satoru_and_shun
2024-03-11 02:13:15
2363文字
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又、生ず


「朝比奈先輩、こっちですよ!」
 天気も良い昼下がりに、町外れまで後輩と試料収集に出かけることになった。
 今まではバケネズミに任すことの多い作業だったが、先般の戦いの影響で奴らは殆ど処分されてしまった。
 町としての活動が徐々に再開された今、どこも人手に飢えていた。
 妙法農場に限らず、バケネズミに簡易な雑用をさせていた機関も多いことだろう。
 流石に研究の手を止めるわけにはいかないため、こうしてしばらくは膨大な時間を注ぎ込み、自らの足で必要なものを集めていかなければならない。
 あまり気が進まない自分を尻目に、後輩は滅多にない機会に浮かれていた。
 そんな様子を見ていると、こっちまで気が抜けて大あくびが出てしまった。
 暖かい気温のせいか、今日はやけに眠たかった。
「おーい、あんまりはしゃぐなよー」
 自分の忠告も耳に入らぬようで、後輩はちょこまかと寄り道をしながら先へ先へと進んでいく。
 まあ、たまには良いか、と半ば諦め始めていた。
 くしゃりと髪をかきあげると、頭に乗っていたのか、薄桃色の花弁がはらはらと落ちてきた。
 見上げれば、枝から零れ落ちるように、桜の花びらが風に攫われていく。
……満開だな」
 数十本と整列された桜の木々たちは、実に鮮やかな色で咲き誇り、僕の心を奪っていく。
 枝が擦れあう音や雀の小さな鳴き声を耳にし、温い風を肌で感じとると、研究室に篭り切って仕事をこなす単調な日々が、季節感さえも失わせていたのだと気づかされた。
 最近は普段の仕事に加え、町の復興の仕事や会議が毎日山ほど入ってくる。
 馬車馬のように働き、季節が巡ることさえ何だか鬱陶しく感じ、関心すらなくなってしまっていたようだ。
 こんなにも穏やかな気持ちで空を見上げ、花を愛でるなんてことは一体いつぶりだろうか。
 
 ――ああ、この綺麗な景色を共有できたら良いのに。
 ふと、心の中に浮かんできた感情に、疑問を抱く。
 一体、誰と? 早季?
 ……いや、答えは既に自分の中にあることを知っている。
 今はもう、その人物の名も、はっきりと思い出すことができるのだから。
……瞬」
 その名を口にすることができる喜びを噛み締める。
 東京で早季から瞬の名前を聞いてからというものの、喜びは内に秘めたままにしていた。
 一瞬にして変わってしまった世界の現状を受け入れ、生きていくのに必死だったからだ。
 焦らなくて良いと、彼の名を再び仕事にかまけて自ら封印してきた。
 
 しかし、ひとたび彼の名を口にすれば、雪解けのように懐かしい記憶が蘇ってくる。
 毎年、春になれば暖かい日差しを浴びながら、日が暮れるまで桜の木の下で語り合った。
 桃色に染まった水面を船でかき分けながら、ゆっくりと帰るのが好きだった。
 夜桜が見たいとわがままを言って、夜中にこっそりと家を抜け出し、真夜中に落ち合ったりもした。
 翌日、お互い親にバレた上に、風邪を引いてしまったのも、いい思い出だ。
 桜がよく似合う彼の横顔も、僕を呼ぶ清らかな声も、彼に抱いた感情も、彼がくれた言葉の数々も、今は全てを鮮明に思い出すことができる。
 彼との思い出の全てが、紛れもなく今の自分を形成していた。
 忘れてしまったと思っていた彼との記憶が、こんなにもたくさん、自分の中にあったことに驚いた。
 
 いつの日からか、感情の起伏のないよう過ごしてきた。
 誰かに傾倒することもなければ、踏み入られることもない。
 それは、人と関わりながら仕事をし、生活をしていく上では最適の解だと思っていた。
 しかしいま、じわじわと滲むように溢れ出した感情を抑えることができず、心の中で渦巻き、乱されていく。
 彼との思い出は、全てがきらきらとしている。
 まるで、大切にしまっていた宝箱を開けたようだった。
 そしてそれは、パンドラの箱でもあった。
 気づかないふりをして、思い出せないことを理由にずっと閉じ込めてきた事実は、もう仕舞い込むことはできない。
 彼への気持ちは、あの頃からずっと色褪せていない。
 思い出してなお、まだこんなにも深く、彼を愛している。
 ただ、もうそれを彼に伝えることは叶わない。
 僕はようやく、彼を失ってしまったのだと自覚した。
 
 鼻を啜りながら、ぼやけた視界で再び桜を仰ぎみた。
 戦火を逃れ、変わらず咲き誇る力強い桜だ。
 そっと幹に触れ、出張った根に腰を下ろした。
 後輩が今の僕の顔を見たらあまりにもひどくて笑うだろう。
 幸い、もう豆粒のようになっていて、すぐさまこちらに来ることはなさそうだった。
 
 風が吹く度に、さらさらと音がして花びらが散っていく。
 綺麗だね、と彼はいつも言っていた。
 ただそれだけのことなのに、彼の瞳に何が映り、何を思うのか、隣で感じれることが僕の幸せだった。
 そうやって、この先もずっと一緒にいられるものだと信じて疑わなかった。
 
 今の僕の隣に、肩を寄せ合う彼はもういない。
 しかし、彼といた記憶が蘇ってくるたびに、この胸は愛おしさに溢れ、到底言い表しきれない感情でいっぱいになる。
 空っぽになってしまったと思っていた心が満たされ、僕の世界は再び色を帯び始めていた。
 巡ってきたこの春の景色を、心の底から美しいと感じ、時には懐かしく、慈しみ尊ぶ。
 彼が愛し、守ってくれたこの地で、これからも僕は命ある限り、強く生きていかなければならない。
 彼も、きっとそう願っていることを信じて。
 
 ――瞬、今年も綺麗に桜が咲いている。
 
 僕の声に応えるように後ろから吹き込んだ春風は、花びらを軽やかに舞わせてみせた。
 それは、彼のやわらかな微笑みのようだった。