そこは空も建物もねずみ色の、さびれた静かな町だった。一年を通して、晴れ間は少ない。降る雨は柔らかい。気温差も激しくはなく、人を寄せ付けないわけではないが、若者が生きて行くには幾分か地味な町だった。
まだ大人になりきれていない、子供でいるのもうんざりし始めた若者達が、夜毎に町を渡り騒いでいた。そのうちチームができて、それらが分かたれてまたチームが増えて、毎日、毎夜、居場所を求めている。
「あいつらにこそここに来てほしいもんだけどな」教会に来た中年の男性がぼやいた。
「居場所ってのは食う寝るところ住むところ、だけじゃねえんだ、そうだよな。それをおれはここで教わったよ
……あんたに
……」
「お酒が回っているようですね」
中年の男性の肩に、教会の神父が手を優しく置いた。
神父は、背が高く、体格も良く、目が覚めるような金の髪──秋の陽に照らされた麦の穂、ともすれば、炎のような──を後ろで一括りにして、赤いリボンでまとめている。そして、優しげに笑っている。
「───ここは教会ですので、酔っ払いはお引き取りくださぁい」
優しげに笑ったまま、神父がそう言った。
中年の男性は笑いながら、しかし慌てて立ち退きを拒んだ。
「待って待ってくれ、今家に帰りたくねぇんだよ息子が帰ってきてて
……俺の定位置も取られちまったし面目が立たなくて、神父さまも男なら分かってくれるだろ?」
「そういうふぅになるように息子さんと付き合ってきたアンタがわりぃんだろ〜?」
表情を変えないまま、神父が言う。男性は顔をひきつらせてしまった。
神父は細めていた目を少し開いて、男性を見つめると、
「献金
………おさけ、が欲しいですね」
それだけ伝えた。男性は顔をひきつらせたままゲラゲラと笑い出して、頷いた。
夜。静かに、雨が降っている。
町の中にある小さな教会。他の建物と同じように、ねずみ色で、十字架がかかっていなければ教会だとはわからないほどに、町の一部として溶け込んでいる。町の中にあるので、若者よりも年上の人間達──ミドルに、マダムに、毅然とした初老に、飴を持ってきてくれる老人──が、神様に祈りを捧げに、はたまた、家に居場所がないので逃げ込んだり、作りすぎた焼き菓子を神父にお裾分けしたりなど、この教会はひっそりとしつつも、町の憩いの場として成り立っていた。
そんな教会だが、施設員、ブラザーやシスターと呼ばれる者は、金の髪の神父、彼一人だけだった。
一人なので教会の仕事にあくせくしている、というわけではなかった。彼は要領がよく、つつがなく祭事を行い、手を抜けるところは手を抜き、たまに言葉巧みに町人を誘い込んでは掃除を手伝わせたりなどしている。
新しく修道士を迎え入れる予定は、神父には全く無かった。
甘めのチーズと、辛口のお酒を少しずつ。雨音を聞きながら、ゆっくりと、教会で晩酌をしている神父。味わいながら、明日の予定も組み立てている。──裏戸の建て付けが悪くなったので見ておかないと。東区のマダムが足を悪くしたらしいので顔を見せておこう、羽振りのいい客なので。それから
…
雨音の中、遠くでかすかにパトカーのサイレンが聞こえる。
…発砲音もしたような気がする。
またガキどもが何かして追いやられてんのかなあ。近隣ではないから晩酌を進める。雨音の邪魔になるので無粋なもんだなと神父は考えていた。──あのガキどもはゆっくり雨の音を聞いたりしたことはあるのかね。
どん、どん、どん。
…どこかからドアを叩いているような音がするが、この教会の戸を叩いてるわけじゃなさそうなので無視。
──俺がこの町に来た時は雨ばっかりだったからマジでウザかったけど、屋根のあるところで聞く雨音は悪くなかったもんだから、まあよかったさがし遊びとして、肯定的にとらえて
…
どん、どん、どん、どん。
隣の建物から、ドアを叩いてるような音がはっきりと聞こえてくる。この教会の戸が叩かれてるわけじゃないので無視。──けっこう強く叩いてるし、長く叩いてるし、怖い。中にいる立場の人間はこれまで誰もドアを開けていないだろうし、俺もこんなふうにドアを叩かれたら開けないと思う。外のパトカーのサイレンが鳴っているのと
…関係があったら死ぬほどめんどくさそうだし。
──めちゃくちゃ晴れた時は逆に教会に人が来ないんだよな。洗濯物とか布団とか乾かすのに必死になっているんだろう。わかる。俺もだから。いっそのこと晴れの日は教会を休みにしたい
…
どん!どん!どん!どん!
教会の、裏戸から、骨に響くような音が鳴り始めた。──いやデカいな!扉叩く音!近所迷惑ですよ!この不届きものが!
「うっっっっるせええええええええええ!」
必要なら町から追い出してやる!
そういう勢いで神父が裏戸を開けると、自分より小さな、雨に降られた様相の人間がそこに立っていた。
一見すると、ドアを叩いていたあの大きな音を出すような外見をしていなかった。細身で、男性にしては小柄だが女性にしては背が高い。ノースリーブの黒いトップスと膝上までのパンツ、ミリタリーブーツのような靴を履いている。
雨に濡れた、その色素の薄い髪の毛は、ガラス細工のように光っていた。
「あ、どうも
…」
客人が呟くようにそう言うのを聞いて、神父は肩透かしを食らった。もっと頑丈そうな人間が扉を叩いているものだと思っていたからだった。
「え、なに、お前」
神父が客人を見ながら話しかける。
「
…不良グループの仲間?」
「ああ
………なんか、そんなとこっす」
客人はぼうっとした調子で、ゆっくりと話した。
「追われているのでかくまってくれませんか?」
そういう用件かもしれない、という予想はあった。しかし面倒ごとはごめんであった神父は相手にしないことを決意していた。
「今日は閉店です」
「
…そうですか」
客人はぼうっとした表情を変えずに、きびすを返した。神父はこの短いやり取りの中で、二度も肩透かしを食らうはめになった。
なんだ?こいつ。
てっきりかくまってもらえるまで食い下がるものかと思っていたが、すんなりと諦めるとは。
…拍子抜けしてしまう。そしてこの客人は、また別の家の戸を叩く──のだろう。あのデカい音を鳴らして
…
「あ、おい。ちょっと待った」
「はい」
神父の言葉に、客人はゆっくりと振り向いた。その表情はさきほどと何も変わっていない。もしかしてかくまってくれるかも、といった期待などは一つもしていないし、かくまってくれなかった神父に対して忌々しげにしている素振りも全く無かった。
「近所迷惑だからドア叩くのはやめろ。たぶん誰も出ないし。追われてるんなら川行け」
「川」
神父は少し思案し、客人を小さく手招きした。客人がのそのそと神父のもとへ戻ってくる。神父は気持ち小声で、雨の音に交わらせるかのように、自分の考えを伝えた。
「おめぇこの町のチームのヤツなんだったらわかんだろ。川っつったらそこの。でけー川あんじゃん。俺このへんあんま長くねーから名前わかんない。なんとか川
…。そこの赤い橋。赤か?あれ。まあ他の橋よりは派手」
「
……」
思いの外長く話す神父の顔を、客人はじっと見つめている。
「その橋の下、地下水路の入り口があるって聞いた。前時代に使ってた水路なんだって。おじィちゃんに聞いた話だからガキどもは知らんのかもしれんが
…まあ見つからん保証はねーけど、地下ならまず雨には濡れねぇし」
客人は小さく何度か頷いた。
「わかった?」
「はい。わかりました。行ってみます」
──へんに物分かりがいいなコイツは。まあいいけど。
「そら行け」
「はい。ありがとうございます」
表情を変えずに、客人はやや早足で、ぱしゃぱしゃと水たまりを弾かせながら、川の方角へ向かっていった。
その後ろ姿が夜の闇に消えるのを見届けると、神父は軽く十字をきった。
「なんかあっても俺のせいじゃないかんな。─せいぜいうまくやれ」
裏戸を閉める。ぎい、と変な音がする。
…建て付けが悪くなっていたところに、激しくドアを叩かれたせいか、うまく閉まらなくなっていた。
「うーん。うまくやってたら引っ捕まえて修復代請求したろ!」
自身が勢いよくドアを開けたことも、要因の一つではあった。神父は気づかないふりをした。
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