ひろか
2024-04-05 16:48:42
9427文字
Public 観劇録
 

*観劇録*『Joie!』感想と考察。

おぶちゃさん『Joie!』の感想と考察です。⚠︎内容に関するネタバレと深読みを含みます。

⚠︎内容に関するネタバレ・深読みを含みます。



みなさん、ジョアってますか?

『Joie!』という作品自体は再々演とはいえ、私にとっては今回が初めての『Joie!』。だけどおぶちゃさんでよく耳にする冒頭のフレーズには、なんだかとてつもないあたたかさと安心感があるのはどうしてだろうか。

再々演が決まった時に、絶対に行きたい!と思い、絶対行きます!とおぶきょさんこと大部恭平さんと約束した今回の『Joie!』。
主演の橋本真一さんをはじめ、茜屋日海夏さん、石渡真修さん、小谷嘉一さん、花房里枝さん、そしてもはやお馴染み(そしてちょっとお久しぶりの)サプリンさんと、お名前を知っている役者さんが多かった。そんな楽しみポイントもありつつ、“ジョアってますか?”の言葉の意味をきっと見つけられるような気がして、私にとっても初となる芸劇に降り立った。

というわけで、おぶちゃpresents『Joie!』、感想と考察です。
内容に関するネタバレと深読みを含みますのでご注意ください。



物語は、舞台上に現れた小次郎の一人語りから始まる。
あ、この場面、知ってる。それが最初の印象だった。
というのも、登場人物の一人が前説も兼ねて語り始めるところから始まるのは、『葬送曲』や『シックスコードの響く先で』など、過去のおぶちゃ作品にも見られる始まり方なのだ。前説とお芝居の境界線がどんどん曖昧になっていくこの始まり方、私はとても好き。まるで眠りに落ちていく時のように、現実から物語へと誘われていくような気持ちになる。

今回『Joie!』を観ていて、おぶちゃの過去作品のオマージュ的要素がいたるところに散りばめられていることに気がついた。
始まり方もそうだし、生演奏のピアノの音(今回も和音さんの生演奏が最高だった)や、「話長いぞー!」「なーんとなんとーぉ!」などのセリフひとつとっても、既視感のある一瞬がたくさんあって。芸劇での上演はおぶちゃにとって大きな目標のひとつだったという話を聞いていたのもあって、あぁ、おぶちゃのこれまでが全部繋がってここに至るんだ、と感じる粋な演出だった。


さて、そんな場面から始まる『Joie!』は、主人公の小次郎が両親から受け継いだバーを店じまいする話だ。
家族になったばかりの4人が囲む食卓から切り取られるように「あの頃の僕にはみんなに話していないことがたくさんありました」と小次郎が語り始めると、場面は常連客が集まるバー・Joie!へと移る。突然の閉店を惜しむべくパーティーを企画する常連客たちは愉快で明るくて、これが小次郎が作り上げた場所なんだな、と思った。小さくても人々から愛される場所として、Joie!はたしかに存在していた。
そして、それは店主である小次郎も然り。

小次郎というのは、優しすぎる人だと思った。
幼くして両親を失い、まだ小学生の妹と2人で生きてきた彼は、文字通りがむしゃらに走り続けてきたのだと思う。自分の幸せなんてきっと二の次で、何よりも妹のため、両親が残したJoie!を守るために奔走し続けていた。妹のあゆみは彼が何よりも守りたいものであると同時に、心の支えだったのだと思う。優しいというのは小次郎の本質だったのだろうけど、両親の死という本質さえ揺るぎかねない大きな悲しみの中で、兄である自覚が小次郎を強くしたと言ってもいいかもしれない。どんなに苦しい時でもあゆみのためだと思えば頑張れたんだろうし、あゆみのために彼女の前で涙を見せない努力ができる彼は、言葉通りの優しい人だ。そのあゆみが独り立ちしたことは小次郎にとって嬉しくもあり寂しくもあり、また自分の庇護なんてなくても逞しく生きていく妹が誇らしくもあったと思う。じゃあ自分の人生を、となった時に彼に残されていたものがきっとJoie!だったんだろうな。両親から受け継ぎ、小さいながらも人々から愛されるこの店を守ること。小次郎がここまで生きてくるためには、芳子さんたち多くの人の支えが必要だったわけで、店を守ることがその人たちへの恩返しでもあると考えていたのかもしれない。早すぎる余生のような過ごし方をしてきた彼にとって、まさかその日々が言葉通りの余生だとは考えもしなかっただろう。

突如として告げられたステージⅣ。
死の恐怖と孤独から逃れるように叫びながら歌い上げるレミオロメンの粉雪が、小次郎の叫びそのもののように聞こえた。

そこに不思議なおじさん・サプリンが登場する。
個人的にサプリンが来たからにはもう大丈夫だみたいな気持ちがあるのよね。根拠は何もないし、想像するような展開にはならないんだけど、この人が介入することでなにか事態がひとついい方向に転がるという予感。今回の『Joie!』では突然現れて突然去っていく変なおじさんみたいになっていたけど、実はあの場面においてサプリンの存在って小次郎にとっては大きな救いだったと思う。
あの時小次郎に必要だったのは、これまでもこれからもかかわりのない、けれどこの時間を共有し、無責任に自分の苦悩を話しても許される相手だった。突然現れたサプリンはまさにうってつけの相手だったと思う。途中から寒すぎて聞いてなかった、なんて大ポカまで含めて、小次郎の心を一時でも軽くする存在としてぴったりだった。サプリンの、いてほしいところに絶対いてくれる安心感、とても好き。

そんなわけでサプリンとの時間の後、ひとりきりで抱えるにはあまりにも重く、冷たくのし掛かる宣告を、小次郎はひとりで抱えることを決める。あわや結婚かとまで囁かれた彼女・ナナさんの人生を縛らないようにと何も知らせず別れを告げ、「旅がしたくなった」と気ままなふりをして店を畳む支度を始める。唯一心残りはあゆみのことだったけれど、あゆみも婚約者を連れてくるという。誰にも迷惑がかからないようにとひっそり終わりの準備をする彼は、その行動の是非はおいておいて、優しすぎる心を持った人だった。


だから閉店パーティーの企画をする常連たちはみんな知らないのだ。小次郎の孤独も、その体に巣食う病のことも。各々が違和感を持ちながらも、けれど小次郎の意思を尊重するように閉店を受け入れている。

ここで唯一反発するのがあゆみだ。
最初は両親から受け継いだ店を閉めることに対して納得できないというか、「自分に相談もなしに」というところが彼女的に引っかかったんだと思っていた。独り立ちしてからろくに帰らず、連絡もたまにしかしていなかったのに、その理由で反発するのはさすがにわがまますぎる。と、思っていたのだけど。
よく考えれば、あゆみが反発したのって閉店の裏に何か隠されていることを誰よりも早く察知したから、なんだよね。常連客が感じていた違和感をもっとはっきりと、あの一瞬で感じ取れてしまった。小次郎の妹であり、両親が死んだ日に自分に隠れるようにして泣いていた兄を見ていたからこそ、"閉店"という決断と"旅がしたい"という兄の言い分に納得できなかったんだと思う。逆を言えば、それをなんとなく察していたから小次郎はあゆみに黙っていたんだろうな。


きょうだい、って不思議なもので、なんだか通じ合ってしまうことがある。親子よりも友達よりも、考えていることが似通ってしまう。それは100%ではないし、テレパシーのようにわかるわけではないんだけど、ふとした違和感で体調不良とかメンタルの不調がわかることがあるんだよね。
小次郎とあゆみの兄妹関係はまさにそれで、離れていた時間はあってもやっぱり兄妹というか。お互いに対してある一定の理解と、その理解への自信があるからこそ、腹の探り合いのような追いかけっこになってしまうのだ。


あゆみとしては一旦は閉店の事実を受け入れたもののやはり納得はできず、常連客たちに話を聞いたり小次郎の元カノであるナナさんに接触したりと独自にいろいろ調べ回っていくことになる。
しかしあゆみの帰郷は小次郎の唯一の心残りを軽減することになった。それがあゆみの婚約者・晃輔の存在だ。

小次郎と晃輔の義兄弟コンビ、2人の出会いがとっても微笑ましかった。晃輔は真面目すぎて頼りなくも見える男だけど、小次郎としてはその真面目さにも好感を持っていたような気がする。かかわるうちに良好な関係を築いてはいたようだし、「こいつになら妹を任せられる(むしろ妹の方が愛想をつかされないか心配だ)」くらいに思っていたかもしれない。閉店準備中も2人の間には和気藹々とした空気が流れていていた。

けれど小次郎の薬を見てしまった晃輔は職業柄すべてを察してしまい、小次郎に必死の形相で口止めされることになる。
ここの橋本さんと石渡さんのお芝居がとてもよくて。作中のお芝居で一番印象的だったかもしれない。いつも穏やかな小次郎が掴み掛かってまで懇願するのも、とんでもない秘密に気づいてしまった晃輔の心がぐちゃぐちゃになっている表情も、どちらもつらい。きっと晃輔は、妹に心配をかけたくない小次郎の気持ちも、兄に重大な隠し事をされることになるあゆみの気持ちも痛いほど理解できたんだと思う。兄妹の板挟みになった彼は、悩んだ挙句、男として小次郎に加担することを決めたのだ。同時に兄妹のことを晃輔なりに考え、「もしこうなったら僕は全て話します」とリミットも設ける。そう告げた晃輔のまなざしは決して揺らがなくて、彼の意志の強さを感じた。

ここに関しては、晃輔とあゆみは実は似たものカップルだったんだなと思ったところでもある。しっかり者で気が強いあゆみと、基本的に本番に弱くて心優しい晃輔。一見正反対だけれど、根本的にはよく似ている。
小次郎も晃輔の言葉と態度にそれを感じたんじゃないだろうか。この瞬間、小次郎の中であゆみを晃輔に託すことに一点の曇りもなくなったんだと思うし、彼の漢気に免じて晃輔の設定したリミットを飲んだんだと思う。
この2人、ある意味義父と婿のような関係だったにもかかわらず、義兄弟であり男同士の信頼感みたいなものが感じられてとてもよい関係性だった。


ところで『Joie!』には2つの時間軸が存在する。
ひとつが小次郎とあゆみを主人公にした現在軸。
もうひとつが過去軸、2人の両親である須永小太郎と星丘はるかを主人公とした時間軸だ。

破天荒な小太郎と優しく愛情深いはるか。夢いっぱいに思想を語り、バーをオープンさせようとする小太郎と、オリコン8位とはいえアイドルグループのセンターを務めるはるかの恋は、一昔前のロマンスを彷彿とさせた。Joie!をオープンさせ、子宝にも恵まれた2人だが、小太郎の借金が発覚したことで事態は一転する。

どちらかというと、性格的にはあゆみが小太郎に似ていて小次郎がはるかに似ているんだなぁと感じていた。けれど大切な人に何かを秘密にして抱え込んでしまうところは小次郎が小太郎に似ているところだった。一方ではるかがその秘密を受け止めつつ、どこかのらりくらりと躱すような小太郎の態度にもやもやを募らせていくところはすごくあゆみに似ていた。
『Joie!』という作品を完成させる上で、過去軸というのは必ずしも必要なものではなかったんじゃないかと思う。事実コロナ禍で上演された『Joie!』には過去軸の登場人物たちは役としては登場しない。けれど過去軸が描かれることによって、須永夫妻と小次郎・あゆみの繋がりや、バー・Joie!が辿ってきた歴史が見えて、観客としてはじめて訪れたはずのこのバーの閉店を常連客たちと同じように惜しむ気持ちになれるんだと思う。繋がりとか歴史とか、そういう意味では、冒頭で触れた『Joie!』に繋がるおぶちゃの歴史の表れにも通ずるような気がした。

話を須永夫妻に戻すと、映画のロマンスのようだった2人の出会いはごく普通の、いや、どちらかといえば貧しい暮らしになっていく。小太郎は借金の返済と家族を養うために休む間もなく働き、はるかは2人の子どもの育児に追われて、夫婦の距離は少しずつ開いていく。
この距離の開き方がとてもリアルで、実際の夫婦もこうやってすれ違っていくんだろうなと思った。お互いを好きじゃなくなったわけではないのに、家族として一生懸命だからこそ些細なズレが溝を生むというか。小太郎は小太郎で家族に害が及ばないよう必死だったけれど、はるかにとってはあゆみの授業参観を忘れられることの方が大事だったんだよね。どちらの気持ちもわかるからこそ、どうすることもできないもどかしさがあった。

そんな状況で思わず心無い言葉を吐き捨ててしまったはるかが「ごめん、意地悪だったね」と謝る姿に、小太郎がはるかを久しぶりのデートに誘う姿に、あぁまだこの2人はやり直せるんじゃないかって思った。
私ははるかを演じていた花房里枝さんがとても好きで、今回『Joie!』を観たかったのも彼女の出演が結構大きかった。アイドルできらきらしてる時と夫婦のすれ違いに思い悩む姿のギャップが儚くて切なくてやっぱり好き。あのヒロイン力と憂いを帯びた儚さはどこから来るのか。小太郎と結婚して彼の秘密を知ってから、いつも翳りのある表情をしていたけれど、久しぶりのデートにちょっと浮かれる姿がかわいらしくて。小太郎とのドライブデートはさながら1950〜60年代くらいの洋画のようだった。オードリー・ヘップバーンとか、グレース・ケリーとか、そういう魅力があるんだよなぁ里枝さん

"隣同士 あなたとあたし さくらんぼ"

近頃娘がはまっている曲を、あなたは知っているかしら。
そんな独白からの、恋人の頃のような2人の空気感。この時間がはるかはとても嬉しかったんだろうなぁ。小太郎に教えてもらいながら口ずさむ大塚愛のさくらんぼの歌詞に出てくる2人のように何も知らず恋を楽しむ歳ではないけれど、この瞬間だけは2人の恋人としての時間を噛み締めたいと思っているように見えた。
こうやって歩み寄ろうとできるふたりならきっと大丈夫。そう思った矢先の事故。神様というものはきっと、どこかにいるようでどこにもいないんだなと思った。


神様なんていない、というのは小次郎の運命にも言えることだと思う。なんとかあゆみの結婚式までは、と気力だけで立っているような小次郎の姿が痛々しかった。あゆみの結婚式の日程を聞いた時点でそこまで自分が持つかどうかわからないと察していた小次郎だからこそ、ようやく目前まで漕ぎ着けた結婚式に穴を開けるわけにはいかなかったんだろうな。そして、大切な妹と、すべて分かった上で共犯になってくれた義弟の晴れ姿を見たかったんだろうな。結婚式前夜、両親の仏壇の前であゆみのことを報告する小次郎は、げっそりと痩せてしまったように見えた。それでも妹を育て上げた自信というか、やりきったぞって報告しているように見えて、小次郎の人生はあの瞬間からあゆみのためにあったんだなと感じる場面だった。

結婚式前夜のあゆみがねぇ。賢くて察しがいいあゆみは、兄と婚約者が2人して自分を欺いていることに早い段階で気がついていた。嘘をつくことに対して厳しかった兄が自分に嘘をついている、という事実も、隠し事が下手な自覚があるだろうにそれでも口を割らない婚約者も、どちらもあゆみのもやもやした気持ちを増幅させたのだろう。「なにかあった?」「私に何か隠してない?」と努めて冷静に問い続け、最終的には「これが最後にするね」と前置きしてまで尋ねたのに回答がない虚しさ。
せっかく人生で最高に幸せな時期なのに、あゆみはもうそれどころじゃないんだよね。こうなってしまうと隠すことが正しいのか、明かすことが正しいのか、私にはわからなかった。どちらにせよあゆみは深く傷ついたと思うし、ここで明かすことで小次郎のこれまでの努力が全部水の泡になってしまう。結婚式の最中だというのに兄妹の軋轢が爆発しそうになったところで、晃輔が「もう充分でしょう」とすべて明かすことを提案するのも、小次郎がそれを止めるのも、全員動機が"誰かへのやさしさ"だとわかるからこそがんじがらめで。この状態、どう転んでもハッピーエンドにはならないのでは、とはらはらしながら見守っていた時に、割って入った人がいた。


「この人をいじめて楽しいですか」。
そう割って入ったのは、小次郎の元カノ・ナナさんだった。

イトウハルヒさん演じるナナさん、ほんっとうによかった。私大好き。
そもそも小次郎との出会い"港区女子と無知の知"のくだりから最高だった。世にいるキラキラ女子たちとは一線を画した、ともすれば浮いてしまうような、けれどそれを気にせず悠々としたその風変わりな態度がとても魅力的。小次郎は、着眼点が独特で思ったことを素直に言葉にするナナさんに人間として惹かれたんだろうなと思った。もちろん客席の私から見てもナナさんはとても魅力的だったんだけど、これまで妹のため、両親の心を継ぐため、自ら望んでのこととはいえいろいろなことを耐えてきた彼にとっては、ナナさんの生き方や感性はさぞ魅力的に映っただろう。

お似合いの2人だったからこそ、小次郎の病がわかって、小次郎が何も告げずに別れを決意した時はすごく切なかった。だけどよく考えれば、あのナナさんがあんな曖昧な終わりを許すわけないんだよね。あのあと小次郎のところに押しかけて問い詰めたのか、小次郎がちゃんと連絡したのか、そこは描かれていないけれど、とにかく小次郎はナナさんに秘密を打ち明けたし、ナナさんは小次郎の"共犯者"として寄り添う道を選んでくれた。ステージⅣという重くのしかかる事実を一緒に背負うのは、まだ若く未来があるナナさんにとって決して簡単なことではなかったと思う。だからこそ小次郎も何も告げずにいなくなろうとしたわけだけど、それでも小次郎と一緒にいることを選ぶあたり、やっぱりナナさんという女性は自分が決めたことを貫き通すかっこいい人だと思った。

どんな時もハキハキと、力強い眼差しだったナナさんの、どこか縋るようなこのセリフ。このセリフを聞いた時、すごく苦しくなったんだよね。これまで描かれてきたナナさんの強さとはまったく違って、弱々しささえ感じられる。だけどその中にたしかな強さがある。病魔に蝕まれた背中に重い秘密を背負う小次郎をこれ以上苦しめないでほしい、というナナさんの懇願であると同時に、この人は私が守らなければ、という強さが滲むセリフでもあった。全部知っている共犯者だからこそ、小次郎が優しさゆえに責められることがあってはならないと思ったのだろう。
飄々とした彼女が、どれだけ心の奥底から小次郎を愛していたかが垣間見えるセリフだった。自分の道を貫く強さと、誰かを包み込める愛情深さが本当に素敵。やっぱり私はナナさんみたいな人になりたい。


そんなナナさんの行動、晃輔の言葉、そのすべてに背中を押されるように小次郎はあゆみにすべてを告げる。それは小次郎にとっては癌の痛みよりももっとずっと苦しいことだったと思う。だからナナさんは言わなくていいと言ったし、晃輔はもう言ってしまおうと言ったのだけど、小次郎は最終的にあゆみのことを考えて全部話したんだろうな。何も言わずに去ることが、このまま嘘をつき続けることが、もうあゆみには通用しないというか。いや、それ以上に、嘘をついて守らなければならないほどもうあゆみは子どもじゃないのだと小次郎が思ったのかもしれない。
実際小次郎の言葉を聞いたあゆみは、泣くわけでも怒るわけでもなく、うん、と頷いてくれる。あゆみだって言いたいことはたくさんあっただろうけど、頷くに留めるのは、あゆみから兄への優しさだったんだろうな。


そして生活はまわり始める。
場面は冒頭、家族になりたての4人の光景に。
あぁ、これは4人のもしかしたら最後になるかもしれない食卓だったんだ、と気づいて涙が溢れた。あゆみも晃輔もナナさんも、みんなが当たり前に過ごしながらも小次郎との時間を噛み締めている。会話のひとつひとつが小次郎へのエールというか、小次郎が必ず帰ってくると信じるおまじないのように聞こえた。それに応えるかのように小次郎もあゆみの手料理を口に運ぶのがもう。

「いただきます」は命の言葉だ。
おぶちゃの某作品でも食事のシーンは平穏な、当たり前の日常を表す意味で使われているんだろうなと思ったけれど、『Joie!』においては当たり前なようで当たり前ではない、尊い時間の暗喩でもあった。明日事故に遭うかもしれない、明日病気がわかるかもしれない。神様なんていないから、この一瞬を大切に生きよう、と言外に言われているような気がした。

手術台に横たわる小次郎を登場人物みんなが囲み、主題歌を歌うラストシーン。
唐突すぎて本当にびっくりしたんだけど、なんだろう、歌声から、ダンスから、生命力というか、小次郎へのエールを感じた。このエールを力に変えて小次郎がいま、戦っているんだ。

IKE&ribe water Groove Productionさん手掛ける主題歌『Joie!』。
この曲、私にとっては心の応援歌のようなもので、よく聴いているのです。歌詞の「向き合う心さえあればいい」と「ちょうどいいもの一から作ればいい」の部分が私の仕事に通ずる部分があって、聴いていると元気をもらえる素敵な曲。
物語の中でこういう使われ方をしているのを見て、文字通り応援歌だったんだなと思った。

ラスサビで全員が小次郎の方を向いてアカペラで歌う演出、いま思い出しても鳥肌が立つの。客席にまでエネルギーが伝わってきて、何度も聞いたあの曲を私も心の中で歌ってしまう。なぜかわからないけど、そうすることで小次郎の力になるような気がした。

手術台から飛び上がって「生きるぞー!」と叫ぶ小次郎と、心電図が直線を描く音。
それが事実としてなにを意味するのかはわからないし、きっと知らない方がいい。


おぶちゃ作品の感想を書く時、その人の生き方とやさしさを"よし"とするところが好き、と毎回書くんだけど、『Joie!』もやっぱりそうだった。不格好でも不器用でもよくて、ただその人が描いた道筋を肯定してくれる。

『Joie!』に関して言えばその色がとても強く出ていたような気がした。"やさしい"って本当に難しくて、結局のところエゴだったりもするけれど、誰かを思いやって行動することの尊さっていうのは変わらないと思う。
この作品の登場人物たちのように、誰もが誰かに対する思いやりと優しさで生きられたなら、そこには最高のJoieが生まれるんだろうなぁ、そう生きたいなぁと思った。


〈『Joie!』公演情報〉※敬称略
制作:おぶちゃ
公演期間:2024年2月7日〜2月11日
会場:東京芸術劇場 シアターウエスト
作・演出:大部恭平
ピアノ演奏:田中和音