雪原で冷えきった体がようやく芯から温まった気がする。デュランはほっと息を吐いた。ベッドに座って生乾きの髪をよく拭きながら、小さな暖炉に目をやる。部屋が温められているうちに、寝てしまった方がいいだろう。
「おい、ちゃんと拭け。ベッド濡れてるぞ」
隣のベッドで転がる横着者は、薄目を開けてちらっとこっちを見て、寝返りをうった。こうしていると、長い髪が身の丈程もありそうに見える。
「細かいなぁ。お母さんかよ」
「こんな出来が悪ぃの産んだ覚えねぇわ」
「産める前提なんだ」
「揚げ足とってんじゃねーよ。起きろ」
「えー……オレもう疲れた」
「起きろってんだよ」
緩慢に身を起こすホークアイの腕を引いてベッドに座らせる。
「やーだ、乱暴ねぇ」
「馬鹿」
デュランはベッドの端に腰掛け、湿った長い髪を拭きにかかった。
「そのうち乾くのにね」
「この寒さで何言ってんだ。風邪引いても知らねえぞ」
「はぁい」
いい加減極まりない返事に、掴んだ髪を軽く引っ張ってやった。いてて、とこれまた気の抜けた声。
デュランもそう世話焼きな方ではないが、他人に世話を焼かせるのが上手いタイプというのはいるものだ。正しく、こういう奴。
「こうやって、多少時間かけてやりゃまあまあ早く乾くだろ」
「めんどくさーい」
「じゃあ何でこんなに長くしてんだよ」
「なんでだろ。なんとなく?」
「なら、切りゃいいだろ」
「んー、それでもいいんだけどさ」
なんとなく、そのままにしておきたいんだ。
どこか遠くを見ているような声に、郷愁めいたものを感じた。デュランは黙って作業を続ける。布で髪の毛を挟んでポンポンと叩いて水気を取る。絡んでいるところは櫛で解いてやって、丁寧に。
「ほんと、お母さんかよって」
柔らかい声音は喉を鳴らす猫のようだった。普段の警戒心の強さはどこへやったのか。プライドの高い猫を手懐けている満足感と、もやもやと形を成す衝動。ホークアイの肩を引いて、顔を上向かせる。
互い違いで、唇を触れ合わせた。
「……母ちゃんとこんなことすんのか、お前の里では」
「いたことないからわかんないけど、しないだろうね」
片目だけ細めた表情が、これで終わりかとけしかけてくるようだった。もう一度唇を合わせて、今度は少し吸い上げて離す。
「そういや、素面でするの、初めてじゃないか?」
「嫌ならやめる」
「嫌とは言ってないよ」
笑った彼の顎を取って、互いに口を開けたままキスをした。舌の表側同士がべったりと絡む。息を吸うために隙間ができるのも許さず、唇を全て覆うように深く噛み合わせる。鼻にかかった声も全部口の中に閉じ込めた。いつの間にかホークアイの背はベッドに着いて、その上にのしかかっていた。頬から耳の裏を撫でると、彼の指が掠めるようにデュランの手の甲をなぞる。
「、は、っ……」
ようやく唇を離して息を吐く。半開きになった彼の唇は、唾液に濡れて艶めいた。舌が伸びて、ペロリと唇の端を舐めとっていく。デュランは上下逆さまの顔を見下ろした。そう疲れてもいないつもりだったのに、頭がうまく働いていない。添えたままだった手にホークアイが頬を擦り寄せ、小さく尋ねる。
「……やっぱり、少し飲むか?」
「いや、今日はやめとく」
「じゃ、オレもいいや」
見上げてくる目に少し怯んだ。こちらの目の奥の奥、頭の中まで見透かすような目。疚しいところは何もないけれど、居心地は悪い。眉間に皺を寄せるデュランに、ホークアイは表情を緩める。
「今日は、眠れそう?」
「あ? そうだな……体も温まったし、雪の中歩いて消耗したし、寝れねぇってことはないと思う」
「ふーん……」
何だか今ひとつ腑に落ちないという顔で、じろじろと見られる。流石に気分が悪いと、短気の虫が騒ぎ出した。
「何なんだよ、さっきから」
「そうやってすぐ怒る。溜まってんのか?」
「うわ、急に触ってくんな! ……抜く気分でも無ぇよ」
「そっか……じゃあ、」
彼はすぐに先を続けず、勿体つけてきた。外された視線がついと流れてきて、ぞくりと肌が粟立つ。
「ヌくだけ、じゃなければどう?」
声色、表情。肌に纏わりつくようなそれは、多分色気だとかに分類されるもの。端的に言えば、誘われている。
「……どういう意味だよ」
単純なもので、腰の辺りがムズムズと落ち着かなくなってくる。ホークアイは片眉を上げて、小馬鹿にするように言った。
「わざわざ聞く? もうわかってるんじゃないか?」
「そうだとして。……急すぎんだろ」
「入念に準備するってことでもないよ。お互い男だし?」
「まぁ、そう……か?」
「保守的というか、真面目なとこあるよな。食う寝る出すの延長みたいなもんだろ。気がのればやりゃいいし、のらなきゃしない。で、今は?」
やたらにさくさくと話をされて、思わずそのまま頷きそうになった。生理的欲求の一部というのは確かだが、それだけではないだろう、普通。今までの二人の関係を、普通という言葉で丸めていいかは疑わしいけれど。
「やる気だっつったら、ホントにすんのかよ」
「オレから言い出したんだけど。もう忘れた?」
「一言余計なのはどうにかなりそうもねぇな」
「性分なのさ。じゃ、試しにってことで」
ホークアイはするりとデュランの下から抜け出して、向かい合わせに座った。顔にかかる髪をよけながら、反対の手をベッドについて体を寄せてくる。
「目は閉じるもんだぜ?」
「……いちいちうるせーよ」
ギリギリまで目を合わせてやって、瞼を下ろした。鼻が触れ合う距離で笑われた気配。唇が重なって、示し合わせたようなタイミングで舌が伸びてくる。口の中に引き入れると、ぬるぬると動き出した。上顎の窪みを尖らせた舌先で何度もくすぐられて、唇の僅かな隙間から息が漏れた。これ以上いいようにされるのは、気に食わない。ホークアイの肩を掴んで、また自分の下に押し倒した。
「あれ、やっぱりオレがこっち?」
「オレがそっちは無いだろ、見た目からして」
「や、人は見た目じゃわかんないって」
「あーもういいだろうが、譲れ」
「え〜」
まだ食い下がろうとする口を口で塞いで、厚手の寝巻の裾から手を入れた。手のひらがすぐに温かい肌に触れて、デュランは顔を顰めた。
「おい、下に何か着とけっつったろ」
「だって、暑かったんだもん」
「もん、じゃねえよ。寒い寒いって起きてくる癖に」
「今お母さんになられちゃうとなぁ、ムードってもんがないねぇ」
「んなもん、最初っからここにはねぇよ。どっかで拾ってこい」
寝衣を胸まで捲り上げると、褐色の肌が白いシーツに浮き立つ。引き締まった腹を撫でようとした手を押し止められた。
「なんだよ」
「やっぱ寒いから」
胡散臭い。無言で下衣を引き下ろそうとしたら、手首をがっちり掴まれた。
「だから、なんだよ」
「下だけ脱がすってのも、即物的すぎない?」
「……それでいいって言ったのは、お前だろ」
「それでも、もうちょっと何かあるでしょ」
デュランは鼻からふんと息を吐いて、手を引っ込めた。ここまでされれば、人の心の機微とやらに聡いとは言えなくても、気がつくこともある。
「やっぱやる気失せたってんならはっきり言えよ」
「そういうわけでもなくて、あー……何て言うかな」
視線をうろうろ彷徨わせるホークアイをじとりと見やる。
「やっぱやめたってわけじゃなくて、……こう、わーっとなったというか」
「……わかるように言え」
「ほら、今までは大体、まぁまぁ酔ってたから。飲んでもないのにこんな明るいとこで、暗きゃいいってもんでもないけど、……暗い方がマシか?」
「知らねーよ……全然わかんねぇ」
「だから、」
いつになくとっ散らかるホークアイが、勢いこんで何かを言おうとしたのに口籠もった。居た堪れないようで少し身動ぎをする。まだ乾ききっていない髪が、シーツをざらりと擦った。
「……だから、こうやって素面で改めて、押し倒されたりすんのが、……なんか、おかしいだろこれ」
覆い被さっていた体を起こして、デュランは首の後ろ辺りに手をやった。聞いているこっちも恥ずかしくなる言い訳は、まさか。
「……お前それ、照れ隠しか」
「言わないでものすごい恥ずかしい」
ホークアイは両腕で顔を隠して、妙な声で唸る。
「そもそも、何でこんなこと言い出したんだよ」
「それは、ほら。流れで?」
「何からの流れだよ」
「え、……もしかして自覚無し?」
自覚。全く思い当たらないことを言われて、デュランは目を瞬かせた。
「何を自覚しろって?」
ホークアイは盛大にため息をついた。心底呆れたと言わんばかりの態度に、少なからずムッとする。
「あのな、辛抱強きゃいいってもんでもないぞ。もう少し自分を顧みてやっても、バチは当たんないんじゃないかな」
何かを耐えているようなつもりもない。ただ、それぞれ部屋に引き上げる前、旅仲間の彼女が不安そうに何度もデュランを見ていたのを思い出した。コイツらがおかしいんじゃなくて、自分一人がおかしいということも、あり得そうな気がしてくる。
「……だから、わかんねぇって」
「はいはい」
腿をぺしぺし叩いて催促され、跨っていた彼の上から降りる。一体何が言いたいんだと思う間もなく、今度はデュランが押し倒された。
「おい、」
「いいからいいから。思い遣る甲斐もない奴だよ、ほんと」
「どういう意味だよ」
「やっぱこの位置の方がいいな。続きしようぜ」
「は? ……オレが下なんだったらヤんねぇぞ」
「大丈夫、のっかるだけだから。天井のシミでも数えてるうちに終わるって」
「それ、お前が言うセリフかよ」
結局、色気も何も無い。ホークアイがゆっくりと寝巻をたくし上げて頭から引き抜いた。顕になった腰に指を這わせると、胸がざわつく。
回転の鈍かった頭がもう考えるのをやめようとする。瞬間、今日見たものが過ぎって消えた。突っ立っていると凍えそうな雪原、不恰好な三体の魔兵器、水の精霊。そして、黒い鎧の騎士。
「なぁ、こっちはデュランが脱がせて」
腰に当てた手に手を重ねて、琥珀色の目が細まる。促されるままに、柔らかい布地に指をかけた。
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