ひさね
2024-03-18 23:59:23
3580文字
Public
 

出会い

シオンとマコトの出会いと失われた旅の始まりについて。

 旅の荷物はいつも少ない。路銀と最低限の水、服と野宿用品を鞄一つに詰めて歩く。これがわたしの唯一の信条らしいものだった。
 涼やかな風が草花を揺らす。澄んだ青空と温かな太陽が今回の目的地まで続く黄色い石畳を照らし、きらきらと輝く。長閑な日和だった。
 こつこつと靴を慣らしながら煌めく道を歩いていると、その真ん中にぽつり、と小さな枝が落ちていた。大方城下町から出てきたキャラバンや旅芸人の中に子どもがいたのだろうか。あるいは街から離れた村に帰った家族でもいたのか。後ろから馬車も来ることもこの辺りではそうないようなので、拾い上げる。
 葉はなく、軽い。節ばった部分も少なく殆どまっすぐだ。先端に行くにつれ徐々に細く尖っていく。所謂丁度良い感じの枝だ。魔法を放つときの方向をイメージするための極々簡単な補助にも使えそうだった。
 枝をベルトに差し、正面を見渡せば、町と外を分ける灰色の石をうず高く積んだ壁が漸く見えてきた。目的地は近い。
 柔い風に鼻をくすぐられ、くわ、とあくびをする。無意識に瞼を閉じつつ、一歩踏み出し。
 つるり、と浮遊感。鞄が投げ出される。一瞬遅れて足元が制御できなかったのだと気が付いた。
 でも滑るような何かがあっただろうか。ぼんやりと考えながら、尻もちをつく。石畳の上でじんじんと痛みが広がった。
 そして、手にぬめる何かが触れる。すぐさま掌を確認すれば、透明で緑色の粘液がついていた。異様なそれに空で手を払うが、今の所焼けたり痺れたりする感覚はない。
 視線を上げれば、同じ緑色の何かが飛び出して、ぺちゃりと道に張り付いた。てらてらと光を跳ね返す粘液がうにょうにょと蠢いて、重力に逆らいながら球に近くなっていく。
……魔物いるって聞いてないんだけどな〜」
 飛び上がるように起きて、身を軽く屈めながら一歩下がる。
 生物らしい器官が一切なくとも動く緑の粘液の塊、もといスライムと呼ばれるそれは蠢きながらもその場から離れようとしない。こぽこぽと気泡を立てて、こちらを威嚇している。
 その事実に違和感を覚えた。これは通常森の中にいる筈で、群れの様なものを作るとはいえ、威嚇よりも先に逃亡を選ぶ魔物だ。肉食ではなく、空気中の成分から己の動力源を十二分に作れる以上、自分より大きな生物を襲う必要がない。
 だのに、目の前のそれは敵意を向けている。
 何故、と探る思考を止めるように、一時と十一時、それから九時の方向から一体ずつ同じ様な体格のスライムが飛び出して、駄目押しのように背後からぺちゃ、ぺちゃと粘着質な音が跳ねる。
 すっかり囲まれていた。振り返らずとも分かる。群れにわたしが捕まったのだ。あっさりと進路も退路も絶たれた。仮に無理に突破したとしても、城下町までは少しばかり遠すぎるし対応できるかも怪しい。
 漏れるため息も隠さずに、真正面から飛びかかってきた一体を躱す。躱せばもう一体、もう一体と順繰りに飛んでくる。一斉に襲い掛かるわけではないのか、とまた小さな違和感を抱きながらうっかり投げた鞄を探す。鞄さえあれば遠心力を使ってそれなりの威力で、一気に殴れる。
 ひらひらと躱しながら、辺りを見渡す。そして振り返った辺りに、この包囲網から少し外れた原っぱの、少し盛り上がった白い岩肌に放り出されたそれを見つけた。取りに行くには遠すぎる。
 魔法を使うしかないか、と先程の枝――即席の杖に手を伸ばした瞬間、視界の端に何かひらひらした影が映った。岩陰に何かがいる。視線が逸れた。岩はぽつんと佇む。
 ぺちゃ、と粘っこい音がした。視界の反対側から。突然影ができる。顔を戻せば緑色が目と鼻の先にある。
 枝を持つ腕を振り上げた。
 ずぱ、と切れる。二つに割れて、各々地面に飛び散った。わたしがやったのではない。太陽に照らされて白く照り返す剣が振り下ろされる。
 先には青年がいた。顔色は悪く隈が濃い。白く肩章が輝く制服を着ている。スライムが斬られるその時までそこにいると気が付かなかった。気配を消して近づいたのだろう。
「無事、ですか」
 義務的で端的な、そして取ってつけたような敬語に頷いて答える。
「酸も毒もないっぽいから無傷。丁度そこの国の人かな? 優秀な兵士もいるもんだね」
……戦闘経験は?」
 情報共有ついでに軽口を叩けば彼は眉をぴくりと動かして、次の質問に移った。随分真面目なようだった。王国の兵士はそれぐらいが丁度良いのだろう。
 一方、振り上げたわたしの腕は寄る辺なく、後ろのスライムに向けられる。
「う〜ん、最低限の魔法なら」
 次に、焦げて気泡が弾ける音がする。今度は自分がやった自覚があった。
 背後の状況を見た青年は怪訝そうな顔をした。

 青年が切り伏せて、わたしが火の玉を打つ。場を立ち変え繰り返していれば、あっさりと残りは一体になりわたし達の前でぷるぷると揺れている。
「これで最後か」
「うん。……多分」
 一歩後ろにいる彼に頷きながらも、何かが頭の中で引っかかっていた。
 結局最後までこの魔物達は、群れでいるにも関わらずバラバラに攻撃するだけだった。
 群れを成す魔物は、スライムも例に漏れず、基本的に群れで戦う習性がある。一斉に、同時に攻撃するはずなのだ。スライムのように個々が弱いのであれば尚更、各個撃破されるような真似はしない。他種と共同して戦うこともあるのだから、彼らにはそれなりの協調性とそれだけの統率力がある。そうでなければ生き延びられない。
 個々で飛び交って視線と思考を滅茶苦茶にするあれは、まるで陽動だと思った。強力な他種がいれば、作戦として身を切ることもあるとは聞くが。
 ふと、岩の裏の影を思い出す。一瞬だけ感じたひらひらとした影を。
 腑に落ちた。今までの彼らの行動、全てが。
 本当に陽動なのだ。
 最後のスライムが飛ぶ。だから思い切り後ろを振り返った。
 驚く青年の顔。その更に後ろ。けばけばしい水色の蝶々が青年の頭のすぐ後ろで飛んでいた。大方毒でも撒くつもりなのか、羽根を大きく広げている。
「ちょっと背中借りていい?」
「は?」
 驚く声も気にせず、彼の体を思い切り引っ張り、スライムの攻撃の盾にするように向こうへ押し付ける。
 そして枝を投げた。腹に刺さり、蝶は枝の重みで落ちていく。同時にべちゃ、べちゃと粘液が落ちる音もした。彼の反射神経を信じて良かったと思う。
……おい。お前、急に人を盾にするって、どういう」
「はは、ごめんごめん」
 徐々に萎んでいく正当な抗議の声を後ろに、蝶に刺さった枝を引き抜く。腹から薄い青色の体液が流れて、羽ばたく余力はないようだった。
「これ、燃やした方がいい?」
「燃やして良い。……紛らわしいことしないでくれ」
「了解」
 火を撃って死にかけのそれを燃やす。ついでに枝も燃した。体液に毒があるタイプの魔物だから仕方がない。
……協力感謝する」
「こちらこそありがとう〜。それにしても魔物が人の生活圏に出るなんて珍しいね」
 そして投げ飛ばした鞄を拾った。土を払う。
「最近、急に多くなった。昨日も丁度ここで商隊が魔物に襲われている」
「へえ、それは災難だ。安否は?」
「幸い命に別状はないらしい。……重傷者はいるが。だから兵士や、手すきの兵士に準ずる奴は見回りをするよう命じられている。多分あれが犯人なんだろうな」
「そうだろうね〜。ああいう魔物は基本狩場変えないし。というか、公務員の仕事の状況とか喋っていいの?」
「公開されているから問題ない。それに」
 彼は言葉を切った。顔を上げる。仏頂面が映って、妙に嫌な沈黙が流れる。
 なんとなく分かる。雲行きが怪しい。経験則上、ろくな事にならない。
「じゃあ一般通過しただけの旅人はそこの国の検問に行くので」
「オレも行く」
「いや、一人で行けます」
「魔物等の襲撃からの国民の保護に関する法律」
「連行とかやめて〜?」
「分かってるなら話は早いな。オレはマコト。兵士に準ずる職にあたっている。で、名前は?」
……シオン」
 そうか、と白い制服の青年――マコトは呟いて、むんずとわたしの腕を掴む。
「じゃあ、魔物が出てきたときの状況や数について役所で聞くので来い」
「ここ来た初日に公務員のお世話になるの、ちょっと嫌だな〜!」
「義務だから諦めろ。余り抵抗すると公務執行妨害にもなるぞ」
「絶対嫌〜〜〜!!!」
 ずるずると灰色の市壁へと引きずられていく。この後の拘束時間を考えると、頭が痛くなりそうだった。
 これが世界の命運まで掛かるような長い旅の始まりになるとは微塵も思っていなかったし、きっと誰も知らなかった。
 長閑な日差しが道を照らすばかりであった。