【ミスルチ】砂漠の泉

砂漠の泉野村に新しく即位した病がちな長を治してほしいとの依頼を受けるミスラとルチルの話です。

 古くは女神が王侯貴族のために気まぐれに残した泉が、そこにはあるのだという。周囲は死の砂漠だというのに、その泉は絶えることなく命の水をあふれさせているのだという。けれどその女神は死の女神でもあって、そのせいか泉の周囲の民の命は長くはない。特に女は、女神が嫉妬するから、美しい者ほど命が短いのだという。
 
 
 そんないわくつきの泉に今回私たちが派遣されたのは、新しくその泉の村の長に即位した幼い娘が、病がちだったからだった。私たちはどうにかして、その娘の病を治さねばならないというわけだ。最初のうち、病気といえばフィガロ先生ではないのかと私は譲らなかった。賢者様に訴えて、フィガロ先生を訪ねたりもした。けれど彼はしばらく考え込んだのち、この件はルチルに任せるよ、と言っただけだった。
 途方に暮れてしまった私は、いつも通りミスラさんを頼った。彼は長く生きる北の魔法使いだ。今回の依頼の地は西の国の外れだったが、ミスラさんくらい長く生きていれば、噂くらいは聞いているだろう。そう、私には見識が足りなかった。魔法使いとしても、ただの青年としても。
「泉の村の娘の病を治せばいいんですね?」
 セックスの後、私がおずおずと今回の依頼について話すと、彼は眠れもしないのに目を閉じて、そんなふうに言った。まるで何かの算段がついているみたいに。私はそれに違和感を覚えたけれど、ミスラさんはそうじゃなかったみたいだった。
「治し方、知ってるんですか? フィガロ先生も匙を投げたのに」
 私が服に腕を通しながら言うと、ミスラさんは眉を顰めて、それでも目は開けないで唇を噛んだ。フィガロ先生の名前を出したことが気に入らないみたいだけど、どうしてなんだろう。
「匙を投げたんじゃなくて、きっと面倒くさくて放り投げただけですよ。あなたなら充分魔法使いらしく悩むと思ったんじゃないですか? 長く生きているくせに考えるのが苦手な奴ですよ、全く」
 付き合わされるこっちの身にもなって欲しいものです、そうミスラさんは言って、服を着る私の腕を引っ張り、後ろから抱きすくめると、そのまま首筋に吐息を吹きかけた。甘い痺れが身体を襲う。私はどうしていいか分からなくなって、でも、この部屋から出てゆき、自室に戻ることはいけない気がして、彼に身を委ねた。それが今から、数日前の話だ。
 
 
「暑いですね……太陽がまぶしすぎます」
「じきに泉の村の、長の娘の館につきますよ。そうしたら水をもらいましょう」
 私たちはぶつくさ言いながらも、西の国の、泉の村を向かって砂漠の上を箒で飛んでいた。ミスラさんの魔法でそのまま訪れるという方法もあったのだが、自分たちのお披露目のために、私たちはわざと箒で村を訪ねたのである。
「あ、見えてきましたよ、花が咲いて、大きな建物もあります」
「ここいらの交通の要所ですからね。さぁ、降りましょう。自警団がこっちを見てますよ」
 ミスラさんはそう言って砂漠の中の泉、オアシス、花々が咲き乱れる場所を囲む煉瓦の門に降り立って、門番たちに娘の病を治しに来たことを伝えた。彼らはすぐには信じなかったが、私が降りて説明するとすぐに通された。ミスラさんはそれに面倒そうな顔をした。でも、その理由はじきに分かった。この泉の村では赤毛の人間は使用人か奴隷で、金髪の人間は支配階級なのだ。どうしてそうなのかは分からないが、私たちが会うことになっている幼い娘も、きっと金髪の少女なのだろう。
「髪の色で人を区別するなんておかしいですよ」
「そうですか? 人間はなんでも差別するじゃないですか、肌の色でも、言語でも、服装でも、魔法使いであるだけでも」
「そうですけど、でも……
 私たちは門番に先導され、貫頭衣を装飾した服を着た人々の中を歩き、娘の館へと歩いた。泉の村では皆が遊んでいて(放っておいても、奴隷が畑を耕すから)、歌を歌い、芝居を楽しんでいた(吟遊詩人らも奴隷なのか髪色が赤だったが、彼らは羨望の眼差しを得ていた)。人々は、その合間にちらちらとこちらを見た。赤髪のミスラさんが横柄な態度をしているのがおかしいのだろう。反対に金髪の私がへこへこして、彼に付き従っているようだったから。
「着きました。どうぞ診察は短くお願いいたします」
 門番が言う。私たちは開いてゆく館の扉に入り、赤髪の使用人に導かれながら、娘の寝室を目指した。そして私はそこでベッドに横になる、カールした金髪の、美しい少女を見つける。澄んだ瞳の色は青で、それを縁取るのも金色のまつ毛だ。衣服は簡略化されているがドレスで、長に相応しい装いだった。
「また伯父様が呼んだのね。私が死ぬと議会が混乱して大変だから少しでも長く生きていてほいしのよ」
 そう言うと、その娘はベッドから降り、ドレスを脱ぎ捨て、首から鍵を下げただけの半裸になった。私が顔を真っ赤にして背を向けると、彼女は不思議そうに、「お医者さまがそんなことでどうするの?」と微笑む。私はここで医者じゃないのだとも言えずに、ミスラさんがどうにかしてくれやしないかと、そんなことばかり考えた。
「違いますよ、俺たちは医者じゃあありません。魔法使いですから」
「あら、そうなの。どうりであなたは赤髪なのにこの部屋に通されたと思った」
 私たちはそんなふうに世間話を始め、魔法で彼女に呪いがかけられていないか探った。案の定何かの呪いがかけられていることが分かったが、その根元は分からなかった。触媒を探して水さしの中身を検分したものの、やっぱり毒はなかった。
 私たちは手を尽くしたけれど、この日は簡単な質問と調査で全てを終えてしまった。でも、一つ分かったことがある。長が即位すると泉の水の量が増え、長が死ぬと減ることが。だったら、やはり呪いか何かの類だろうか? 私は考えたけれど、やっぱり分からなかった。でも、ミスラさんは違ったのか、少女が首から下げた鍵を指して、それを貸してくれませんか? と言った。少女は拒否したものの、触ることは許し、ミスラさんは魔法でそれをコピーしてしまう。もちろん、少女には悟らせずに。
「今は即位の祭りが今やっているから、遊んで行くといいわよ。伯父様には私から話しておきますから、治せないと気に病む必要はなくってよ。……少しの犠牲は、大勢の命の前では当然負わなければならないものですもの」
 少女はそう言うと、またベッドに入った。私は彼女の最後の言葉の理由が分からず、混乱したが、彼女の言う通り街に出て祭りを楽しみ、空に光る星々が明るくなってゆくのを見つめた。
「あ、オズ様の劇をやってますよ」
 オズ様が旅先で無法を犯す舞台を指差すと、ミスラさんは顔を顰めて、けれど娘の館から離れた場所で魔法を使った。小さな、あの少女が首から下げていた鍵が宙に浮く。ミスラさんはそれを私に差し出す。私たちは長く、水路の流れと反対に街を歩いた。するとやがて大きな、既知の遺跡のような建物が現れる。それは水路の大元で、警備する門番が多くいた。けれど私たちは姿を魔法で消し、その建物の中に入る。今は鍵は必要なかったけれど、ミスラさんは決してそれを離すなと私に言い含めた。これから必要になるからと。
 
 
 建物の中は薄暗いものの、月明かりがあり探索には苦労しなかった。
 そしてあたりは水で溢れていて、だからなのだろう、すぐに水源が見つかった。泉だ。それは深い深い、泉だった。そしてそこには、何かの鍵穴がある大きな球体が一つと、細かな球体がいくつか浮かんでいて、そこからは滔々と水が溢れてきていたのだった。地下から水を汲み上げる、そんな機械か何かなのだろうか? 私は服が濡れるのも気にせず、その球体に触れる。しかしうんともすんとも言わない。そして、ミスラさんが私に持たせた鍵を思い出す。これを鍵穴に入れろっていうことだろうか?
「待ってください」
 私が何も考えずに鍵穴に鍵を差し込もうとした時、ミスラさんが私を止めた。彼は相変わらず何を考えているか分からない顔をしていたけれど、何か説明をしようとしているのか、あちこちに転がる丸い球体を手に取ると、私から鍵を奪って迷いもなく鍵穴に捩じ込んだ(驚くことに、小さな球体にも鍵穴があり水をこぼしていた)。
「鍵を開けると、こうなります」
 ミスラさんがかちり、と鍵を開ける。するとざっと水がこぼれて、けれどすぐに水が止まってしまった。私はどうしてなのか分からずぽかんとしていたけれど、彼は「これが呪いの正体ですよ」と言った。「ムルが魔法科学を発展させる前にいた、伝説の天才が成した業です」
「だ、だめじゃないですか、水を止めちゃあ……。すぐにこの村も砂漠化しちゃいますよ」
「気配を感じませんか? あの少女の気配」
「え?」
 私はあたりをきょろきょろと見回す。すると一番大きな球体から、あの少女の気配がすることが分かった。いや違う、呪いの触媒はこれだったのだ。水源こそが、彼女を苦しめる呪いの触媒だった。皆が使う水こそが、彼女を苦しめていたのだ。
「これを壊せばすぐに彼女の病は治るでしょう。薄々知っていたんじゃないですかね。でも、彼女はそれを選ばなかった。長だから」
『治せないと気に病む必要はなくってよ。……少しの犠牲は、大勢の命の前では当然負わなければならないものですもの』
 そう言っていた彼女の言葉を思い出す。
 私は幼い少女にそれを託した大人たちが悔しくなり(まるで生贄ではないか、と私は思った)、けれどこの歪な泉と村が、一人の犠牲でようやく成り立っていることをつらく思った。あくせく働く赤毛の使用人や奴隷たちは、かえって守られていたのだ。彼らは贄にされず、自らを差し出したのは支配階級の少女だった。支配階級は命を差し出し、非支配階級は労働力を差し出すのだ。
「で、でも、魔法科学で動いているんなら……そうだ、ムルさんに頼めば……
「ここは現在の魔法科学とは違う動き方をしています。今の彼には無理ですよ。……だからフィガロの奴はあなたに判断を委ねたんじゃないですか?」
 少女か、大勢の命か。
 私は鍵を持つ手をカタカタと揺らした。どうしたらいい? 私は鍵穴にそっと鍵を入れる。しかし回せない。水を失ったら、人々は生きていけない。砂漠でのたれ死ぬだけだ。でも、どうしたら、どうしたら……
 心臓がばくばくする。
 私は鍵穴を見つめ続ける。鍵を見つめ続ける。そうして、私は――
 
 
 私は鍵を開けた。
 そして泉は奇跡ではなく魔法科学のもとにあったことも西の国の女王陛下に連絡したから、村には大勢の科学者がやってきて、今あの泉を解析しているところだ。
 でも、どういうわけか、ミスラさんは先日の選択を悩む私と、彼らの前で魔法で湖を作ってしまったから、まさにデウスエクス・マキナを行ってしまったから、その科学者たちも急かずどこかのんびりしている。北の国の魔法使いミスラが奇跡を起こしたと、これはオズの再来だと言って、ぽっかりと出来た湖から水を引いて、水路にはいつも通り水が流れている。
 少女は鍵を捨て、今は一人の村人となった。赤髪の奴隷たちも解放された。二つの民族に不均等は生じ続けるだろうが、それもやがていつかなくなるだろう。私はそう願い、ミスラさんが作った湖に足を浸した。走り回る子どもたち、揺れる花々。うるさいのに、今日は珍しくミスラさんが寝ている。水源を地中深くから探って、今回ばかりは疲れたのかもしれない。私はそう思い、彼の頬をなぞり、唇の輪郭をそっとなぞった。
 砂漠の太陽は厳しかった、けれどそれ以上に、新しく人々の命を繋ぐことになる湖は優しかった。