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ひおう。
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剣伊
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「喰らわば皿まで」
怪異の毒で片目が負傷した伊織。
一
飛び散った血飛沫に思わず瞳を閉じた。生暖かい液体がべとりと張り付く感覚に不快感を覚えながら、刀を振るい刃に着いた血を落とす。まず何より先に、刀を優先させる姿に伊織らしさを感じながら、セイバーは眉根を潜めた。
「イオリ、奴等の血
……
体液は毒となる。さっさと落とすが良い」
白妙の衣は砂埃すらひとつ付かず、風に揺られている。衣を視線で追った伊織が、眩しげにひとつ、瞬きを落とた。
怪異にも種類がある。盈月という膨大な魔力に惹かれたうちの一種類が、只人ならば忽ちに蝕まれてしまう毒の体液を有していた。それをここまで盛大に浴びてしまっては、いくら魔力を持つ呼び人とはいえ無事に帰還できるか怪しいところだ。
「近場の川
……
いや。そんな毒を流せば民に被害が出るな。どうしたものか
……
」
困り顔のまま、伊織は思案する。どうにか汚れても構わない布を調達するしかないか、しかし布を取りに行くにしても、格好では要らぬ心配と、下手をすれば役人沙汰となるだろう。それはなんとしても避けたいところだった。
「ふむ
……
ならば特別だ」
セイバーはそう云うと、片手を掲げ水の球体を作り出す。彼と背を合わせて闘う中で、幾度となく見た絶技の一つだ。とぷりと揺蕩う水球を伊織の眼前に掲げ、セイバーが疾くせよと視線で促してくる。
一考の後、伊織は水球に持っていた手ぬぐいを水に浸け絞り、先ずは顔を拭った。べたつく液体は面白いくらいに濡れた手ぬぐいによって落とされていく。真っ赤に染まった手ぬぐいをまた水につけ拭い、それを数度、繰り返した。
流石に着物に付着したものまでは落ちきれていないものの、皮膚に纏わりついていた液体は綺麗さっぱり、セイバーの水にて清められる。その頃には、あれだけ美しく透明な水だったものは、血河のような禍々しい赤に塗れていた。
「これでもう人目を気にしなくて良いな」
「ああ。助かった、セイバー」
「うむ、大いに感謝せよ! しかし、次からは浴びぬように注意してかかれ。こう何度も私の水をそのように使うのは、気分が良くない」
ぱしゃりと音を立てて地面で割れた水球は赤黒い染みを作る。土壌汚染だとかが頭を過るが、こんな田畑もない場所では関係ないかと思い直して、彼を見た。
己の技をそれ以外の用途に使う場面はいくらでもあったが、此度は随分と難色を示すセイバー。それが伊織の身を案じてのことであるというのは伝わっていなかった。結論のみを告げるセイバーの言では、当然といえば当然だ。
だから伊織も、今に始まったことではないだろうと疑問を浮かべつつ、しかし絶技を怪異や敵以外に使うことに異を唱えているのだと結論付けて、素直に頷いて見せる。
「そうだな。お前の力はこんなことのために有るわけではない。肝に銘じよう」
「いやまあ、そうなのだが
……
ああもう! 今はそれで良い!」
機嫌が悪くなるセイバーに、己の返答が間違いだと覚った伊織。だが大股で先行くセイバーになんて声をかけたものかと、開きかけた口を閉じて、伊織は肩を竦めた。
「難しい御仁だな
……
」
「イオリ、疾く帰るぞ! そろそろ夕餉の時間だ!」
立ち尽くす呼び人に声を掛けるセイバーの声音はすっかり平常で、伊織も、まぁ良いかと、深く考えずに後を追った。
二
じくじくと、蝕むような痛みと熱さを右目に感じ、伊織は目を覚ます。痛みに思わず目を掌で押さえると、随分と熱を帯びていて、伊織は驚くと共に、冷や汗が流れるのを感じた。
しかしそこは伊織だった。取り乱すのも一瞬で、相反し冷静な頭で原因を思い起こす。
十中八九、日中の怪異の体液だろう。体液を浴びたあの時、僅かに眼球へと流れてしまったか。
「
……
っ、ぅ」
燃え滾る熱さに押し殺せなかったうめき声が漏れ出た。家々の隙間から入り込む風の音があるとはいえ、喉から出る声は随分と響く。サーヴァントは、眠る必要が無いと聞いていた。寝返りの衣擦れの音ならいざ知らず、あからさまな伊織の声ならばセイバーは聞き逃さないだろう。
現に、側で座して双眸を閉じていたセイバーが動く気配がした。
「イオリ、触れるぞ」
囁くような音で名を呼ばれ、返事を待たずに押さえていた手が退けられる。指先だけで触れられただけだと云うのに激痛が走り、閉じていた目から止め処無く涙が溢れた。
「毒に侵されたか。きみは毒に随分と縁があるな」
誂う言の葉を紡ぐ割に、音は余りにも心痛さを乗せていて、伊織がくすりと笑う。
「ははは、弁解の余地もない
……
セイバーの、手は
……
」
「うん?」
労るように撫でていた手が止まる。セイバーの手に己の手を重ねて、その温度の心地よさにうっそりと囁く。
「冷たい
……
いや、俺が熱いのか
……
」
「そうだな。きみが熱すぎるのだ
……
。夜が明けたら、キルケーか、薬を売っていそうなワカダンナか
……
その辺りを訪ねよう。ワカダンナに頼るのは業腹だがな」
不服そうに唇を尖らせたセイバーに、伊織はまたくつくつと笑い声を上げる。
痛みに荒い呼吸を繰り返すものの、意識があるだけで、セイバーの心労は和らいだ。
「すまない、セイバー
……
」
「イオリ」
「なんだ
……
」
ぐ、と身体を抑えつけるように力を込め、セイバーは掌に収まる右目を覆うように水を作り出した。不思議そうに息を飲む伊織の頭を撫でてから、云う。
「これで目を洗え。魔力を帯びた水故に、痛みはあれど少しは毒の進行を抑えられる」
「しかし
……
いや、悠長に構える暇もないか。すまん、借り受ける」
ニ度も彼の妙技を使わせる申し訳無さはあれど、このまま足手まといになる事が、伊織としては我慢ならないのだ。
ぱちり、と水に浸かった瞳を瞬きする度に痛みが伊織を支配する。
「ぅ゛っ、
……
ぐ、ぅっ
……
」
苦痛を耐える呻きが痛々しい。のたうち回ろうとする身体を、セイバーは力強く抑えた。回復の逸話を持たぬ己を、これほどまでに恨んだことは、此度の儀以外では無いだろう。せめて夜が明けるまで伊織の目が持つように、セイバーは魔力を注いでいく。
「っ、は、はぁ
……
くッ
……
」
寸刻という短い時の後、「こんなものか
……
」とセイバーが呟き、水が伊織から離れた。激しい切り合いの後のように肩で息をする伊織に、痛みが体力を消耗させたのだろうと察する。セイバーは水を払うようにして消してしまうと、藍鉄色を覗き込んだ。
「どうだイオリ。幾分だが、和らいだか」
「ああ
……
今、は
……
平気だ
……
」
瞼が重たそうにゆっくりと閉じては開くを繰り返す。濡れた瞼を袖で拭っても再び濡れることはなく、痛みは確かに無いようだった。まだ蝕んでいるのかもしれないが、少なくとも、無意識に涙が流れる程の痛みは無いようで、ようやく詰めていた息を吐き出す。
「そうか。ならば、眠ると良い。明日は少し、早いぞ」
「そ、うだな。そうする
……
」
言葉尻は掠れ、直ぐに寝息がセイバーの耳朶に届く。眉根を僅かに寄せた穏やかとは言い難い寝顔に胸を締め付けられながら、その頬をそっと撫でる。
月明かりに照らされる顔は死人のように白く、背筋が凍る思いだ。
指先に伝わる熱と、上下する胸、微かに聞こえる呼吸。彼が生きている証に全神経を注ぎながら、座したセイバーも夕日を閉じた。
三
瞼の裏からでもわかる朝日と、衣擦れの音に伊織が目を覚ました。ぼんやりと見知った天井を見ながらその違和感に気が付き、眉間に皺を深く刻む。確かめるように何度も瞬いてから、今度は左目をすっぽりと己の掌で覆った。
ぼんやりと光はわかる。しかしそこにあるはずの天井やら、壁やら、鍼やらも、ぼんやりと輪郭が見えるだけであった。
心臓がどくりと大きく鳴る。次いで冷や汗が流れ、左目を覆う手が震えた。驚愕の目で空を見つめる伊緒に、セイバーが静かに声を掛ける。
「イオリ、起きたか」
「っ!
……
あ、ああ
……
セイバー」
声にびくりと肩を揺らした。常に冷徹である伊織とて、流石に剣に関わる事ならばわかりやすく狼狽えるらしい。僅かに双眸を細めたセイバーのそれは、鋭い。
「見えぬか」
短い言の葉は伊織の心臓に見事一太刀を浴びせた。鋭く冴えた月のような剣を振るう彼は、言の葉すら刃のように鋭いことがある。
「
……
そのようだ。しかし刀は握れる」
真っ直ぐにセイバーを見つめた伊織の意思は固いようだった。人生を思えば短い時とはいえ、セイバーは伊織の人となりを僅かにでも理解してるつもりだ。こうなってしまえば我を通す男故に、セイバーは早々に説得を諦める。
「片目が使えぬ戦闘は経験ないのだろう? 勝手を知らぬのだ、余り前に出てくれるな」
「ああ。それでなくともおまえより弱い身だ。足手まといになるつもりは無い」
弁えていると、頷いて見せた伊織にセイバーは「そうではない」と、音に出さず反論しながら、渋々と頷いた。
四
道をただ真っ直ぐに歩くことも、崖をセイバーの力を借りて登ることも、片目であれば中々に難しいものなのだと、伊織は初めて知った。平衡感覚を失うのか見えない右側へ次第に寄っていってしまうし、真っ直ぐに歩けぬのなら真っ直ぐに走るのも不可能である。
普段なら手を借りるだけで事足りる崖は抱えられて登る始末。
そしてやはり懸念通り、振るった刃を当てることが兎に角難しかった。数度の戦闘で慣れたものの、届いた切先は浅く、致命傷に至らない。
当世にしては鋭い剣技は健在なれど、切れねば意味がないのだ。
伊織は剣を極めんと日々を過ごしていた。貪欲に、剣に重きを置いて日常を過ごす。だからこそ、相当悔しいのだろう。唇を噛み締めて、己の手を剣呑な眼差しで睨んでいた。
「キルケーの知恵で治れば良いが
……
最悪の結末もあろう。その時きみは、どうするのだ」
先の戦闘の為体に奥歯を噛み締めていれば、セイバーは毅然と訊いてくる。濁さず、直球に言の葉を紡ぐ彼に、幾度となく難色を示したものの、此度の問は儀にも直結する。伊織は逡巡した後、琥珀を見つめた。
「また随分と抉ってくれる。片目でも、二天一流を極めるだけだ。儀とて、勝ち抜く」
嘘も、迷いも無い答えだった。
伊織の覚悟は、儀を勝ち抜くという意味では、確かに好ましいものだろう。しかしでは、儀が終わればどうか。
瞑想にて手放した彼の尊いものを想いセイバーはうつくしい顔に影を落とした。伊織は納得して、己で捨て、掴んだ。勝ち抜くという意味では喜ばしい反面、儀を終え、現代を生きるはずの伊織の未来を想いただただ心が翳る。
「セイバー、そろそろ見えてくる
……
セイバー?」
「ああ、聞こえている。行くぞ」
伊織を一瞥して、セイバーは数歩先を行く。その背に哀愁を感じ、しかし伊織はかける言の葉を持たないと、セイバーの後ろを歩んだ。
探し人のキルケーは鍋を火に焚べながらかき混ぜているところだった。時折味見をするように中身を口に運んでは、頬を綻ばせて頷いている。
「キルケー、邪魔をする」
「なんだい、邪魔だって解っているなら
……
随分と難儀なモノ、引っ提げてきたねえ?」
伊織を見た途端、彼女は眉根を寄せた。怪異の体液、つまり魔力が毒となるため、優秀なキャスターである彼女は一目でそう判断したのだろう。
反応から察するに、解毒には余程面倒なのか。
「察するに
……
解毒だろう? けど、私の手持ちの薬草では無理だね」
「また、前回のように薬草を取りに行くのでは駄目か」
伊織が食い下がれば、彼女は難しい顔で唸った。
「私が手元にない薬草は、この日ノ本では手に入りにくい。古今東西の薬草を扱っている商人がいるなら、話は別だけど
……
」
途端、セイバーは目に見えて顔を顰めた。伊織も思い当たる人物を浮かべ、薄く笑う。
「セイバー」
「ええい、皆まで云うな! 解っているとも!!」
業腹だと表情、態度どちらにも出ているものだから伊織は肩を竦めた。彼の傲慢とも云える態度は、恐らく名のある英霊だからこそなのだろう。
伊織は兎も角、セイバーは上に立つ者だ。
為政者側である故に、為政者であろう巴比倫弐屋の店主、若旦那と在り方が衝突する。彼は心が広いのか、それとも己が為政者として優秀だという実力の差故か、不機嫌そうな表情を作りつつもセイバーをいなしてくれるおかげで、大きな衝突には至っていない。
「むむむッ!! 仕方ない! 背に腹は代えられない、というやつだ!」
己に言い聞かせているセイバーを横目に、彼女は伊織に向き直った。
「話は纏まったかい? これが持ってきて欲しい薬草だ。何種類かあるけど
……
ま、君たちなら問題ないか」
か細い指から上質であろう紙を渡される。開いて確認するものの、その文字は伊織の記憶にあるものとはかけ離れていて、疑問符を浮かべて彼女を見た。
「これでは
……
」
「その紙を思い当たる人物に渡せば良い。なあに、その御仁は中々の知力の持ち主だろうから、わけないさ」
力強く頷かれはならばと、セイバーは伊織を抱えて踵を返した。
五
子供たちに取り囲まれ、幾ばくか柔らかに目尻を下げる若旦那が、伊織たちを見て鼻で笑う。なにか一言、二言を子供たちに告げれば不満げな声を零しながら、渋々と巴比倫弐屋から帰路についた。
そうして子らを見送った若旦那の元へ二人は歩みを進める。
「来たな雑種。薬だろう? 全く、大したことの無い怪異に斯様な遅れを取るとは
……
随分と、気が緩んでいるな」
その赤い双眸がぎらりと二人を睨む。呆れ、怒り、どちらとも取れる色を宿した若旦那だが、ぱちりと瞬き一つでそれは直ぐに消えていた。
「弁解の余地もないな
……
。して、若旦那、俺の目を治せる薬草を扱っていると聞いたのだが」
おず、とキルケーから預かった紙を差し出すが、若旦那は頭を振り空へ片手を掲げる。宙に波紋のような金の輪が広がり、その中心から落とされたのは草の束。
それが、紙に書かれた薬草の全てなのだろう。
「我が宝物庫ならば、斯様な薬草の一つや二つ、常備しているとも。しかし我は若旦那。これは商売である。
……
解るな?」
「元よりただで貰えるとは思っていないが
……
。此度は急を要するだろうに」
唇を尖らせたセイバーに若旦那がやれやれとため息をつく。口を開きかけた所でセイバーも遮るように声を張り上げた。
「あーあー識っているとも! そういう奴だワカダンナは! して、いくらなのだ?」
「貴様我の言の葉を遮るとは
……
。まあよい、これらの薬草の総額だ」
そう提示された金額に、二人共々目を白黒させた。伊織をの懐が寒い事を抜きにしても、並の財力では手が出せない。確かにキルケーはこの国では手に入りにくいとは言っていたから、そこそこに値が張る代物だとは覚悟していたけれど、限度がある。
「流石にぼったくりではないか!?」
思わずセイバーが吠えるものの、若旦那は「たわけ!」とその言を一蹴する。声の大きさに驚いたセイバーが、目を丸くして、彼を見た。
「これは日ノ本の気候では栽培できぬ貴重品。無論、値は張るとも」
成程、となればその値も納得のいくものだ。
人の苦労を見て愉しむきらいがある若旦那のこれまでの言動に訝しむものの、嘘は付かぬかと掠めた可能性を改め赤い眼を真っ直ぐ見つめた。
「すまない若旦那、なにか面倒事を引き受ける代わりに、値の交渉をお願いできないだろうか」
「もとより貴様の素寒貧な懐では天地がひっくり返ろうとも土台無理な話よ。そのための雑用は用意してある」
「忝い。して、その雑用とは
……
」
「この山を怪異が闊歩しているらしく、仕入れている素材が随分と質落ちしてな。その怪異を尽く退治てくれれば
……
そうさな。十萬まではまけてやろう」
それでもその日暮らしをする伊織たちにとってはかなり高い買い物だが、工面できない額ではない。片目が一生使い物にならない事態に比べれば、実に安い買い物だ。
「考える余地もないな。イオリ」
「ああ。その雑用、承る」
にんまりと愉悦を含んだ笑みを浮かべた若旦那に、本当にただ右往左往する様を見たいだけのような気もしたが、これで臍を曲げられてはかなわないと、伊織は静かに瞳を伏せた。
六
足を踏み入れた山は人の出入りがそこそこにあるらしく獣道なれど歩きやすい。だと言うのに伊織は違和感が拭えぬまま、山を登っていった。
大きな山ではない。登り慣れている者ならばものの一刻で下山含めてできるであろうものだ。
しばらくセイバーを先頭に獣道を歩いていた伊織がふと、その耳に聞こえるはずの生き物の音がないことに気がついた。虫の鳴き声、羽音、鳥や獣たちなど何もかもの気配がない。感じていた異変はこれかと傍ら、警戒を強めた。小言の一つも漏らすかと身構えていたセイバーの言の葉が、今思えば一つもなかったことに行き着き益々気を引き締める。
「イオリ構えよ。来るぞ!」
鋭い声に伊織は刀を抜きながら気配を探った。直後、濃く重たい魔力が二人に伸し掛かる。眉間の皺を深くしながら、泥の中から湧き出てきた怪異を睨みつけた。何度か見かけたことのある大型の鬼が数体、その後から小鬼たちが有象無象の如く増えていく。
「イオリの目のためだ! 滅してくれる!」
セイバーは刀を顕現させると勢いよく飛び出した。切先から水が迸り、鬼の分厚い皮膚を容赦なく刻んでいく。水は広い範囲を切り付け、近くにいた小鬼たちをも巻き込んだ。圧倒的な力の差に、水で斬り裂かれた鬼たちはぱたりと倒れ塵となる。
眼前の鬼と対峙していたセイバーに、咆哮を上げながら突進してくる個体があった。彼は難なく空中に飛ぶことで避け、重力を味方に突進してきた鬼へ、刀を突き刺す。痛みにのたうち回るように暴れる鬼の背を乗りこなし、鋭き水が鬼を斬り刻む。さてそろそろ倒れる頃合いかと、セイバーが刀を突き刺そうとした瞬間、視界の端に伊織の姿を捉えた。セイバーの意識が伊織に移る。
小鬼たちを引き連れた鬼の一体が、伊織へ大きな金棒を突き出した。片目を負傷し、セイバーに弱いとまで云われる伊織だが、当世に似つかわしく無い刃の鋭さも、冷徹な思考も健在だ。数度の戦闘という経験から、既に己の間合いを理解しているようだった。
伊織は紙一重で金棒を避け、二歩程飛び退くと二刀を振るう。斬撃と、伊織の持つ刀身が鬼の分厚い皮膚を削り、僅かばかりの損傷を与えた。小鬼は斬撃に巻き込まれ、身動きが取れず、しばらくしてその身を崩した。
怪異には魔力を纏った攻撃でないと致命傷を与えづらいはずだが、空の型で的確に急所を付くためか鬼の力を徐々に削いでいく。
――
きみはやはり、そうなのだな。
まるでかつての、生前の己の闘い方に酷似した伊織のそれに、首筋を一閃して一体の鬼を退治たセイバーは地面に降り立ちながら愁色を濃くした。
しかし直ぐに緩く頭を振り、眼光鋭く鬼を見た。小さいセイバーを侮ったのか、はたしてそんな感情があるのかも解らぬが、口元がニヤリと歪む。
すう、と短く息を吸い、地面を蹴った。
「せえぇい!」
声とともに渾身の力で剣を振るう。一刀により、鬼の身体は塵となって崩れた。
絶えず背後で響いていた伊織の斬撃の音がほぼ同時に止む。魔力を探っても隠れているモノは無いらしくこれで片は付いたようだ。
振り向きざまに刀をしまい、伊織を確認する。ところどころ掠り傷はあれど目立った大きな傷は負っていないようでひとまず安堵するように息を吐いた。
「そちらも終わったようだな」
「ああ。これにて終いのようだ」
納刀しながら周囲を見回す伊織も、闘いに詰めていた息を吐き出した。慣れない片目の戦闘に随分と苦戦したようで、その額には汗の跡が見える。
「強くなったな」
「なんだいきなり」
呟いたセイバーに伊織が首を傾げたが、彼はそれ以上言葉を紡ぐ気は無いらしい。言祝にしては、その色は相応しくない悲しげに揺れていた気がしたが、それ以上伊織は追求しなかった。
踵を返し、二人は下山する。
土や草を踏み分ける音が、二人の間に響いていた。
七
「はぁ
……
やっとだ」
浅草の、荒屋だがすっかり憩いとも思える長屋に帰ってきたセイバーと伊織。苦手な若旦那との相手にすっかり気疲れを起こしたセイバーは腰をおろして吐き出した。
若旦那に怪異退治の報告、薬草を買い、その足でキルケーの元へ赴き薬を煎じて貰い、今漸く帰宅といった具合だ。言葉にしないだけで、伊織も同じ気持ちなのか「そうだな」と、短く同意が返ってくるのみであった。
「此度はすまなかった」
「うん?」
意気消沈といった具合の伊織を見上げる。表情が解りやすく歪んでいた。
「俺の未熟故に、おまえには迷惑を
……
」
「イオリ」
言の葉を遮る音は澄んでいた。陰った瞳で見下ろしたセイバーの顔は穏やかで、夕日のような琥珀は、月のように静かに伊織を写す。
「私と比べれば弱いきみも、当世ではとても鋭い剣を持つ。だが、きみは人なのだ。だから、それで良い」
「それは
……
いや。そうか」
「だが、次からは本当に用心してくれ」
「ああ、精進する」
きみは泰平の世を生きる人なのだから、それで良い。
だが、ああも苦しむさまを見るのは、二度と御免だ。だから用心してくれ。
そんなセイバーの想いを知ってか知らずか、伊織はただ頷いた。
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