今日も今日とて、デーデマン邸からはおよそ屋敷内から響くものではない音が響いている。ほのかに舞う土埃を感じ、Ⓑは掃除が大変そうだな、と思い浮かべた。
セバスチャンが武器を使用する音も聞こえるため、そろそろ回収しに向かった方が良いだろうと、音の方向へ向かう。
そこでは、想像通りのセバスチャン対ヘイヂの図が出来上がっていた。しかし、事の始まりを起こしたはずのデーデマンの姿は見当たらない。
おや、と首を傾げたが、もしかしたらヘイヂを囮に逃げたのかもしれない。時折、友人だと言っておきながらあっさり裏切る姿は、この人が自分の主人でいいものか、と悩む瞬間でもある。だが、だからといってこの屋敷をやめるようなことはない。
給与が良いからという理由ももちろんだが、この屋敷で働いていたといったら果たして他の屋敷が雇ってくれるものだろうか。答えは限りなく否に近い。通常の使用人より使える人材であろうと、デーデマン邸で普通に働けていたとなれば、それはもう普通ではないのだ。
──時々、街中での視線が突き刺さるんだよなぁ……。
はぁ、とため息をついて、セバスチャンがヘイヂにとどめを刺す所を静観するⒷ。飛び散る血や肉片にも慣れてしまった。おそらくそれは異常な神経になっているのだろうが、それもヘイヂのものであるからだ。おそらく、ちゃんとした人間のものだったらこんなにも平然としていられないだろう。
気づけば、それらは消えているから、視覚からの情報が操作されているとしか考えられない。
──いや、実際そうだったら怖いけど。
「Ⓑ」
「はい。Aには、もう片付けを始めてもらっています。あと、修繕屋にも連絡を」
そう言って、ちらと上を見上げれば、結構な広範囲でぽっかりと穴が開いている。久しぶりの大規模な火薬を使ったらしいが、おそらくをそれをセバスチャンが弾いて被害が天井へ行ったのだろう。
大きな口をあけている天井からは、どんよりとした曇り空が見えた。
「しばらくこちらは封鎖ですね」
「ああ」
「今日の夜から雨らしいので、すぐに来てもらって応急処置を先にしてもらいます」
「分かった」
普段だったら天井に穴が開くことも気にならないが、雨が降るとなれば別だ。廊下の絨毯が雨に濡れると、それによる被害は甚大だ。しかも、大雨となれば、仕事への意欲も減るというもの。
「そういえば、旦那様は……」
「逃げられた」
思い切りしかめ面をすると、どこからともなく出した刀を手に持ち、セバスチャンはデーデマンを探しはじめる。
どうやら目標を失ったらしいセバスチャンを見て、珍しいこともあるものだ、とⒷはぼんやり思った。すぐに思考を切り替えて、己の仕事へと取り掛かる。
先ほどまで、まるで虫の息のように廊下で倒れこんでいたヘイヂはすでにいない。さっさと壁の中へ引っ込んで、次の算段でも立てているのだろう。
「……やるか」
大掃除になることは覚悟済みなため、ジャケットは脱いできている。袖まくりをして、廊下の上に散らばる瓦礫を天井と同じようにぽっかりと穴が開いてる窓から外へ放り出した。外へ溜まった瓦礫は、回収業者に持っていってもらうのだ。
ならば、初めの片付け云々から業者に任せればいいのでは、と思わないこともないが、それももう今更だ。それに、一般人ならこの屋敷にあまり寄り付きたくない気持ちが分かるだけに、任せるのは申し訳ない。
──電話して、うちからって分かったときの反応がなぁ……。
動揺しまくっているのが伝わってきて、痛々しい気持ちになるのだ。
大きい瓦礫を粗方片付けた後は、モップで細かい瓦礫を外へ放っていく。もう手馴れたもので、十分とかからずそこの片付けは終わるだろう。
片付けの最中、轟音は聞こえなかったから今日の大きい片付けはこれで終わりだろう。
轟音は確かに聞こえなかったが、穴が開いてる天井からは、怪しい音が聞こえる。
雷が来るかな、と顔を上げた瞬間、同僚の声が聞こえた。
「Ⓑ!」
声が聞こえた方向に顔を向ければ、Ⓐが焦ったような表情でこちらへ駆けてきている。
「どうした?」
「Ⓑ……」
真剣な表情に、どこか切迫したものを感じ、Ⓑも緊張を走らせた。
「ごめん、Ⓑ。俺、酷いことしようとしてるってのは、分かるんだ」
「なに、酷いこと?」
「ホント……ごめんな、Ⓑ。はい、タッチ!」
そう言って、ⒶはⒷの肩にぽんっと軽く触れると、猛ダッシュでその場を去っていった。
何のことか意味が分からないⒷは、唖然としてⒶが去っていった方向を見る。首を捻っても、何がなにやらと頭の中が混乱するばかりだ。
どうせまたくだらないことになっているのだろう、と当たりをつけてⒷは片づけを再開させた。
「あ、ⒷくんⒷくん」
いつもはさっくり終わるはずの片付けに、よく邪魔が入る日だな、とⒷは再び顔をあげた。小走りでデーデマンが駆け寄ってきている。
「旦那様……セバスチャンが探していましたよ」
「ああ、だろうね。それよりも、Ⓐくん知らない?」
先ほどの意味が分からない行動は主人が関係しているのか。
そう思いはしても巻き込まれたくはないⒷは、何も聞かずにⒶが来たことを伝え、去っていった方向を指差した。
やっぱりこっちに来たか、とデーデマンは呟いてⒷを見やる。
「Ⓐくんさ、Ⓑくんにタッチした?」
「タッチ……まあ、しましたね」
意味が分かりませんでしたけど、と付け加えて言えば、デーデマンがにやりと笑んだ。嫌な予感、とⒷは思わず身を引く。
しかしデーデマンは何をするわけでもなく、ただ手のひらをⒷの前へと出した。
「今度はⒷくんが、僕にタッチして」
「はあ……?」
やはり意味が分からない、と首を傾げるが主人の言うことなので、Ⓑはデーでマンの手のひらに自分の手を軽く当てた。
「じゃあ、Ⓑくん逃げて」
にこり、愛らしく微笑むデーデマンに、えと小さくⒷは声を
漏らす。
「鬼ごっこだよ、知らない?」
「それは、知ってますが……え、俺が鬼だったんですか」
「そ。さっきまでセバスチャンだったんだけど、セバスチャンがⒶくんにタッチして。で、Ⓐくんが今度はⒷくんがタッチ」
「そして、俺が旦那様にタッチした、と」
そうそう、と頷くデーデマンではあるが、Ⓑは首をかしげたままだ。
「タッチの理由は分かりました。ですが、なんでⒶはあんなに必死に?」
あの真剣な表情は、けして遊びの鬼ごっこという様子は見て取れなかった。Ⓐならば、たかが遊びでも真剣に遊びそうではあるが、そういう類でもない。
デーデマンは、きょとん、として言う。
「Ⓑくん知らないの。鬼は、人間を食べちゃうんだよ」
「……ファンタジーでしょう?」
「本当に?」
Ⓑは、外からの怪しい音が少し大きくなったように感じた。
思ったよりも早く降るかも、という心配をすれば、それを冗長するかのように音が大きく鳴り響いた。
「……っ」
想定外に大きく響いた音にⒷはびくり、と肩を揺らした。だが、目の前のデーデマンは微動だにしない。
「旦那様?」
「鬼って、いないと思う? 僕は、いるんじゃないかなぁと思ってるよ。だって、ユーゼフみたいなのがいるんだもの」
主人の口から出た言葉に、腰が引けそうになるが、それよりもデーデマンの異様な雰囲気にⒷは混乱するばかりだ。
様子がおかしい。いや、いつも変だが、それとは違う。
屋敷内が、外の光によって照らし出される。その光によって影になったデーデマンが、少し不気味に見えた。
「もしかしたら、すぐ近くにいるかもよ……鬼が」
口角を持ち上げて笑みをゆっくりと作るデーデマン。Ⓑは、背中に嫌な汗が流れるのを感じていた。
いつもなら一蹴するそんな話題も、雰囲気に呑まれて否定の言葉が出ない。馬鹿げているとは分かっている。だが、それならば何故そんな話を主人は持ち出すのか。
Ⓑは、嫌な緊張から乾いた喉を潤すため、生唾を飲み込んだ。
「なんて、ね」
に、とデーデマンは人の悪い笑みを浮かべる。異様な雰囲気は、なくなった。
Ⓑは、それに呆気に摂られたが、どうやらからかわれていたらしいと分かり胸を撫で下ろした。
「やめてくださいよ、心臓に悪い」
「だって、Ⓑくんが信じてくれないんだもの」
「信じないっていうか……」
見たことないものは信じれないのだ。噂は噂、御伽噺は御伽噺、Ⓑにとってはそう取るしかいない。
「まあ、いいや。それでも、僕が鬼ってことには変わりないからね」
「鬼ごっこですか」
「そう」
仕事がありますし遊びには付き合いませんよ、と言えばデーデマンは口を尖らせた。散々文句を言ったが、どうやら取り合う気のないⒷに、デーデマンは今度は頬を膨らませる。
「逃げないなら、Ⓑくんまた鬼だよ」
「どうぞ。そうしたら、俺で鬼ごっこは終わりですね」
それに鬼ごっこをしなくてもデーデマンは常にセバスチャンという鬼から狙われている状態だ。何故鬼ごっこなどという遊びをしようと思ったのか分からない。
雨が降ってきていないが、雷はまだ鳴り響いている。振り出す前に片づけを終わらせたいのだが、周りをちょろちょろするデーデマンによって捗らない。
もしかしたら狙ってやってるのかと、いつも思考が読めない主人を見下ろして、小さく息を吐いた。
「分かりました。ここの片付けが終わったら逃げます」
「本当はダメだけど……まあ、良いか」
どうせこの場から移動しなければならないのだ。それを逃げ、と見なしてくれるよう走って移動すれば良い。
そう考えてのことであった。
「ああ、そうだ、Ⓑくん」
はい、とデーデマンの方を向けば、デーデマンは微笑んで言う。
「本気で逃げてね。僕は鬼じゃないから人間を食べるなんてしないけど、別の意味でⒷくんを食べちゃうかもよ?」
大きく鳴り響く音と、眩い光が差し込むのは同時であった。もしかしたらどこかに落ちたかもしれない、そう思わせるほどの雷。それに照らし出されたデーデマンから放たれた言葉に、普段の彼の笑みであっても、何故か悪寒が走った。
「タイムリミットは、僕がセバスチャンに捕まるまでかな」
「なんで、俺を狙うんですか」
「んー……それ言っちゃったら、Ⓑくんはずぅっと僕から逃げなきゃいけなくなるよ」
どこかの誰かじゃあるまいし、と思うがデーデマンの言葉からは冗談やからかいは感じられない。
Ⓑは困ったように眉を寄せて、軽く頬をかいた。
「でも、きっといつかは旦那様に捕まるんだろうなって思います」
その言葉にデーデマンは、え、と口を上げて目を見開いている。
「まあ、片付けは後でも出来ますしね。とりあえず、本気で逃げますね」
壁際に持っていたモップを立てかけると、Ⓑは脱兎のごとく走り出した。
鬼ごっこの鬼から逃げているわけではない。ああどうして俺はあんなこと言ってしまったのだろうと、その場の何ともいえない自分の恥ずかしさから逃げているのだ。
顔が熱いのは、走っているせいとは言い切れないようであった。
end.
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