人の死というものは何度も目にしている。騎士という役職は常に死と隣り合わせであり、その覚悟が無ければ到底続けることなどできない。だからといって、他人の死に慣れてはいけない。守るべき民や、志を共にする仲間の死は回避すべき事由。誰か一人が犠牲になる度、『こうならないよう一層努めねば』と想いを新たにしてきた。
だが、おれが心の底から死を悼んでいるその人のことを、誰も気にかけてなどいない。むしろ彼の死を歓迎している者すらいた。仕方がないと思う反面、何故そんな酷い言い様ができるのかと怒りが湧いた。しかしそれはすぐに冷え切って、別の感情へと変化した。寂しさ、である。
おれが死を悼むその人は、おれを四年間鎖で牢に繋いだ張本人。そんな者の死を何故悼むことができるのかと、実際そんな疑問をぶつけられた。だがそれと同時に、その人はおれの師だ。今のおれがここに立っているのは、その人から受けた教授のお陰。しかしそんな事を言っていては騎士団全体の士気に関わる。おれは、師を喪った悲しみを隠すことにした。
だが誰にも打ち明けられぬ孤独はとても強く、想像よりも遥かに深い。故人の思い出話をすることは、喪失感で生まれた己の傷を癒やす力にもなる。おれはそれをよく知っていた。しかし今はそれが全く出来ない状態で、ひどく苦しい。
周囲に誰もおらず、ひとりきりの時にそんな感情を吐き出すためにおれは泣く。普段は決壊しないよう堪えている涙腺をぐちゃぐちゃにして、おれは泣く。
先生、せんせい、どうしていなくなってしまったのですか?
何故おれにあんなことをしたのですか?
おれは先生を失望させてしまったのですか?
何故おひとりで魔王に挑まれたのですか?
亡き人への疑問は尽きない。それらは解消されることなく、次から次へ溢れてくる。あぁ、この想いを、誰かに話すことができたら良いのだが。
「リンク、大丈夫ですか?」
「ッ……!」
声をかけられてリンクはハッとした。見られた動揺から心臓が締め付けられる。カーテンを閉め切った暗い自室でうずくまり、声を抑えていたものの泣いているところを見られてしまった。しかもよりによって、相手はこの御方。
「女神……」
美しき山河に恵まれたこの地を守護する女神。民の母なる存在。騎士としてリンクが仕えるべき相手。優しく、愛に溢れ、それを以てして民を守る偉大なる者。女神ハイリアだ。
「まあ、目元が真っ赤になっているわ。手で擦ってしまったのね」
女神は明るい廊下から暗いリンクの自室に脚を踏み入れた。闇を照らす希望の光を思わせる、聖なる輝きがリンクの部屋に満ちていく。女神はしゃがみこんでいるリンクと同じ目線になったが、当の本人は慌てて後ずさった。
「何を、何をなさるおつもりか」
「じっとしていて。小さな傷が命取りなのだから」
女神は大真面目な顔をしてリンクに近づく。リンクはキュッと目を瞑り、できるだけ不敬のないようにと不動を貫くつもりだ。そんな彼を慰めるように、女神の透き通るような白い指先が、リンクの赤く腫れた目元を撫でた。
「もう終わりましたよ。目をお開けなさい」
女神の言葉にリンクは目を開いた。たしかに、僅かに熱感を持っていた目元の疼きが収まっている。そして女神も、先程の近さとは打って変わって全身が見える程度に距離を保っていた。リンクはその場で跪く。
「……申し訳ありませぬ。こんな子どものような傷に、聖なる力を行使させるなど……」
女神は首を横に振り、穏やかに微笑んだ。
「いいえ、私が貴方の傷を癒やしたいと思ったのです。そんなに小さくならないでください。ところで……何を悲しんでいたのですか?」
頭を下げ続けているリンクには女神の表情がわからない。みっともなく泣いていた自分を、女神はどう思っているのだろう。慈悲の御心を疑うつもりはないが、今の自分があまりにも情けなくてその尊顔を見ることがとても難しい。リンクは頑なに頭を下げたまま静かに応える。
「女神にお話するようなものではございませぬ。御耳を穢すわけには」
「……とても、悲しいことがあったのですね」
女神が膝を折ると、ふわりと裾が床に広がった。自分のつま先を凝視するリンクの頬に手を添え、その頭を上げさせる。女神の瞳は優しくリンクを見つめていた。そしてそれは、四年間見ることが叶わなかった空の色をしている。リンクは思わず、彼にとっての外界の象徴たるその瞳に見入った。
「話してくださりませんか? それだけ悲しいのは、貴方がそれに深い思い入れを抱いているからでしょう。何より、私は貴方のことをもっと知りたいの」
「……本当に、よろしいのか?」
「えぇ」
女神の大きな頷きが心強い。開こうとすると古びた扉のように軋む心に、あたたかな春風が優しくそよいだ。知られまいと一人抱えていたものを、この方になら教えたいと思える。
リンクは「失礼」と言って、一歩下がってから立ち上がった。
「このような場所では御身が穢れる。場所を移しても?」
「私はここでも構わないのですが……。けれど貴方に従いましょう」
自室を出て、リンクが先を歩き、女神はその後ろから楚々とした様子で付いていく。道中すれ違う者たちに「リンク!」「女神様!」と声をかけられ、二人はそれに手振や会釈で応えた。
辿り着いたのは、拠点としている公舎の露台だった。リンクが牢から解放され、民たちの歓呼の声に応えた最初の場所である。あの日、この露台のすぐ真下に女神ハイリアは降臨した。ここは民と神の邂逅の場でもある。
リンクは露台の柵に手を置き、申し訳無さそうに視線を泳がせた。
「その……貴女以外の誰にも聞かれたくないのだ」
「わかりました。では人払いの結界を張っておきましょう」
女神が指先で術式を描くと、それは青白い光となってリンクの頭上に向かって空を走る。やがて小さな花火のように弾け、幾つもの火花が二人を包み込むように床へ落ちていった。
「これで大丈夫です。何人もこの結界の中には立ち入れませんよ。たとえシーカー族であっても」
「それはとても助かる。お手間を掛けた」
そう返したものの、リンクはなかなか言い出せない。自分の我儘をここまで聞いてもらったというのに、この体たらくだ。そんなリンクの葛藤を読み取ってか、女神は優しく微笑む。
「ゆっくりで良いのですよ。聞きたいと言ったのは私なのですから」
「……すまない。おれも、自分がこんなに往生際が悪い人間だとは知らなかった」
やがてリンクは深く息を吐き、女神に向き直る。女神もリンクの覚悟が固まったことを察して、真剣な顔で自身の騎士を見つめた。
「女神はダギアニス卿を存じているか?」
「勿論です。我が代理人として、私が選んだのが彼なのですから」
やってしまったとリンクは羞恥から顔を赤くする。この方が彼を知らないはずがない。彼は『代理権者』だったのだから。
この地を守護し統べるのは女神ハイリアだが、常態的に神が人の前に姿を現すわけにもいかない。そこで設けられたのが『代理権者』という役職である。民と女神の間を取り持つ存在であり、民の願いを女神に伝え、また女神の意志をあらゆる政策に変えて人間社会に波及させるのが仕事だ。そして指名の決定権は女神ハイリアに有る。
ダギアニス卿は代理権者として、常にハイリアの地の政の中心にいた。女神が彼を知らなかったら大問題だというのに、馬鹿なことを聞いてしまったとリンクは後悔した。
「おかしな質問をした、どうかお赦しを」
「リンク、私は貴方を咎めなどしませんよ。さあ、続きを聞かせて下さい」
女神の悠々とした立ち姿に、リンクは畏まりすぎるのが悪に思えてきた。女神様の御前では礼儀正しくと幼い頃から教わってきたが、かえってそれが失礼なのではなかろうかと。
「では言葉に甘えて。……あの方は、おれの師でした。今のおれが多くの人々に支えられているのは、あの方の教えの賜物なのです」
「そうですね。彼は時折、貴方のことを私に報告していましたよ。きっと、良き騎士になるだろうと言っていました」
「えっ……」
思いもよらない言葉にリンクは目を見開いた。師がよもや、女神に自分の話をしているなど夢にも思わなかった。
「師が、貴女に?」
「えぇ。……だから私も驚いたのです。まさか、彼が自分の弟子である貴方に、あのような事をするなど……」
長らくリンクの話を真剣に、時に笑みを浮かべながら聞いていた女神が表情を曇らせる。女神も、自分と同じように師へ何かしらの思いを抱いているのだろうか。そう感じた途端、抑えていた思いが解かれて自由になる。背負っていた荷物を、女神に半分背負ってもらえたような気持ちになれた。
「軍規違反は事実だから投獄は仕方がなかった。けれどその頃から師はおかしくなり始めて……おれの話を全く聞き入れてくれなくなったのだ。軍規違反の理由を話しても、取り合ってくれなかった」
「そうだったのですね……それはとても辛かったでしょう」
「それでも、今の辛さに比べたらそれはどうということはない」
女神が心を寄せてくれた事に、リンクは嬉しくなった。そしてふと思う。女神にとって師がどんな人間だったのか、それを知りたいと。だが今はその時ではない。リンクは己の中にある誰にも打ち明けられない思いを掴み、女神の前に差し出す。
「師が亡くなった、今と比べれば……!」
ぼろ、と再びリンクの瞳から涙が滂沱する。それを手で拭おうとすれば女神の腕がするりと伸びてきて、力強く抱き寄せられた。指先で目元を癒やされるよりも、頬を撫でられるよりも、広く強く身体が触れ合う。リンクは体を強張らせ、「女神?」と狼狽えるばかりだ。
「悲しかったでしょう、辛かったでしょう。よく一人で耐えていましたね」
「女神……?」
「貴方は強い子です、リンク。けれど私の前では強くいなくても良いのですよ。貴方の悲しみを、私に教えて」
女神の腕に抱かれた者は、母の腕の中にいるかのような安堵を覚えるという。リンクはおずおずと女神に身を委ね、既に亡くなった母を思い出しながら慈愛の守護神に縋った。
「誰も、誰もあの方の死を悲しまないのだ。皆あの方を、愚か者だと罵っている。死んで精々したと口にする者すらいる。あの方は、おれの師だというのに」
「そう……。それは、とても嫌だったわね」
「やめてくれと言えないのも、とても嫌だった! おれは、皆を率いらなければならない。結束の時に、おれが和を掻き乱すことなど許されぬ。おれは、おれはッ……!!」
「泣いてくださいリンク。ここには私しかいません。結界は声も遮断してくれますから、どうか安心して」
女神が愛おしげにリンクの頭を撫ぜる。リンクは荒地のようになっていた心を潤すように、女神の腕の中で涙を流し続けた。
続く
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