人間が幽霊族の最後のひとりを育てることについて、多くの妖怪は静観していたが、中には攻撃的な態度をとるものもいた。もちろん、逆に好意的なもの達もいた。今は目玉となった幽霊族の父親の方の古馴染みを中心に。彼らは鬼太郎とその父を通して、鬼太郎を育てる人間・水木の為人をよくよく知っている。その愛情深さを。鬼太郎に献身的ともいえる愛を注ぐ彼は、男の身でありつつ、慈母を思わせる存在だ。人間のように親に育てられるということがほぼない妖怪(ある日存在が成立することが圧倒的に多い)にとっては、水木が幼い鬼太郎に接する様子は衝撃的の一言につきる。
話は戻るが、しかし、その光景に尊さを覚えるのは人間寄りの妖怪達であって。…そんなことでは妖怪として弱くなる、いやいや、騙して大きくなったら売り飛ばしたりする気だ、人間を信じてはならない──、まあ、喧々諤々である。そしてとうとう事件は起こったのであった。
「愛だァあ?」
黒くぶよぶよした妖怪に顔はなかったが、銅鑼を震わせるような声がどこからかしていた。トゲトゲしく、怒りをはらんでいる。ビリビリと空気が震え、明らかにそれは水木に対して敵意をもっていた。
しかし水木は眉こそしかめたものの、そうだ、と胸を張る。俺はあの子を我が子のように思っている、世界で一等愛している、と堂々と言い切る。整った顔貌と合わせて、そのただずまいは惚れ惚れするような男ぶり。わしの相棒が今日も男前じゃあ〜、と脇で目玉が照れる。
だが実父はそうであるのに、関係のないこの妖怪は気に入らないようだった。
「吹かすな、小童! 人間の言う事なぞ信じられるか!」
大音声によって生じた風が水木の髪やシャツをバタバタと揺らす。それでも水木はひるまない。
「どう思おうと好きにしたらいいが、俺の心に嘘はねぇよ」
きっぱり言い切る水木の背に、目玉以外の、目玉の昔馴染みの妖怪達の口笛が鳴る。よっ、ダイトウリョウ! なんて、絶対意味をわからず言っているだろう囃し声まで聞こえる。
まあ、敵意はないのだが。
「黙れ黙れ人間の分際で! 貴様らはそうやって調子のいいことを言っていつも裏切る!」
ム、と水木は口をへの字に曲げた。元々そう気の長い方でもない。
「俺ァなぁ!」
妖怪に勝るとも劣らない大声は少し掠れている。煙草のせいだ。だが、その少し濁った感じが逆に荒々しさを添えている。…そして少しの色を。ありえないことだが、難癖をつけてきていた何某かの妖怪も一瞬呑まれたようだった。さすがわしらの水木じゃ!と相変わらず目玉がうるさい。
「あの子になら目だって、手だって足だって…、命だって、何だってくれてやる覚悟はとっくにできてんだ!」
シン…と静まりかえったのは、声の大きさが理由ではない。鬼太郎に全て捧げるという、その台詞の内容の威力によるものだ。
「み、水木…」
さすがの目玉も面食らったようだった。たぶん。おそらく…。
「それになァ!」
腕組みし、仁王立ちで水木は口上を続ける。
「俺は鬼太郎の一等好きな握り飯の具も知ってる!」
水木の背景に荒々しい波濤が見えるようだった。
だが、言われた妖怪はじめ、なんとなく様子を見守っていた他の妖怪達も黙り込む。水木はムッと眉を寄せた。バカにされていると思ったのかもしれない。だいたい困惑しているだけなのだが。
「てめぇは知ってるのか? あの子が何の握り飯が好きか!」
思わず、それわしも知らん…とぼそりと目玉が呟き、おまえは何で知らないんだよと水木に怒られ、そして他の妖怪のお歴々は…………
この人間、愛いの〜〜〜〜〜〜!?
──という謎の感動に襲われていた。元来本能に忠実な連中が多いので、良いと思えばそちらにコロッと傾くものだ。
なるほど幽霊族が見初めた人間は大変いい男らしい、と皆が納得し、解散しようという流れになった、その時。
すし詰め状態になっていた水木家の居間、その襖がガッ!と開いた。弾け飛びそうな勢いだった。
そこに立っていたのは、
「…………、何、してるんですか?」
背景に地獄が見えるのは錯覚だろうか?
まだ幼い、人間でいえば5、6歳程度の姿だというのに、鬼気迫る迫力であたりを凍りつかせている。
「鬼太郎!」
周りの緊張を人間ゆえに読み取れない水木だけが、パッと顔を輝かせそちらを振り向いた。
「おかえり! 寒くなかったか? こっちに…」
しかし水木も様子がおかしいと思ったのか、そこで止めてパチパチと瞬きした。それから、ことりと首をかしげる。
幼い仕草に、一部妖怪の皆さんは「童子か…?」と思ったという。
「鬼太郎…?」
鬼太郎は答えず、ずんずん室内に入ってくると、黒いもちゃもちゃした妖怪の前に立ちふさがった。養父を背に庇うようにして。水木はわけがわからない様子で鬼太郎をのぞきこもうとしている。
「水木さんを傷つけるやつはぼくが許さない」
──ギリリと睨み上げる四白眼の鋭さときたら!
視線だけでなく、尖りに尖った霊力をぶつけられるような格好になった黒い妖怪は啞然とした。やはり、幽霊族の子は人間に騙され…、いや、たぶらかされているのでは? と真面目に考える。
「俺だって鬼太郎を傷つけるやつは許さないぞ!」
自分を庇うようにすっくと立つ幼子を後ろから抱きしめながら、水木も言う。見上げる養い子と視線を合わせてにこりと笑う顔の慈愛は、餡掛けの餡くらいとろりとしている。
傍観していた他の妖怪達がそれぞれに、愛だよ、愛だって、諦めろ、と口々に宥めて黒いのの肩をたたいたりし始めた。
「……おい鬼太郎」
黒いのがギリリと歯の隙間から出すような声で呼ぶ。鬼太郎は面倒そうにそちらを見る。あいつ、兄さんの前だから猫を被ってやがんな、と最初から見守っていたネズミ男は思った。ここに水木がいたことで黒いやつは命拾いしている。気づいていないかもしれないが。
「おまえ…握り飯の具は何が好きなんだ」
「…は?」
声は幼いのに言い方に容赦がなさすぎる。水木は鬼太郎を抱きしめ、黙って聞いている。
「なんでそんなこと教えないといけないんだ」
取り付く島もない様子をどう思ったのか、水木がそこで口を挟む。
「俺が、おまえが一等好きな握り飯の具を知ってると言ったから…、おそらく」
「……」
鬼太郎は眉をひそめ、少し考えるようにしたあと、くるりと体を反転した。そうして水木に抱きつく。安心しきった顔で、頬をシャツ越し水木の腹にくっつけて。そうして目を閉じて。
「水木さんが作ってくれたのは、ぼく何でも好きです。今朝焼き鮭でこさえてくれたの、美味しかったです…」
水木は顔をほころばせて。なんというか…、咲き初めの林檎の花のように可憐に。
「でも昨日のおかかも好きだし、昆布のつくだにも…、塩むすびだって好きです」
水木はニコニコして、抱きつく鬼太郎を抱きしめてくるくる回り始める。完全に2人の世界だが、母親と子どもと考えたらまあ…許容範囲だ。水木は母親ではないけれど。
「これからもご飯、作ってほしいです。ぼくもお手伝い、しますから」
黒いのや、普段ネズミ男に向けるのとは別人のような可愛らしい顔で鬼太郎は言う。水木も顔をとろけさせて、鬼太郎は良い子だな、なんて笑っている。
「はい解散解散!かいさーん!」
耐えきれなくなり、ネズミ男が声を上げた。他の妖怪達も賛成と次々退散していく。
目玉の親父は、すまんのう…わしの倅と相棒が…とどろんと帰っていく仲間たちへ詫びていた。
結局、何の集まりだったんです? と有言実行とばかり父達に茶を淹れてから、鬼太郎は尋ねた。
水木は「正直俺もよくわからん」とあっけらかんと肩をすくめた。では…と視線を向けられた目玉の父は、うーむ、と曖昧な声を出して沈黙する。
「父さん」
説明してください、の圧が声にこめられている。鬼太郎にしてみたら自分の留守中に水木が変な妖怪に自宅で絡まれていたのだから、看過できることではない。
「…おまえがのぅ」
「?」
「人間に騙されているのではないかと」
鬼太郎は無言で立ち上がる。
「あいつのねぐらはどこでしたっけ、父さん」
「落ち着かんか、倅や。あー、あやつも悪気があってのことでは…」
そもそも悪気があったり本気で害があったら目玉の体とはいえ退けるつもり満々である。それは鬼太郎もわかっている。砂かけ、子なきなど見知った顔もあったし、実際危ないことはなかったのだろう。それはわかっているのだけれど。
「でも、ぼくはいやだ」
ひとり、話が見えない水木は、泣きそうな顔をする義息を膝に抱き寄せる。そのまま、ぽんぽんと小さな肩をたたいてやる。
「みずきさん…」
「鬼太郎は優しい、良い子だなぁ」
ぎゅうと抱きしめた小さな体、その頭の上に自分の顎をくっつけ閉じ込めると、歌うように水木は言う。
「ありがとうな、俺を守ろうとしたんだろう?」
「…………」
「鬼太郎は本当に良い子だ。俺はおまえが大好きだ」
がば、と鬼太郎が顔を上げる。無言で見つめあった後、ふは、と水木が表情を崩す。そうして今度は鬼太郎の髪をくしゃくしゃかき回し始めた。
「ちょ…、」
「明日は何の握り飯にする?」
「………」
鬼太郎はちょっとだけ頬を膨らませた後、おかか…と小さな声で答えた。
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