鬼太郎が少し大きくなった頃、それは発売された。最初こそ物珍しさからではあったけれど、今となっては随分馴染んだオレンジ色の縞の袋。土曜半ドンの、遅めの昼食に登場することもしばしばだった。
袋の即席ラーメンを作った男も戦後の復興の中を歩んできたのだと思うと、例えば今もすべてを思い出すことは出来ない(部分的に思い出したこともある)あの村での出来事に遭遇した時も、そこに至る道をがむしゃらに進んできた時も、別のやり方で生き残るために働いてきた人間が大勢いるのだということをあらためて感じる。
ネクタイを外し、ワイシャツも脱いでと、さっさと着替える。着替えをしてやっと寛いだ気持ちになれるからでもあるし、スーツを脱いだら家にいる時間と認識している子どもがソワソワするから。いじらしくも、水木が背広を羽織りネクタイを締めたら仕事の時間であると理解している鬼太郎は、くっついてきたいのをぐっと堪らえるようになってしまった。
着替えて、にこりと鬼太郎に笑いかけたらソワソワしていた子がキュッと腹に抱きついてくる。それがたまらなくかわいい。栗毛の頭をぐりぐりかき回すようになでながら、昼は食べたか、握り飯作っておいただろうなんて話しかける。答えは聞かなくてもわかっていたが、鬼太郎の口から聞きたい。
「みずきさん、まってました」
そうか、と顔がくずれてしまう。そろそろ学校に上がる年、とはいえ、随分受け答えがしっかりしてきた。鬼太郎は天才なのかもしれん、と親馬鹿満点なことを水木は思った。
「…じゃあ、」
くふふ、と水木は自分に抱きつく子に顔を近づけ、内緒ごとを分かち合うようにささやく。大きな目の小さな虹彩に映る自分の顔は悪童めいて笑っていた。
「一緒に食うか、ラーメン」
幼い顔に喜色満面、鬼太郎は元気よく頷いた。
「握り飯は半分にして、ラーメンも半分こだ」
こくこくと鬼太郎は頷く。かわいいやつ、と水木は鬼太郎を抱きしめたままよいしょよいしょと体を揺すりつつ台所へ。そこでもう一度ぎゅうっと抱きしめてから離れ、よし、お手伝いしてくれ、とニカッと笑った。はい、と張り切った声で返事をする鬼太郎は、めったに動かない表情が嘘のように笑っている。それがすっかり馴染んでいて、もう、鬼太郎のいない生活というものが水木にはよく思い出せない。
「よし、鬼太郎選手、どんぶりを出してください。わかるかな?」
「せんしゅ?」
鬼太郎は水木と目玉の父が晩酌しながら聞いているラジオのことを思い出した。野球中継…、とそこまで思い出して、あっ、と目を丸くする。
水木はにやりと笑いながらも手鍋をとり、勢いよく水を注ぐ。水道の普及は水くみから人々を解放した。水木家も例外ではない。
「さあ、鬼太郎選手、どんぶりを持ってバッターボックスへ…」
「ぼく、ほむーらんうてますか?」
ホームラン、な、と微笑んで訂正しながら、水木は棚から袋麺を取り出し、打てるさ、お前なら、と続ける。幽霊族の子は人間とは比べ物にならない程運動神経が良かったし、育て親の水木だって運動には自信がある。もしやりたいと望んだら応援するつもりもたくさん。
「ぼく…、ぼく。おとなになったらほむーら…ほーむらん、いっぱいうって、それで…大きなおうち、つくります」
「そりゃいいなァ」
孝行息子だ、と水木は鬼太郎からどんぶりを受取り、テーブルに置く。湯が沸くのを待ちながら菜箸を取り、麺の袋を開ける。
「よし、鬼太郎選手。次はな、おまえのお椀とお箸をちゃぶ台に持ってってくれ」
「はい」
「たのむぞ、ゲッツーのかかった大事な場面だ」
ゲッツー、が何かはわからなかったが、何か大事なことを任された気がして、鬼太郎は言われた通りにする。
攻守ぐちゃぐちゃだなと水木は内心思いつつ、素直な養い子に目を細めた。可愛い、いい子だ。あの墓場でためらった過去の自分に言ってやりたい。その子はいずれお前のかけがえのないものになる、と。
「おいてきました!」
ととと、とすぐに鬼太郎は戻って来る。次は? と大きな目が輝いていて、水木はじぃん、としてしまった。
「…ありがとう。この回は守り抜いたぞ。次は下位打線からだが、」
ちらり、水木はワクワクしている義息をチラリと見た後、ふっと笑った。
「期待の新人、投手鬼太郎は走攻守揃った逸材。チームを勝利に導いてくれるだろう」
半分くらいわからなかったが、それでも自分が褒められているらしいことはわかり、鬼太郎はにへらと笑う。照れくさそうに頬を小さな手で押さえる様子はいとけなく、愛らしい。
墓場で生まれた子、化物の子。だが、愛しい愛しい水木の養い子だ。人の子と何が違う。楽しければ笑い、悲しければ泣く。水木を慕って、いじらしい顔を見せる。
水木は片手でくしゃりと鬼太郎の髪をかきまわし、そうしたら、握り飯もちゃぶ台に持ってってくれるか、とやさしく伝える。はい、と鬼太郎は良い子のお返事だ。
そろそろ湯が沸き、ぐらぐらと大きな泡が立っている。ここからは早い。決めるべきは、卵を最後に落とすかそれともかき玉にするか。
ちなみに、せっかちな水木はいつも麺を堅めにしてしまう。
「…!」
卵をかきまわしてしまおうかと思ったが、なんと割ったらそれは双子で。並んだ黄身に瞬きした水木は、崩さぬよう慎重に丼へよそることになった。もちろん、ふたりで一つずつ分けるために。
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