たぶん原稿の一部です。👹💧になる。同僚、👹くん、そして💧の初恋が絡み合う話。のはず。モブ同僚はいわゆる同僚くんでもいいし、架空のモブでも良く、こんな同僚ひとりくらいいてといいよねくらいの存在です。モブ水にはならないけど、モブ→水はある感じです。
──じいさまは偉い坊さんだったそうで、存命の頃はわざわざ檀家以外の見知らぬ人が訪ねてくることがあった。そういった時、粗相がないようにと大体表に出されていたが、本堂の戸を開け放していた夏場などは、木に登れば中を覗くことができた。じいさまは気づいていた節があるが、大人しくしていれば怒られもしなかった。何をしているかを見せて、学ばせようとしていたのかもわからない。もう聞くことはできないので、思うだけだが。
暑い暑い、夏のある日だった。真っ青な空に大きな入道雲、わんわんと鳴く蝉。それは普段通りの夏の日だった。その日もじいさまには来客があった。東京から来たというある親子だ。そう、子どもがいた。当時の自分とそう年の変わらなそうな、けれど、うんと身なりのよい子ども。真っ白なシャツと半ズボン、それからサスペンダー。靴下も真っ白なら、靴にも汚れひとつなかった。黒い髪は少し癖があるのかゆるやかに波打ち、何より驚いたのは瞳の色がわずかながら、それでもそれとわかる程には青かったことだ。さすがに真っ青ということはないが、夏の日陰のような、不思議な色。肌はあまり日焼けしておらず、…男の子の格好だが女の子かな、と思った。そのくらい可愛らしい顔をした子どもだった。それが頭のてっぺんからつま先まで手をかけられているのだから、びっくりして木から落ちそうになったのも無理はない。もしかしたら、それは初恋というものだったのかもしれない。今となってみれば。
夫婦ものらしいふたりと子どもの組み合わせ。誰に問題があり、じいさまの所へ来たかはすぐにわかった。憔悴した様子の母親は青ざめた顔で、それでも気丈に我が子を抱きしめている。どこにも連れていかすまいとしているように見えた。父親らしき男も、なるほどあの子どもの親なのが頷けるような、すらりとした美男である。だがこの男の方も疲労か心労の影が濃い。両方かもしれぬ。その間で、子どもだけがただ茫洋とした様子で大人しくしていた。十中八、九、子どもに何某かあり、相談にきている。子どもの頃の自分はそう結論づけた。
じいさまは背中を向けていたので様子は窺えず、どんな話をしているのかわからなかった。セミの声がうるさくてめまいがする程。落ちる汗を手で拭いながらじっと見ていた視線の先、子どもの背後に何かがゆらりとダブる。肝が潰れるかと思った。何か、が憑いている…。
ハッとした時には遅く、今度こそ木から滑り落ちた。その後の記憶は、ない。
──渋澤が遠い昔の記憶を思い起こしていたのにはわけがある。視線の前に、あの時の子どもが成長して座っていたのである。
渋澤が帝国血液銀行に入社したのと前後して、その男は渋澤の同僚となった。名を水木という。二人は年が近く、席も近く、だいたい背景も似ていて、それなりに親しくなった。入社時期は全く同じではないにしても近いので、ほとんど同期のような感覚だ。ただ水木は人との距離を一歩引いているところがあり、未だに渋澤は水木の家も知らない。それでも何度か仕事関係なく呑みに行ったことがあるし、愚痴も言い合うことがあるから、他の人間よりは仲が良い方だ。…と、渋澤は思っている。
顔には傷をこさえているし(顔だけでなく左の肩口から胸にかけても傷痕があるらしいが、見たことはない)雰囲気だって随分と擦れてしまった気がするが、瞳の色はあの日木の上からのぞき見たのと違わない。渋澤は、水木があの時の子どもであることを確信している。
あの日、木から落ちた後の記憶はなかった。だが、水木の顔を見た瞬間、思い出したことがあった。盛大な音を立てて木から落ちたので、さすがにじいさまも振り向き、訪れてきていた夫婦もびくっと体を跳ねさせて子どもをぎゅっと抱きしめていた。子どもだけは、あ、という顔をしていた。音を聞きつけやってきた母親に怒られながら引っ張っていかれる時、ちらりと視線があった青い目は、悪戯っぽく笑っていた。失敗を笑うような、けれどそれは嫌みなものでもなくて…。
その後三人が帰った後で、孫だけを呼び、祖父が告げたことがあった。両親が呼ばれなかったのは、祖父から見て彼らより自分の方が「近い」感覚があったのかもしれない。
──かわいそうに。
確かに祖父、じいさまはそう言っていた。あの子は魅入られておる、怪訝そうな顔をしている孫にそう言った。祖父に何が見えていたのかは今もわからない。渋澤には祖父ほどの、言ってみれば異能のようなものはなかったので。
『わしにできることは──…』
だが、最後になんと言っていたのか、どうしてもそれが思い出せない。きっとそこが重要だったはずなのに、思い出すのは「かわいそうに」と心底哀れむようなあの言葉くらいで。
今の水木を見れば、ここまで人知れず苦労したことがあるのはわかる。だが、渋澤だって生きるか死ぬかの日々はあった。同時代に同じような人間は大勢居る。その中で水木が特別に苦労したのかどうかは判断のつけようがない。…とはいえ、傷があってなお遜色ない甘い顔立ち。そういった方面での苦労は渋澤よりはあっただろう。今だって水木はやたらと取引先の年配の男性達に非常に受けがよい。その原因に彼の容姿が影響していないことはないだろう。…部一同の意向で箝口令が敷かれ、本人には知らされていないはずだが、水木と二人きりの席を設けてほしいという要望さえある。費用はこちらが持つから泊まりで、という声など、もう呆れて笑ってしまう。水木は妙齢の美女などではなく、三十路の男だというのに。
そんな水木が変わったのは、哭倉村の事件の後だ。そもそも見た目からして変わってしまった。唯一の生き残りということで警察の取り調べなどもあったが、切り捨てるかと思われた社長、部長が自分たちが水木に哭倉村への出張を指示したと早々に認めたこともあり、不審ではあっても水木一人で何かをどうにかできたりはしない、という判断が下ったものか、すぐに潔白が証明された。正直、知らぬ存ぜぬで切り捨てるだろうと誰もが思っていたため、社長以下の対応は不可解ですらあった。いずれ何か裏があるのかもしれないが、渋澤には知りようもない。しかしそれはそれとして彼が受けた身体的な傷、髪の色が変わる程、記憶が飛んでしまう程の精神的な傷、それらが消えるわけではない。復帰してもどこか心ここにあらずというような浮世離れした雰囲気を醸し出していたし、そもそも体調自体そこまで良いとは言えなかったのだろう。とにかく水木は変わり、営業からも異動になった。もっとも、取引先に妙に人気がある男なので、どうしても、とむげにはできないような顧客に乞われれば水木に声がかかることもあるのだけれど…。
渋澤は椅子の背もたれに背中をくっつけ、大きく体を反らした。一度だけ、哭倉村から生還した後しばらく入院していた水木の見舞いに行ったことがあった。ぼんやりと、夢でも見ているような顔で遠くを見、儚げに小首を傾げる様子には頭を殴られるような衝撃を受けたものだ。二度行かなかったのは、次はベッドに体を押し倒さない自信がなかったからだ。
畜生、と以前は水木が座り、今は別人が座っている席を見る。どうにもできない苛立ちを抑えるため、渋澤は新しい煙草の封を切った。銘柄はかつての水木と同じ。今も彼が同じ銘柄を吸っているかは知らない。
──そんな風に、昼間水木のことを思い出していた渋澤が夕刻、帰宅の途につくところの水木を見付けてしまったのは何の因果だったのか。茜色が水木の白くなってしまった髪をいよいよ輝かせている。それは人の踏み入れぬ深山の誰も触れることのない雪のようであり、春、桜に先駆け咲く花のようでもある。通り過ぎる人々がちらちらと水木を見る。それはそうだろう。元々見目の良い男だが、今はそれだけでなく、とにかく人目を引く。大丈夫だろうか、と不意に渋澤は思った。本当に大丈夫なんだろうか、誰かに絡まれたりしないだろうか。
女子どもに向けるような心配を一応は立派な成人男子に向けるのもどうかとは思ったが、気づけば渋澤は水木の方へ足を向けていた。胸騒ぎがした。そうとしかいえない。…惑わされたわけではない、と自信を持って言えるかと聞かれたら、何も答えられないのだが。
しかしだ。渋澤の予感は少し当たった。
声は聞きとれなかったが、三人組くらいの男に水木が囲まれている。舌打ちして、おい、と声を発したのと、ほとんど同時だった。
…水木の影から何か黒いモノが伸びて、ばしりと彼のワイシャツを掴んだ手をはたき落としたのは。
「…………」
渋澤は動けなかった。その、何か、は水木の肩から胸へくるりと巻き付いた後、また影に戻った。三人の男達にはそれは「見えなかった」ようだったが、指一本動かしていない男のシャツを掴んでいた手がなぜかはたき落とされたことに薄気味悪さを感じたのは渋澤にもわかった。浮世離れした、顔に傷を持つ、青みを帯びた瞳の見目良い男。逢魔が時に見ればその存在はうっすらと恐怖を呼び起こすのかもしれない。
今だ、と思った瞬間には、渋澤は声を出していた。今度こそ。
「何してんだ!」
腹の底からの胴間声に、怖じ気づいていたのだろう男達が逃げていく。水木はしばしその様子を見送った後、ゆっくり渋澤を振り向いた。あの黒い何かは全く感じられない。渋澤はしばらく見つめ合ってしまった後、ごまかすように首を振り、大丈夫か、とぶっきらぼうに声をかける。
…頭の中では、あの夏の日、木から落ちる前のことを思い出していた。なぜ今か、その答えは考えるまでもない。同じモノをあの日見ているからだ。
そしてそのことが、渋澤の記憶の閂を外したのだろう。すっかり忘れてしまっていた祖父の言葉が脳裏によみがえった。もう声など忘れてしまったと思っていたのに。
『わしにできることは、あの子の心をひとかけ、隠してしまうことだけよ』
水木は首を傾げ、少し考えるようにしてから、「…渋澤?」と自分を呼んだ。渋澤はつばを飲む。
『辰治、おまえに預けておく…、』
ああ、と渋澤は頷きながら、水木に近づく。もうすっかり渋澤は思い出してしまっていた。
その筋では高名な存在だった祖父が、どうにもできず、心(と言っていたが、それが何かはわからない)の一部を封じたと言っていた子ども。生まれた時からなにがしか高位の化生に愛され、目をかけられており、そのままであればいつか食われてしまうだろうと祖父は言っていた。だが、真名と魂──心の一部を奪ってしまえば、その限りではないだろうと。
水木の耳は一部が千切れている。戦争のせいだ。だが…、だが、これが白羽の矢のようにも思える。昔祖父が打った手は、少しずつほころんでいるのではないか。この科学の世にとんだ妄想なのはわかっている。しかし、渋澤は昔、そして今、あの黒い何かを見てしまった。
「おまえ、大丈夫か?」
「ああ」
「なんで絡まれてたんだ」
「さあ…」
水木は興味なさげに肩をすくめた。けだるげというか、本当に興味がないといった様子だった。
「そっちこそ、どうしたんだ。何か用か?」
水木の質問は尤もなものだったので、一瞬迷ったが、そこは渋澤も口が商売道具の一つだ。
「煙草切れてな。買いに出たとこで、見えたから」
ああ…、と水木が何となく納得した顔をする。そして、ふ、と笑った。
「ありがとう」
「………」
ふっと緩められた表情は優しく、渋澤は不意打ちに息を止めてしまった。
…なんて慈愛に満ちた、優しい顔をするのだ。
慈愛、というとおかしいかもしれないが、その時の水木の顔はそうとしか言えなかった。いや、と歯切れ悪く答えながら、渋澤は自分の鼓動が駆け足になるのを感じていた。だって、そうだろう。こんな…。
「渋澤?」
はっとして、すまん、なんでもない、と言えば、水木は怪訝そうな顔をしていたが、かまわないことにしたらしい。
「じゃあ、俺は帰るが…」
「お、おう…」
そこで水木は、なぜか自分のジャケットのポケットを探った。水木? と呼んだ渋澤には答えず、少しくしゃっとした煙草の箱を取り出し、渋澤の胸ポケットに突っ込む。一連の動作、水木の表情や指の動きを凝視してしまい、渋澤は指一本動かせなかった。
唖然とする同僚に、水木は悪戯っぽく、にやりと笑った。そんな表情は以前と同じところがあるようにも見えたが、しかし以前とはやはりどこかが違っている。
「礼だ」
上目遣い、ひそめた声の吐息。
渋澤は呼吸どころか心臓さえ止まっていた気がする。錯覚だとわかってはいるが、そう思わずにいられないくらいの衝撃があった。
じゃあな、と何事もなかったかのように背を向け歩いて行く水木を見送りながら、渋澤は自分の胸ポケットの上にそっと手を添えた。
水木にくっついた何者かは、渋澤が祖父に預けられたものに気づいただろうか。それとも、ああやって徐々に水木を浸食していっているからどうでもいいと思っているか。わからない。人間の渋澤には、化生の考えなどは…。
その日を境に、また少しずつ渋澤は水木と関わるようになっていった。その頃はまだ水木は養子を迎えておらず、渋澤は自分にまだ時があるとどこかで思い込んでいた。だが、そんなことはなかった。何なら、もうその時はとっくに避けようのない定めの輪は回り出していたのだから。
(この後の一部)
古い友の子を引き取ったのです。
水木がそれを言った時、上司だけでなく部署内、いやフロア内で上がった大きくも低いどよめきは嵐のように窓を震わせた、という噂は瞬く間に社内、いや、取引先にまで広まった。
**運命に巻き込まれていく同僚の話?のような感じです
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