どうかあの日の手のままで

MHRウ教×マイハン♀(リラ)。両片想い。

命を狩る者、一線を越えてはならないハンターという生業であるからこそ考える『手の色』のこと。

ハンターとは命を奪って成り立つ生業でもある。

全ての命に血は流れ、全ての命は彩りを放つ。それに染まった手は、どんなに洗っても元に戻らない。全てを覚悟して染めるもの。

人の血の色は、赤だ。
鮮烈な、あらゆる景色も染め上げる赤。赤は目を惹き、赤を見た本能は警鐘を鳴らす。

だがハンターとは経験を積めば積むほど、赤を見ることに慣れてしまう。
『人』の『赤』には決して手を染めてはならないのに、赤に対して恐れが失せてしまう。

そんな同業者を、カムラの里の英雄『猛き炎』と呼ばれし娘、リラは、生まれて初めて見てしまった。
自分の邪魔になると判断した人間をも狩ろうとした者を、見てしまった。

その者は既にギルドに逮捕されたが、彼女の中に大きな衝撃を残した。

失う悲痛を知る彼女は、そんなことを考えもしなかった。
まさかハンターたちの中に、人の命を狩ることさえ躊躇わぬ者がいるとは。
そして、不意に不安になった。

ハンターとは誰より『命』を知る者であれとは、彼女の親と、そして師の教え。

人を狩る理由は、彼女が見た者のように身勝手なものもあれば、性質の異なるものもある。
尊厳を保つため、身を守るため、失われた命の持ち主を愛するが故の復讐のためと、様々だ。

リラの脳裏に、教えを授けてくれた密かに想いを寄せる師の、ウツシの姿が鮮やかに浮かび上がる。

彼の手の色が人の赤に染まっていることなど、彼に限って有り得ないと確信しているのに。
けれど、胸のざわめきは鎮まらない。
自分の父が、悪徳に手を染めていたことも連なるように思い出され、心が痛む。

恐れにも似た不安と苦悩はたちまち彼女を包み込み、安眠を奪い去った。

いつも自分を見守り、支えてくれるウツシを深く想っているからこそ、不安の芽は瞬く間に巨木へと成長する。

冷淡な夜風が吹き抜け、雲の流れが早まり、月明かりが明滅している。

リラはカムラの里で最も高所、たたら場屋根上に座っていた。
夕陽を閉じ込めたような鮮やかな瞳には、憂いにも似た思考の影が揺れている。

その傍らに翔蟲で軽やかに駆け寄る人影は、彼女の思考の影の元凶。

「愛弟子、こんなところにいたのかい!? 今日は冷える、風邪をひくよ!」

普段通りに溌剌はつらつと、だが純粋に案じている様子でやって来たウツシが、リラの隣に立つ。

ゆらりと彼を見上げた彼女の瞳は、迷いと苦悩の曇天のままで。
けれど月下でずっと巡らせ続けていた思考を問いに変え、そのまま彼へ解き放つ。

「ね、ウツシ教官」
「うん? 何だい?」
「変なことを、聞いてもいいですか」
「変なこと?」
……怒らないでほしいです」
「ははは、心配しないで。それで何だい?」
「教官は」

呼びながら、リラはほんの一瞬眉を顰める。一時的に月明かりが滅した夜闇の中で、彼女の瞳は鈍く輝き、ウツシを射抜く。

……人を、手にかけたことはありますか?」

リラの声は低く、そして力強かった。

予想外の彼女の問いに、ウツシはほんの一瞬、金色こんじきの満月の瞳を見開く。

ひやりとした夜風が、師弟の間を吹き抜けた。

花の散った桜木が揺れ、また雲が夜空を流れていくも、月は隠れたまま。

……とても、珍しい質問だね」

動じることなく、ウツシは静かにリラの隣に腰掛けて、月の隠れた夜空を見上げた。

彼の金色の双眸は月明かりがなくとも煌めいていて、その澄み渡った無垢の光からリラは不意に目を逸らした。

……変なことを聞いて、ごめんなさい」
「いや、良いんだよ。俺に遠慮は不要さ。むしろ、そういうことを悩んだままにしてほしくないなあ」

変わらず穏やかな様子で空を見上げたまま告げたウツシが、ゆっくりとリラの方を向く。

受けた質問そのものへの印象よりも、彼女が苦悩していることを案じている、とても静穏な眼差しだった。

彼の想いを感じたリラは、意を決したように彼の方に顔を向け、視線を絡め合わせる。

月光のない暗がりであっても、互いの瞳は鏡のように互いだけを映し、そこに偽りが入り込む余地はない。

しばらくウツシは娘を見つめ、脳裏で言葉を選び、沈黙していたが、やがて言葉を選び終えたらしい。眉を下げ、目元を綻ばせた。

……教官?」

帷子かたびらに覆い隠したウツシの口元もきっと笑っているであろうと察知した娘が、思わず疑問形で彼を呼ぶ。

すると、ゆらりとウツシの腕がリラの方に伸びて、彼女の頭を優しく撫で始めた。

何度も、何度も。
繰り返し、彼の大きく硬い強者ツワモノの手は、彼女の頭を愛おしむように撫でていく。
目元さえ愛しげに細めて何度も、何度も。

「ウツシ教官……?」

壊れ物を愛でるように優しく、温かな感触に、リラがまた名を呼ぶことで問いかける。

ウツシは彼女の疑問も苦悩も憂いさえも、全てを包み込むように、満面の、どこか幸せそうな笑顔を輝かせた。

「これが答えだよ、愛弟子」

ふわりと優しく抜けていく中にも凛とした声音でウツシが告げた時、また風が吹いて、夜空の雲がゆったりと流れた。

月が再び姿を現し、人の心を見守り包むような、柔らかな月白げっぱくの光が里に満ちる。

月明かりに溶け込むように穏やかに微笑むウツシは、リラの頭を撫でる手をまだ止めない。

撫でられれば撫でられるほど彼の想いが伝わってくるようで、次第に温かく満たされた彼女も微笑んだ。
確信を得て心から安堵したような笑みはウツシの笑顔と重なり合い、次第に申し訳なさそうに眉が下がり始める。

……ごめん、なさい……!」

先程とは意味の異なるリラからの謝罪の言葉に、ウツシは無言で首を横に振った。
彼女の頭を撫でていた手を止めると、その手で今度は彼女の片手を包み込むように握る。

武器を握り、人々のために狩り続けてきた逞しくも柔らかく、白い手。
ウツシにとってはあまりにも小さな、英雄の手。

やがてその英雄の手はウツシの武芸百般の大きな手の中で蠢き、二人は指を絡め合うように手を握り合う形になった。

その姿勢のままで、リラがまた夜空を見上げ、言葉と想いだけを隣に座る最愛の師へ向ける。

「もう少しだけ……このままでも良いですか?」

その問いに、ウツシは肯定の意を込めて小さく微笑んだ。
夜風はいつの間にか潜み、雲は動きを止めている。

射し込み続ける月光は、眠れる里を眺める師弟を静かに見守り続け、互いの瞳は穢れなき澄明な光を放ち続ける。

リラの手を包む自身の手に微かに力を込めながら、ウツシは彼女の横顔を見つめて「もちろん」としっかり頷き、またゆっくりと空を見上げた。

二人の胸に、同じ静けさと安らぎが満ちる。

繋いだ手は温かく、月明かりも驚くほど清らかに想いを宿して繋がっていた。

ウツシが静かに目を閉じる。
胸の中に、言葉が満ちていく。

それは彼が生涯、違えることはないであろう誓いにも似た、現状の真実。

そしてその誓いは、彼の愛弟子への想いの証。

(我が愛弟子よ、幼き頃から知るキミよ。この手が、人の赤に汚れたことがあるのなら……俺はこうして、キミに触れることはないだろう)

あえて言葉にしなかったその想いは、真っ直ぐリラを見つめ、月光が揺らめく双眸の中に溶けていった。


@acadine