いえね、身請けの話がいくつも来てる歌の上手い売れっ子の娼婦がね、気鬱でぴったりと部屋から出て来なくなっちまったんですよ。私もね、この街で長く娼館を経営している女将です。こんなきっかけがあったんだ、こんな見目のいい人たちだ、必ず賢者の魔法使い様にご奉仕させてやる、そう思ったんですが、どうも今夜もそうはいかなくて……。歌は歌っているんですがね。あぁ、他にいい子はいますよ。金髪がまぶしい青い目の貴族みたいな女や、あなたが好きそうな、溌剌とした胸は小さいが指遣いは最高な女。どうします? 休まれていくだけではもったいないでしょう? ぜひ、うちの女たちを試してくださいな。
厄介な依頼を終え、依頼主の貴族から観光シーズンで宿がないから娼館を紹介された私たちは(依頼は解決させても、魔法使い嫌いの彼は自分の屋敷に泊めるのははばかられたらしい)、なんだかちょっとおかしな面倒ごとに巻き込まれていた。女将さんはどうしてもその売れっ子娼婦と私たちを寝させたいみたいだけれど、それが上手くいかないらしいのだ。それに女の人に興味がないと言えば嘘になるけれど、私とミスラさんは恋人同士で、そんな間柄で別の女の人と寝るわけにもいかない。だから私は娼館の女将の顔を潰さず断るために、その売れっ子だが気鬱で寝込んでいるらしい娼婦じゃなきゃあ嫌だと言って、ミスラさんと一緒に娼館で一番大きな部屋に引っ込んだのだった。
引っ込んだと言っても、何もなかったわけではない。美味しい料理、評判の踊り子、異国の歌をセクシーな腰つきでなだらかに歌う女たち、その背後にいる太鼓や楽器を演奏する男たちは娼館にふさわしく滑らかに演奏し、私たちはなんだか、女の人の胸に抱かれているような気分になった(私だけ、かもしれないけれど)。
というわけで、私たちは多分、女将の計略で、気鬱の美人娼婦が出て来るまで、朝が来るまで高級料理や酒、歌に踊りと、お金を注ぎ込まされることとなったわけだった。女の人に触れないで終われるのなら、ちょっとくらい貯めていたお金がなくなってしまっても、まぁ、ミスラさん以外に触れられないでいられるのなら、それでよかったのだけれども。
宴は夜半過ぎまで続いた。私は気鬱で伏せっている娼婦以外嫌だと言ったが、それでも美しい女の人たちはしなだれかかって来て、ねぇお兄さん、とふっくらとした唇を頰にあて、柔らかな胸をあらわにして、私に乗りかかったりした。
ミスラさんはずっと酒を飲み、食事をし、そんな私には興味がなさそうにしていた。私が間違いを起こさないことを信じていたのか、それともそんな甲斐性すらないと思っていたのか、それは分からない。けれど私よりもずっと美しいミスラさんは女の人たちに囲まれていて、でもしっとりとした雰囲気より冷たい空気が勝って、女の人たちに囲まれどくっつかれることはなかった。
「な、なんだか眠いですね、みなさん大丈夫ですか?」
「お兄さん、眠いの? あたしと寝る? いい夢が見られるわよ」
「いいえ、あたしにしましょうよ。今までで一番いい夢を見せてあげる」
「じゃあみんなで一緒に寝ましょうよ。絶対気分良く寝られるわ」
娼婦たちはそんなふうに私を引っ張って、部屋の隅の大きなベッドに引っ張って行こうとした。彼女らにしてみれば、一度寝台に乗ってしまえば、そこで行為が行われなくても仕事はした、ということになるのでこうやって酒を注ぐよりは金になるのだ。
――別にミスラさん以外とセックスをしないでただ眠るだけで済むのならそれでもいいか、と思ったけれど、その時、厳しい歌を歌うような、それでいて気だるげな声がした。
「いちいちうるさいですね。……アルシム」
女の人たちが、ぽん、と消える。歌手も、楽器の奏者も、みんなみんな消えてしまう。
「ミ、ミスラさん! いくらんなんでも魔法で女の人たちを飛ばすのは! どこにやっちゃったんですか!」
私は彼の行為に対して立ち上がり絶叫する。ミスラさんはそんな私が面倒だったのか、近づいて来てキスをする。そうして寝台に私を引き摺り込んで、「勝った」と言った。
「え? どういうことです?」
「あの女たち、あなたをここに引っ張り込もうとしてたでしょう。でも、俺が最初にあなたを引っ張り込んだ。彼女たちに勝ったんです、いい気分です」
「で、でもだからって女の人たちを飛ばすのは……」
「飛ばしたのは待合室にですよ。今頃お呼びじゃないって知ってお茶を挽いてるんじゃないですか?」
ミスラさんはくつくつと笑った。そして私を抱きしめて、魔法で窓を閉め、首筋に口付けた。私は何も言えず、そのままミスラさんに手を伸ばした。そうして、ミスラさんに口付けた。
いろんな人が愛のないセックスをしてきた寝台の上で、私たちは寝るのだろう。そう思うと、少しだけ寂しかったけれど、身体はすでに熱っぽく、逃げられそうにはなかった。
だがその時、まだ幼い、か細い声がした。扉の方から、控えめに。
「あのう……お願いがあるんですが……」
「え? あぁ、いいですよ。あれ? ミスラさん、全員待合室に飛ばしたんじゃないんですか?」
「はい、飛ばしました。だから新しく来たんでしょう。あなたの好きな厄介ごとですよ。俺はここで寝ていますから、聞いてやったらどうです」
そこにいたのは、まだ寝屋に上がるには早い、雑用係の少女だった。彼女は深くお辞儀をして、私たちの関係に驚くこともなく(何せ、賢者の魔法使い同士が恋人だったのだ、普通なら驚かないわけがない)、ただお願いがあるんですが、と繰り返した。
「姐さんの気鬱を治してやってほしいんです」
「それじゃあ今から症状を聞いて薬か魔法で……」
「駄目なんです。姐さんの気鬱はここにいちゃあ治らないんです。遠い遠い故郷に行かなきゃ……。そちらの魔法使い様は人を移動させられると聞きました。姐さんは故郷にいい人がいます。今なら賢者の魔法使い様たちのどんちゃん騒ぎで館はめちゃくちゃで逃げられます。お願いですから、その人のところに飛ばしてやってくれませんか」
少女は涙を流して言った。私も泣きそうになり、大昔好きだった女の子のことを思い出した。彼女も貧しい家の出で、名目上は出稼ぎに、けれど本当は娼婦として売られていったんだっけ。南の国は優しい人たちが多いけれど、性におおらかだから、女の子を簡単に売る。あの女の子は年季が明けて帰って来たのだろうか? まだ暗い街で働いているのだろうか? 魔法使いの数年は短いが、人間にとっては長い。綺麗な子だったから、きっと売れっ子になっているだろうな。身請けの話も出ているだろうな。それでも気鬱になるくらい悲しみに暮れているだろうな。自分が愛する人以外と寝なくちゃいけないのだから。
「分かりました。……ミスラさん、アルシム! って言っちゃってください!」
「お願いします。姐さんは充分苦しんだんです! このままじゃ好きでもない人と一緒にされちゃいます!」
「分かりました、分かりました……。でも、本当に帰りたいのか聞いてからですよ」
というわけで、私たちはその高級娼婦の部屋にゆくことになったのだった。もちろん、女将さんには内緒で。
その娼婦の部屋は、豪華な布がかけられて扉が外から閉められていた。少女は勝手知ったるといったばかりに鍵を開け、姐さん、もう大丈夫ですよ、と言った。扉の向こう側には、美しい、本当に美しい女の人がいた。彼女は滑らかに歌っていて、それはさっきの歌手たちよりも上手かった。でも彼女はそれを途中でやめ、少女をきつく見やった。
「どうしたの? 今日はお休みを取るって言ったでしょう」
「ここから逃げられるんですよ、姐さん! 魔法使い様が逃がしてくださるんです!」
「……そう。でも迷惑がかるし、帰る故郷も今はないわ」
「え?」
「前の大いなる厄災で潰れてしまったの。お父さんも、お母さんも、弟たちももういない。帰るところはないのよ、愛した人ももういない」
「そんな……」
高級娼婦は寝台に座り、小さな窓の月を眺めた。大いなる厄災で死んだ人たちは多い。私は、そこまでは考えていなかった。けれどミスラさんは、こう続けた。
「さっきの歌があれば、どこでもやっていけますよ。まずは魔法舎に飛ばしましょうか。あなたの歌を気に入りそうなバーの店主がいます。でもそんなふうに自分を憐れまないことです。彼はそういうのを嫌いますからね」
高級娼婦が目に光を灯す。そして頷く。「それが叶うなら」と、ミスラさんを強く見つめる。弱々しくなんてない、強い目で。
そしてミスラさんが魔法をかけて、彼女は遠いところ、つまり魔法舎に行ってしまった。この娼館の女将が入れないところまで、遠いところまで行ってしまった。彼女がいなくなって、この館は大騒ぎになるだろう。けれど彼女はもう新しい人生を歩み始めてしまった。彼女の気鬱は家族や愛しい人を亡くしたことから来ていたのだろう。それでも、それですら、彼女は悲しみを歌にし、生きてけるだろう。あのシャイロックさんの手助けさえあれば。
「それじゃああなたは普通にしていてください。ルチル、部屋に戻りましょう。俺たちも普通にしていなくちゃ」
「え、ミスラさん、え……」
ミスラさんがぐっと私を抱きしめ、キスをし、高級娼婦の部屋から遠ざかって、わざと廊下を歩く人々に見せつけて舌を絡める。そうしてさっきの一番大きな部屋に行き、その寝台の上で、私たちは交わる。私はわざと大きく声を上げて、物事を一瞬で解決してしまった彼の唇を齧る。ミスラさんはちょっと怒ったけれど、セックスで全て解決してしまった。
そしてその翌朝も部屋から出てこなかった(いないのだから当然だが)高級娼婦は、しばらくの間、決して姿は見せない、美しい歌声を聴かせる女として評判のままだったそうだ。その正体はムルさんが寄越した蓄音機だったわけだけれど、そのつまみを落としていたのはあの少女だったわけだけれど、まぁ、終わりよければ全てよし、女将が気づいたのは、あの高級娼婦の年季が明ける頃だったというのだから、まぁ、全てをよしとしよう。
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