河童の皿箱
2024-03-15 21:39:51
3549文字
Public 遊戯王:短め(2024年度)
 

写絵

娑楽斎さんがあまびえさんを描くだけ

 街の外れの山の中。川のせせらぎが聞こえる、僅かに舗装された山道の隅に、筋骨隆々とした着流しの男が1人。画帳と向き合っては眉間にしわを寄せ、鉛筆の線を引いては消しては落書きしては、次の頁をめくり、かれこれ4時間ほど思うように進まず、ため息をついていた。
 男の名は娑楽斎と云う。その名の通りの傾奇者でありながら、街いちばんの浮世絵師を自負しており、延々と落書きし続けているのは、仕事のための案を何とかひねり出そうとしているのだった。しかしその様子の通り、碌に進んでいない。またひとつため息をついては首を振る。おろした髪がばさばさ乱れ、画帳を閉じて山の獣道を歩き始める。
 男はこの山に近頃何度も何度も出入りしていた。というのも、男のいる街には疫病が蔓延してしまい、どこに出かけるにも、やれ人との距離をとれだの口を覆えだの、挙句の果てにはまず出かけるなと、大変息苦しい様相になってしまったのだ。
 男は困った。大抵街をうろついて案を出していたし、どうにもじっとしていられない質で、何よりも男は一座の仲間を大切にしている。無論、病を持ち帰るなどともってのほか。人のいる場所に出かけられない以上、どうしたものか。この息苦しい生活を快く思わなかった男は、自然豊かな場所へと車を走らせては、そこをぶらつくことにした。
 獣道は川に続き、その川を遡って約5分。男は泉に辿り着いた。そのほとりに座り込んでは、また画帳を開いて鉛筆を走らせ、いくつかの案を出すもののやはり納得いかず、うんうんと唸り始める。
 しかし、男はまだ納得のいく答えを見つけられない。さて、どうしたものか。このままただ白紙に向き合っていても対した成果を得られないと、男は知っていた。あぁ、街を歩ければ。誰かが作ったものに刺激を受けて、自分の中の爆発を描けるのに。ふと腹がぐぅと鳴れば、男は自らの空腹に気が付く。鞄に忍ばせた2つの歪なおにぎりと今朝の残りのおかずをぺろりと平らげた男は、得た満腹感からついつい脱力し、眠りこけてしまった。



 男が目を覚ませば、木々の茂る道はすっかり暗くなってしまった。どうやら日が暮れてしまったようだ。男は焦り、困り果てた。なにせ男が持っているのは、画帳といくつかの画材類に、空になった弁当箱と、あとは手拭いだけ。携帯電話は持っているものの、その照明は川を下るには些か頼りない。ましてや野宿をするための道具など持っているはずもなければ、防寒具の類もなかった。
 さて、どうしたものか。男がひとまず荷物を鞄にまとめ、電波の入らない携帯電話を眺めていたのもつかの間。なんと泉の水が輝きを放ったのだ。赤に黄色に青に緑に。色が混ざり、煌めいて。男はすぐに目を奪われ、泉の水を眺め続けた。色はまるで、水を泳ぐ魚の群れのように、くるりくるりと回遊し続ける。男ははっと気が付き、この光景をなんとか残そうとしたが、その刹那に光はひときわ強くなり、泉は大波を起こした。
 その中央からびゅぅーんと飛び出してきては、男の目の前にばしゃんと落ち、水しぶきがざぶんと上がれば、男は荷物を守るのに必死で大水を頭から被ってしまった。

 男がずぶ濡れになって、水がおさまる。ふと男が泉に目を向ければ、そこには大層美しい女が泉から姿を現し、男のいる方へいる方へと前のめりになって身を乗り出していた。
 まるで水の様な澄んだ色のぷっくりとした髪は泉の中へと長く続き、先の泉の光の如き鱗は身体中でキラキラと輝く。鯨の如き尾は曲線を描き、ぱしゃりと泉を波打たせる。美しい女は、目を剥く男に告げる。
 女は自らを『あまびえ』と名乗り、お前の都は疫病に苦しんでいるのだろう、と。男は呆然としながらも頷く。女は続けて告げた。私の姿を写した絵を描き、人々に見せよ。さすれば疫病退散をして見せよう、と。
 伝説や迷信をよく信じる男は、あまびえと名乗る女に心当たりがあった。そしてそれは、願っても無い申し出であった。男は街で苦しむ人々を何人も見てきたし、自分も窮屈な暮らしを強いられている。何より、男には大切な仲間達がいた。仲間が病に侵されぬかどうか、それが最近の男の悩みであった。これがもし、自分の絵で解決するのならば。男は女の申し出を快く受け入れ、女はそれはそれは大層喜んだ。男はすぐに濡れた服を大雑把に絞り、手拭いでさっさと体を拭き、鞄の中の画材を取り出す。これだけ良い題材の写し絵、責任重大、腕に縒りをかけなくては、と。
 しかしいざ描かんと墨に筆をおろす瞬間、男の筆はぴたりと止まった。いくつかの懸念が逡巡したからだ。あまびえと名乗ったこの女、幾つの女を見てきた男の目からしても、一言で表せば美しいと形容してしまうほどの美貌を持っている。その様な女を写し絵にして、人々に見せても良いものだろうかと。女に狂った者を、果てなく美しい煌めきに惑わされて人の道を踏み外した者を、男は知らぬわけでなかった。そして、男は自らの影響力もよく知っていた。
 男は人の良いところをたくさん知っているが、同じぐらい悪いところも知っている。男は想像してしまった。この美しき泉に大挙する人々の姿、女を捕らえて鱗を剥ぐ人の姿を。どうでなくとも、水が穢されてしまう可能性だってある。だが、目の前の女はまだかまだかと目を輝かせて、自らの写し絵を待っている。さて、どうするべきか。
 悩んだ男が光り輝く泉に目を凝らすと、女のすぐ近くには、まるで魚のような大きさの、女のように長い髪を流す、2匹の珍妙な生物が泳いでいるのを見つけた。男は女に尋ねた。女は答えた。妹である、と。男はその答えに頷き、ならばと筆を素早く走らせる。

 男は瞬く間にひとつの絵を完成させた。目の前の女のように、美しい姿をした3人の姉妹の姿だ。それを女に渡す。女はその絵を一目見るや否や、諸手を挙げての大喜び。そして妹たちも絵をのぞき込んでは、わあわあキャッキャと跳ねて喜んだ。そうしていると、男はさらにもう一つの絵を女に渡した。魚のような姿をした、3人の姉妹の姿だ。男は特段、鱗を持つ生き物を描くのが得意であった。見事に並んだ色とりどりの鱗を見て、女はこれも可愛らしいと尾を振り喜んだ。2つも描いてもらったのだからと、女は身の上話を語り始める。
 そも、あまびえとは海に棲むという。だが長女の気まぐれでえっちらおっちらと川を上り、疲れ果ててここに辿り着いて眠っていたそうな。そして男がここにやってきて、ガサガサ立った音に目覚め、女は絵を描く男に自分を描いてもらおうと様子を窺っていたのだ、と。しかし男が眠りこけてしまい、起こすにも泉から離れていて起こせず、起きた瞬間を狙おうとしたが、目覚めるや否や立ち去ろうとしたので、急いで光って水をかけたのだ、と。
 男はゆったりと耳を傾けては、そうかそうかと話を聞いた。男は言う。お前はあまりにも綺麗だから、絵を見せて回れば、ここに悪い奴が寄り付くかもしれない。俺が帰ってこの絵を見せる前に、海に帰った方が良い、と。女は男の忠告をしかと受け止めた。男は魚の様な姉妹の姿を人々に見せるつもりだと。ではこちらの人の姿のほうは、と女が聞けば、男はそれはお前たちが持って行け、と答える。そしてもうひとつ付け加える。俺もこの川を下りたいんだが、少しだけ明かりを貸してくれないか。今持っている明かりだけだと、足を滑らせてしまいそうだから、と。
 女は微笑んでその申し出を受け入れた。泉からちょろちょろと流れる川を、4人で下り始める。男の持つ心細い明かりと、女が灯す虹色の光と。電飾の様に煌めく水に男は心奪われながらも、足を滑らせて転ばぬよう用心し、5分ほど下りれば、男がやってきた獣道が見えた。男は姉妹へと感謝を伝え、女は男に、お前は絵が上手いな、と返した。男は笑う。当然だろう、何せ俺は街いちばんの浮世絵師だからな。
 男は別れを告げ、姉妹たちは手を振り、また川を降っていく。男は獣道を進み、舗装された道に出て、山を下る。初めに悩んでいた場所を通過する頃、男の頭の中には煌めくひらめきが数えきれないほどたくさん浮かんでいた。どれから手を付けるべきか、どこから形にするべきかと、胸の高鳴りが足に伝わるほど。いち早く帰らんと駐車場まで辿り着くと、携帯の電波が通じて、大量の通知が携帯電話を震わせた。そのほとんどは仲間たちからの心配の連絡だった。物寂しい駐車場に残っていた車に乗り込むころ、最後の通知に目を通す。仲間の雅楽師と浄瑠璃人形師からの連絡に、男は頭を抱えた。

 いつまで経っても帰って来ぬから、能楽師の片割れがかんかんに怒っている。

 さて、どうしたものか。