なぁなぁお兄さんたち、聞いてくれよ、俺もびっくりしたんだよ。あの商家の坊ちゃんといえば、一人息子で顔が良くて、気も良くて、女たちが群がるほど引く手数多だろう? なのに突然自殺しちまうなんて……。俺からしちゃあ天国みたいな人生なのに、あの坊ちゃんは坊ちゃんで悩み事でもあったのかねぇ、分かんねぇけどよ。あ、そういえばあんたたち聞いたかい? あの坊ちゃん、実はいい人がいたらしいぜ。なのに女は通夜にも来ないで、それどころか自殺させておいてよ、いいご身分だこった。報われねぇよなぁ、坊ちゃんもさぁ。母ちゃんも泣いてるよ。
その商家の一人息子の噂話は、この街に来て何度も聞いた。毒婦に騙された可哀想な男だとか、大体そういう話だ。自殺の理由については、女が金を持って逃げて絶望したんだとか、他に男がたくさんいたんだとか、さまざまだった。というか、みんな真実を知らなかったから、創作したんだろう。
私たちは、そのままその街を去る予定だった。依頼も終わっていたし、留まる理由はなかったから。でもどういうわけか賢者の魔法使いが街にいると噂が広がって、どういうわけかその商家に招かれることになった。通夜も終わり、葬式も終わり、がらんどうになってしまった、寂しい家に、私たちは迷いこむことになってしまったのである。
「何のもてなしもできませんが、どうぞおくつろぎになってくださいませ」
深々と頭を下げ、夫人、一人で死んだ坊ちゃんを育てたという母親が言った。私たちは礼を尽くされたが、どうも変な感じだった。もてなし、という言葉がひっかかったのかもしれない。本来なら、私たちが彼女を慰めねばならないような気がしたから。
彼の遺体がない今、私たちは部屋中に置かれた坊ちゃんの絵姿に囲まれていた。笑顔でスポーツをする姿や、勉強に熱中する姿、泣いてしまった子どもをあやす姿など、なるほど、これは女の人にもてるな、と私は思った。ちなみにミスラさんはもてなしに出されたカステラを食べ終えると、私の分のカステラも食べて、美味しいですね、と珍しく声を放った。婦人はうちは菓子屋ですから、と口元をゆるめる。そうか、ここは菓子屋だったのか。妙に甘ったるい雰囲気がするのもそのせいか。私は一人そう納得して、紅茶をすすった。何とも気まずい気分で。
「あの、それでお願いとは……?」
私は耐えきれなくなり尋ねた。すると夫人は思ったより簡単に、こう話したのである。坊ちゃんの秘密を、この街で噂になっている秘密を、賢者の魔法使いならいいと思ったのか、口にしてしまったのである。
「あの子には好いている人がいました。目星もついています」
「そうなんですね」
「はい、でも、その方がどこにいるのかは分からないんです。手がかりは、胸に花のような痣があるだけ。だからどうか、その子を探して欲しいんです」
花のような痣。私は想像する。刺青でもない、美しく開く花を。
「へぇ、もう寝てたんですか。好青年も手が早いんですね。それで自殺ですか」
「いいえ、そんな! あの子は病にふせっていたんですよ! それに、あの子は病がどれだけ苦しくても自殺なんてしてません! どうしてそんな話になっているんだか……」
「ミスラさん! ちょっと静かにしてください。……でも、だったらどうしてあなたがそれを? ご婦人は痣を隠したがるものでしょう」
私がそう言うと、夫人は一度口をつぐんで、そうしてもう一度口を開いた。
「二人がやりとりしている手紙を読んで知ったのですが、あの子が好いていたのは双子の姉です。私が……あの子が幼い頃に殺しきれず、縁起が悪いと養子に出した、腹を痛めた娘なんです」
私は何かの手掛かりになればと、死んでしまった坊ちゃんの部屋からみすぼらしい小箱を預かり(夫人はそんな菓子箱が役に立つならいくらでもどうぞ、と私にくれた)、夫人の家を出て、川辺を歩いた。開発が進んだこの街で、精霊がいそうなところといえば、ここら辺しかなかったから。
「縁起が悪いと養子に出すなんて、せっかく自分んが産んだ子なのに不思議ですね」
「不思議でも何でもありませんよ。ここいらだと、男女の双子は心中者の生まれ変わりとして忌まれます。それに痣があったんでしょう? 余計ですよ」
ミスラさんはそう言って、手のひらの上に精霊を乗せた。きれいな翅は透き通って、夕暮れ時の風になびいていた。
「でも、手がかりが手紙だけで、そこに胸に花のような痣がある、自分たちは姉弟じゃないかって書いてあったってだけじゃあ、どうにもなりませんね。病に見た夢かも」
「だから精霊の力を借りようっていうんじゃないですか。この俺が」
ミスラさんは手の上に載せた精霊に息を吹きかける。すると何も言わず歩き出し、葦の生える水辺で止まった。そしてこう言った。「彼女も身投げしようとしたみたいですよ、でも、旦那衆に止められたみたいですがね」、と。私が何も分からず立ち止まっていると、ミスラさんは「察しが悪いなぁ」と不躾なことを言い、「彼女は娼婦になっていたんですよ」と、少し寂しそうに笑ったのだった。
胸に花の刺青を入れている娘が欲しい、そう娼館で言うと、すぐに数人が集められた。そしてミスラさんは胸元をまじまじと検分してゆき(正直言って、私としてはハラハラした)、どこか薄幸そうな、どこかあの坊ちゃんに似た、胸に刺青で隠された痣と刃物の傷跡がある女の人の腕を引いた。私はこれがあの夫人が殺しきれなかった、と言った傷なのだと、ぼんやりと思った。
「もういいですよ、この人にします」
「ありがとうございます、これでこの子にも箔がつく。何せ賢者の魔法使い様が選んだ娘なんですからね」
娼館の主人が言う。
私はミスラさんにしなだれかかる女の人たちがきゃあきゃあ言うのを見て複雑な気持ちになり、でも、それでも何も言わない死んでしまった坊ちゃんの姉を見つめた。私たちは部屋をとってやがて三人だけになり、賢者の魔法使い二人に可愛がられた娼婦として有名なるだろう彼女の人生を、ちょっと気の毒に思ったりしたが、この人に抱かれたのだと歴史に残る彼女の人生を、少しばかり羨ましくも思った。私はミスラさんと寝ているけれど、きっとそれは誰も知らない。言うつもりもないけれど、誰かに察して欲しいと思う時もある。
「お話とは?」
酒を注ぎながら坊ちゃんの姉は言った。私は最近世間を騒がす商家の一人息子の自殺についての真相を語ったが、彼女は表情も変えず、だがこう言った。
「賢者の魔法使い様は全部ご存じなんですね。そうです、私はあの子の姉です、母に捨てられた娘です。少し調べれば分かりそうなものなのに、迎えにも来ない」
「お母様はあなたを探していましたよ」
「息子が懸想した相手だからでしょう。今度こそ、私を殺すつもりかもしれない。胸の傷跡を見る度に夢を見ました。恐ろしい顔で襲ってくる、顔のない母親を」
そこまで言って、坊ちゃんの姉はため息をついた。そして目元を覆い、涙をぬぐった。
「最初は気づかなかったんです。商家の集まりであの子がこの娼館にやって来て、私を選んで、朝まで身の上話をしあいました。その時はそれで終わりだと思いました。でもあの子、何を思ってか数日後に手紙を寄越して、自分たちは姉弟じゃないかって言って……」
「弟さんはあなたを身請けしようとしていたんですね」
「……そうです。誰にも言っていないけれど、あの子は悪いようには絶対しないからって。私はまだ夢に見るのに、母さんが私を殺そうとした時の夢を、そんな時はまだもの心ついてもいないっていうのに夢を見るのに……」
そう言って、彼女は涙をこぼした。
私は何も言えなかった。このまま娘の行方を母親に伝えるべきか悩んだが、ミスラさんは興味をなくしてしまったのか、差し出された酒を飲み、マンゴーを齧った。謎が解決してしまえば、ミスラさんとしては後がどうなろうがどうでもいいようだ。
でも、私は懐から小箱を取り出し、「ここに、すべてが入っています」と彼女に渡した。みすぼらしいそれだが、精霊の守護がかかっていて、中にある石は精神を浄化するものとして魔法使いには高く売れるものだ。多分坊ちゃんが大金を持ち逃げされたというのは、この小箱から来ているものだろう。価値のあるものだと知らない商売人の女に、大金を渡して得たのだろう、というのがミスラさんと私の共通の考えだった。
「綺麗な石……いびつなのに、光って見える」
彼女は小箱から石を取り出してそう言うと、それを穏やかな優しい顔をして胸に抱いた。菓子箱に似た、精霊に守護されたみすぼらしい箱。その中には、彼女を身請けできるほどの価値がある石があった。
「結局、彼女のこと、夫人に言わなかったんですね」
「あなたもそうじゃないですか。言わなかったのは俺と同じです」
「だって、あの石があれば自由になれるし、もう母親を恐れることもないでしょう。ちょっと胸に抱いただけで、顔が穏やかになっていたし……」
結局、賢者の魔法使い二人に選ばれた娼婦が、店に出ることはなかった。なぜならば、彼女自身が大金をはたいて自分を買ったから。でも外聞が悪いから、あの街では私たちが大金をはたいて彼女を買ったことになっている。そんな娘がいた娼館として、あの店は大いに繁盛することだろう。
「でも、お母さんに会いたくなかったんでしょうか……。たった一人の家族なのに」
「自分を殺そうとして、養子に出した母親にですか? それに養子先で娼婦にされてるんですよ。実の親が即いい親とは限りませんよ」
ミスラさんのその言葉に、私は何も言えなくなり、口をつぐんで魔法舎の中庭で寝転んだ。たった一人の母親。病がちだった坊ちゃん、彼女の一人息子は、果たして姉を見受けして母親に会わせようとしたのだろうか? それとも彼女をただ自由にしようとしていただけだったのだろうか? 今になっては分からないが、あの街の噂は、今や好色な賢者の魔法使いの話になっている。ミスラさんは、すっごく一途なのに。
「何だか、納得いきませんね、噂って嫌ですね」
「一千年以上生きたら、そんなことどうでも良くなりますよ」
そこに今回の噂を聞きつけて、ブラッドリーさんがミスラさんをからかいにくるのは、そして大喧嘩になるのは、これからしばらく経ってのことだ。千年以上生きても、喧嘩というものはなくならないらしい。
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