千代里
2024-04-08 08:20:35
10472文字
Public 君ふれ短編
 

ケイとミィハの話・短編・その6


リゾート地の夜ーー中でも宿泊地の夜は、リムサ・ロミンサの夜よりも早い。冒険者たちが昼夜を問わず行き来する港町と比較すれば、客層が定まっている分、行動パターンもある程度絞られるからだ。
夜を跨いではしゃぎまわる酔客たちは海辺にあるバーに屯しているので、酔っ払いたちの声も宿泊地からは遠い。また、夜の程よい静けさも契約のうちに入っているようで、夜中にはしゃぎまわる観光客の声もしない。聞こえてくるのは、夜に活動する生き物たちの微かな気配がもたらす音だけだ。
……怪盗が来るから息を潜めてる、というわけではありませんよね」
「そうだとしたら、宿泊地にいる客全員、怪盗の味方ってことにならねえか。そんなめんどくせえ事態、俺はごめんだぞ」
フェリキシーがそう軽口を叩き無くなるのも無理ないほどに、辺りは静けさに支配されていた。
彼はすでに着慣れた革のジャケットに袖を通し、臨戦態勢にはいっている。ただしその手にあるのは、使い慣れた長槍ではない。彼は腰に二振りの短剣を吊るしていた。
フェリキシーとユキハネの二人は、今とある建物の中にいた。すぐそばの机に置かれているのは、昨晩遠目に見せてもらった木箱だ。中に入っている首飾りは生憎まだ見せてもらっていないが、ススナムはこの箱を守ればいいと命じていたので、場合によっては目にする機会は今回は訪れないかもしれない。
フェリキシーが今いる場所ーーそれは、怪盗の標的が安置されている建物だ。作り自体はフェリキシーたちが案内された宿とほぼ同じであり、間取りに変わった点はない。居間にあたる場所の中央は机が置かれ、そこに標的を安置している。おそらく、どの方向から怪盗が姿を見せても対処しやすくするためだろう。
フェリキシーと相棒のユキハネ以外にも、ススナムが個人的に契約している三名の私兵が同じ建物の中にいた。だが、彼らはどれもやる気がなさそうにあくびをしたり、中には半ば居眠りをしている者までいた。金払いが悪いというススナムへの信頼は、依然として回復していないようだ。
そして、そこにいるのは、フェリキシーとユキハネ、そしてその三名の私兵『のみ』だった。
「怪盗さんがもしススナムさんの宿の方にきたら、ケイさんたちだけで対応できるでしょうか」
「あいつの呼び出す魔法生物の方が、細かいところの小回りがきくだろ。ミィハだって、魔法の腕は悪かねえ。大抵の相手なら敵にならねえはずだ」
フェリキシーたちが話している通り、ミィハとケイはフェリキシーたちと分かれて、ススナムの宿泊所に残っていた。もし、怪盗が標的の場所を間違えてススナムを直に襲った場合を踏まえて、ケイたちは彼の身辺護衛を頼まれている。
予告状には具体的な時刻の記載はなく、それゆえに更に緊張が高まっていく。月が中天に昇る頃とは書いてあったから、ほぼ真夜中ではあるのは間違いない。ユキハネは締め切られた窓に視線をやり、今の月はどの位置にあるかと思案する。
(この建物に入って、そろそろ一時間以上になります。月が空の真上に来る頃合いだとは思うのですが)
ユキハネがそこまで思った矢先、不意に私兵の一人であるヒューラン族の傭兵が大きく伸びをした。次いで、周りにいた他の傭兵たちも同じように伸びをしたり、肩を軽く回したりと、更に気の抜けた様子を見せ始める。さながら、このまま仕事を終えようとしているかのようだ。
「なあ、ススナムが雇った冒険者さんよ」
「何だよ」
「あー……ちょっと話したいことがあるんだが、外に行かないか?」
その歯切れの悪い物言い。おまけに、切り出した内容の不透明さ。どこからどう見ても、フェリキシーらをこの持ち場から離れさせたい言い訳にしか聞こえない。
「そろそろ怪盗とやらが来る時間だろ。そんな時にノコノコ席空ける馬鹿がどこにいる」
「いや、まああんたらにとってはそうかも知らんがよ。俺たちにとっちゃ、席を空けなきゃいけない役目ってもんがあるんだよ」
なあ、と傭兵が呼びかけると、周りの他の傭兵たちも頷く。罰の悪さを誤魔化すために浮かべた笑みは、どうにも軽薄な気配が隠しきれていない。故に、フェリキシーの直感は、目の前の傭兵たちは味方じゃないと判断した。
「自分らが命じられた護衛対象を放り出すような役目? そんなもんあるわけが……
そこまで言ってフェリキシーは思い出す。
傭兵たちへの金払いが悪いという愚痴。そして、なぜか神出鬼没と話題になっている怪盗。
それらを組み合わせると、怪盗そのものが存在しないという可能性以外に、もう一つの可能性が浮上する。
……予め、盗む先の護衛たちに金ばら撒いて、警備を手薄にしてたってことか」
とんだ一人芝居だと、フェリキシーは口を歪める。
それならば、たしかに怪盗は苦も無く標的を盗めるだろう。目撃情報がないのも当たり前だ。そもそも、怪盗を目撃するはずの護衛が怪盗に抱き込まれているのだから。
「いくらススナムから貰ったか知らねえが、そういうわけだ。すでに前金は貰ってるんだろ? あんたら、今回はそれで満足しちゃくれねえか」
「で、そういうお前らは盗人からいくら貰ったんだよ」
その問いかけに対して、傭兵たちはにやにや笑いを見せるだけで答えようとしない。
もっとも、フェリキシーにとって、たとえ彼らが何千億ギル貰っていようが、自分たちの前金がどれほど高かろうが、関係ないことだった。それは、もはや金銭の多い少ないでは片付けられない『意地』だ。
「生憎だが、俺はここから退く気はねえ。どっか行きてえなら一人で行ってろ」
腰の双剣に手を伸ばしつつ、フェリキシーは言い放つ。
「そうかよ。じゃあ力づくでも退いてもらおうか!!」
ヒューランの男は、本来なら怪盗に向けるべきはずだった拳を、躊躇なくフェリキシーへと向けた。数秒も待たずに間を詰める足捌きは、傭兵として雇われるだけのものがあって目を瞠るものがある。
だが、フェリキシーも大人しく鳩尾に拳を招くほど甘くもない。抜き放った双剣で男の拳を手甲ごと弾き、距離をとる。反対側からララフェル族の傭兵が飛びついてきたが、こちらは長剣を腰にぶら下げているものの、抜こうとはしない。このような狭い場で乱闘をする際、不利になると分かっているからだろう。
「せめて、もう一つぐらい武器持ってきてからにしろってんだ!」
飛びついてきたララフェル族の傭兵を、フェリキシーは力任せに振り解く。同時に、瞬間的に体内のエーテルを一つの魔法の形へと変換。放たれた風の魔法が、傭兵を反対側の壁へと吹き飛ばした。
「で、次は誰だーー……っ」
拳を握っているヒューランの傭兵。そして、先ほど吹き飛ばしたララフェルの傭兵。
だが、それ以外にもう一人ーー大柄なルガディン族の傭兵がフェリキシーの前に立っていた。
だが、彼は一人ではなかった。
「おい、冒険者よ。お仲間を傷つけられたくなかったら、大人しくするんだな」
ルガディン族の傭兵が抱え込むようにしてナイフを突きつけている相手。それは、フェリキシーのそばにいたユキハネだ。
両手で杖こそ握りしめているものの、その顔は凶器を突きつけられてすっかり青ざめてしまっている。
……っ」
「はっ、あのケチなススナムが大枚叩いて雇った冒険者だっていうから、どんな強敵かと思いきや、ナイフ突きつけられたぐらいで黙るような雑魚だとは思わなかったぜ」
「ーー……おい、てめえ」
フェリキシーの声には、明確な苛立ちが混じっている。だが、人質を前にして、いくらイラついたところで行動に出ることはできまい。後は、フェリキシーを叩きのめせばそれで終わりだと、ルガディン族の傭兵がそう思ったときだった。
「いつまで、そんなふざけた真似してる気だ」
「いつまでって、そんなものはお前がーー」
そこまで言った瞬間だった。男の体に言葉にし難い痛撃が走り、さながら全身に電流が走ったように、男は自分が人質としていた少女から距離を置く。
すかさず、少女ーーユキハネの杖がくるりと回る。棒術のようにしなやかに振られたそれは、男の脳天に直下叩き落とされた。
ユキハネの扱う杖は、魔法の結節点となるように宝石やら彫金細工が施された杖だ。すなわち、呪術士が扱う杖は相応にーー重い。
「すみません。このような狭い場所で魔法を飛ばすわけにもいきませんでしたので、向こうから近づいてもらいました」
杖の殴打で大の男を昏倒させつつ、ユキハネは少し乱れた白髪を片手で整える。
彼女の細腕で気絶に至るほどの痛撃は与えられない。杖を起点として素早くスリプルの魔法を叩き込んだようで、男の口からは大きなイビキが響いていた。
難なく仲間を撃沈されて、一人残った兵士はフェリキシーたちを忌々しげに睨む。
「くそっ、ただの冒険者風情が……!」
「おう、そうだな。確かに、俺もこいつも『ただの』冒険者に過ぎねえよ」
何も間違ってはいない。だが、傭兵たちが一点見誤ったことがあったとすれば。
「その『ただの』冒険者が踏んだ場数を舐めすぎなんだよ、てめえらは」
拳をかためた相手に、フェリキシーの長身が迫る。双剣は鞘におさめ、彼は徒手空拳で相手に肉薄する。相手が決死の表情で踏み込んだ一突きーーそれを空ぶらせたフェリキシーは、身を屈めてカウンターの拳を相手の鳩尾にねじ込んだ。
「金に目ぇ眩んで緊張感も抜けたような奴らに、負けるわけねえだろうが」
ぼそりと呟いた彼の言葉は、すでに頽れる途中だった男には聞こえていなかっただろう。
膝を折った傭兵たちを部屋の隅に転がしてから、フェリキシーは中央に置かれた机に視線を戻す。部屋の主のように鎮座してるそれは、この混乱の只中でも依然として沈黙を守り続けていた。
……お師様。どうしましょうか」
「どうもこうもしねえ。最初からやることは何一つ変わっちゃいねえんだからな」
双剣の一振りを抜き、フェリキシーは微かに眉を寄せる。
今まで静寂を保ちながらも、微かに聞こえていた獣たちの気配。それらが今、不意に消えた。
……来るぞ」
彼がそう呟いた瞬間。
部屋に吊るしていたクリスタルの照明が、ふつりと消えた。

***

フェリキシーとユキハネが怪盗を今か今かと待っている一方で、ケイとミィハはススナムの宿泊している施設へと戻ってきていた。ススナムの手元に標的があると誤解して、怪盗がこちらに来るかもしれないーーススナムがそのように主張したからだ。
商人としては有能でも、武力の面では無力なススナムでは到底怪盗を捕まえることなどできない。そのために、ケイとミィハは残ってススナムの護衛と、誤ってこちらに怪盗がきた時の捕縛担当となったのだった。
「ススナムさん、まだ部屋に戻ってこないのかな」
「そうみたいですね。旦那様はこちらのお風呂を大層気に入っておられましたし、時間にはまだ余裕もありますので」
ケイに返事をしつつ、ロフェはどこか香ばしい匂いが漂う紅茶を机に置いた。ここは建物の中でもとりわけ立派な場所ーーススナム本人が仮の住まいとしている彼の部屋だ。
一級の客をもてなすためだけあって、二階建ての建物の中でも一際奥まった位置にあるそれは、広さといい窓からの景色といい、まさに最高待遇が相応しい部屋だった。敷かれている絨毯は靴で踏むのが憚られるほどに柔らかく、部屋ばきとはこういう時に使うものかと納得させられるものだった。
調度もどれも木工が盛んなグリダニアから取り寄せられた一級品であり、ただ寝泊まりするだけの空間にこんなにも様々なものが必要なのかと思うほど、多種多様な調度品が置かれている。ガラスの飾り戸が付いていた本棚には、これまた各地から取り寄せた名作や、中には鉱石図鑑などもある。ひょっとしたら、宝石商のススナムにあわせて、蔵書を事前に取り替えてくれたのかもしれない。
天蓋付きのベッドは、ウルダハ調の寝台とは異なるさらりとした透明感のある紗幕が張り巡らされ、ラノシアの開放的な空気に合わせてある。大柄なルガディン族でも二人は寝られるのではと思うほどの大きさと、柔らかそうな真っ白の布団を見て、ケイは飛び込みたくなる衝動を抑えなくてはならなかった。
そんな豪奢極まりない部屋ではあったが、ケイの言うようにススナムはここにはいない。彼は約束の時間にはまだ余裕があるからと言って入浴に行ってしまったからだ。
結果として、主人不在の部屋にて、ケイとミィハはそれぞれ暇を弄んでいたのだった。ミィハはススナムの許可を得て、鉱石図鑑を読み耽っている。どうやら、まだ腕輪の石の正体が気になっているらしい。あの様子では、話しかけるまでこちらに気づきもしないだろう。
「怪盗、こっちに来るのかな」
「どうなのでしょう。予告状にある文面もよくわからないことしか書いてありませんでしたよね」
「『貴婦人の手を取るのは、無骨な鉄の巨人よりも、私のようなこの地を愛するものが相応しい。あなたも、それをよくご存知かと思います』だっけ。ススナムさんの手にあるより、自分が持っている方がいいって言いたいのかな」
ロフェはぴょこぴょこ耳を動かしつつ、首を傾げる。ケイの意見は、どうやら彼女の中ではしっくりこなかったらしい。
「ススナムさんは、あまり巨人って感じしないからなあ。ルガディン族だったら、その言い回しもわからなくもないけれど、それでも『鉄の』ってつける理由がないよね」
宝石商の人物を揶揄するにしても、やや突拍子もない比喩のように思う。これでは、どちらかというとリムサ・ロミンサにいる造船職人たちを指しているようだ。
「この予告状のこと、ススナムさんは何か言ってた?」
「いえ……あ、でも、あの文章を見てすぐ、すごく、不愉快そうな顔はしていました。普段はもっと泰然とされた方なのですが、あの時は珍しく焦っていらっしゃったように思います」
「そうなんだ。でも、自分の大事な商品が盗まれるってなったら、何千万ギルを動かす商人でも焦るものなのかな」
ケイの出会ったススナムは、ウルダハの典型的な商人らしい振る舞いをしていた。自分の利益と相手の利益を推しはかりつつ、慎重に物事を進めていく。一方で、自分の弱みを見せず、余裕がある振る舞いを忘れない。そんな彼が焦っていたというのは、ケイにとっては意外に思えた。
「あのときは、すぐに私や使用人の方達を集めて警備の話をしていました。それでも、コスタ・デル・ソルへの出張をやめなかったのは、さすがと言うべきなのでしょうか」
「あ、そうか。ここがススナムさんの家ってわけじゃないものね。今回は、その特別なお客様のために取引に来たの?」
「はい、そう聞いております。他にも商談の話がいくつかあったようです。コスタ・デル・ソルまで移動すれば怪盗は追いかけてこないかもしれない。たとえやってきたとしても、土地勘がないために馬脚を表すかもしれない。そうおっしゃっていました」
「地の利を無くすのは向こうも同じってことだものね。そのうえで、土地勘のある俺たち冒険者を雇ったのか。なるほどなあ」
ススナムなりに張り巡らされた策略の全容を知り、ケイは思わず唸ってしまう。これならば、もしかしたら本当に怪盗を捕まえられるかもしれない。標的を守っているフェリキシーは凄腕の冒険者であるし、もしススナムの方に来たとしてもミィハとケイの術なら怪盗にも負けないだろうと自信があった。
「やっぱり怪盗はウルダハ出身の人なのかな?」
「どうなんでしょう。でも、富裕層を狙うということは、ウルダハの人間に違いないと思われている方が多いようです」
「何となくわかるなあ。俺も、お金持ちの人が羨ましいって思うこと、少しだけどあったもの」
「といいますと、ケイさんはウルダハ生まれなのですか?」
ロフェの質問に、ケイは「違うよ」と否定する。
ついでに、渇いてきた喉を潤すためにロフェが出してくれた紅茶に口をつける。少し熱かったので、すぐにカップを戻しつつ、
「ウルダハで暮らしていたことはあるけれど、俺は元々はグリダニアの黒衣森で暮らしていたんだ。ちょっと色々あって、ウルダハの商人の下働きをしてたことがあったんだよ」
色々と一言で済ますには複雑すぎる事情はあったものの、全ては済んだことだ。かつて過ごしていた商会の話をするつもりは、ケイにはなかった。
「ミィハは、出身はシャーレアンなんだよ」
「まあ、シャーレアン……! あの、賢人たちが住まう北方の国ですか?」
「そうなんだよ。頭がいい人たちばかりが暮らす不思議の国ってイメージだったんだけど、ミィハを見てたら意外と普通の国なのかなって思えてきたんだ」
知識人が集う場所という捉え方に変わりはない。だが、ミィハの振る舞いを見ている限り、厳格で難しいことばかり考えている人たちしかいない、という捉え方は改めていいだろう。何せ、寝起きのミィハの頭は、今朝の朝食がオムレツかどうかで殆どが占められているとケイはよく知っている。
「ロフェさんは、ウルダハ出身なの? ススナムさんには仕えてもう長いって感じかな」
「あ、いえ……私は、アラミゴの出身なんです」
ロフェはどこか言いづらそうに、己の出身国を明かした。彼女の口にした単語に、ケイは小さく息を呑む。
ーーアラミゴ。それは、今は地図からその領土を消され、現在はガレマール帝国の属領として記されている地域だ。ケイの故郷である黒衣森から東に向かった先には、ガレマール帝国の前線基地がある。その向こう側にあるのが、かつてアラミゴと呼ばれていた土地だ。
アラミゴ陥落と、それにより住む土地や文化を奪われた人々の話はケイもよく知っている。なぜなら、アラミゴの難民が向かう先の多くがウルダハだったからだ。
アラミゴが隣接している黒衣森ーーひいては現在森を管理している都市国家『グリダニア』は、かつてはアラミゴと戦争をしたこともあるような間柄だ。お互いの緊張関係を完全に過去のものとするには、歴史の禍根は大きい。そのような事情もあって、避難を受け入れられず、そのままウルダハに流れ着いた例は少なくない。
ウルダハの商人たちの中には、労働力としてアラミゴの難民を受け入れる懐の余裕のある者もいた。たとえ難民であろうと、自分たちの役に立つのなら構わないという考え方も、少なからず難民を許容する土台となったのだろう。
閑話休題。
そのような亡国からやってきた難民の一人と聞いて、ケイは一瞬言葉を迷わせる。
「あー……ごめん。まずいこと聞いちゃったかな」
「いえ。アラミゴに帝国が攻め入る頃は、私もまだ幼かったのであまりよく覚えていませんでしたから。それに、帝国が占領する前からアラミゴは混乱期にありました。父も母も、その混乱の中で早くに亡くなったと聞いています」
「えっと……たしか、アラミゴの王様がよくない人だったから、だっけ」
冒険者になるにあたって、エオルゼア諸地域の歴史の知識がないとあっては、共に組む相手によっては思わぬ軋轢を生じさせてしまうかもしれない。ミィハにそう言われて、シャーレアンの初等生向けの教本を読ませてもらったのが、結果的に幸いした。なお、その教本を読み解くのにまるまる一週間かかったことは、ミィハには内緒にしている。
「はい。私も大きくなって周りから教わって知ったことなので、詳しくは知らないのですが。親戚の中には、反乱組織に混じって活動していた者もいたようです。私の父と母もその方を応援していたのですが、その行動が見咎められてしまったようなのです。兄は、そう話していました」
「ロフェさん、お兄さんがいるんだね」
ケイがそう言うと、ロフェはやや気まずそうに唇を噛んだ。家族の話題に触れられたにしては、やけに沈鬱さが滲む表情だ。
……はい。ですが、アラミゴから避難してウルダハに到着したあとに、別れ別れになってしまったんです」
「ーー……そっか」
迂闊なことを聞いてしまったと、ケイは内心で冷や汗をかく。生き別れになった兄という存在は、ロフェにとって暗い影を落とす内容であるのは間違いない。
このままアラミゴの話題を続けていいものか、それとも別の話をするべきか。ケイが悩んでいる間に、ロフェの口が先んじて開いた。
「小さい頃に両親が亡くなってしまったので、私と兄は両親が懇意にしていた医師の方に育てられたんです。主に貴族を診ていた方だったのですが、先々のことを考えて行動する人でもあったんです。彼のおかげで、私たち兄妹は帝国に占領されていくアラミゴから一足早く脱することができました」
「もしかして、ロフェさんの片目の治療をしたのも、その人?」
ロフェは眼帯の下にある目を、魔物に襲われた際に無くしたと言っていた。本来、そのような大怪我を負えば、近くに癒しの術を扱う術士や専門知識を持つ医者でもいなければ間違いなく死んでしまう。果たして、ロフェはケイの予想に首肯で返した。
「はい、そうです。父の記憶をあまり持たない私にとっては、その方こそが父のような方でした。……不幸にも、ウルダハに到着する目前で病で亡くなってしまったのですが、あの時こそ私たちにも彼のような知恵や技術があればと思ったものでした」
たとえ優れた医師であっても、薬や道具がなければ何もできない。亡くなった医師本人も、幼い兄妹を遺して逝くのはさぞかし無念だっただろう。
「その後、どうにか仕事のあてを探してウルダハに辿り着いたのですが、その時に私が人買いに拐われてしまって」
「えっ!?」
話を聞きながら紅茶を傾けていたケイは、思わず中身をこぼしそうになった。ロフェは苦笑い混じりで話しているものの、その内容はとても笑いながら話せるものではない。
「人買いといっても、ウルダハではそこまで珍しいものではありません。裏路地で暮らしてる子供たちの中で、健康そうな子供や見た目が珍しい子供を捕まえる。そして、何ができるかを調べて、商人の徒弟や下働きとして売り捌く。私は、文字の読み書きができた方なので、まだマシな待遇をさせてもらいました」
ロフェの鮮やかなストロベリーレッドの髪色が、人買いの目を惹いてしまったのだろう。ミコッテ族の中は、男性が生まれる確率の方が低く、珍しさでは女性よりも上だ。兄が同じように捕まらなくてよかったと、幼いロフェはそれだけを考えていた。
「最初は別の商人の方で下働きをしていたのですが、商談に来ていたススナム様が私を見つけて、買い取りたいと言ってくださったのです。それで、今はこのようにススナム様に仕えております」
ロフェは淡い微笑と共に話を締め括った。ケイは彼女の話を聞き終えて何と返せばいいか躊躇い、
「えーっと……そう、だな。よかったね、なんて俺にはとても言えないけれど、でも今のロフェさんが幸せなら、それが一番大事なことなんだと思う」
ケイにとって、ウルダハで過ごしていた日々は決して手放しで幸せと称することはできない日々だった。だが、不幸しかない期間だったかと問われれば、答えは否だ。ケイの人生にとって、ウルダハで過ごした期間もかけがえのないものであることには違いない。
「私の、幸せ……
「うん。人買いのこととか、育ててくれたお医者さんのこととか、俺が軽々しく気の毒がるのもなんか違うかなって思うから……こういうことしか言えないけどさ。ロフェさんが、今が一番幸せですって言えるならそれが一番だし、まだそうじゃないって言うのなら、この先そうなったらいいなって、俺はそう思うよ」
行きずりの冒険者であるケイが祈れるとしたら、現在と未来のことだけだ。ミィハのように、ケイがロフェのそばにずっといるわけにはいかない。それでも、幸せを祈るぐらいの心は持ったっていいはずだ。
……ーーありがとうございます、ケイさん」
ケイの真摯な気持ちが届いたのか、ロフェは柔らかく笑みを浮かべる。眼帯に隠れていない方の瞳、髪と同じストロベリーレッドの瞳がふっと撓むのが見える。
そんな和やかな談笑を続けていたからか、ふとケイは大きくあくびをしてしまう。寝るにはまだ早い時間のはずだが、昼間にはしゃぎすぎたせいか、やけに眠たくてたまらない。
「ーーケイさん。少し眠くなってきたのではありませんか」
「あ……っ、いや、起きてる……。起きてる、よ……
そう言いつつも、ケイの瞼は重りでも載せたかのようにどんどん閉じていく。無理に徹夜をしているときように、強烈な眠気が意識を引き摺り落とそうとしている。
「いいんですよ。少しぐらい眠られても」
耳元で、ロフェの声がする。
その声と、視界の端に滲む赤い髪。それは、ケイの記憶に焼きついた砂漠に咲く薔薇の如き凄艶な女性の姿を思い出させた。彼女と話をしているときも、ちょうど今のように妙に体が気だるくて意識が重くなっていたような覚えがある。
だが、そこまでが、ケイが思考できる限界だった。
……ーーミィ、ハ……
小さく友人の名を呼び、ケイの瞼が完全に落ちる。
同じ部屋にいても、ケイが雑談に興じていたソファと机のあるスペースと、ミィハが借りている文机の位置は正反対に位置する。読書に没頭しているミィハはケイに背中を向けているので、ケイがソファの上で眠っている姿は目に入らない。
ロフェは完全に眠ってしまったケイをソファに寝かせ直し、そっと眉を寄せる。
……ごめんなさい」
小さく呟いてから、彼女は音もなく立ち上がる。こちらに背を向けているミィハを見つめる視線ーーそこには、先ほどまでケイと話していた嫋やかな微笑の影はない。
足音を殺し、気配を断ち、彼女は近づく。依然として読書を続けている、ススナムが雇ったもう一人の冒険者へと。