【カミ東】手の腹

部屋の掃除中に迷い込んだ虫とカミキリ様のお話。※カミキリ様が東雲さんに抱き向けているものは恋慕とはかけ離れた上位存在特有無自覚傲慢なものです。
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壁に立てかけいたちゃぶ台をリビングへ移動させ、部屋の隅に寄せ畳んでいた布団一式は朝から快晴だった為ついでベランダに干した。
爽やかな風。暖かな日差し。物干し竿に干す作業は相変わらず骨が折れるが、干し終わった布団の柔らかさと心地よさを得られるならば苦ではない。ズレ落ちぬよう干した後、閉じていた掃き出し窓を開け部屋に戻る。
既に掃除機をかけ終えたリビングルームに歩を進め、端に避けていた掃除機の取っ手部分に手を掛け寝かせていた掃除機を起こした。
引っ越し当初に購入したコードレス掃除機のスイッチを押し畳の目に沿って掃除機をかけるのも随分慣れたもの。細かな隙間に入り込んだ塵埃を残さず吸い上げるのを意識してゆっくり掃除機を滑らせる。
ほうきで掃くのとは違う音に紛れ、カミキリの頭の中で引っ越しして間もない記憶が昨日の様に色鮮やかに蘇る。



──ほうきとちりとり? 別にカミキリさんがそれでいいってならいいけど……
──折角だし掃除機使ってみてもいいんじゃね?

──何事も挑戦、ってな? 使ってみて合わなかったら何時でもやめりゃあいい そん時は私が買い取るからさ



現世、強いては神社に崇め奉られていた時とは違う暮らしに戸惑う暇もなく馴染んだのは自分を入居に誘い、身の回りの世話をしてくれたマンションの大家である東雲薫のお陰。
掃除用具が欲しいと言ったら連れて来られた家電量販店。眩いほどの人工照明に照らされた店内。右も左も分からないカミキリに変わり店員にあれこれ訊いてもらい購入を決めたコードレス掃除機。お試しコーナーにて掃除機自体を初めて使用したがとても使い勝手が良かった。
コードレス掃除機の箱を抱えレジ待ちの列に並んでいる際、東雲が「これも入居祝いってやつで買おうか?」との提案にカミキリは少し逡巡後、丁重にお断りした。
とかく不満があるわけではないものの「身の回りで必要なの買ってんだ。ひとつふたつ増えたところで変わんないっつーの」と言う東雲にカミキリの大きさが均一ではない小さな双眸が彼女を見上げ薄い唇に思いを綴る。
「使ってミて合わなかっタら買イ取ってホシい」
東雲自身自分で言ったことを忘れていたわけでない。一瞬目を見開きやんわり細めて「そうだったそうだった」と笑う姿に当時のカミキリはよく分からず小首を傾げるのと同時にレジに呼ばれ結局訊けず仕舞いに終わった。

「(今ならナんとなく分かル)」
崇め奉られていた神社から人間たちの足が遠のき、神社が廃れ零落していた自分に再び神格を取り戻させてくれたからこそ分かる気持ちにカミキリが薄っすら口元に弧を描いた。
マンションに来てからの思い出に浸りつつ、和室の入り口から壁に向かい掃除機をかけていればいつの間にか掃除機をかけ終わっていた。あとは掃除機を片付け、ちゃぶ台と布団を和室に戻すのみ。
そんな時、視界端に黒く小さな影が慌ただしく飛び跳ねているのが過っていった。
危うく吸い込んでしまう寸前のところで掃除機のスイッチを消して静かに本体を畳の上に置き、そのまま腰を屈めた状態でにじり寄る。
小さな黒い影はカミキリが近付いたことで、より一層動きを速めぴょんぴょんと跳ねまわった。それを両手で通せんぼする要領で壁際に追い込み逃げ道を塞いだ。
それに敵意や害意は無くとも大きな存在に追われるのはさぞ怖かろう。カミキリは大きな宵闇色の目を眇め、小さな小さな蜘蛛を自身の掌の中に入るよう誘導する。前後左右どちらにも逃げ道は無く、後方から押し迫る掌に追われ小さな蜘蛛は前方で広げ待ち構えているもうひとつの掌へ否応なしに追い詰められ乗っかってしまった。
「外に出してアゲる」
難なく収まった小さな命が潰れぬよう両手を重ねふっくら作った掌の中で跳ねまわる。健気に掌から出たくて何度も飛び跳ね体当たりする感触にカミキリは小さく一言「ごめんネ、モウ少しだかラ」と言い、静かに立ち上がり鍵を掛けていない掃き出し窓に歩み寄り窓に肩を押し付け開けた。
しゃがみ込みベランダの床に手の甲を付けゆっくり重ねていた掌を広げた。カミキリの掌で跳ねていた蜘蛛は跳ねた勢いのまま、ベランダの床に着地して逃げて行った。先程までいた部屋に見向きもせず、ぴょこぴょこ跳ねていく姿をカミキリが見送る。
さて、後片付けの続きをしようとした矢先のこと。腰を上げ窓を閉めるタイミングのを狙っていたかの如く今度は一匹の蝶が部屋にお邪魔してきた。
「あ、待っテ。そっチは駄目」
ひらひらのんびり舞う白い蝶はカミキリとの追いかけっこを楽しんでいるのか、伸ばされ捕まえようとする掌をするりするり避けていった。手の届かない高さまで飛ばない、リビングルームの方へ逃げて行かない。そんな蝶を大きな宵闇色の目で追い次の動きを予測して軽い身の熟しで畳を蹴り空中で蝶を掌の網で捕らえた。
ストン。小さな着地音で畳の上に降り立ち、勢い余って重ねた掌が潰れぬよう細心の注意を払っていたお陰で蝶を閉じ込めた手の籠はふんわりとした空間を保っている。
「ズルしちゃったけど許シて」
カミキリの言葉に反応してか重ねられた掌の中で蝶が翅をバタつかせ始めた。小さな蜘蛛と違う白い蝶の翅の感触にまた目を細め静かに見下ろす。蜘蛛と同じで懸命に出ようとする動きを「もうチョットだから」と宥め、掃き出し窓を再び肩を押し付け全開に開けようとしたが思いとどまり丁度掌が通る分だけ開けた。
隙間から重ねた掌をベランダ側に出して、やおら閉じていた掌を開ければ蝶もまたカミキリに振り返る素振りをせず大空へと飛んで行った。
「気ヲ付けて」
小さく手を振り見送るカミキリは窓を閉めた自分の掌が鱗粉塗れなことに気が付いた。薄っすら掌を染める煌めく粉はそれだけ蝶が暴れていたのは火を見るよりも明らかだった。
粉が零れ落ちぬよう掌を上にして洗面台に向かう。まだ冷たさ残る流水に手を潜らせ付着した鱗粉を粗方落とし、ハンドソープのポンプを押した。ポンプの先端から出る泡をポンプを押していない手で受け止め更に泡立てる。
しゅわしゅわ泡立ち弾けぬめついた指先で鱗粉が付着していた掌を撫でた。出しっぱなしの水を止めることもせず、蛇口から排水口に流れていく水の音が何処か他人事のようにカミキリの鼓膜を震わす。
親指の腹で掌をなぞる。脳裏を過る健気で懸命に閉じ込められた掌から逃げ出そうと跳ねる小さな蜘蛛と狭い中で絶えず翅を羽ばたかせる蝶の感触が離れ消えてくれない。
何度も掌を擦る。何度も何度も何度も──、それでも消え落ちてはくれなかった。
カミキリの掌に残る生々しくも決して逃げること叶わずそれでも足掻き続ける憐れで逃がされた事実も分からぬ最早愛おしさすら感じる抵抗していた感触に、目尻をやわく染め上げ微笑んだ。
掌の中で跳びはねる感覚、楽しい。掌の中で飛び立とうとする感覚、面白い。双方こそばゆさを覚え、可能であれば動かなくなるまで味わいたかった。
「(デモ、しない)」
悪戯に命を屠ることはしない。カミキリ自身、己が持つ力の強さを知っているがゆえ接する際には十二分に気を付けていた。この力は想像以上に強大でむやみやたらに振るっていいものではない。もっともカミキリはその力を必要な時と場合にしか使わないと心に決めていた。
すっかり泡が落ち着いてしまった両手を流水に潜らせ泡を落とす。すると、濡れた手をタオルで拭き終わったのを待っていたかのようにドアチャイムが鳴らされた。
玄関先にいる相手に返事をし、玄関扉を開ければ東雲マンションの大家が軽く手を上げ佇んでいた。
「よっす」
「大家サん、こんにチは。どウしたの?」
「ツヅミの実家からリンゴが送られてきて皆に配って回ってんの」
カミキリさんも良かったら食べて。そう手に提げていたビニール袋を広げ中に入っている真っ赤なリンゴを東雲は見せてからカミキリにビニール袋ごと手渡した。
「ありがとう。管理人サんにもお礼言いたイ」
「あー、今買い物行ってるんだわ。帰ってきたらスマホにメッセ送るけど、それでいい?」
「そレで大丈夫」
「りょーかい、ってか何してんの」
手渡されたビニール袋の取っ手を手首に掛けたカミキリの両手が東雲の頬を唐突に包み込む。嫌がる素振りを見せないがやや困惑している東雲の夜明けを告げる瞳が数回瞬いている間も、カミキリの幼くも男らしい手がむにむにと東雲の頬をやんわり揉んでいた。
「冷たくナい?」
「冷た?」
「ヒャって驚かない?」
「──そういうこと。たしかに冷たいけど、驚くほどの冷たさじゃないな」
カミキリが何をしたかったのか理解するなり、東雲もまたカミキリの頬を包み返した。特徴的な八重歯を覗かせ「残念でした。そんな悪戯カミキリさんにお返しだァ」と快活に笑う東雲に頬を少々強めに揉み返されカミキリは思わず目を閉じた。不意にする雑に頭を撫でてくれる時と同じ、決して乱暴ではないあたたかさに満ちた手は東雲が満足次第離れて行ってしまう。
離れて行ってしまった手を開けた目で追い、未練がましく自分は東雲の頬を包んだままでいれば、それすらも解かれそうな気配にカミキリは心に灯る想いを舌先に乗せる。
「大家サん、このあと予定アる?」
「いーや特に無い。あとウチに帰るだけ」
「だっタらお茶飲んデいって」
東雲からの返事を待たず、カミキリの手が解こうとしていた彼女の手を取り部屋の中へ引っ張った。
たまに見かける親にねだる子供染みたことをするカミキリの行為に東雲は咎めるどころか緩く「お邪魔しま~す」と声をかけサンダルをカラコロ鳴らし入っていった。
警戒も何もない。後方から勝手に玄関扉が閉まり鍵を施錠する音でさえも東雲は気にせず先に上がったカミキリを追うかたちでサンダルを脱ぎ部屋に上がっていった。
「ちょっと待っテて」
テキパキ。一先ずビニール袋に入ったリンゴを台所に置き、途中だった掃除の後片付けを終え、和室に東雲を通したカミキリはひとり踵を返して台所へ向かう。
体に染みついた動きで必要なものを準備セットしていく傍らカミキリは東雲を如何持成そうかと思考を巡らせる。茶葉は先日試飲させてもらい気に入ったもので、茶請けは自分の好きな団子があったのでそれを出そう。
背中から感じる東雲の気配がカミキリの頬を仄かに赤らめさせ、小さな音を立て盆の上に置いた団子と香り立つ新緑色の茶を満たした湯飲みの上に手を翳させた。
「(ほんのチョットずつ)」
何事もやり過ぎ取り過ぎは毒。だが、それ以上にカミキリは己自身以外の何者にも気付かれぬよう東雲に自身の神気を取り込ませ馴染ませていっていた。
それはマンションに入居した日から絶えずやり続け、完全に馴染むのを今か今かと待ち侘び焦がれている。
「(今回はコノくらい)」
カミキリの手が退かされ幽玄な光を放っていた団子と茶は光を顰めさせ、今や他の神に近しい存在や専門家が見ても普通のものと見分けがつかない。意識しなければ上がってしまう口角を抑えカミキリは何食わぬ顔をして団子と湯飲みが乗せられた盆を持ち運ぶ。
「どうぞ」
「あんがとさん」
ちゃぶ台の上に東雲の分、そして自分の分を置き腰を下ろすカミキリの宵闇色の瞳は片時も東雲から逸らされない。東雲が何の疑いもなく出された熱い茶を啜り、美味しそうに団子を食べるたびに東雲の中に満ちる神気の濃度が上がっていった。
それを確認したカミキリは自身も熱い茶を啜り、好物である団子を頬張る。素朴で優しい味が口いっぱいに広がり、それを東雲も同じように感じ食べていると考えるだけで顔が緩んでしまう。
「熱いお茶飲むとホッとするよなあ」
「うン」
幸い緩んだ顔は違う意味合いで東雲が受け取り、カミキリの思惑が気付かれることは無かった。










掌に包み込んでも逃げない それどころかいてくれる大家さん
楽しく動き回って見ていて飽きない 動く感触も楽しい 好き大好き ずっと見たい一緒にいてほしい
だけど何処かに行こうとしたら掌を重ねて閉じる 何処かへ行かないように 僕から離れないように
でも その閉じている時間が永いと人間 弱って動かなくなってしまう

だから 僕の傍にいても弱らない 離れられない そんな身体と心、魂にする

そうすれば、ずっとずっとずっトずッとズっとズット一緒にいられる



離れ離れのワカレは寂しくて悲シいことダから





夜の底より昏い昏いカミキリの心に灯った火は未だ消える気配はない。