炎の如く、桜の如く

MHRウ教×マイハン♀(リラ)。両片想い。

教官の下でハンター修行を始めたリラが、修行を開始してはじめて亡くなった母親の命日を迎える話。

私は一時、里の桜が嫌いになった。

誰も、何も、恨まないでと、母はそう遺して逝ったのに。

これほど見事に花を咲かせ、儚く風に舞い散る姿は、さながら人の一生。
母の爛漫の笑顔を、徒桜あだざくらの死に顔を同時に思い出し、心が苦しくて、その苦しさが辛かった。

けれど今は、こうして見上げられるようになった。
母の命日、お墓参りも終えた後に、この里を満たす桜雲おううんを、こんなにも近くで。
ウツシ教官の下でハンター修行を開始して初めて迎える命日。少しは強くなれたのかも、なんて、口元が微かに綻ぶ。

夜空に焼け付きそうなほど明澄な月下で、ふわりと花屑はなくずを散らしながら揺れる桜雲は、無垢な純白の花明り。
人気のない静寂の中で輝くあまりにも美しいそれは、ここが現世か幽世かくりよかも不明瞭にさせた。

……きれい、だなあ……

私などより遥かに大きく、天高く咲き誇る桜木の下で、思わず言葉を零してしまう。

その声が聞ける者は、今ここには誰もいない。
いつも賑やかな集会所の近く。夜の更けた今はひっそりと静まり返り、この景色を眺めるには最適な場所。
この時間の、この場所は、私のお気に入り。

この世のものとは思えない絶景に、大丈夫だと思っていたはずの私の胸は、次第に締め付けられていく。

桜には、思い出がありすぎる。
家族で出かけて、毛氈もうせんの敷かれたこの縁台に座って、仲良くみんなでオテマエさんの作ったうさ団子を頬張って。母も笑い、父も笑い、そして私も、心から笑っていた。

桜と共に紡いだ家族の思い出は、穏やかで鮮やかなものであればあるほど、私にとっては心を締め付ける鉄蟲糸。
あの頃は楽しかった、などと単純に笑うことは、まだできないでいた。

特に今日は、母の命日。
舞い散る花屑が、次第に命が散る瞬間に見えて。

…………おかあ、さん」

誰もいないからこそ呼べた。
呼んでしまった瞬間、私の心は、あの頃に還ってしまったらしい。
命日だから、母の死を改めて身近に感じてしまうからだろうか。
少しは強くなれたと思ったのに、どうして、こんなに苦しい。
あの頃と同じ胸の痛みは、桜雲を見つめる私の気道を狭めていく。

母はいつも穏やかで、優しくて、病に向き合いながら微笑めるほど強くて。
私が泣いていると、いつも頭を撫でてくれた。

『ふふふ、リラは泣き虫ね。誰に似たのかしら』

本当に、誰に似たのだろう。
母は強く、父が泣いているところも見たことはない。
頭を撫でて泣き止まない時、母は優しく抱きしめてくれた。

『おまえは、優しいから。だから泣き虫さんなのかな』

違う、私は弱虫なだけ。
お母さんのように、痛みに、苦しみに向き合えるだけの強さが、勇気がないだけ。

『何も、誰も恨まないで。笑って、楽しく過ごしてね』

その言葉があったのに、桜が嫌いになって。
正直、今も、月以上に花明りが目障りなほどに眩しくて、嫌いになりそう。

二つを見上げる私の視界で、その光は次第にゆらゆらと滲んで、七色の光輪がシャボン玉のように揺蕩たゆたい始める。

極楽浄土の入口のようなその景色を見つめていれば、光の奥に、何かが見えるような気がして。もう一度会いたい人に、会える気がして。

まばたきも忘れ、必死に目を開き続けた刹那。

「愛弟子」

背中に浴びせられた、紛れもない現世からの声。
呼吸さえ忘れかけそうになった私を引き戻す声は、間違えるはずがない大切な人の声。

振り返ると、陽射しのような月光に照らされて、憂いを帯びて微笑む、大好きな人。
こんなに近くに居てくれたことに、全く気付けなかった。

……ウツシ、教官」
「今日は風が冷たい、風邪を引くよ」
「えっ……?」

風が『冷たい』など、全く分からなかった私は、その時にようやく気付く。

自分の瞳が、炎のように熱いこと。
そしてその熱は、瞳から細く、滝のように溢れる、想いと痛みの雫がもたらしているものだということに。

「あ、あ、あれ……!? 目、濡れっ……い、いつの間に……!」

知らない間に泣いていた。
恥ずかしくて、どくん、と心臓が大きく脈打つ。
子どもみたい、かっこ悪い。今日は天満月あまみつつきで桜も眩しいから、夜でもきっと顔が見えてしまう。

大好きなウツシ教官に情けない顔を見られたくなくて、私は思わず下を向いた。
何度も腕で双眸を擦ると、腕を濡らす雫はとても熱くて、腕を伝って流れるほどの量で。

「あ、れ……!? ッ、あはは、おかしいな、全然……止まらない……! こんな……ダサ……!」

確かに風は、冷たかった。目も、腕も、薄氷が貼り付いたように、今はひんやりと感じる。
情けなくて、誤魔化したくて、自嘲の意も込めてぎこちない笑顔を顔に塗りたくった。
けれど、ウツシ教官の顔を見ることはできなくて、下を向いたままだ。こんな顔を見られたくなかった。

『笑って、楽しく過ごしてね』

そうだ、母もそう言っていた。
笑って。笑わなきゃ。けれど、心は子どものように震え続けながら痛いままで、心臓はばくばくと鳴りっぱなし。涙も溢れて、ひたすら溢れて、止まらない。

情けなくて、ウツシ教官に背を向けようとした時、ぐいと腰を引き寄せられた。

気付いた時には、教官の固いカムラノ胸当てが、ボクの鼻先に触れていて。それは冷たくもあって、今は妙に心地良い。

ボクの後頭部に添えられた、幼い頃からずっと大好きな、大きく温かいウツシ教官の片手。
その手はボクの震える心にも優しく触れ、顔を見せなくても良いと暗に伝えてくれている。

……大丈夫、何も見えてないよ」

顔を下げたままのボクの真上から響くウツシ教官の声は、鼓膜を撫でるように、とても優しい声。
大丈夫だと言ってくれるその声は、母を失って、父も不在の風穴が空いたボクの心を、いつも優しく埋めてくれて。

「今日、お母さんの命日だよね。……泣くのも、笑うのと同じくらい大切なことだよ」
「!」

覚えてくれていたことに驚く。ボクがハンター修行を開始し、合間に別の任務もこなして、毎日大忙しであろうウツシ教官。

けれど、あなたは変わらない。
ボクが、私が幼い頃から、ずっとずっと優しく、私の心を守ってくれる。

母が亡くなった時も、あなたは私を抱きしめてくれた。
親の居なくなった空間で、独りになった私を、今みたいに腕の中に引き寄せてくれて。
あなたの温もりは、私を笑顔にさせてくれる。

そのはずなのに、今は、ぽたり、ぽたりと、私の瞳から溢れる雫は夜の大地に小さな丸い染みを作っていく。

しばらく私は、密かに想いを寄せ続ける人に頭を撫でられたまま、その腕の中で、笑いながら泣いていた。
私が鼻をすする情けない音だけが、不規則に静寂を破る。
いつも元気で明るい教官は、今はとても優しい沈黙を私に贈ってくれた。

どれほどの時が流れたか、もう分からない。

いつしか、また風が吹いて、ふと、ウツシ教官の私の頭を撫でる手が止まる。

……ここ、ちょうど風路ふうろだ。リラ、寒くない? 外套がいとうを持って来れば良かったな……気が利かなくてごめんね」
……そ、そんな、だい、じょぶ、です」

外套よりも、あなたの筋肉質で優しいこの腕の中の方が、温かい。
下を向いたまま、私はふるふると首を横に振る。そのまま不意に「ごめんなさい」と、一際大きな涙の数珠じゅずと一緒に、言葉が零れ落ちた。

後頭部に添えられたウツシ教官の片手が、全ての武器を扱える強者ツワモノの手が、そのまま再び私の頭を優しく撫でる。

「謝らないで。……もう少ししたら、一緒に帰ろう」

『もう少し』したら『一緒に』と言ってくれるウツシ教官の優しさは、体温は、砂利を巻き上げて吹き荒れる木枯らしに晒されていたに等しい私の心を、優しく包み込んでくれた。

鉄蟲糸できつく締め付けられているように、ずっと息苦しい気がしていたけれど、狭まっていた気道が少しずつ開いて、心臓の激しい鼓動が鎮まり、涙も止まってきた気がする。

……ウツシ教官」
「うん? どうしたの?」
「私より、教官。寒くない、ですか?」

私の質問が、予想外だったのだろうか。
ふふ、とウツシ教官は吐息を漏らす。下を向いたままだから表情は分からないけれど、きっととても優しく微笑んでくれていると思う。私の頭を撫でる手つきで、そうだと分かる。

「大丈夫だよ。愛弟子は、優しいね」

違う。私は臆病なだけ。
情けない顔を晒して、こんな夜に付き合わせて。あなたに嫌われるのが怖いだけだ。

……ごめんなさい……!」

私がまた謝ると、ウツシ教官は「謝らないで」と同じことを伝えてくれた。
あなたはどこまでも優しくて、そして強い。強いからこそ、優しいのでしょうか。

私は、独りでは母を失った痛みに負け、涙を堪えきれなかった。
数年経っても、まだちゃんと向き合えない。会えるなら会いたくてたまらない。

けれど大好きな、大切な人が傍にいてくれると、その温もりを感じると、痛みにも向き合える。

大丈夫。私は独りじゃない。
私はやっと、顔を上げた。

ウツシ教官の、今夜の天満月のような金色の目は、湖面のように優しく潤み揺れていて、心配そうに私を見つめてくれている。

……大丈夫かい? リラ」

愛弟子、ではなく、私の名を呼んでくれる。その声の温かさに安堵しながら、私はしっかり頷いて、微笑んで見せた。

「大丈夫、です! ありがとう……ございます、ウツシ教官」
……お礼は……俺も言いたいな」
「えっ?」
「ああ、いや。……ごめん、何でもない」

しまった、とでも言いたげにウツシ教官はばつが悪そうに笑って。けれど、どこか満たされたような笑顔だった。
どう考えたって、お礼を言うのは私なのに。

私が首を傾げていると、教官は優しく目元を綻ばせ、双つの三日月を作った。

……もう、だいぶ夜も更けた。そろそろ、帰ろうか?」
「はい。……明日もありますもんね!」

名残惜しいけれど、するりとウツシ教官の腕の中から離れた刹那、こんなに寒かったのかと今になってようやく実感する。
幼い頃からずっと大好きな人の隣で、桜に背を向け、歩を進めて。

「教官! 明日の特訓も、よろしくお願いします!」

顔を見上げて今度こそ、きっと目はまだ赤いだろうけれど笑顔で告げると、ウツシ教官は月光の中で「こちらこそ!」と笑ってくれた。
素敵な笑顔だ。夜の暗さも寒さも、故人を想う哀切も、全てを照らして包んでくれる、なんて優しく温かい笑顔だろう。

私もいつか、こんな笑顔ができるようになりたい。
自分だけが幸せになるため、楽になるためじゃない。

人に生きる希望を与える笑顔。
人に優しく寄り添う笑顔。

母の笑顔もそうだった。病弱な母に私がいつも励まされて。いつも私が泣いていた。

『リラが居てくれるから、笑顔でいられるんだよ』

今際いまわきわ、そう言ってくれた母は、布団の中で青白い顔をしていて。それでも笑っていて、その笑顔はさながら散り際の桜、最後の命の灯火。とても優しく、温かった。

ようやく今になって、母の強さの淵源が何となく、分かったような気がする。

もしかして、ウツシ教官も。
そう思って隣を歩いてくれている教官をふと見やれば、言葉はなくても、静かに見守るように穏やかに微笑んでいて。

それにつられるように、私も笑顔になれた。

……ウツシ教官」
「うん? どうしたの?」
「ボク……あ、私。一日も早く……絶対に、強くなりますから」

災禍の闇に飲まれぬよう、希望を、未来を照らせるように。
笑顔で、大切な人の心を温められるように。

いつの日か、里を象徴する炎のように力強く、眩しく、桜のように優しく、凛と。

私がそう告げた時に、ウツシ教官は驚かなかった。むしろとても納得したように頷いてくれて。

「キミなら、なれるさ! 俺も頑張るよ! 明日から、また元気に特訓しようね!」

たたら場前広場で思わず足を止めるほど、私とウツシ教官は顔を見合わせ、笑い合った。

心から笑うとは、何と尊いことだろう。
目を閉じればきっと、母も笑っているはず。

私は昔から、ウツシ教官の笑顔が大好き。

いつの日か、散った命の想いをも受け止め爛漫と開花し、大切なあなたをも照らす炎になれますように。

そう願っていた頃の私には、知る由もなかった。

やがて自分が里の災禍を祓い、未来を照らし、安寧を守る英雄『猛き炎』と呼ばれること。

そして私を最初にそう呼んでくれることになるのが、大好きなあなただということを。



@acadine