shirajira
2024-03-10 16:54:20
9947文字
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素敵なお前は許せない

タンプーラヨダナネタだけどあんまタンプーラ関係ない。付き合ってるビマヨダ時空です。

 素敵なものは、分け合いなさい。
 それが母の教えだった。
「おおい、ヨダナ君、坂田君!」
 食堂の混雑具合がまばらになった頃、その声は響いた。ビーマが思わず目を向けてしまったのは、ちょうど列が切れたからでもあったし、呼ばれている名前の方に気を取られたのもある。
 ニコニコと笑みを浮かべて食堂に入ってきたのは、高杉晋作という名のアーチャークラスの英霊だった。マスターの故国の英霊だという彼は、彼が名を呼んだ一人である坂田金時とも同郷だったはずである。
 だが、名前を呼ばれたもう一人、ビーマと同郷の英霊にして強い因果で結ばれた男とは、何の関わりもないはずだった。少なくとも、ビーマが知る限りは。
 高杉の声に、ドゥリーヨダナが席から立つ素振りも見せず「なんだ?」と声を上げたのに対し、金時は急いで食事をかきこむと、「どうした?」と席を離れた。結果、ドゥリーヨダナの座っていたテーブルに高杉と金時が集まる。
「ほら、この間のあれさ。写真がよく撮れたから、見せようと思ってね」
「おおう、何か照れるな……
「写真~? おい、これわし様だけ目線がカメラに向いてないではないか! いつ撮った! 晋作お前、わし様に恥をかかせたのか!?」
 ドゥリーヨダナの様子に、ビーマはいつでもカウンターを飛び出せるよう、そっと手にしていた皿を置いた。高杉が「まさか」と否定するのが聞こえる。
「何で僕が君に恥をかかせるなんて、面白くもなければ面倒なことにしかならなそうなことをするんだ。君は演奏に集中してたから気づかなかっただけだろ。この写真、マスターにはウケが良かったんだぜ。一枚くれって言われたよ。君のことも褒めてたよ、洋装も似合うんだ、格好いいって」
「そうかあ? それならまあ……いやしかしだな」
「それよりヨダナ君。僕の三味線とセッションの話、忘れてないよな? いつにする?」
「何だ、本気だったのか」
「当たり前だろ。さっきマスターにも話したんだ。是非聞きたいってさ」
 坂田君、君もどうだい、と水を向けられた金時が、「オレっちか?」と頭を掻いた。
「君も日の本の、それも平安時代の武士だ。楽器の一つや二つ、奏でられるだろ?」
「鼓くらいならまあ、叩けるけどよ。ドゥリーヨダナの旦那の演奏に合わせられるほど、うまくはないぜ?」
「ふん、そんなことは気にせんでよい。どんなしょぼい演奏でも、このわし様が引き立ててやろうではないか。お前を宮廷楽士にしてやる。わし様の演奏にかかれば、下働きの下女もプリンセスもかくやというほど輝きを増そうというもの」
「そいつは頼もしいな」
 話し合う三人は楽しそうだった。どうやら楽器の演奏の話をしているらしい。自分の出番はなさそうだと体の力を抜きながらも、ビーマは三人の会話から気を逸らすことができなかった。
 どうも三人は何かの縁で酒の場を設け、その際にドゥリーヨダナが楽器を奏でたようだった。高杉がそれをえらく気に入り、今度僕の三味線と合わせてくれと、そう頼んだらしい。
 ドゥリーヨダナが演奏したとなれば、それは恐らくタンプーラだろう。
 タンプーラは故国の楽器だ。決して主役を張るような楽器ではない。けれども目立ちたがりのはずのドゥリーヨダナは、他の楽器や歌の伴奏を勤めるタンプーラをいつも選んでいた。弟妹たちの誰にでも、合わせられるように。
 ビーマは一度だけ、百王子が両親のために開いた演奏会に、兄弟と共に招かれたことがある。
 その頃にはもうドローナによる特訓の日々を送っていて、修行で疲れた後に音楽を聞くなんて、眠ってしまわないかとビーマは思ったものだ。寝てしまったら、翌日ドゥリーヨダナに嫌みの一つや二つ、言われるのだろうと思えば鬱陶しく、正直なところ行きたくはなかった。
 結論から言えば、ビーマは眠らなかった。百王子たちが代わる代わる奏でる曲は耳を楽しませた。しかしビーマが眠らなかったのは、音楽に心を奪われたからではない。
 タンプーラを奏でるドゥリーヨダナに、目を奪われたからだった。
 普段やかましい口を閉じ、百面相もかくやの騒がしい表情を浮かべていないドゥリーヨダナの姿は、元の造形の良さが浮き彫りになっていた。演奏に集中し、視線を虚空に向けて、口許にわずかな笑みを浮かべた姿は、平素と異なる印象を与えた。
 ビーマは落ち着かなく、演奏を楽しんでいる様子の兄弟たちを伺った。兄弟の誰かがもし、ドゥリーヨダナの様子に気づいてしまったらどうしようと、そればかりが気がかりで、演奏がろくに耳に入ってこない。
 素敵なものは、分け合いなさい。母の教え。でもビーマは、ドゥリーヨダナを兄弟たちと分け合いたくなかった。
 その頃にはもう、ビーマはドゥリーヨダナといがみ合っていた。ドゥリーヨダナは五王子全員を敵視していたから、兄弟みんな、ドゥリーヨダナのことは好きではなかっただろう。ビーマだって、別に好きだったわけじゃない。
 ドゥリーヨダナはやかましくて、意地悪で、臆病で、邪悪で、ちっとも素敵なものじゃなかった。
 けれどもドゥリーヨダナは、唯一ビーマと対峙できる男だった。ドゥリーヨダナがいなければ、ビーマにとってドローナの武術教室はつまらない、何ら必要性を感じないものだっただろう。ドゥリーヨダナがいたから、好敵手と思える男が、負けたくない男がいたから、ビーマは熱心にドローナの教えを受けることができた。毎日が充実していた。
 ビーマ、とドゥリーヨダナはいつも憎々しげに、ビーマの名前を呼ぶ。他の誰でもないビーマの名前を。ユディシュティラの後でも、アルジュナの後でもない。ドゥリーヨダナは、いつも真っ先にビーマの名前を呼ぶ。あの宝石のような瞳を、ギラギラと輝かせながら。
 ドゥリーヨダナは、ちっとも素敵なものじゃない。だからビーマは、兄弟の誰とも分け合う気はなかった。あいつの敵意も悪意も、全部俺のものだと、そう思っていた。ドゥリーヨダナが素敵なものじゃないことに、安堵していた。
 ビーマだけの、まだ他の誰にも見つかっていない、ビーマにとってしか価値のない、素敵なもの。そのはずだった。
 でも、もし兄弟たちの誰かが、ドゥリーヨダナは素敵なものかもしれないと、気づいてしまったら? 普段の自己主張の激しさは鳴りを潜め、弟妹たちを導くようにタンプーラを奏でる彼の美しさを知ってしまったら?
 分け合わないと、いけないのだろうか。俺の、好敵手なのに。唯一俺のだと、そう言えるものなのに。
 早く演奏が終わってほしい、とビーマは思った。誰かが、ドゥリーヨダナに気づいてしまう前に。早くいつもの、やかましくて、ちっとも素敵なものじゃないドゥリーヨダナに戻ってほしい。
 素敵なドゥリーヨダナでは、ビーマの独り占めにはできない。分け合わないといけない。
 全く気が気ではなかった、そうした理由でビーマは眠らなかった。ずっとドゥリーヨダナを見ていたから。
 だから演奏のことは正直よく覚えていなくて、ドゥリーヨダナのタンプーラの腕がいいのか悪いのか、それすら知らない。何せ演奏会には、その一度しか呼ばれなかった。
「ビーマ、もう時間でしょ? あがってもいいよ」
 ブーディカに声をかけられ、ハッと顔を上げる。一瞬の記憶の旅は終わり、現実が目の前に広がっている。
 高杉たち三人は、まだ何やら楽しそうに話していた。ドゥリーヨダナが「なら明日だな!」と声を張り上げたのが聞こえる。
「ビーマ? 大丈夫?」
「あ、ああ。いや、何でもねえ。大丈夫だ」
 訝しげな顔をするブーディカにそう言って、ビーマはカウンターから離れた。眉間に力が入るのを、止めることはできなかった。


「お前、人前で演奏するな」
 ドゥリーヨダナが一応恋人として隣に立つ許可を与えてやっている男、ビーマからそう言われたのは、恋人ならではの楽しみをベッドの上で終え、気だるさを引きずるように寝そべっていた時のことである。
「はあ?」
 振り向こうとして、うまく振り向けずにドゥリーヨダナはすぐ諦めた。背後からがっちりとビーマに抱きつかれている。肩口に額を押し付けられているのを感じた。
……お前、演奏するんだろ。金時と、高杉とかいうアーチャーと」
「よく知っているな」
「でけえ声で食堂で話されてりゃ、そりゃあ耳に入る」
 ぶすっとした声が返ってきて、どうにも相手の機嫌が悪いのが感じられた。が、何に機嫌を悪くしてるのかがわからない。
「確かに、晋作と金時と三人で演奏する話はしとるな」
……何で、そんな話になった」
「んん~? 話せばそれなりに長いが」
 元を辿れば、きっかけはビーマである。
 いつぞやのことだ、ビーマは力自慢な点に目をつけられたとかで、テレビ番組のスタッフとして異国の神であるテスカトリポカに雇われた。その際、ビーマは通常の霊基に刻まれた霊衣ではなく、現代の衣服――つなぎとかいう、労働着――を纏っていた。
 それが、まあ、格好良かった。ドゥリーヨダナはテスカトリポカにそれなりのQPを支払い、マスターに渡す予定だったという写真を焼き増ししてもらったし、明らかに隠し撮りであろう、ビーマ単体の写真も何枚か融通してもらった。
 見慣れない服を着た恋人は、それが労働着であるにも関わらず、見目よく見えた。足の長さが引き立てられ、まくられた袖から覗く腕やわずかにさらされた首もとが、妙に色っぽく感じた。
 そこで満足して終わるかというと、そんなこともなく、次にドゥリーヨダナの興味は現代服に向かった。自分も着てみたくなったのだ。
 英霊たちの中には、自分の生きた時代にはなかった服、すなわち現代に即した衣服を纏った者もいる。そんな者の中から、ドゥリーヨダナは坂田金時に白羽の矢を立てた。
 同じバーサーカークラスで凶化が低く、話が通じる。同性だしファッションにこだわりがあるようだから、適切なアドバイスをもらえるだろう。
 ドゥリーヨダナが声をかければ、案の定金時は嬉しそうな顔をし、それならオレっちと一緒に買いに行こうと、そう言ってくれた。そこをたまたま通りがかった高杉が「面白そうな話をしてるじゃないか。僕も一緒に行くぞ」と言い出し、あれよあれよと言う間に話はまとまり三人でレイシフトして買い物に出掛けた。
 そしてそのまま買ったばかりの服を着て花見へと赴き、酔った高杉が唄い踊り出したので、タンプーラを奏でてやったら、それをえらく気に入られ、今度一緒に演奏しようと、そういう話になった。
 きっかけはビーマであることを伏せて事のなりゆきをドゥリーヨダナが説明すると、背後から唸り声が返ってきた。人に話させておいて何だその態度は、とドゥリーヨダナは思う。
「なんだなんだ、何が気に入らないんだ貴様は」
 まさか焼きもちか、と一瞬思うものの、すぐに違うだろうと切り捨てる。何せこの男は五人で一人の妻を共有していたのだ。最愛の女をだ。ドゥリーヨダナが他の男とどこぞに出掛けようが、何とも思わないだろう。
「いや待てよ……お前、確かゴールデンと親しいんだったな。なんだ、わし様にあいつを取られるとでも思ったのか?」
 オレのことはゴールデンと呼んでくれ! そう人懐っこくねだってくる男は可愛げがあった。弟候補に入れてやってもいいと思っている。
……別に、そういうわけじゃない」
「じゃあ何が不満なんだ、はっきり言え。だんまりでは何もわからん」
 早々に面倒になって、ドゥリーヨダナはそう言い放ち、自分を拘束する腕を軽く叩いた。いつもならそれで緩むのだが、今日はその気配がない。ただまた肩口に額を押し付けられたのを感じるだけだ。
……人前で、演奏するな」
 ビーマがまたそう言った。間髪入れず、ドゥリーヨダナは尋ねる。
「何故」
「お前の、顔が」
「顔?」
 何で顔の話になる。演奏の話じゃないのか。それとも演奏中に変な顔でもしてるというのか? 何故こいつがそんなことを知っている。こいつの前で演奏したことなんて一度も――いや生前一回あったか?
 ドゥリーヨダナが頭を回転させていると、ビーマがぼそりと呟いた。
……お前を、分け合いたくない」
 演奏するな。顔が。分け合いたくない。
 いや意味わからんな。怪文書か? ドゥリーヨダナは何とかビーマの顔を見ようとしたが、やはり拘束が強く振り向けなかった。はあ、と息を吐く。
 ビーマがこういう湿った声をしているのは、大体は過去に引きずられている時だ。付き合いはじめてから知ったことである。
 時たまビーマはこうして、過去のことに引きずられ、ちょっとした子供返りのような姿を見せることがあった。甘えているのだろうと思えば可愛い――ということは特になく、面倒くさいばかりであったが、ドゥリーヨダナは嫌ではなかった。
 ビーマがこうなるのはドゥリーヨダナ絡みの傷に何かが触れた時であると、今や知っている。
 自分の何かがビーマに傷を残すことがあるだなんて、生前も死後もドゥリーヨダナは少しも思うことはなかったから、気づいた時には驚いたが――何ということはない。この男も、神の血を引いてはいるが人間でもある。それだけのことだ。
「あのなあ、わし様がお前にくれてやった立場を、もう忘れたのか」
 ドゥリーヨダナは自分を拘束する腕を、再び叩いた。ほんの少し拘束が緩む。その隙に無理やりねじ込むようにして、寝返りを打つ。口をへの字にしたビーマと、向き合う形になる。
「お前が何をそう不機嫌になっとるのかちっともわからんがな、わし様がお前にくれてやった恋人という立場は、お前だけのものだ。まあわし様は人気者だからして、全てをお前だけにくれてやるわけにはいかんが――少なくとも恋人としてのわし様は、全部お前にくれてやっとる」
 少しの間の後、ビーマが「わかってる」と呟いた。まったくわかっている顔には見えない。不満が眉と口元に出ている。
「お前が……この仮初めの生で俺を選んでくれたこと、そのありがたさはわかってる。こういうのは、互いの気持ちがなきゃあ空しいばかりだしな」
 するり、と腰を撫でられる。上擦った声が出た。
「う、うむ」
「とは言え、だ。てめえはどうしようもねえ強突張りで、おまけに飽き性だ」
「喧嘩売っとるのか?」
 思わずこめかみをひくつかせながらドゥリーヨダナが尋ねると、ビーマが目を伏せた。
……お前が他に目移りしねえか、不安になるんだよ」
「は?」
 ドゥリーヨダナが言葉を失っていると、ぎゅ、とまた腕の拘束が強くなった。
「こういうのは相手にされなきゃ意味がねえ。てめえが『素敵なもの』じゃなければ、俺一人がお前を独占したところで、何の問題にもならん」
「なあ、お前やっぱ喧嘩売ってる? おいこの極貧森育ちパーンダヴァ」
……『素敵なもの』は分け合わねえといけねえ。みんなが欲しがるからな。それに、お前は欲しがられたら……与えちまうところがあるだろ」
 だからお前が素敵なものになるのが嫌だ。そう小さな声で告げられて、ドゥリーヨダナは恋人の、目を伏せられているせいで際立って長く見える睫毛を見つめた。そして思う。
 いやそれと演奏と顔に何の関係が?
 素敵なものだとか分け合うだとかいうワードはわかりたくもないが、脳裏に浮かぶのはドラウパティーの顔で、こいつら頭がおかしいんじゃないかと改めて思った。
 まさかビーマのやつ、わし様が素敵なもの認定ならアルジュナとでも分け合うつもりだったのだろうか。そんなことになったら大声でこいつの性癖をカルデア中に喧伝してやる。
 だが、ビーマがドゥリーヨダナが他者から魅力的に見られることを嫌がっているのはわかった。ライバルが増えるのが嫌なのだ。それはまあ、気分がいい。
 何で人前で演奏するななんて言うのかは、さっぱりだが。
「あのなあ、わし様、ゴリラ語はわからんからな、ちゃんと人の言葉で話せよ。お前、わし様がどこで何をしてようが大して興味なかっただろうが。なのに何で、演奏するななんて言う」
 気に入られてる程度の腕は持っているし、自分でもそこそこの腕前だと思ってはいるが、ドゥリーヨダナは本職ではない。タンプーラの腕はたかが知れている。
 演奏は、ドゥリーヨダナの魅力の一つにはならないだろう。ただそういうこともできる、というだけだ。わざわざビーマが危機感を持つほどのことが起きるとは思えない。
「お前は知らんかもしれんがなあ、ここには音楽家のサーヴァントもたくさんいてだな? いやわし様の腕前も決して悪くはないとは思うのだが」
「いや、ぶっちゃけ俺はお前の腕前とか知らん。一度しか聞いたことねえし、音もよく覚えてねえし」
「じゃあ何だと言うんだ」
……お前は、自分じゃわからねえんだろうが」
 ビーマが伏せていた目を上げた。まだむくれた子供のような顔をしているな、とドゥリーヨダナは思う。
「演奏してる時のお前……そのやかましい口閉じて、どこか遠くを見てるような顔してるお前は――誰にも見せたくなくなるような、どこかに隠しちまいたくなるような、そういう面してる」
「はあ?」
 さっぱりわからん。どんな面だそれは。言われたことないぞそんなこと。
 ドゥリーヨダナが思っているのが顔に出たのだろう、ビーマは小さくため息をついて、「ワガママ言って、悪かった」と言った。これで話を終わらせるつもりなのだろう。
 案の定、顔が近づいてきたかと思うと唇が触れて、舌が割り入れられてきた。迎えてやりながら、ドゥリーヨダナはぼんやりと考えた。
 生前にない関係を築き、気付きや発見があったからと言って、結局完全にわかり合うことなんて出来はしない。いや、わかりきっていると思っていたのは誤りだったと、そう突きつけられただけだ。
 だが、わかり合えないならわかり合えないなりに、寄り添うことはできる。いや、譲歩してやってもいいと、そう思っている。
 これが愛というものなら、随分と手のかかることだ。
「っおい、明日、マスターを招待して、晋作たちと演奏する予定だ。マシュたちも来る。お前も、招待してやるからつまみでも作って来い」
 キスの間の息継ぎにドゥリーヨダナがそう言うと、ビーマは複雑そうな顔をして「そんなに大々的にやるのかよ」と眉を寄せた。
「まさか。マスターとマシュ、あと声掛けた時にその場にいたやつらが来るだけだ。十もいないんじゃないか?」
……カルナたちは?」
「声掛けとらんな」
 そもそもマスターに声を掛けたのだって、高杉だ。ドゥリーヨダナとしては付き合いで演奏をするようなもので、友に披露するほどのものではないと思っていた。
「ふうん」
 ビーマの機嫌がほんの少し上向いたのを感じて、わかりやすいやつ、とドゥリーヨダナは内心呆れた。普段はわかりやすい男なのだ、時たま意味不明になるだけで。
「とにかく、お前はわし様の演奏を知らんようだからな、これもありがたい機会だと思え。わし様の演奏に聞き惚れるがいい」
 時間と場所を伝えると、ビーマが復唱した。恐らくビーマは来るだろう。やれやれだ。
 どうせ呼ばなければ呼ばないで、一人悶々とするのだろう。それなら呼んでしまった方が早い。
 今さら自分が、お前以外の誰かに目移りなんてするか。ここまでしてやっているのだから、いい加減にわかれ。思いながら、ドゥリーヨダナはキスを再開させた。


「あ、ビーマ!」
「ビーマさん、こんばんは!」
「よお、マスターにマシュ」
 演奏会は夜にレクリエーションルームを貸し切って行われるそうだ。そうだ、と伝聞の形なのは、まだ演奏会が行われず、招待されたのだろう面子が三々五々、好きに腰かけているだけだからだった。
 ドゥリーヨダナの言う通り、招待されたのはマスターとマシュ以外は人間のスタッフが五名ほどだった。そのうちの一人と目が合って、会釈される。確かエルロンとか言ったか。どこか懐かしい気配のする女だった。
「ビーマも招待されたの?」
「まあな。……そうだ、軽食を用意してきたんだ。よかったら摘まんでくれ」
 テーブルの上に、皿を乗せる。食後なので、クラッカーにチーズや生ハムを乗せた、ちょっとしたものにした。それからクッキーとカップケーキ。こっちはそれなりに時間をかけた。わあ、とマスターとマシュが歓声を上げる。
「甘いものとしょっぱいもので、無限に食べれちゃうやつじゃん!」
「こんな時間に甘いもの、という背徳感もありますが……美味しそうです! いただきます!」
 スタッフたちも手を伸ばす。それをにこにこ眺めながら、ビーマはふとテーブルにランタンが置いてあるのに気づいた。レクリエーションルームの白いテーブルの上に置かれたランタンは、やけに浮いている。
 ランタンに手を伸ばそうとした時、ふっと部屋が暗くなった。とっさに、マスターの側に寄る。ぼう、とランタンの灯りが辺りを柔らかく照らした。
「やあやあ、今日はお集まりいただき、どうもありがとう!」
「高杉社長!?」
 剽軽な男の声に、マスターが声を上げる。そうさ、僕さ! と男が返した。
「さあメンバー紹介だ! まずは僕、高杉晋作! 担当はもちろん! 三味線だ!」
 べべべん、と弦楽器の音がする。マスターたちが拍手をすると、高杉が気を良くしたように笑った。
「そして鼓の坂田金時に、タンプーラのドゥリーヨダナだ!」
 ポンポン、と太鼓を叩くような音と、タンプーラの奏でる低い旋律が響いて、金時とドゥリーヨダナの位置を大まかに知ることができた。
「二人とはたまたま縁があってね、僕から声を掛けた次第だ。時代も国も越えたセッションってやつさ。面白いだろう? さて、では早速演奏に――
「待って、何で部屋が暗いの?」
「簡単なことだ、マスター」
 答えたのは、高杉の声ではなかった。腹を満たすようなその声に、ビーマは暗闇に目を向ける。
「音を楽しむにあたって目は不要。わし様たちのイケてる姿に目を奪われて演奏はろくに聞いていませんでした、となっては演奏しがいがないからなあ? まずは音楽を楽しめ。後でちゃあんとわし様たちのイケてる姿も見せてやるからな、楽しみにしてろ」
「あんま期待されっと、照れるけどな!」
 金時の声に、高杉が「いやいや期待に十分答えられると思うぜ」と返した。
「なんたってマスター、写真を見せたら直に見たかったって残念がってたからな。……もうお喋りはいいだろう、始めるぞ」
「うん!」
 元気よく頷いたマスターが、拍手をする。つられるように周りも拍手を始めた。タンプーラの奏でる旋律が流れ出す。やがてそこに三味線と鼓が加わり、一つの大きな流れになる。
 ビーマは旋律に耳を傾けた。ああ、お前が奏でる音の色は、こんな色をしていたのかと思う。同時に、苦笑いが零れた。
 ドゥリーヨダナの顔が見えなければ見えないで、その顔が見たいと思う自分がいることに気づいたから。どんな顔をしているのだろうと、暗闇の中で目を凝らしてしまう。同時に、傍らで演奏を楽しんでいる様子のマスターたちに、心が暖かくなる。
 素敵なものは、分け合いなさい。母の教え。あの強欲なドゥリーヨダナとは縁のない教えだろうと思っていたが、分け与えてもらったのは、自分の方だったのかもしれない。
 そう思うと、自然と他人がドゥリーヨダナのことをどう見ているかなんて、どうでもいいような気がした。くだらんことを気にするな、わし様だけを見ていろと、ドゥリーヨダナが言っているような気すらする。
 お前だけのものだ、そう囁いた声を思い出す。この暗闇はビーマのためのものだった。ビーマのために、ドゥリーヨダナが与えてくれたものだった。
 幼い頃、一方的に自分のものだと決めつけて、兄弟に分けることを恐れていた時とは違う。今や自分はあの男のもので、あの男は自分のものだった。生前は掴めなかったものを、今回は掴んだ。
 なら、分け合うなんてこと、互いに許すわけがない。今は、それが許されるのだ。ワガママを、許してもらえるのだ。
 ビーマはそっと息を吐いた。目を瞑り、演奏に耳を傾ける。暗闇の中でドゥリーヨダナがどんな顔をしているか、想像してみる。二人きりの時に弾いてくれと、そうねだったら、ドゥリーヨダナは答えてくれるだろうかと思いながら。