りっつぁ
2021-07-30 22:43:07
6764文字
Public その他(BL)
 

推しと同じ空気吸うのとか全然無理

現パロ黒ホです。
アイドルオーディション番組のスタッフバイトのホがノリで出演させられて、謎の大富豪黒様に見初められてかっさらわれてその後どうなった的な話。
深く考えずに読んでください。

 こんなに美しい生き物が、この世に存在するのか。
 超高解像度を謳うモニターの中、ほんの少しの翳りも見当たらない美貌。俯きがちでどこか不貞腐れたような表情すら目を引いた。細い頸、長い髪の揺れる背筋から、くびれた腰。飾り気のない服の上からでも、体の線が見て取れる。間違いなく男だが、あれが誰かに執着し、抱こうとするとは到底思えない。求められたら受け入れる、そのための体だ。抱き寄せれば腕の中にしっくりと馴染み、愛でてやればあえかな声で鳴く。どこまでも平面でしかない青年の生身の手応えを求めて、指が震える。
 窓はシャッターを下ろし、灯りのスイッチを触ったのもどれだけ前か。時間を知らせるデジタル表示はただの数字でしかない。
 乾き始める目を何度も瞬かせ、食い入るように見つめる。涙で画面が滲むのも許せなかった。何度も唾を飲み込む。
 これまで生きてきて、こんなに何かを欲しいと思ったことはない。大抵のものは欲しがる前に手に入ったし、そもそも欲すること自体がほとんど無かった。
 これは必ず、手に入れる。
 鼓動がうるさい、首を走る太い血管が脈打つのがわかる。吸い込む息がいやに冷たくて、どうやら体温まで上がっているらしい。この感覚は何だ。
 錆びついた脳味噌が徐々に回転を早める。確実に、己のものにするには。あらゆる伝手を辿るべく、数台あるスマホのうちの一つを手繰り寄せた。
 カサついた唇を舐める。これは興奮しているのだと、やっと気づいた。


「ひーーーーーーま」
 だだっ広いリビングに、ホークアイの声がうわん、と響いて消える。ここに連れて来られて何日経ったか、信じられない強引さでもってホークアイの手を引いた男は、あの日から一切姿を見せない。絶対に入ってくるなと言われた男の部屋の扉に耳をつけても、ほとんど何の音もしない。生きてるんだろうか。あの日のこと自体夢だったのかもしれないとも思うけど、そうするとここにいる自分に説明がつかない。一人暮らしの古くて狭いアパートではなくて、明らかに富裕層向けとわかるマンションの一室で、でかいソファに寝っ転がっている自分は何なのか。
 閉じ込められているわけではない。持っていた物は全部手元にあるし、この部屋の鍵も渡されている。直接手渡されたのではなく、初めてここで目を覚ました朝に枕元に置いてあった。出ていけるのに出ていかない理由は、現状がごちゃごちゃし過ぎてどこから手をつけていいかわからないから。でもそれだけではない。
 あの男の顔をせめてもう一度見てやって、こんなことをした真意を問いただしたい。リビングから繋がる廊下の奥、開かない扉を睨みつけた。

 生きていくために働かないといけないんだったら、人を飾る仕事がいいと思った。人であれものであれ、綺麗なものに触れるのは気分が良いし、誰かを綺麗にしてやるのも面白い。小さな会社に、メイク兼ヘアメイク兼スタイリストの見習いとして拾ってもらって、どうにかこうにかやってきた。ネット配信限定の、男性アイドルのオーディション番組なんていう微塵も興味を持てない現場でも、腐らず頑張った。人の話を聞いてるんだかいないんだかわからないガキどもを引っ立てて、昨今の液晶テレビに大映しにされたとしても堪えられるくらいに整えてやっていたら、ここはもういいからと仕事を取り上げられ、なんだかよくわからないうちに強烈な照明の下でカメラの前に立たされていた。自分の与り知らないところでどんなやり取りが行われたか、今となっては想像するしかない。けれど、スタジオセットに押し出される寸前に見た、上司でもある指導役の、眉尻を下げた哀れむような笑顔で大体察してもいた。断れない筋からの断れない要請があったのだろう。
 リアルタイムの視聴者投票でどんどん参加者がふるいにかけられるえげつない仕様の企画で、速攻でふるわれて帰ってやろうと思ったらなかなかどうして帰れない。元々知名度があるでもないし、歌わない踊らない喋らない、ただいるだけなのに、どうして。スタッフ達のざわめきに耳を澄ませたら、どうやら特定の視聴者が凄まじい票数を投じているようだとわかった。票は金でいくらでも買えるというこれまたえげつない仕様であったという事実にますます帰りたくなったけど、帰れない。他の参加者の白眼視に晒されながらもダントツの得票数を獲得して、後日行われるという決戦投票に残ることになってしまった。この拘束時間分の給料は出るんだろうか。
 そして、やっと解放された後。何もしていないはずなのにぐったり疲れて、夜も更けきったビジネス街に足を踏み出そうとしたとき、これまでの人生をひっくり返すようなことが起こった。

 無駄に長いソファの座面を匍匐前進よろしく這って進み、サイドテーブルにたどり着く。伏せたままだったスマホを怖々手に取った。一応充電だけはしていたが、見たこともないような数の通知に怯んで触らないようにしていた。直視しないように薄目で画面をタップして、メッセージアプリを開く。この部屋に来た次の日に届いた、この場所にピンが打たれた地図のスクリーンショットだけが貼られたメッセージ。多分これは、あの男から来たものだ。返信のボタンを押して、ホークアイは考え込んだ。いたずらに文字を打ち込んで消す。顔を合わせたのは数十分程で、ろくに言葉も交わしていない。何を考えているかさっぱりわからない相手な上に、この状況。とっとと逃げるべきだというのは承知の上で、でも真正面から話をするには。うんうん悩んだ末に、送ったのは『そこで何してる?』。意外にもすぐ開封されて、しっかり読まれたはずなのに、返信は無かった。寝落ちするまで待ったのに。

 この既読スルーから、居直ることにした。アイツを絶対、部屋から引っ張り出す。でないと、心情として後に引けないところまできている自分がどうしようもない。
 まず、ごく当たり前なのに今までやって来なかったことをやってみた。普通にノックし、声をかけてみる。「入ってますかー?」の呼びかけに、もちろん返事はなかった。何してんだ出てこい、話を聞け。立て続けに訴えても、反応無し。当然ドアには鍵もついていて、思い切って握ったノブは僅かに左右に動くだけだった。次は、声をかけるのと同時に扉の下の隙間からメモ用紙を突っ込んだ。手紙を書くなんてほとんどしたことがないから、白紙だったり「ハズレ」とだけ書いてみたり、落書きをしたり。溜まった紙片は回収されていたから、どうやら見られてはいるらしかった。鍵を壊すのはさすがに出来ないとして、予想より早く実行することになった最終手段は、トイレの前に一日張ってみること。しかしこれも空振りに終わった。週に一回やってくるらしいハウスキーパーに尋ねてみたら、男の自室にはユニットバスのようなものが備えてあると言われた。どこまで部屋から出たくないんだ。
 どうせ待っている人も会いたい人もいない。唯一の気がかりと言えるかもしれなかった仕事も、丁寧な文面のメールで正規の採用は見送るという事実上の解雇を告げられた。こうなったら長期戦だ。そう決め込んでまた何日か経ち、ここでの生活にも慣れて自炊なんかも始めてみたら、思いついた。後は食いもんで釣るしかないだろう。匂いが立ちやすいものを選んで作り、部屋の前に置く。引きこもりの息子を心配する母ちゃんのように、出てこいとかちゃんと食えとかのメモ書きも添えてやった。翌朝、空になった皿を見つけたときの達成感は、なかなかのものだった。それから男の好むメニューの探求が始まり、ドアの横にカメラを起動しっぱなしにしたスマホを置いておくというアナログな手段で彼がドアを開けるおおよその時間を確かめ、そして。

 
 置いておくのはカレー。しかも、市販のルーで適当に作るやつが一番反応が良い。おそらく金だけは持っているんだろうに、この男の好みはわからない。怪しまれないように大体いつもと同じ時間に夕食として作って自分でも食べて、いつもと同じように過ごす。日付が変わる頃、風呂上がりの髪を拭きながら、この家にある中では比較的大きな皿に米を山盛りにして、温め直したルーをかけた。
「ちゃんと食えよ。オレはもう寝るから」
 ドアに向かって声をかけても、やっぱり反応は無い。ラップをかけた皿を床に置いて、一旦は歩き去る。すぐに足音を殺しながら取って返し、ドアの横、ノブの斜め下あたりに腰を落ち着けた。今までの行動パターンからすると、絶対出てくる。張り込んで、出てきたところをとっ捕まえるというだけの、単純な作戦だ。でも、成功率は高いはず。ここで寝てしまわなければ。何だかんだ文句は言いつつ規則正しい生活をしてしまっているせいで、いつもと同じように眠気がくる。ホークアイは壁にくたりともたれかかり、耳をつけた。やっぱり、何の音もしない。

 キィ。金属同士が擦れ合って軋む音。意識飛んでた、やばい。ハッと目を開けると、ドアがゆっくり、部屋の内側に向かって開く。ぬっと伸びてきた、白くて骨張った手。
「取った!」
 男が息を飲む音。掴んだ手首を力任せに引っ張って、男の体を廊下に引き摺り出した。ばたばた暴れ出す手足を何とかかわして、床に押さえ込んで馬乗りになる。取っ組み合いのケンカなんかしたこともないし、こんなことに役立つ何かを習った覚えもないけれど、どうにかなるもんだ。体を捩って逃げ出そうとするから、肩を掴んで床に押し付ける。初対面以来、十日以上ぶりに顔を拝んでやろうとしたら。
……なんだこれ」
 瓶底眼鏡。こんなのほんとにあるんだ、と感心してしまうほどの。表情も顔の造作そのものもわかりづらくする上に、鼻から下はマスクで覆われている。唖然とするホークアイの下で、男は呻く。
…………な」
「は?」
……
「なに?」
 まさに蚊の鳴くような、小さな声。耳に手を当てて詰め寄ると、萎縮したようで更に声が小さくなってしまう。
……怒ってないから。言ってみな?」
 なんでオレが、こんなに気ぃ使ってやらなきゃならないんだ。促してから耳を澄ますと、マスクの奥から聞こえてくる掠れ声。
…………り」
「うん?」
……無理」
「なにが」
…………無理。推しと同じ空気吸うのとか、全然無理」
「はぁ?」
 コイツは何を言ってる。この期に及んで。
 男はマスク越しにもわかるほど唇を噛み締めている。分厚いレンズの底で、怯えたように瞬く目。
 ふざけるな、あんなことまでしておいて。怒鳴りつけてやりたいのに声が出ない。一気に血が上って熱くなった頭の中は真っ白だった。感じたこともないようなこれは、多分怒りだ。男のよれたTシャツから肩の肉まで、突き破るような強さで爪を立てた。


 あの夜、ようやっと帰れると歩き出そうとする瞬間、拉致られた。急に現れた屈強な男二人組に、抵抗はもちろん声を上げること隙すら与えられず、すぐ近くに止まっていた車に押し込まれた。体を起こそうとするより早く、車は滑るように走り出す。外が見えない窓。ドアの鍵が見当たらない。何だこれ何が起きてる何だこれ。
「落ち着け」
 背後から飛んできた声に、振り返ると同時に後ずさる。背中がドアにぶつかり鈍い音をたてた。もう一人いた、全然気づかなかった。後部座席の反対側に、男が座っている。
「落ち着けと言った。その様子では話もできんだろう」
「な、に言ってやがる、っ、出せ! 下ろせよ!」
「喚くな。悪いようにはしない」
 暗さに慣れた目が、男の姿を捉え始めた。ゆったりと脚を組み替え、こちらに視線を寄越す。上下黒のスーツに黒いシャツ、黒い靴。恐ろしく整った青白い顔が、唇を歪めて笑う。低くて艶のある、耳に残る声。
「お前の残りの時間を買う」
……は?」
「今この瞬間から、死ぬまで。お前に残っている時間を全て、買い取ろう」
「残ってるったって、そんなすぐ死ぬつもりでもないし」
 男の言い分がぶっ飛びすぎていて、普通に受け答えをしてしまった。男は満足そうに息を吐いた。
「声も良いな。ますます気に入った」
「なに、キモいんだけど」
「度胸もな」
 男が軽くこちらに身を乗り出し、手を伸ばしてきた。顎先を掬い上げる、白い指先。金縛りにあったように、動けない。
「お前を買い取る。お前には、その価値がある」
……価値?」
 男の指が顎裏をすいと一撫でし、離れていった。その金色の虹彩が、煌々とした街明かりを受けて物騒な輝きを放つ。真っ当な人間か、これが。これ以上退がれないのに、まだ体が逃げようとする。身を縮ませるホークアイを、男は隅々まで確かめるように見つめる。
「美しい。これだけ美しいものを見たことがない」
「は?」
「お前は私の手元に置く。それだけの価値がある。十二分にな」
 言うだけ言って、男は黙った。車は走り続ける。恐怖も逃げなければという焦りも不思議と薄れて、成り行きを見守ろうという気になっていた。


「ふざけんな……ふざっけんなよお前、何つった!? オレを連れてきたとき、何て言ったか忘れたか!?」
 男の胸ぐらを掴んで怒鳴った。緩んだ襟元は、これがとどめで伸び切ってしまうだろう。ひっと喉を鳴らした男から、眼鏡とマスクを剥ぎ取って放り投げる。
「見る、な」
「何でだよ!?」
「推し、が、穢れる」
「何なんだよそれ! 同じ空気吸うなとか見んなとか!!」
「違う、お前が、」
「じゃあお前が何なんだよ! 見たら呪われるとかなんかそんなヤツか!? 祟られんのかオレは!」
「近い」
「近いじゃねーよ馬鹿野郎!!」
 腹から怒鳴りつけて、はぁはぁと荒い息を吐く。頭と目と耳と顔と、顔全部が熱い。
「忘れてないからな。お前、……伴侶として、って言ったよな? ゆくゆくはって。覚えてるだろ、なぁ?」
 男に連れられてここまで来た夜、それでも自分の立ち位置が一向にわからなかったから聞いてみた。家政夫? ペット? 愛人? 奴隷? そのどれでもないと男は首を振り、確かに言った。どう思っても良いが、ゆくゆくは伴侶として。
 泣けてきそうだった。馬鹿みたいだ。こんなヤツに。
 綺麗なものに囲まれていたって自分はいつまでも薄汚くて、誰にも選んでもらえない。そんなヤツに、こんなことをしたらどうなる。近寄り難いような美形に、自信に満ちた堂々たる口ぶりで、美しい、価値があると言われて。救われた気になって、選ばれた気になって、ほいほいついてきてしまった。馬鹿みたいだ。
「お前、意味わかってんのか? 伴侶って。オレでもわかるぞ」
「わ、わかる。覚えても、いる」
 こくこくと、首のもげかけた人形みたいに男は頷いた。
「推しがどうとか、意味わかんねーよ……こんなとこまで連れてきといて放ったらかしって、こっちはアパート解約しようと思ってたんだぞふざけんな!」
「解約は、もうした」
「ふざっけんなよお前マジで」
「っ、責任は取る!」
 ホークアイの剣幕に狼狽えた男は、きっぱり言い切った。しかし、自分で言ったことに自分で驚いたように目を見開き、固まってしまう。
……どう責任取ってくれんの」
……お前のじ、人生、二往復分くらいは補償する」
「人生に復路があるのかよ、馬鹿だろ」
 ツッコまれると思っていなかったのか、言葉につっかえる男を見て、力が抜けた。深く息を吐いて、掴み上げていた襟から手を離してやる。
「これからは、部屋から出てこい。話くらいしろ」
……わかった」
「なんなんだよ……あのときとキャラ違いすぎだろ」
「自分でも、どうしてあんなことが出来たのか……
「あのごっつい奴らは?」
……あの日だけ雇った」
「高そうな車も」
「借りた」
「なんだよ……
 社会の暗部にも通じていそうな富豪の正体は、キレたら何をするかわからない引きこもり。美形の無駄遣いだこれ。なんだか全部馬鹿馬鹿しく思えて、ホークアイは男の体をクッション替わりに寝そべった。ぐぇ、と男が妙な唸り声を漏らす。
「あと、金も大事だけどさ、……伴侶ってんならキスくらいしてみろよ」
「キ、」
 したことあるかも怪しいな。コイツ童貞か?
 目を白黒させ、明らかなキャパオーバーを示す男の胸に顎をのせた。狂ったように速い心拍が、手のひらに伝わる。
「な、いいだろ?」
 男が頭を起こせば、すぐだ。でもこの二十センチがきっと、果てしない。男を至近距離で眺めてたら、形のいい額を汗が一粒転がっていった。
 この分だと、唇が触れるより前に朝になりそうだ。