望月 鏡翠
2024-03-25 23:49:06
2777文字
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15、桜咲く前の季節

ブツメツフツマ/平均

 一日に、二球か三球だけの投球練習。
 もどかしいほどに遅々としか特訓は進まなかったが、日月は投げ出すことなく一歩ずつ進んでいた。
 勉強ノートの他に、ドッ祓いの特訓ノートがあり学校の授業以上にしっかりと書き込んである。表紙に「特訓」としか書いていないのは、まだ情報が秘匿されていたときの名残なのだろう。
 投球しているときよりも、部屋に戻ってきてからの方が長い。
 ノートを開き、昨日の内容に修正を加える。何度もペンを置き、投げるときの感覚を思い出すように、指を投球の形に変えて首を捻っている。
 きっと野球部に所属していたときから、そうして学んできたのだろう。
 研究者のように分析し、まとめ方は整然として手慣れていた。
 その背中を見ているときの気持ちは、羨望に近い。今まで一番頑張ったのは、たぶん受験勉強だ。だができる範囲のことしかやっていない。もっとがむしゃらに頑張っていた人はたくさんいたし、そういう人はもっと偏差値の高い高校に入った。
 青春をかけたと胸を張るほど部活に打ち込んだわけでもない。そこまで本気出してやってももっとできる人がいる。疲れるのは嫌だから、このくらいでいいんじゃないかというところで辞めていた。
 きっと平には努力をする才能がない。
 日月がこつこつとストイックに己の磨いている間、平にできることはない。
 邪魔にならないように大人しくして、自分の課題を進める。勉強で手伝えることがあればと、課題と授業のノートをまとめ直す。
 霊能者の持つ感覚は、霊能者にしかわからない。教師も身のこなしや敵の対処は教えられるが、個々人の持つ固有の力に関しては自力で引き出してもらうしかない。家に秘伝が伝わっている場合もあるだろう。だが日月の力は日月だけのものだ。
 どんな応用ができるのか、どんな風にすれば効率よく倒すことができるのか。
 実践の中で少しずつ学んでいくべきことだが、それでは時間が足りない。日月は微妙な感覚を認識し言語化し、調整することで足りない時間を補おうとしていた。
 経験豊富な卒業生は卒業間近だ。あと一月程度で、二年生になってしまう。

 そして卒業式がやってきた。
 もう一年経ったのかと思うし、まだ一年しか経っていなかったことに驚く。もう何年も前のことだと言われても納得ができてしまう。それくらい様々なことがあった。
 入学当初はまだ、七億不思議のことなんて知らなかった。学園長が入学式に挨拶をしてくれたし、学校の中に見える危険はなかった。
 それだけでもう思い出せないくらい遠い過去のように思える。
 あれから何度も、大規模な七億不思議の発生があった。たぶんこれからもある。
 まだ戦いに不慣れな新入生や、何も知らない一般生徒をどうするべきなのだろう。
 学校の方針には期待できないし、そもそもブライである時点で重要なのは個人の選択だ。
 なにもできないからではなくて、平が何をしたいのか考えなければいけない。
 何をするべきかも決められないでいるうちに日月は着実に成長し、二つだけだった球を三つにする特訓は、身を結びつつあった。カラーボールを使うよりも日月の力だけでできた球は格段にコントロールが効く。
 しばらくは伸び悩んでいたが、地道な特訓と復習でコツを掴んだようで、平の目にも見てわかるほど、日月は決め球のコントロールが上達していた。
 ブライは個人主義と言っても世話になった先輩や、助けてもらった人はいる。
 成長を見せられる日月がやはり羨ましい。春休みに入ったら本格的に体力づくりをするか、戦い方を教えてもらうのもいいかもしれない。
 そんなことを考えながら、寮の荷物をまとめて去っていく三年生の先輩を見送り、そしてそのまま出迎えた。
 皆、困惑していた。
 戻ってきた方もなにより一番困惑していた。
 一人や二人ならば、退寮日を勘違いしていたのかと笑って見過ごしただろう。だが、全員だ。
 多少の時間差はあったが新入生に明け渡すはずだった部屋に、結局ほとんどが戻ってきた。
 それで平たちも、何かがあったのだと察した。
 絶都市から出ることができない。
 報告よりも先に信じがたい内容が、人伝にもたらされた。そんなはずはないと外に出ようと試みた人間が、その報告の正しさを証明してくれた。なにより、そもそも外部に連絡を取ることができなくなっており、市外の施設に電話をかけても不通だった。
 平の家族は市に引っ越してきているから連絡が取れ、ひとまずの無事を確認できて安堵した。両親は卒業シーズンに突然電話をかけてきた息子を見て、ホームシックにでもなったのかと笑いながら、帰省の予定を確認した。
 まだ、帰ることはできない。何が起こっているのかわからない。新たな脅威が生まれた可能性もある。そんなことを何も見えない側である両親に、馬鹿正直に伝えるわけにもいかず、平は話をぼかしながら、部活動が忙しいとどこにも所属していないのに嘘をついた。
 お互いに家族に連絡を取ってみようとしていたところだったから、何が起こったのかは聞かずともわかった。市外にいたのだろう。そして連絡が取れなかったのだ。
 一番可能性が高いのは、七億不思議だ。というかそれ以外考えられない。
 信じられないのは規模が段違いだからだ。
 学校や一個人ではなく市全域に広がっている。前代未聞ではあるが、今までのことだってことごとく前代未聞だった。異常の原因が七億不思議であれば、必ず誰かが突き止めてくれるし、それに全員で対処して乗り越えられる。
 まだ直接的な被害は出ていない。今回の現象が原因で、生気を吸い取られたという人も今のところ観測していない。
 だから平はまだ、事態を楽観視してすらいた。
 自分は家族と連絡が取れているという安堵もあったのだろう。外と断絶されているのは不安だが、大切なものはまだ目の届く場所にある。
 日月も、想像したよりも落ち込んでいなかった。それとなくまだ何もわからないだろと肩をすくめた。
 これで、終わるわけがなかったのだ。
 広い学園の敷地の中にいると意識しないし、忘れがちだが都市は生きている。一つ一つの活動は、音を伴い街を包んでいる。
 最初に気づいたのは、春休みを迎え市内の家族に間に行こうとしていた人。そして街に遊びに行こうとしていた人。
 確かに雨が降っていて進んで外出したくなるような天気ではない。だが、それにしても人が少ない。どれだけ待ってもバス停にバスは来ない。いや、そもそも車が通らない。店のシャッターは閉じたまま。アルバイトの学生が怪訝な顔をしながら、店に連絡をするが、誰も出ない。
 市外だからではない。市内の誰とも、連絡がつかない。
 街から、人が消えていた。