銀河の果ての果て。星々を繋ぐコースの上を、ぶつけろ邪魔しろ追い越せ追い越せと走る、幾つもの個性豊かな機体達。火花を散らすどころかスタートの時点で巻き起こる爆風に半数の機体は吹き飛び、乱入する巨大船から放たれる砲弾にと、走る端からボロボロになっていくコース。
ゴールは遥かな果てにある、黄金の女神像。優勝者には巨万と富と銀河中からの名声を得られる。辿り着く為にはどんな手段も厭わない。それが、ゴールドプライド・グランプリであった。
さて、そんな過去のレース模様をタブレットで確認している男が1人。いかにもカウボーイといった風貌の男の名はリオンと云う。レース常連を保つ強さと、抜けたところのある三枚目な性格で観客から強い支持を集める人気選手の一角であり、知らず知らず煽っては他選手から最も恨みを買っている選手でもある。
翌日にレースを控えた選手達は、グランプリの主催者が指定する、とある宿泊施設に集結していた。スタート地点となる辺境の惑星で最も良い宿と紹介され、通されたビル街に聳える巨大な摩天楼。設えは極めて上質で、自然の素材をなめらかに加工した家具によって飾られていた。男はこの宿を気に入ったが、気になる点が1つある。椅子がどこにもないことだ。編み込んだ草の敷物の上に、いつ寝首をかられるかわからぬ者達と肩を並べてべったり座るしかない。
ゴールドプライドはレース上でも無法なら、当然レース外でも無法。男はその星の法を守る方だが、銀河中から結集した選手全員がそうであるとは限らない。エイリアンだったり超能力者だったり、体がぼうぼう燃えていたり。種族の違いに加え、単純に破壊や殺戮を目的とした選手だっている。男も護身用の武器は所持しているが、気休めが関の山。故に比較的安全な自室にこもり、床に敷かれただけのマットレスの上で、明日のレースの戦略を練っていた。
だが、そんな時間は終わりを告げる。タブレットは主催者からのメッセージを受信した。食堂に集まれ、と。
男は長く参加し続けて、尚且つ社交的であり、顔が広かった。とはいえ、銀河を跨いで移動してきたばかりで、少し自分の時間が欲しいのが本音だった。だが、主催の意向は汲まなくては。金庫に荷物を突っ込み、鍵だけを持って自室を後にした。
食堂の前まで来れば、選手達が立ち往生している。一体何事かと男が背を伸ばせば、その隣にちょこちょこと女がやってきた。肌は青く、髪は触手のようにウネウネと動く、小柄なエイリアン、人に近い形をしている女の名はキャリーと云う。ゴールドプライドの選手の1人で、レース中に男に何度も命を助けられている。レース中はデッドヒートを繰り広げる好敵手であったが、レース外である今ならば、互いに害さないだろうと信頼をおける者である。
女が言うには、ここで着替えなくてはならないのだという。男が先へと目を凝らせば、お面をつけた子供が2人、垂れ幕の奥でせっせと選手達の服を脱がせては、奇妙な服を着せていた。抵抗する選手には顔を隠した黒服が、暴れる選手を真っ白いネットで絡め取り、身包みを剥いでいた。長く参加し続けている男と女にとっても、この光景は異様であったが、2人は狼狽えなかった。こんなことよりずっと危険な目に遭ってきたからだ。それに、大人しくしていれば着替え自体は丁寧だった。
男と女の番が来る。狐の面を付けた子供が男の体を見て、服を選んだ。帽子や上着や靴やあれやこれを脱がされ、代わりに奇妙な服を手渡される。指示通りに腕を通してみると、それなりに体格のある男であってもブカブカの服だった。子供が前で合わせて帯で縛り、形を整えていく。服にそう詳しくない男であっても、肌触りが滑らかで、上質な生地だと直感した。…確か、着物というんだったか。男がこれらの文化の決して豊富ではない知識を振り絞っていると、狐面の子供は言う。こちらは素襖(すおう)、我が国の伝統的な衣装です、と。
着替えが終われば、男は気づく。この服、異様にズボンの裾が長い。どう頑張っても足が出せない。絶対に裾を踏んでしまう。子供が男の着ていた服を綺麗に畳めば、そのまま箱に仕舞われた。武器ごと取り上げられ、どうやら返すつもりはないようだ。あまりに動きづらいので裾を上げようとすれば、子供は首を横に振り、このまま食堂へ入るように、と。諦めるしかないだろう。男は、この服が拘束具の意味を持っていると直感した。ただ、全く無策で武器を取り上げられるよりは断然良い。今は事の流れに任せるしかない。
先へ歩いて振り返ると、同じく着替えさせられていた女が垂れ幕から出てきた。男とは違う服だ。裾を引きずる衣を何枚も何枚も重ねられ、肩から下がり前で合わせられた色とりどりの衣は、床にもその色を広げ、なんとも煌びやかで美しい。普段見れぬ優雅な姿に男が感心するも、当の本人は苦悶の表情を浮かべ、十二単って言う服なんだって、と。下を見ながら淑やかに歩を進める姿に、男はつい出来心で、おやおやお嬢様、助けが必要ですか、と手を差し伸べる。女は男をジトっと睨みつけるが、ガタガタ震える足は隠せず、視線を外すも男の手を取った。わずかな優越感に浸る男だったが、残念なことに余裕はなかった。衣を引きずり踏みつけなくてはならぬ小さな歩を2人でせっせと進めながら、なんとか転ばず席につく。
座り込んでやっと意識を外側へ向ければ、食堂も座敷しかなく、目の前に艶のある木で出来た質素な台がひとつ置かれているのみであった。全体的に薄暗く、ぼんやりとした灯りは、炎のように人々の動きに合わせてゆらめく。中央は何も置かれず広く取られており、敷物で区切りがつけられていた。
この場は、不可思議な雰囲気を持っていた。大抵ギャアギャアと大騒ぎする選手達だが、今日は場の空気に飲まれてしまったのか、この拘束衣も相まってか、誰も動けない。どこか緊張した面持ちの女に、男は心配するな、と笑いかける。
集っていく選手達。奇妙で淡白な宿に、不満の声がちらほらと上がる。先程着替えを担当していた狐の面の子供が2人、今度は給仕となって席を回り、やっと食事の提供が始まった。男は暇つぶしに、2人の子供の服装を見る。片方は髪が短く、服の形は男が着ているものに似ている。あちらは男の着替えを担当したし、多分、男だろう。もう1人は髪が長く、服の形は女が着ているものに似ているし、多分、女だろう。
背丈の似ている2人は厨房と食堂を往復しながら、選手それぞれの食性に合わせた料理を並べていく。ある者は高級な岩、ある者は精錬された化学物質。女が呟く。あれ、ちゃんとフルコースだね、と。男はその言葉に頷く。それぞれの皿の上に載っているのは、確かに多数の料理であった。現に、たぶん男である子供が男に持ってきたのは、男が見たことはなかったものの、和え物に漬物に魚介に肉に、それぞれ手の込んだ料理が少しずつ、10種類ほど載ったおぼんだ。女の前に提供されたのは魚類がなく冷えた料理であったが、女は辺境の星なのにここまで豪勢で上品なのか、と目を輝かせた。他の選手達も料理に手を付け始めたので、男と女も思い思いに食べ始める。男も女も、料理の味に目を瞠り、これは旨いと舌鼓を打てば、今までの奇妙さもすっかり忘れて、ぱくぱくと食べ進めた。
皿をひとつ平らげる頃、配膳を終えた子供は壁に仕掛けられた小さな扉をくるりと回転させ、姿を消した。そんな仕掛けがあるのかと男が扉を眺めていると、もう一度くるりと回転する。背の高い男が1人、丁寧に一礼し、笛を持って中央の絨毯に座った。続いて先ほどの子供2人が回転扉から出てきては、一礼。笛の男の左右に、鼓を持って座る。すると、選手たちが入ってきた入り口から、また1人。幾重にも重ねられた衣、鮮やかな布地は、女達に着せられたものとよく似ているが、その女は金銀に輝く見事な衣を身に纏い、ここに居る誰よりも華やかで、その所作も優雅であった。しゃなり、しゃなりと、女が歩を進めれば、結い上げられた黒髪はゆらりゆらめく。淡い黄色の花がたっぷりとあしらわれた髪飾りや、真っ白な肌が赤い炎に照らされて、飯を食う男にはその首筋すらも色っぽく見えた。
女が選手たちの中心に、楽団を背に座る。女は言った。皆様、本日はお集まりいただき、感謝申し上げます。本日、皆様のお相手を務めます、沙羅と申します。どうぞ、以後お見知りおきを。その声は、飯を食う男が思うに、まるでこの触り心地の良い衣の布地のようであった。ゆるりと身を包むが如き柔らかな声、だが纏わりついて離さぬ、凛とした強さがある。沙羅の赤く塗られた唇から零れ落ちる微笑に、男達は誰もかれもが見惚れ、女達も感心するばかり。あちらこちらから感嘆の声が漏れていた。
沙羅がいくつかの歓迎の言葉を述べ、立ち上がると、笛を持つ男がひゅるりと鳴らす。子供達がぽん、ぽんと鼓を打てば、沙羅は扇子を開き、皆の前で舞い始める。あぁ、なんと美しい。どこからか声が上がった。飯食う男は驚く。エイリアンでも人間を美しいと思うことがあるのか、と。かくいう飯食う男もいつしかその手が止まり、すっかりその舞に夢中になっていた。
ほうと見惚れていると、突如、隣に座る女が男をつつく。アンタ、ああいうのが好きなの? 手を止めた男は答える。そりゃ俺は人間の男だからな、と。女はふぅんと鼻を鳴らしては、舞う沙羅をじっと見つめる。
2人がふと気が付けば、あちらこちらの席には酒瓶が配られていた。器へ酌んでみれば水と見紛うほどの透明さ。本当に酒なのかと、ひと口ごくりと飲んでみる。男は後悔した。こりゃあ相当強い酒だ。あっという間に回り始める酒に焦って手を挙げれば、顔を隠した黒服がやってきた。水が欲しい、酒の量を間違えた、と伝えると、黒服はすぐに大きめのピッチャーを持ってきた。男が感謝し、一気に水を煽る。…多少はマシになったか。隣の女は、その水ちょーだい、と器を男に差し出す。少し分けてやれば、ありがと、と笑って水を飲み始めた。
男が酔いと格闘する最中、ふざけて酒瓶をラッパ飲みする選手が現れ、あちこちでどんどんと酒を煽り、あっという間に潰れる者が出る。潰れた者から黒服が引きずって退場させられ、沙羅が舞うそばから選手がどんどん減っていく。男はふと、酒の強さを見た。…少なくとも、水なしで飲むものではなかった。
沙羅は扇子をぱちりと閉じて、舞を終え、一礼。鼓を叩いてた子供たちはそそくさと退場し、黒服の手伝いに回る。慌ただしい退場が一息つく頃、男はまた飯を食う余裕が出てきた。気が付けば隣の女は殆ど食べ終わっていた。
それからしばらく。沙羅はこの星の文化や歴史を簡潔に、けれど恭しく語り、せっかく皆様にきていただいたのですから、体験していただきたく、この席をご用意いたしました、と。食事が全て提供されれば、明日のレースのためにそそくさと自室に戻る者、沙羅を囲い込んでは話を引き出す者と様々だが、酒がほんのりと回った男は隣の女と話をしていた。明日こそが雌雄を決する時、絶対に追い抜いてやる。はいはい、まずは俺に助けられないようにな、と。女はその言葉にからから笑う。そんな毎回、あぁはならないよ、と。
さて、別の席では小柄な超能力者と巨体の炎が沙羅を眺めていた。超能力者は小首を傾げる。なんだか変な気がするなぁ、とぽつり呟く様子に、炎の男も小首を傾げていた。何が変なんだ、と聞いても、超能力者はうーんと唸るばかり。炎の男は力を抜く。まあ、こいつはこいつで社会経験はほぼ無いから、言い表せないんだろう。そう納得することにして、最後のひとくち、最高級の可燃物質を飲み込んだ。
翌日。星々の高さに果てなく長い道のりに、数多のマシンがつらつら並ぶ。ほろ酔いであった男もすっかり目を覚まし、いつものカウボーイのような装いで黄金の馬に跨っていた。その背後に付くのは女の駆る黒塗りのマシン。フラッグに掲げられた魚の骨も相まって、海賊船の如き様相である。小さな玉に座り込むのは超能力者、その直前には長ーい機体、もとい銃口に乗り込む炎の男の姿。最後尾にはどこか禍々しい、紫色の機体が前方を臨んでいた。他にもまだまだ色んな機体がある。とはいえ酒でグロッキーになっている者も少なくなかった。
さあさあいよいよ始まりますゴールドプライド・グランプリ、アースカップ。スタートまであとわずか。大歓声と声援と、罵倒と怒号に、馬に跨る男は撮影用ドローンを見上げた。目で追えば、アナウンスは叫ぶ。本日のサーキットクイーンは……。ドローンが向く方向から、楽団を連れた沙羅が姿を現せば、周囲の機体からむさくるしい黄色い声が上がる。沙羅に良いところを見せねばといきりたつ選手達に、沙羅は優しく微笑んだ。だが、グランプリ常連の男の胸にあったのは、妙な違和感だった。あの女、宿だけではなくここでクイーンも務めるのか、と。ばちばちと光る眩しい照明に照らされつつも和かな沙羅の肌は白くなく、ただ赤い化粧のみをしていた。2人の子供は相も変わらず顔を隠しているし、黒服も同じく。楽器を持っている男だけが顔を見せているが、どうにも目の色だけは窺い知れない。沙羅はいくつかの挨拶を述べ、いよいよ開始が迫る。
厳正なる抽選通りにマシンが並び、アナウンスと観客がカウントダウンを始める。挨拶を述べていた沙羅は艶やかに笑う。えぇ、しかし、ここはとても暑うございます。突如、男の周囲の黄色い声が一段と強くなる。各部の確認を進める男が視線を上げれば、沙羅がカウントダウンひとつごとに衣を脱ぎ捨て始めているではないか。選手の大興奮に男の注意がどうにも削がれるが、後ろにつく黒い海賊船の女船長が前だけじっと見ているのを見て、男も集中を持ち直す。眼前の巨大モニターにも、沙羅の様子は映されていた。
なおも静々と脱ぐ沙羅。いつもと色の違う興奮に染まるサーキット。1枚、また1枚と衣が帯にぶら下がり、その煌びやかさも失せ、代わりに色気ばかりが香る。上半身の防御が薄れゆき、露わになる時が近づく。そのたびに、すっかり魅了された男どもが吠える。最後の1枚、沙羅はそれにすら手をかけ…。
野蛮にも破り捨てた。露わになったのは、滑らかな肌に豊満な膨らみ…などではなく、見事に鍛え上げられた立派な男の肉体であった。予想だにしていない光景に、サーキットは凍りつく。ニィとどこか邪悪に笑う沙羅は、いや男は、顔に指を走らせては朱を引き、髪を強引に後ろへかきあげれば、長く艶やかな黒髪はあっという間に刺激的な青い短髪と変貌する。それと同時に、子供達も面を、衣装をバッと脱ぎ去れば、実に可愛らしい少女のような姿を見せ、どこからか巨大な筆と大量の楽器、さらにはロボットまでもが飛来。それらの道具を掴み取った楽団は、どっと輝き出すリフトの上からいざとコースを見下ろしていた。
さあ、行くぜ野郎ども! 沙羅の低く轟く怒号に、会場は混乱に包まれた。だが子供達は無情にもカウントダウンを続け、止まらない。サーキットクイーンが叫ぶ。
スタートォ!
同時に弾ける火花と爆音。黄金の馬の騎手はなんとか惑わされず、スタートダッシュでゴールドプライドの洗礼を抜けようとするも、前のマシンが走り出さない。経験と直感でなんとか間を抜ければ、赤に緑に青に黄色に、爆風は花のようにあちらこちらへと広がり続け、それでも、先へ、先へ。だが、走り続ける男も、その後ろから抜けてきた海賊船も、糸に絡め取られた玉も銃口も飲み込まれて。
…苛烈な花が静まりかえれば、サーキットには沈黙だけが残る。走っている機体は皆無で、ただマシンの残骸と這い出てきた選手だけ。死屍累々であった。辛くも先頭にいたのは、黄金の馬と黒い海賊船。だがマシンはこれからのレースに耐えられないほど傷つき、ドライバーも煤で真っ黒。……続行不可能と判断したアナウンスが入る。レースは中断、レスキューのサイレンが鳴り響く。
それから、随分と時間が経った。あの日の出来事はあっという間に記事になり、全宇宙へと瞬く間に驚愕を広めた。
『アースカップで前代未聞! スタート直後に全マシン大破! 原因は人間種の女装!?』
インパクトのある見出しに、出遅れた選手達への手厳しい言葉が連ねられたその記事は、ゴールドプライド内で現在も語られる伝説と化していた。噂はいつしか尾鰭をつけて、『地球の人間種は瞬時に雄にも雌にもなれる』だの、『実は人間種ではなく未知の流体種族が支配する星なのでは』だの、根も葉もない噂が広がってしまった。同時に、選手達を騙した、いや、誑かした者達の知名度は、これを機に一気に高まったのであった。
リオンは沙羅に、いや、沙羅と云う女に化けていた絵師の男、娑楽斎にあの日の記事を突きつければ、突き付けられた男は苦笑を浮かべる。ありゃあ、想定外も多かったんだ、と。
まず、あれらの出来事は、グランプリ主催と銀河テレビ局が手を組んだドッキリ企画であり、内容は宿でもてなす側が決めることになっていたそうだ。もてなす側、つまり主催に目をつけられたアーティストである娑楽斎ら、ことP.U.N.K.は、いくつかの案を挙げた。いつの間にか閉じ込められてとか、お化けを準備して、とかは考えていたそうだが、恐怖というのはその文化へのかなり高度な理解があってこそ成り立つ。外宇宙からやってくるゴールドプライドの荒くれ者達に、それらの驚かしは効かないだろう、と。さらに、害意や敵意を見せた場合、反撃をされる可能性もしっかりと考慮せねばならなかった。一方で、外宇宙であれ、雄と雌は大抵居た。そして、人間種は生物的には、雄と雌を変えられない程度の知識はどんな種族でも持っていた。そこで決めたのが、伝統的な手法を用いた女装、もとい、女方であった。
空気で呑み込んでしまえばあとはこちらのもの。そういった経験が豊富であった仕掛け人達は、場作りを入念に行なった。選手にも協力させ、伝統衣装を着せて…ついでに動きづらくして。次に、楽師の男と並んだ時、絵師の男は少しばかり背が小さかった。故に、あれだけたっぷりと重ね着をし、部屋を薄暗くしてしまえば、男の体格も女の体格もほとんど見分けがつかず、あとの印象は相当疑わなくては覆らないだろう。実際に女装をした男からすれば、自らの顔を化粧で作り替えるなど造作もないことであった。衣装に化粧と、ありとあらゆる手を尽くして女に扮した男。選手達はその思惑にまんまと嵌められていたのだ。
ここまではうまく行っていた。だが、仕掛け人達にも予想外の出来事があった。荒くれ達のために用意したあの酒、満足できるようにと強いものを用意したが、強さはしっかり伝えるべきだった、と、青髪の男は振り返る。
そしてもうひとつ。まさかあれだけ人間の女にどっぷりハマる奴がたくさんいるとは思っていなかった、と。その言葉に、記事をつきつける男は、あぁ、と声を漏らす。実際、男からしてもエイリアン達が人間の女に見惚れる姿は意外であった。それだけお前の女装が上手かったんだろう。冗談まじりに口にすれば、青髪の男は、よせよ、と照れくさそうに笑う。すっかり騙されていた男は、腹の内側では釈然としなかった。
そして、最後の想定外。コースに仕掛けられた罠だ。選手を妨害する仕掛けを幾つか設置してほしいと主催からの依頼があり、引き受けたのが浄瑠璃人形師。だがこの人形師、普段は安全性の問題で作れない絡繰の数々を、ゴールドプライドという超危険なレースにかこつけて、ここぞとばかりに熱中して制作、あちこちに大量にばら撒いていたのだ。それがスタート直後の爆発によって暴発。妨害するための罠も同時に発動して足止めの被害が想定以上に広がり、選手達の走りを派手に飾るだけのはずの花火が全て一気に爆発するなど、一般的には危険な事故とされる出来事が起きた。そんな事態すらグランプリの醍醐味だが、様々な要素がおかしな具合に噛み合った結果、女装で全滅したとされる伝説のレースが誕生してしまった。
談笑する男達の横で、頬杖をつくのは、黒い海賊船の女船長キャリー。それで、と声を上げ、リオンに詰め寄る。アンタ、結局あぁいうのが好きなの? 問われた男は吹き出した。お前、今それを聞くなよ、と。ははぁ。娑楽斎は察し、あの日のように邪悪に笑う。恭しい態度をみせ、あらあらまあまあ、と心地の良い沙羅の声。やめろ、すぐやめろ、と騙された男があの時に美しい声だと認識した思いに虚しく抵抗するが、詰め寄る女と沙羅の仕草、2人の伏目がちで色っぽい表情がさらに男を追い詰める。なんだかんだでプライベートの時間を作る女の愉快そうに揶揄う顔と、演技に長けた男の首筋から肩にかけて強烈に発達した筋肉が、五感を混乱させる。違うとわかっていても、うまく女らしく振る舞われ、あぁ今思えば、しっかり見れば、ちゃんと男なのに。男から視線を逸らしても、女のニヤニヤ顔が迫る。
アンタも好きね、うふふふふ。
うるせぇなぁ、俺だって人間の男なんだ。
俺だって人間の男だぜ?
くっ…!
先へ先へと追い詰められた男は悪態をつくが、どうあがいても後には戻れない。レース中はそれで良いのになぁ。男は今この時だけ、あの時に戻りたいと切に願った。
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