りっつぁ
2020-09-20 21:42:46
4514文字
Public その他(男女)
 

あなたをうちおとす

某地平線の、「恋人を射ち堕とした日」リスペクトというかほぼまんまのホークリです。どっちか死にます。だれおま警報発令中です。

 戦況は芳しくない。
 マナを失った世界で、魔界の扉が開いた。新たな魔物が現れたかもしれないという噂から、世界中が混迷の渦に呑み込まれるまで、ほんの数ヶ月程だった。人に似た形をした、おぞましい肉の塊のような魔物が、これまで存在した魔物と決定的に違うのは、たった一点だけ。
 それに傷を負わされた者は、同じ魔物になってしまう。
 人里を離れた小さな村で、村人がほぼ全て魔物と化したのが始まりだった。人が減るとその分魔物が増える。生き残りは徐々に追い詰められ、数カ所を拠点として集まった。急峻な山々が自然の砦となるローラントも、逃げ果せた人々を受け入れていた。過去のしがらみだの因縁だのと言っていられる状況では最早なく、海を渡ってきた他国の民も匿い、戦える者達は武器を取った。生きている、理性を持った人間であるということが、信頼できる唯一のよすがだった。

 リースは焦っていた。城の地下に、忙しない足音が反響する。
 十日程前の戦いから、生きた心地のしない日々が続いている。
 その日は、特に不調があったというわけでもなかった。しかし、ふとした瞬間下手をうって魔物に囲まれてしまった。太い腕らしきものが振り上げられ、歪な刃にも見える爪が光る。避けきれないと思った瞬間、割って入ってきた彼に庇われた。ナバールから数名と共に身を寄せている、ホークアイだった。
 このとき、確かに嗅ぎ取った。錆びた鉄のような、その臭いを。
 彼が、傷を負わされてしまった。あの不格好な爪が、彼を傷つけた。自分の不手際でだ。そう思うと、体が千々に切り裂かれるようだった。魔物に傷をつけられた者は、殺さなければならない。誰が言い出したわけでもない、しかしこの上なく明瞭な、鉄の掟だった。傷ついた者は地下に隔離され、魔物と化してしまうその寸前まで生かされ、殺される。今隔離されているのは、一人だけ。
 ホークアイは顔を合わせる度おかしくなっていく。最初の異変は、あまり眠らず食事も取らなくなったことだった。疲労の感覚がわからなくなったと彼は言った。次に、見た目がおかしくなりはじめる。肌の内側で血管が切れたようなアザがそこかしこにでき、顔から何から斑らの模様になっていく。金色の目ばかりがギョロリと目立った。言動がおかしくなっていくのはこれから。人を喰らいたい衝動が人間らしい感情と鬩ぎ合い、少しずつ気が狂っていく。
 そんなことになるのは我慢ならないと、リースは唇を噛んだ。彼が理性を失い魔物となり果てていくなんて、自分のこともわからなくなるなんて、耐えられない。
 リースは彼を好いていた。国を亡くし絶望の中旅だった十六の頃から、ずっと。思い過ごしではなく、彼もリースを好いてくれている。互いの立場からはっきりと口にしたことはないが、それでも。
 左手の中指に嵌った指輪を撫でる。旅の終わりが見えた頃、彼にもらったもの。目に見える証がほしいと、今まで見たこともないほど緊張した面持ちで言う彼に、リースも釣られて身を硬くした。僅かに震える手がリースの左手を掬い上げて、薬指に嵌められた輪がどこにも引っかからずするりと指の付け根に達してしまったときの雰囲気は、どう表現していいのかわからない。互いに大笑いして、彼はいつかちゃんと合うものを贈ると笑いを堪えながら言い、その指輪を中指に嵌めた。その約束はどうやら叶えられそうもなく、少女の日の淡い思い出は現実を前に色褪せていく。
 ホークアイは昨日、今ここにいるという感覚がわからない、どこか遠くから自分を見ているようだと言った。口数少なく茫漠とした表情が、彼の人としての意識が薄れていることを思わせ、いよいよ猶予が無いとリースは戦慄した。まだ彼が人であるうちに、終わりにしなければ。手を下すのは自分でなければならない。彼の最期を誰かに譲る気なんてさらさら無い。その決意は揺るぎないものだったが、泣き崩れるのを必死でこらえる自分と表裏一体だった。
 廊下の奥の一番広い部屋に、彼はいるはずだった。しかし何も無い部屋にその姿は見当たらず、リースは中ほどまで足を踏み入れた。燭台の明かりが頼りなく揺れる。
「リース」
 背後からの声に、リースは反射的に振り返った。戸口にはホークアイが立っていて、その手にはランプの灯が揺れている。いつの間に。今この地下に他の者はいないから、部屋を出ていても問題は無い。動揺を抑えるように手を握り込む。
……ホークアイ、私、もう限界なんです」
 リースの言葉に、ホークアイが僅かに目を瞠った。
「もう、耐えられない。……少し早いかもしれないけれど、今日で終わりにしましょう」
 声が揺れ、目の奥がツンと痛む。泣くなと自分に言い聞かせ、リースは背に負った槍を静かに構えた。ホークアイも、腰に佩いた短剣を抜く。それでいい。一方的に殺さなければならないなんて、辛すぎる。まだ魔物になりきっていない人間に傷をつけられた場合どうなるかわからないが、短剣でも爪でも歯でも、触れさせなければいいだけだ。
 リースは強く踏み込み、鋭い突きを繰り出す。心臓を狙った一撃はいなされ、彼は大きく軸をずらして飛びすさった。得物の長さを生かした薙ぎ払いも、軽く一歩下がるだけでかわされる。彼を捉えるのは容易ではない。
 この一撃で命を取れるという威力をのせた突きを何度も見舞いながら、頭の片隅で彼の動きを観察する。動きが大きく見えるのは、長い髪が靡くのと撓う手足の関節が柔らかいから。実際の動きは最小限で、その速さについていけない。とすると、賭けにはなるが先読みをするしかない。
「はッ!」
 気勢鋭く放った横薙ぎの一振りを避けるのにホークアイは高く跳んだ。リースの頭上を越し、猫のように後ろに着地する。背後に壁が迫ったのを嫌ったようだ。リースは彼に体勢を立て直す隙を与えず、続けて突きを放つ。避ける先に槍の穂先が待ち構えているように、何度も。
「っ!」
(当たった!)
 槍が彼の腕を掠めた。そう深い傷ではなさそうだが、血が滲み出して服を黒く濡らしていく。
 リースは尚も攻撃の手を緩めない。こうしていないと涙に溺れてしまいそうだった。しかし、認めたくはないが少しだけ、彼とこうして刃を交えられることに沸き立つ心もあった。戦士の血がそうさせるのだろうか。
 裂帛の気合いと共に打ち出した一突きをどうにか弾いたホークアイと、目が合う。その目に浮かぶのは、困惑の色。魔物になりかけの人間は好戦的になることが多いのに。
「リース、本当に、……本当に、こうするしかないのか?」
 踏み込んだ足が、槍を横に薙ぎ払おうとした腕が、止まる。ホークアイの顔が、苦渋を堪えるように歪んだ。
 自分の腕を見下ろした。揺れる蝋燭の光に照らされて、ゆらゆらと斑らになっているように見える。
 いや、“見える”のではない。濃淡入りまじる紫のアザの合間に、残った白い肌が線を作った。

 まただ。やっと、思い出した。

……ええ。今こうするしか、ないんです」
 だんだんと思考が人間離れしていくのも、肌が醜く染まっていくのも、自分の身に起こったことだ。この二、三日は意識が清明な時間すら短くなっている。
「今?」
「今、です。もうこれ以上、私が私でなくなっていくのは、嫌」
 彼の目が眇められる。腕から流れる血はまだ止まっていないのか、服の染みは広がっていた。鉄錆の臭いを心地いいとすら感じた。
 皮膚の下を何かが蠢く。体の内側から二目と見られぬ魔物に変わっていき、人の皮を食い破って出てこようとしているように思った。
「だから、だからお願い、」
 我武者羅に突き、薙ぎ払い、振り下ろした。狙いなどどこにも定められない。でも、体は止まってくれない。
 この槍もかなぐり捨てて、貴方に喰らいついてしまう前に、どうか。
 もう少女ではない。彼への恋心だけで幸せでいられた時は過ぎ去ってしまった。今は、たった一度だけ与えられた肌の温もりに、破瓜の痛みに縋って生きてきた、浅ましい女。
 それでも、死ぬ一秒前まで、彼を愛したただの女でいたかった。

「私を、殺して」

 愛している愛している愛している
 結局、一度も言えなかった。




 銀の投げ矢は、過たず彼女の心臓を貫いた。
 女神の名を冠する程の戦士となった彼女の末路が、これか。仰向けに倒れ、もう動かないリースをホークアイはただ見下ろした。涙も出てこない。斬り付けられた傷がじんじんと痛み出す。血止めをしなければと当たり前に頭に浮かぶのが、ひどく場違いなように思えた。
「あなたは、やるべきことをこなしてくださいました。それだけです」
 澄んだ声が淡々と告げる。振り返ることもしなかった。かつての仲間で、今は聖女と呼ばれるシャルロットは、ゆっくりとホークアイの横を通り過ぎ、リースの側に膝をついた。たっぷりとした巻き毛が、暗い地下室でも光を照り返す。
 シャルロットはそっと手を伸ばし、何も映さなくなった濁った瞳の目蓋を下させた。手を組み、祈りを捧げる。
「今までよく頑張ってくださいました。女神の御許
で、安らかな眠りを。……っ」
 聖句を紡ごうとした唇が大きくわななき、彼女は叫んだ。喉も裂けよとばかりの慟哭が、地下の湿気った空気を震わせる。遺体にしがみつき、彼女は泣き喚いた。
「どうして、っ……どうしてこんなことに、……何をしたっていうの、この人が、何をしたっていうの!」
 悲痛な叫びにこちらの心まで痛むようだったが、それだけだ。半透明な膜を一枚隔てているように、現実味がない。罪もない彼女を手にかけた。それどころか、あのとき助けに入るのが後ほんの少し早ければ、こんなことにならなかったかもしれないのに。咎は自分にあり、胸の真ん中に風穴を開けられたような空虚が体を冷やしていく。
……ホークアイさん、これ」
 少し落ち着いたシャルロットが、小さな輪を手のひらにのせて差し出した。リースの左手から外された指輪。指先で拾い上げて、強く握った。
「代わりにこれを、つけてやってくれるか」
 服の中から取り出したそれを、シャルロットは黙って受け取った。先ほどよりも少しだけ小さな輪は、リースの薬指にぴたりと嵌るはずだった。
……バカですね、あなたたちは。ホントに、……バカです……っ」
 リースの左手を握って嗚咽しだしたシャルロットを残して、地上への階段に向かう。
 最近はこの辺りに魔物が姿を現すことも多くなり、警戒が怠れない。寝ずの番をしている奴らと交代してやらないといけない。今夜はどうやったって、眠れそうにないから。
 地上に出て、城壁に設えられた見張り台を目指す。
 仲間たちには散々止められた。お前が手を下す必要はないのだと。それを押し切ってこの役目を負ったのは何故だったのか、今はもうわからない。
 ただ、生き延びなければならない。最後の一人になっても。そんなことが弔いになるとは思わないけれど。
 城の窓から覗く空は、星すら姿を見せない闇夜だった。