つぶ
2022-01-29 04:49:46
4093文字
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さざ波

王獄 / ※ハピロン軸
小さな動揺。また、小さな争い・不和。




 仲間達の多くが勢いよく飛び込んでいく中、獄原は恐る恐る引いていく波に近付いた。戻ってきた波に両のつま先が浸ると、想像していたよりも生温い温度で目を丸くする。本当に南の島に来たんだ、という遅い感慨が胸の内をゆっくり満たしていた。
「いや、ゴン太たちが来たんじゃなくて、作ってくれたんだっけ。不二咲さんや入間さんが、ゴン太たちの為に……
 プログラム世界、……機械の中の世界とは、つまりそういうこと、な、はず、だった。頭の中で解決しない膨大な情報を霧散させるように獄原は右足で波を蹴る。水しぶきが白く散り、それが陽射しに反射してきらきらと光った。意識がどうの記憶がどうのと入間が説明をしていたが、獄原は未だによく分からないままだ。分かるのは、この海水のあたたかな優しい感触が、作られたものだとは到底思えないということぐらいだ。
 視線を上げ、遥かに見える水平線を見つめる。海鳥の群れが水平線に向かって飛んでいくのが見える。つまりあの鳥たちも作られた、……再現された島の一部、ということだ。ここよりもっと暖かいところを目指して飛んでいる、わけではないということだ。
 視線を落とす。獄原は、先ほど調べたばかりの小さな岩場のことを考えている。潮間に暮らす甲虫の姿を思い浮かべながら座り込み、手の甲で波を撫でる。それなら、あの時交わした挨拶も、言葉も。……ということを、腿が暖かく濡れていく感触を味わいながら考えて、
「合宿一日目からそんな顔してるやついるんだねー!」
 ふいに掛けられた声に肩をすくませる。視線を上げて振り返れば、いつの間にそこまで迫っていたのか、王馬が肩口から顔を覗かせていた。
「あ……王馬君」
「まあ、あんなことになれば無理もないか! オレとしては、退屈しなさそうで良かったーって思うけど」
 獄原の右肩に腕を預け、王馬は笑いながらため息をついた。きっとモノクマが放ったモノケモノのことを言っているのだろう。獄原は眉根を寄せてもう一度彼の名前を呼ぶ。今度は、少し語調を強めて。
「王馬君」
……あれ? ゴン太、怒ってんの?」
 彼はからかう時の瞳の細さで、獄原の顔を覗き込んだ。
「だ、だって。モノクマのせいで、合宿に参加している全員がモノケモノと戦わないといけないんだよ」
 獄原も負けじと王馬を睨み返す。まあ、それはね。そう返して、彼は獄原の必死の威圧などまるで効いていない様子で身じろぎをした。肘をついていないほうの腕を伸ばして、獄原の髪の毛を一房つまみ上げている。生白い二の腕が獄原の視界をふらふらと渡る。
「でもさあ、それも合宿中に成長するための課題の一部だって考えればいいじゃん。どうせ、本当に死ぬことなんて無いんだしさ」
 このプログラム世界では、万が一のことが無いようにと命にかかわるほどの怪我は「出来ない」ようになっている。いわば安全装置のようなもので、これは参加者全員に組み込まれているプログラムなのだそうだ。獄原だって、その安全性は不二咲たちの説明で理解はしていた。もちろんその仕組みについて、信頼もしている。
「死…………本当に死んじゃうことはなくたって、戦って、怪我をしたら、……痛いよ」
 けれど実際に“そんなこと”になれば、痛くて辛くて、悲しいはずなのだ。獄原はいつの間にか視線を落として、両足をぬるく濡らしていく波を見ていた。静かな潮騒は周りの喧騒をより一層遠くしていく。
 傷付けば、それはきっと悲しい記憶になる。皆にそんな思いをして欲しくない。自分が手の届くものは全て守りたい。……そういう気持ちが、術や方法といった打開策ではないただの願望であることを、獄原も胸の中では分かっていた。だからこそ握り締める手にやり場のない力がこもるのだ。
「たしかに、敵のするどい刃で切り付けられたりしたら痛いかもねー!」
 王馬は獄原の髪を人差し指にくるくると巻き付けて、怖い怖い、全くそんな風には考えていなさそうな声で、大げさに怯えて見せる。まるで自分だけはそうはならないと知っているかのような気楽さだった。獄原は曇った表情のままもう一度顔を上げる。王馬にだって、そんな風になって欲しくはない。
「お、王馬君だって」
「でもまあ、自分の怪我にすら気付かないようなヤツに心配されてもねー。説得力が無いというか、お前が言うなって感じで幻滅すらしちゃうなー」
「え、……え?」
 反論しようとして遮られた声に獄原は言葉が止まる。視界の端で、彼がいじり続けている髪の束がさらさらと、指の間から零れていくのが見えた。
 自分の怪我、自分の怪我、……それって、ゴン太が怪我してるってこと?
 行き着いた答えに獄原は更に首を傾げる。
「怪我、って……ゴン太、どこも怪我してないよ?」
 空になった自分の右手を見下ろしていた王馬が、横目で視線を寄越してくる。薄く笑っている目尻からは感情は読み取れなかった。あまり見たことのない表情で、どこかよそよそしくも見える。胸の奥が少しざわつく。まるで彼が獄原ではない、知らない誰かと話しているような、そんな気分になる。
「あの、王馬く、」
 胸騒ぎに任せて口を開いた獄原を、彼はまたしても制止した。
「うっそつけー! 隠そうったってそうはいかないからな! お前のことなんてお見通しなんだよっ!」
 王馬は元気よくそう叫ぶと、獄原の肩に預けていた身体を素早く起こした。今度は耳の後ろへ手のひらを差し込み、髪をかき上げることで獄原の首筋を大きく晒す。驚き身を竦ませる獄原は思わず目を瞑り両手を握り締めた。
「わっ! ほ、本当だよ、ゴン太は怪我なんてしてないんだ、……
――あれ? おっかしいなー、この辺にちゃんと付けたはずなのに」
……えっ?」
 無実の罪に震えていた瞼を押し上げて、恐る恐る顔を向ける。薄目で見上げた王馬の表情は言葉とたがうことなく怪訝そうで、それ以外の思惑なんかは無さそうに見えた。純粋に、あるはずのものが無い事実を不思議に思っているような風体だ。
「ふーん……。そうなると……あれかな。意識と記憶は本人が持っててこそ、この身体にも反映される、ってことなのかな?」
「え? い、意識? 記憶、って……
 王馬の言っている言葉の意味が分からない。獄原は戸惑いながら思案を続ける王馬を見上げていた。ふいに彼が伸ばした指先が右の鎖骨の上あたりをひと撫でして、びくり、身体を震わせながらその指から逃れるように身じろぎする。
「ん、……お、王馬君……?」
「今朝見た時はまだあったもんなー。じゃあやっぱり、ゴン太本人が記憶も意識も持ってないから、痕なんて無かった、ってことにされたのか」
「あ、痕?」
「それはそれでショックだなー! どうりで誰も指摘しないはずだよ。もしかして、オレだけがいつ誰に言われるのかってワクワクしてたってこと? な、なんて無駄な時間過ごさせるんだよっ! 無駄なのはお前の頭の中だけにしろよなー!」
「指摘? む、むだ……?」
 王馬の言うことを一向に理解出来ないまま、唐突に悪態をつかれて獄原は訳も分からずまばたきをするばかりだ。彼は大きくため息をつくと、髪を持ち上げている手のひらをうなじへと添わせた。
「ゴン太、お前さ……
 指先は、するする、首筋を降りていく。その触れ方に覚えがあって、獄原は思わず視線を外した。
「んっ……な、何?」
 鎖骨をなぞる中指が浅く爪を立てる、その僅かな刺激に顔が熱くなっていく。考えない、考えてはいけないと、知っている感覚の名前が浮かんでしまう前に獄原はぎゅうと目を瞑った。
 王馬の声は変わらない。日常会話の延長のままで、彼の指先だけが友達のそれではない。
「着替える時はいつだって鏡の前に立つのに、どうして今日に限ってベッドでそのまま着替えたんだよ」
「え、そ、それは……だって、王馬君が遅刻するからって、急かして、……
 今朝の記憶を呼び起こして、それが唐突に名を帯びる。
 見なくて良いの? 良いなら、いいけど。
 王馬が獄原の背中に浴びせた言葉。あれはどういう意味だったのか、一瞬だけ気になって、けれどそれを問いただす前に急かされてしまい疑問は霧散してしまった。そうだ、あれは、……獄原が見なければいけないものが、獄原のどこかに、あったのだ。
…………えっ、えぇっ!?」
 バシン、と盛大な破壊音で、獄原は右手で首筋を覆った。さっきまで王馬が触れていたあたり、……右の鎖骨の上、あたりが、全て隠れるように手をかざしたのだ。
「ん? ……どうしたの、ゴン太」
 それを、全て分かっていたように王馬が慌てるでもなく見つめてくる。今度はその笑顔に思惑をふんだんに織り交ぜて、至極楽しそうに口角を持ち上げた。
「ああそっか! 今更気付いたんだ? 大丈夫、オレがつけたキスマークなら、無かったことにされちゃったからさ」
「っ、……~~っ……!」
 決定的な一言に獄原は身体じゅうが熱くなっていくのが分かった。お腹の底から上がってくる熱、それが、胸、肩、首、指先へと、またたく間に伝播していくあまりに鮮明な感覚。右手の上に更に左手を重ねて、押さえつけて、それでも足りないというように頭を振って髪の毛をおろす。その一連の無様を見てか、王馬が明るく笑ってみせる。あははっ、高く響く笑い声は獄原をたしかに嘲笑していた。……なんて……なんて人なんだろう!
「あーあ、つまらないの。今夜にでも付け直さないとなー」
「! …………お、王馬君!」
 ようやっと絞り出した彼の名前を叫びながら、獄原は王馬へと左手を伸ばす。彼が捕まるわけはないけど、でもとにかく、この顔にまで行き渡ってしまった熱をなんとかしたくて、発散させるように腕を振った。
「しかも、ゴン太がちゃんと意識して、記憶できるような状態の時じゃないとねー!」
 高らかに言い放つ王馬は勿論、獄原の腕なんかには捕まらなかった。空を切った左手は虚しく濡れた砂を握り締めた。