望月 鏡翠
2024-03-27 00:37:22
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16、暗雲低迷

ブツメツフツマ/平均

 たとえ一瞬でも、自分の家族が市内にいてくれて良かったと思ったことを後悔した。全然良くない。全く一欠片も。
 情報が回ってきた瞬間に、心臓がぎゅっとして血の気が引いた。同時に家族が当事者になるまでは、どこか他人事として考えていたことを自覚して、不安と同時に胸に嫌なものが溜まっていった。
 まだ信じられない。学園を主導している人たちが正式に発表した情報ではない。何かの間違いかも知れない。
 電話を掛けようとして、何度も操作を間違えた。少し前にかけた番号に掛け直すだけなのに。
 繋がらない電話の呼び出し音を聞いていると、頭がおかしくなりそうだった。
 もうなっているのかもしれない。
 頭の中で血の流れる音がごうごうとやかましい。
 ともかく、一声だけでも聞くことができればいい。忙しいからと切られてもいい。
 街から人が消えたという方が、誤報かもしれないじゃないか。
 何事もなく電話が繋がり、何度も電話をかけてくる息子に少し困ったような声色で話しかけてくる。やっぱりあんた早くこっちに帰ってきた方がいいんじゃないなんて言われて、恥ずかしくなって電話を切る。
 そうであって欲しかった。
 だが電話は不通のまま。留守番電話サービスにも繋がらなかった。
 嘘だ。必死に否定する。たまたま充電が切れたのかも。携帯の料金を払い忘れたとか。うっかり落として壊れたとか。ともかく、何かの間違いだ。
「大丈夫か?」
 肩に手が触れて我に返った。
 体感時間では一瞬だったが、五分ほど繋がらない電話を見つめてじっとしていたらしい。
 大丈夫だ。大丈夫でないと、この先動けない。懸念があるなら寮で待機なんて言われたら、学校の外に出られない。
 本当は今すぐに確かめに行きたい。
 誰もいない街に本当に誰もいないことをこの目で見て、家を確認しなければ信じられない。いや、きっと見ても否定するだろう。繋がらない電話の存在を拒否して、あり得ない偶然の可能性を考えたように、空っぽの電話を否定して家中探し回るに違いない。
 信じたくない。そんな現実は、見たくないのだ。
 日月はどうしていただろう。どうやって気持ちを落ち着けたのだろう。
 今は何もわからないから考えても仕方がない。
 そうだ。
 きっと報告が来る。誰かが教えてくれるはずだ。
 ブライの連絡網が宛てにならずとも、きっとブカツ道かエリー党か、今度はヤサ愚連あたりの人が、何かを教えてくれるはずだ。
「今は……、待つしかない。でしょ?」
 心にも思っていないことを言った。
 報告を聞いたところで、きっと平は外で暮らしていた一般人がどうなったのか、ひいては家族がどうなったのか、自分の目で確かめなければ気が済まない。
 霊能者の家はまだいい。きっと七億不思議に襲われても、各々対処の仕方を知っているはずだろうから。それに見える側だから、少なくとも危機を危機と認識できる。
 だが、一般人はどうなる。特に市外から来た何も知らない一般人は、最初の犠牲者になってしまうんじゃないか。それは引っ越してきた平の家族のような人だ。
 手が震えていることに気づかれないように、自分の手を握りしめて机の下に隠した。
「今日は特訓は?」
 無理やり笑顔を作って、話を別に逸らす。そうでないと不安な気持ちのままに、余計なことを口にしそうだった。
……や、しばらくはやめとこ。何か学園から発表があるかもしれないし」
 そこで日月は窓の外を見る。昼間なのに暗いままだ。卒業式の日から、雨が降っている。
 憂鬱な気持ちを更に暗くする天気にうんざりする。
 部屋にじっとしているよりは、何かすることがあった方がましなのに、運が悪いことに春休みに入っていて授業すらもない。
 ただ日月本人がやらないと言っているし、いざというときに戦えない状態では意味がないという主張はもっともだ。七億不思議の出現が確認されたら、次にいつ休めるのかわからない状態になるだろう。
 代わりにカラーボールや雨具の準備をする。
 傘を差していては走りにくいから、売店でカッパを買った。街が暗いから懐中電灯も買っておいた。邪魔にならない小型のものをベルトにぶら下げる。
 しばらくして、学園から通達があった。
 待ち望んだ報告に平は前のめりだったが、それは思ったような内容ではなかった。
 今までは、初めて見る敵なりに正体がわかっていた。何を倒せという指示を受け取っていた。
 だが今回は、全くの不明のままだった。
 そもそも何が起こっているのかを、手分けして調べて欲しいというのが、学園からの連絡だった。初めての事態と規模に、調査も思うように進んでいないのだろう。
 人はいないが七億不思議に関しては、消失を確認されていない。むしろ活発に動く傾向が確認されている。調査に向かう際は交戦の準備を整えて十分に注意すること、と添えられていた。
 見通しが立つどころかさらなる暗中に投げ込まれたような気持ちだったが、ともかく、やることができた。
 目の前のことに集中すれば、悪いことばかり考えずに済む。
「すぐ出るか?」
「もちろん!」
 街の人の行方がわかったら、家族の無事もわかる。
 気合いは十分だった。
 校舎から外に出ると買ったばかりの雨合羽で、水滴が弾ける。雨粒の細かい音と振動に包まれた。
 春先とはいえ、天気が悪いと気温がグッと下がり、湿度の高さも相待って息が白かった。外にしばらくいると、体が冷えてくる。
 学校の敷地内は一応平和だ。続く雨で部活に励んでいる人もいないから、余計に静かに感じられる。
 平と日月は、校門から外に出た。
 人が消えたという余計な事前情報があるからだろうか。曇り空の薄暗い街は、余計に不気味に感じられる。だが何かの気配があるようにも感じられる。
 錯覚か。それとも、本当に蠢く七億不思議がいるのだろうか。
 雨具のフードを被っていると、視界が遮られる。雨で足元も悪く、条件がいいとは言い難い。
 平は気を引き締めろと自分に言い聞かせる。
「雨が降ってるのって、大丈夫?」
「よくはない。けどまあ、問題にはならないよ」
 日月は悪天候にも慣れている。祓いのためにというよりも野球の練習をしている中で克服しているのだろう。
「で、でも投げにくいは投げにくい、よね」
「まあ、そうだな」
 日月が不思議そうに首を傾げる。
 部屋にいるときに、祓いのやり方や立ち回りを相談することはある。特訓のときに打ち合わせもする。
 だが現場に出てからは平は、日月のやり方に委ねている。ドッ祓いをするのが彼だからだ。相罠はあくまで囮であり、サポートの立場に留まる。
 その自覚がある平が現場に出たあと、そんなふうに口を挟むのは珍しかった。
「なら俺、誘導するよ」
 今まで、条件が悪い雨が降っている日に、強いて祓いに出ることはなかった。
 大規模な七億不思議の発生があるときは、校舎の中だった。
 雨具を着ていても完全ではない。日月は移動しながらカラーボールを持ち替えて、握り心地を確かめていた。素材が違うから硬球と感覚が違うらしい。
 雨は続いているし、今回の状況もいつまで続くかわからない。
 消耗を減らし相罠としての役目を果たすために、少しでもなにかしたかったのだ。相棒は着実に成長している。この危機的状況で、平も何かをしたかった。
 そんな内心が伝わっているはずもない。
 それでも同意してくれたのは、別の理由からだろう。
「うし、なら頼むな。誘導場所も探しながら進もう」
 市内全域というのは当て所なく彷徨うには広すぎる。ひとまずは、出られないという市の境目を目指すことにした。
 自分の家を確認しに行きたいとは、言い出せないままだった。人のいない家の一つ一つが、誰かの生活があった場所だ。
 今はどこも、電気がついていない。
 取り込むのを忘れた洗濯物は干したままで、水を滴らせている。
 ばちゃと、水たまりにそれなりの重さのものを落とす音がした。
 二人は顔を見合わせた。気のせいではない。
 人を見つけたと喜んで走り出すほど素人ではない。相罠になって日は浅いが、立て続く事件のせいで場数だけは踏んでいる。七億不思議が引き起こす事象も、少しは読めるようになってきた。
 こういうときに出てくるものは、大抵が碌でもない。
 街から人が消えたせいで、今まで微弱な生気を吸って満足していた七億不思議も人を狩りに彷徨い出るようになっている。
 取り残された一般人がいたとして、無事で済むはずがない。
 それに誰かに助けを求めようとするはずだ。この辺りで唯一明かりが煌々と付いているのは逢禍学園である。少なくともこんなに学校に近い場所で、生徒に連絡が来る前の事前調査で漏れた人間がいたなんて考えられない。
 だから不気味な街に蠢くのは、人ではない。
 隠れる場所を探す。学校と違って誰かの家だから、少し抵抗がある。だがそんなことも言っていられない。二人は咄嗟に近くの門扉の内側に隠れた。
 気づかれたかどうか、ギリギリのタイミングでそれは現れた。
 まず、電信柱の向こうに手が見える。服を纏っていない抜き身の手と腕だ。
 人ならばそろそろ肘の関節でてくる長さまできても、まだ腕には先があった。皮膚はカサカサに乾いて、雨に打たれてもなおミイラのような質感に見える。いくつか傷がついていて、それは塞がっていなかったが、血が出た形跡はなかった。
 そのことが、とっくに命が失われた体であることを想像させた。
 何かを求めるように雨の中に伸ばした手は、何も掴むものはなくそのまま地面に落ちた。そして指先に力を込めて地面を掴むようにすると、体を引き出す。
 ずるりと濡れた地面を這いずる音がした。
 コンクリートの細い柱の影には隠れられるはずのない体積が、ぬるりと這い出てきた。
 爬虫類のように、体の横から飛び出た手足で胴体を波打たせるようにして歩く。
 その手は一対ではなかった。虫のようになっている。
 雨を楽しむ子供のように、水たまりのひとつひとつに手を突っ込み、体を跳ね上げながら出てくる。
 細長い胴体の先端に人らしき丸い頭部が付いているのを見たとき、平は手を合わせてそれがこの街の住民のなれ果てなどではありませんようにと願った。
「でかいな」
 声を顰めて日月が呟く。
 学校とは勝手が違うが、祓いに使えそうな場所を見繕う。
 二人はその家にあった駐車場を借りることにした。ある程度の広さがあって動きやすい。広い入り口は一つだが、家の方に逃げればあの大きい七億不思議は入ってくることができないだろう。何かがあったら、家の中を経由して逃げることができる。
「じゃ、誘導頼むな」
 日月はカラーボールを用意し、雨具を脱いだ。
 ここならば、雨を気にせずに投げることができる。動きを邪魔する雨具は不要だった。
「うん。行ってくる」
 外に出る平は雨合羽を被り直し、シャッターを開いた入り口から外を見た。
 七億不思議はまだそこにいた。無人の街の新しい支配者であるが如く、地面をのたうちまわっている。
 日月との位置関係を確認する。
 一番攻撃の効果がありそうなのは頭部だが、正面からだと的が小さくて当たりにくい。しかも蛇行するように動くから、移動中は常に動き回っていることになる。まずは効果の確認で、車庫の入り口を跨ぐように移動させて胴体を攻撃してみるべきだろうか。
 車庫の中の日月には、なるべく気づかないでいてくれた方がいい。
 道路に出た平に、七億不思議は気づいていないようだった。試しに手を振ってみるが反応はない。
 言葉が通じるかどうかわからない相手に、おいなんて声をかけるのは少しだけおかしい気がするけれど、平は声をかけた。
「おい」
 人の頭をした部分が、声をした方に向けられた。鼻らしき穴と黒々とした小さな目がついている。笑ったように見えた。実際は口を開いただけで、それが横に大きく裂けているから、そう見えるのだ。
 剥き出しにした口の中は、先が尖った乱杭歯だ。
 相対すると気味の悪さが際立つ。動かないようにも見えたし、今すぐにでも飛びかかってきそうにも見える。相手をじっと見つめていても、何もわからないというのが正直なところだった。
 じりと後ずさる。
 追いかけてきて、もしすぐに追いつかれそうな速度なら手に追えないと判断して、狭い場所に逃げこんで日月と共に退避する。そうでなければ、攻撃しやすい場所まで走って誘導する。
 七億不思議は歯を剥き出したが、それ以上動かなかった。
 あんな気味が悪い外見をしていて、実は無害なんてことあり得るだろうか。
 日月の方にちらりと目をやる。車庫の中から平の方を見ていた日月は、大丈夫だと言いたげに頷いた。
 もう少しだけ、踏み込んでみる。
「あの」
 やはり反応はない。警戒しながら更に少し出てみる。
 すると、七億不思議は身を翻した。
「あっ」
 見失ってしまう。まさか人を見たら逃げるような性質だったのだろうか。これでは誘導できない。囮の役目失格だ。
 平は慌てて追いかけた。
 道を曲がり、走る。
 逃げる七億不思議の足は早くない。これならば、身を翻して追いかけてきても、日月の場所まで十分に逃げ切ることができる。
 もう一度、角を曲がった。
「あれ?」
 目の前にいた七奥不思議の姿が、かき消えていた。
 あの巨体を見逃すはずがない。どこかに隠れたりはしない大きさだ。
 だが、消えている。
 住宅街の真ん中に立ち尽くし、平は雨に打たれながら途方に暮れた。
 物理現象が当てはまらない相手なのだから、突然消えるということもあるのかもしれない。
 スマホを取り出したが、画面が雨で濡れて操作しにくいので、一度ポケットにしまった。雨宿りできる場所を探さなければ連絡も取りにくい。
 七不思議を見失ってしまったのなら、一度戻った方がいいかもしれない。
 戻って日月と合流し、それからどうするか相談だ。
 無視して進むのか、それとも確実に仕留めてからいくのか。
 なんと言って報告すればいいのだろう。
 「ごめん見失っちゃいました」っていうんだろうか。
 できない。
 戦えもしないし、囮としても役に立たないなんて、言えない。
 もう少しだけ探してからでも、遅くはないはずだ。見つかったら、誘導してそれで済む。見つからなかったそのときは、覚悟を決めてごめんなさいと言おう。
 七億不思議がいたはずの場所を探してみる。十字路を曲がり、もう少し先へ。
 声が届けば助けに来てもらうことができる。だから大丈夫だ。
 場数を踏んで、経験を積んだ。
 初心者の頃とは違う。
 それでも平は、獣の本能を知らない。
 霊能者と七奥不思議が繰り広げてきた、狩り狩られる歴史を知らない。
 経験を積んだはずの霊能者が、どうして命を落とすのかを知らない。
 だから、ごくごく単純に物事を考えていた。狩る気がないものは襲ってこない。恐れたものは逃げる。
 人は相罠を使う。より楽に狩りやすくするために、獲物を誘い込むという知恵を使う。
 七億不思議も同じ知恵を持っているという発想はない。
 平は、忘れていた。
 あの七億不思議がどのようにして現れたのか。電信柱の影から、そんな細い場所に隠れるはずのない巨体を引き摺り出した。
 そのことを思い出したとき、背後で水の跳ねる音がした。
 ばちゃばちゃと楽しそうに水を跳ねさせる何対もの手の音。
 肩を掴む。腕を掴む。胴体を掴む。
 人では手の数が足りない。それは相棒のものではあり得ない。
 首筋に、生臭い息がかかる。
 後ろにいるものを見なければいけない。見たくない。見たら、その瞬間がわかってしまう。
 それでも、振り向かずにはいられなかった。
 唇のない、頭部に切れ目を入れただけの頭に乱杭歯が生えている。
 身を捩る。だが体は持ち上げられて足は地面から離れており、どこにも逃げられなかった。
 手探りでホイッスルを探す。それを鳴らせば誰かが気づいてくれるはずだ。だが首筋を弄っても、雨合羽のビニールの感触があるだけだ。濡れたら音が鳴りにくくなると思って、内側にしまっていたことを思い出す。どうしてそんな愚かなことをしてえしまったのだろう。
 後悔しても、もう遅い。
 歯が、食い込んだ。
 薄いビニール。制服。そして皮膚。いとも容易く裂けていく。
 鋭い切先が骨に届いた。それは歯が硬質なものを擦って感触が、内側の中からしたことで、理解できた。
 感じたことのない痛み。
 うるさい。
 頭が割れそうだと思った声は、自分の喉から漏れている。
 それは、命の危機を感じた体が上げる叫び声だった。
 無人の住宅街に、絶叫がこだます。
 それは日月の耳にも届いた。
 体の底から搾り出すような声は、普段の声色とか違いすぎて相棒のものかどうかは判断できなかった。だが何かがあったのだということはわかった。
 走る。声がした方へ。
 どこにいったのかすぐにはわからなかった。住宅街をがむしゃらに走る。
 居場所は泣いているとも呻き声ともつかない悲鳴が教えてくれた。
 それの巨体はすぐに見つかった。
 虫のような何対もの腕。丸い頭。
 その先端に、真っ赤なものが力無くぶら下がっている。ビニールの内側を血が流れ落ちる。
 考えるよりも先に、投げていた。カラーボールではなく決め球。
 ぶつかった七億不思議が、飛び退く。
 その口から平の体が離れて、水たまりに落ちた。
 七億不思議は、まだそこに存在している。祓えていない。
 だが身を翻すと、無数の手を蠢かせて驚くほどの速さで走り去った。
 到底、人に追いつける速さではなかった。
「ヘーキン!」
 返事はない。水たまりが、どんどんと赤く染まっていき、日月の靴先まで届いて赤く染みを作った。