依頼が終わって、さて帰ろうかと、凍てついた夕暮れ時の山辺を歩いていると、ぽつぽつとオレンジ色の明かりが灯るのが見えた。私はそれをなんだろうかと思って目を凝らしたが、ミスラさんはそんなものには興味がなかったのか、冬の空を飛ぶ鳥たちを眺めていた。
「あれ、なんでしょうね」
その明かりは移動してゆき、最終的に私たちからほど近い、一つの小屋にたどり着いた。そしてその小屋の周りを何度か回ると、明かりは小さくなり煉瓦を積み上げたその中に入った。
私は無邪気に尋ねたけれど、本当に、私はそれが何か分からなかったのだ。ここは私が生まれた南の国ではなく、ミスラさんが生きてきた北の国で、春が近いとはいえ魔法を欠けていないとみしみしと身体が鳴るようだった。
「葬式ですよ。最後の別れをするんです。みんなでともしびを集めてね」
「そうだったんですか……」
「あら、魔法使いさんたち、よかったらご飯でもいかかが?」
私が声をなくしかけた時、その小屋の中から喪服姿の女の人が顔を出した。彼女はあかぎれをした指に綺麗な白い真珠の指輪をしていて、それがとても美しく、故人を弔うためのものに見えた。
「いえ、私たちはそろそろ帰ろうかと思っていたところで……」
「父は料理人で、弟も料理人なんです。仕出しもあいつが自分で作ったんですよ。どうか食べていってやってください」
あくまでも遠慮する私を引っ張って、女の人は私とミスラさんを小屋へと導いた。中は人ががやがやとたくさんいて、暖炉もあって暖かく、けれど老シェフの絵姿が飾られた遺体は装飾豊かな棺に入れられ、皆が色とりどりの生花や造花を飾っていた。そのせいだろうか、そこだけが底冷えするように冷たく、私はあぁ、本当に人が死んだのだ、と思った。
「故人は長くシェフを?」
私が訪ねると、絵姿が飾られ、棺が置かれた部屋から、広いテーブルの置かれた部屋へと女の人が誘った。私もミスラさんも、反抗せずにそれに従う。そして、女の人も、何も隠さず私たちに告白する。
「えぇ、私が子どもの頃から。ほら、あんたも挨拶しな。今日からお前がこの家の家長なんだから……」
女の人が、テーブルの脇で鍋をかき混ぜるちょっと弱気そうな青年の首根っこを引っ張る。彼は喪服姿の人々が集まる中、白いシェフ帽をかぶって、まっさらなエプロンを巻いていた。彼が仕出しを作ったという料理人なのだろう。そういえば、すごくいい匂いがする。ウィンナーのスープ、じゃがいもやにんじん、ほうれん草が彩り豊かなグラタン、それから、ふっくらとしたライ麦パン。シンプルな料理ばかりだったが、それでもこれは北の国のご馳走なのだった。私は椅子を引かれそれに座り、まずスープを飲む。身体の芯から温まって、心地よかった。
「これ、美味しいですね」
「本当ですか? 親父には叱られてばかりだったからなあ……」
「あんたが気が弱いからよ」
姉弟のやりとりを見ながらグラタンを食べ進めていると、ミスラさんは豪快にライ麦パンを噛みちぎり、次にスープを全て飲み干しておかわりをした。
「確かに、うまいです」
珍しく人を褒めたミスラさんに、私は心があたたかくなって、この人、滅多に褒めないんですよ、と、こっそりと料理人の弟に耳打ちした。すると彼は笑って、親父は全然褒めてくれなかったんですけどね、と言った。
「そうよそうよ、魔法使いさんの言う通りよ、あんたってずいぶん腕を上げたわ」
「そうねぇ……。シェフが生きてたら喜んだでしょうねぇ……立派になって」
きっとさっきのともしびを持って歩いていただろう婦人たちが、残念そうにつぶやく。こんなに人が集まっているのだ、愛された料理人だったのだろう。北の国の冬を身体の中からあたためるシェフ。うん、絶対に愛されていた。息子の料理人だけは、少し複雑そうだけれど。
「お父様が亡くなって、残念ですね」
「……そうですね、でも、最後まで俺を褒めなかった頑固な親父です。天国でも出される料理に文句を言ってるんじゃないかな」
お酒を私に注いでくれたシェフの息子が、残念そうに、でも笑いつつそう言った。でも、途中でワインは途切れてしまい、ちょっと取ってきますから、とまず彼が消えた。彼の手伝いをしていた姉も続いて消え(あの子、どこに何があるか分かるのかしら、と言っていた)、集まった人々はいつの間にか散り散りになって、部屋には顔がよく見えない老年の男の人一人と、きゃあきゃあと走り回る子どもたち、そして私とミスラさん、だけになってしまった。ここから消えてしまった人たちは、もしかしたら故人の親類で、何か儀式の準備でもしているのだろうか? 残されたのは客と役に立たない子どもだけだ。
だからなのだろう、私はすぐに気がつかなかった。席についた老年の男の人が、美味い、美味い、と言っている。しきりに料理を褒めている。さっきまで一言も喋っていなかったのに(というか、この人はいつの間にここにやって来たのだろう?)、シェフが消えたら褒め出すなんて変な人だって思う。
「あっちは見ないでください」
「え? どうしてですか?」
「いいから、あなたは引っ張られやすいから、とにかく酒を飲んで清めて」
ミスラさんの言葉に、私はすぐに答えられなかった。それどころか、グラスを傾けすぎて、ワインをこぼしてしまったくらいだ。馬鹿をやってしまったって思う。老年の男の人がこちらを見ようと身体を動かす。表情が分かりそうになるほど、近づきそうになる。でも、ミスラさんは私のあごを引っ張って、突然ワインの味をするキスをして、人が見ているっていうのにぴちゃ、ぴちゃ、と粘膜をすすった。
「美味いでしょう。これはわが店自慢の料理ですよ」
「そうですか。だったら直接言ってあげればいいのに」
「私は教育が下手でねぇ……。でも美味い、美味いですよ。これは美味い」
ミスラさんは私とのキスの合間に、というか私の呼吸を止めている間に、老年の男の人と会話する。けれどそれを私には見せないで、決して見せないで指を絡め、腰を掴む。私はがっちりとミスラさんに視線をふさがれて、そして足音を聞く。だめだ、人が来てしまう。あれ? あの子どもたちの足音はどうした? もう聞こえないじゃないか。あんなにはしゃいでいたのに、どうして。
「ルチル、俺が良いと言うまで目を開けないで」
ミスラさんが身体を離して言う。私はがちがちになりながら、それに頷く。
「は、はい……」
「逝く時は誰しもが一人ですが、あなたは息子の料理とともに逝ける。よかったですね」
「そうですねぇ、本当に良かった、本当に美味い料理だった……」
ねぇ、ミスラさん、あなたが言ってるそれって、それって。
でも、私は何を聞きたくても、答えが欲しくたって、何も言わずに目を閉じ続ける。そして最後にミスラさんが呪文を唱えて、祝福を捧げるそれを唱えると、子どもたちの足音や、ざわついた喋り声、そしてワインを取りにいっていた姉弟の声が聞こえ始めた。
「もういいですよ、ルチル」
ミスラさんの合図で、私は目を開けた。そこには、今まであったものしかなかった。あの不思議な老年の男の人の姿はなかった。そういえば、あの人は、仕出し料理を作ったシェフと顔が似ていた。あぁ、やっぱり、あの人はそうだったんだ。
「どうしました? 魔法使いさん。新しいワインですよ。どんどん飲んじゃってください。父の弔いにもなります」
女の人が笑う。だが、その弟は不思議そうに、空になったスープ皿を見つめていた。
「どうしたんだい? 何かおかしなことでも?」
姉が弟に尋ねる。彼はこう言う。「この皿、親父の皿だ……」
姉は嘘でしょうと顔を青くし、けれど全てを平らげたのを見た青年は、口元をほころばせて皿を眺めた。
「美味い、美味いって言ってましたよ、そこに座ってた人」
「魔法使いさん、それって……」
女の人が口元を覆う。そしてこう言う、それってあの絵姿の人じゃあありませんでしたか。するとミスラさんは頷いて、「多分そうだったんでしょうね」と笑った。珍しいその笑顔に、私は心があたたかくなり、でも、どうして私に見せなかったのだろう、と思った。
「親父が、そんなことを……。最後まで意固地な人だな」
青年が笑う、女の人が目を細めて涙を浮かべる。暖炉の明かりは部屋を照らし、温め、子どもたちはテーブルの周りを走りスキップする。それじゃあ、次の料理を持ってきますね、と言って去って行った二人の背を眺め、私はミスラさんに疑問をぶつけた。そう、どうしてあの時、私にあの青年の父親を見ないように言ったのか、だ。
「あなたは引っ張られやすいからって言ったでしょう。それだけですよ」
「でも、私にはミスラさんがいるから大丈夫じゃないですか」
「あなたねぇ……。あれでも故人は男ですよ。あなたはいい加減自分の容姿に気をつけた方がいい」
「え?」
「それくらい、故人からは魅力的に見えるってことですよ。連れて行ってしまいたいくらいにね」
「えぇー! そんな!」
私は大声を上げて口元を押さえ、でも、それは少々遅かったのか、ミスラさんにため息をつかれた。自分の容姿を褒められることはなくなはかったけれど、ミスラさんみたいに直接的に褒められるのは初めてだったから。
私が顔を赤くしていると、ミスラさんは「言ってませんでしたっけ?」ととぼけて、ワインを口につけた。
「いつも、ベッドで言ってるつもりだったんですけどね。あぁ、もう呆けて聞こえないんでしたっけ? あなたは感じやすいから」
そんなふうに、余計な睦言に似たような戯れを言って、ミスラさんは新しく運ばれてきた料理にフォークを入れた。今度は柔らかく煮た魚のパイだ。バターとハーブのいい香りがする。私はすぐに動けなくて、料理を運んできた二人にちょっと怪訝に思われたけれど、すぐに顔を叩いてパイを口に運んだ。
生きているうちは最後まで息子の料理を褒めなかった父親。私たちがともしびに目を止め、そしてここに導かれたのは、きっと彼の仕業だったのだろう。死に近い、不思議に生きる魔法使いに自分を見せて、本当の思いを伝えたかったのだろう。大切な、大切な息子に。
それにしても美味しいパイだな。レシピを聞いて、ネロさんに作ってもらおうか。それくらい、この人の作る料理は美味しかった。故人がどうしても褒めたかったくらいに。
私はそんなことを考えて、ミスラさんが豪快に食べる様子を、あたたかな暖炉が照らす頬を、肩をすくめて見つめたのだった。
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