた。必要な事以外は何も喋らず、強張った表情で凪の診察をする様子を、わたしはモナを抱えたままそうじろうの隣で見守る事しか出来なかった。受け答えをしていたのはもっぱら真の姉ちゃん──新島だった。やらなきゃいけない事があるから手短にとは言ってたけど、それでも丁寧だったな。
 凪は服の下の体の方もボロボロの状態だった。武見曰く、「派手だけど奇跡みたいに重傷からは外れてる」怪我。運が良かったのか、流石に手加減されたのか、凪が上手く急所と致命傷を避けたのか。ともかくそうじろうもそれを見てかなり堪えてるみたいだった。いつもはすぐ小言を並べる癖に、こんな時ばっかり、そうじろうは馬鹿みたいに物分かりの良いイケオジになってしまう。
 「細けえこたぁ今は聞かねえよ。……生きてて何よりだ」
 言いたい事なんて山程あっただろうって事はわたしでも分かった。その上で何も聞かずにいてくれるそうじろうに、また泣き出しそうになった。わたしたちが何をしていたのか。どんな事をしでかしたのか。その大きさと行動に伴う結果を、きっとわたしも、みんなも、本当の本当には考えてこなかったのかもしれない。
 弱者のための悪人改心。世直し。そんな大義名分を掲げて走って、結局大事なものを傷つけた。やめときゃ良かったとは思わない。いけない事だったとも思わない。わたしたちはこれでもちゃんと、覚悟をしていた。でも──ここまでは、想像出来てなかった。
 「……ワガハイ、悔しくてさ」
 ぼそぼそと喋るモナの声で現実に引き戻された。丸いシルエットのままの小さい体を見つめる。
 「結局ワガハイは肝心な時、何も出来ねえんだ。猫の姿だからとか、コイツに何もしてやれなかったとか……そういう事だけじゃなくて、なんか、無力だなって」
 いつもは偉そうなモナがしおらしい。けど、モナってこういう奴なんだ。言いたい事も、なんとなく分かる。わたしたちってみんな、地上で咲く花の部分は全然違うけど、根っこのところは似てるんだ。
 「次はこうはいかねえ。コイツも、ミンナも、ちゃんと守れるくらいに強くなりたいんだ」
 わたしも同じだった。わたしたちは色んな事を間違えて、ぐねぐね曲がって、その先にあったのは地の底みたいな展開だった。凪はこんな姿になるまで体を張る羽目になり、そうじろうや武見みたいな、わたしたちを見守ってくれるひとたちを苦しめた。
 それはとても難しい事だとは分かってる。でも二度と、わたしたちの行末を今以上に暗い展開の物語にはしたくない。
 「わたしも、そう」
 呟いて、四つん這いで移動した。横たわる凪の頭の上まで到着する。
 「少なくとも、起きた凪には……みっともない姿は見せたくないな」
 ぐちゃぐちゃに泣いて謝り続けるのは違う気がした。流石に弱っているだろう凪に、頼られるくらい。今すぐは難しいから、出来るだけそう見えるように、せめて今の凪の前だけでは虚勢を張ってでも。いつも凪がしてくれるみたいに、安心させてあげられるようなわたしでいたい。
 パニクるわたしを落ち着かせてくれる時、凪はよく頭をよしよしってしてくれる。あんまりしてくれないけど、たまーにそうじろうも撫でてくれる。それから、お母さんはいつも、わたしの事を抱き締めてくれていた。安心出来るおまじないを、わたしはわたしを大事にしてくれるひとたちにいっぱい教えてもらっていた。与えてもらったものをちょっとずつでも返したい。
 「いたいの、いたいの、とんでけ」
 唱えながら天パの頭をそうっと撫でる。きっと世界で一番優しいおまじない。じわっと滲む視界を誤魔化すためにごしごしと目元を拭って、下手くそな笑顔の練習をした。
 全部終わるのはまだ先だとしても、今だけは。こいつが起きた時、にかっと笑って、頑張ってくれてありがとなって、お疲れ様って、言ってやりたいんだ。