三十歳になるまえに、できる事を探している、それについて具体的にはうまく言えないのだけども
……と趣味のコミュニティのオフ会で飲んでいる途中にぽろっと語ったら、そこにいた全員に笑われたので、なんとなく、それをきっかけに、そのコミュニティに居るのが嫌になって、しばらくは平気な顔してやりとりを続けていたけど、先日とうとう、おれはつながりを完全に切ってしまった。
人生、こういうこともあるんだなと思った。今二十四歳である。
そんななか、街中で彼と再会した。
就職前、おれが情報系の専門学校に通っていたころ、彼は美容師を目指して、おれの通う専門学校の近くの、美容師になるための専門学校に通っていた。
服装はおしゃれで、休日に会うと、やや身体の線が分からないオーバーサイズのボトムに丸襟シャツを合わせていた姿が印象に残っている。
ふわんとしたシルエットの濃いカラメルのような輝きの髪、色白というより綺麗なミルク色の肌、大きな瞳、愛嬌のある可愛らしい端整な容姿の彼だった。秋冬は裾が大きく広がるコートを羽織っていた彼は言動もときおり奇妙に詩的で、昔の詩人のようだった。はっきり言って目立っていた。彼と歩いているといわゆるナンパのような、女性たちからお誘いがかかった。
学校卒業して以来じゃないか、とおれは街中で彼を見つけて声をかけた。一目で分かった。現在の彼もおしゃれで、コートに濃紺のタートルネックとオーバーサイズのボトム姿だった。
声をかけてから、彼はおれのことなど覚えてないかもしれないと思った。しかし、彼はおれをまじまじ見て、かすかに笑い、名前を呼んでくれた。彼の笑い方は少し特徴的だった。顎を引いて、唇をきゅと引いて小さい笑い声を出すのだ。それも変わっていなかった。
おれが休みで、今日は特に予定も決めてないのだと言うと、彼はおれを連れて、電車に乗る。
お気に入りらしい喫茶店で、カウンター席に並んで座る。
コートを脱ぐと、縦模様が織られたタートルネックは彼の上半身の線がよくわかって、おれはどきまぎした。
あのころから、おれはときどき、彼にどきまぎしていた。
美容師にはなったのと訊いたら、表情が曇った。あのころの可愛らしいかんじが大人びたような横顔が、何かあったのか、ひどく憂鬱そうに目を伏せた。カップを一口啜る。
おれも香ばしい湯気が立ちのぼるカップに口をつけた。
携帯で撮った後に、注文した皿のひとつ、ミニサイズのケーキをフォークで口に運びながら、彼は「もうなんでもいいんだ。
……俺も、笑いたいから」とよくわからない前置きをしてから、話し始めた。
卒業後に、働き始めた美容室で、詳しくは言えないが大きなトラブルがあって、辞めざるを得なくなった。そしてそのトラブルのせいで、このあたりの他の美容室でも自分を採用してくれない。だから、遠くに引っ越して、そこでまた雇ってくれる美容室を探すことに決めた。
「今月で、この土地もおさらばする気で歩いて
……」そこで彼はおれをちらりと見て、嬉しいことがあったみたいに笑った。本心、おれに会えて、喜んでいるように見えて、おれはどきっとした。
淡い水色の皿の料理を平らげて、おれは彼の話を聞き終えて、なんと言えば、彼の今の境遇に何を言ったらいいかわからなかった。
彼はゆったりと脚を組みかえた。
「
……つまり無職。重たく繁っちまった枝が折れるように、この土地と縁が切れたって、もう未練はねえんだ。でもここは、気に入ってるから、最後に来たくて」
カウンター席から見える、緑と開けた道路の向かいの店の並びが、趣がある、景色の良い喫茶店だった。
「でもなんつうか、最後
……一人では来たくなくて迷ってた
……それで、きみに会った」
勇気が出たという彼が笑った。
その笑みを見て、彼が、おれをここに連れて来てくれたことがなんとも、特別なことをしてもらったように思えて、おれは礼を言った。
すると、彼は何を言っているんだというような、妙なことを言う奴だなという顔をしてから、また笑った。今度は思い出し笑いのような、優しい顔つきになる。
「毎度、唐突に、礼を言ってくる。きみといるとおもしろかった。俺は
……」
ため息を深くついた。
「きみには言ってなかった、というか言えなかった
……別に、職は、他のものでもよくて、実家が理髪店だったからで
……今は店じまいしちまったけど」
カウンターテーブルに組んだ両腕をおいて無言で俯いた横顔が、腕を解いて、なめらかなウェーブのかかった髪をゆるく払う。
「執着はねえんだ。
……だから今からでも、何か、職を見つけたっていいと思ってる」
テーブルから携帯を持ち上げて、何か操作してから、ゆっくり置いた。
「美容師になるって、学校に通っていたあんころはすごく楽しかった。その思い出が、袖を引いている」
彼はまたため息をつき、景色の良い街路に向かって、物憂い視線を投げた。
「
……そんで、きみは、今、何をしてる?」
急に姿勢を正すように、はっとした様子で、それに気づかなくて、自分ばかり話して、訊いてなくて悪かったとでもいうような声音で、彼はこちらに顔を向ける。
「
……おれは、会社員で、何も
……最近は
……」
あった出来事を話すか、いや違う話にしようとおれは言葉を切って、就職した会社のことと近ごろ新たにプレイし始めたゲームについて話した。
「そーいや
……きみの部屋行って、ゲームしてるのを見てただけのときあったな。きみのベッドで、あれは
……」
彼は懐かしそうに微笑んで、ほっそりとした目つきでおれの手に見るから、おれは手をテーブルの上から下ろしたくなった。
おれには、彼に語り聞かせられるような、おもしろい話題がなかった。なのに、彼はゆったりと頬杖をついて、退屈そうな顔をまったくしないで、おれの話を聞いていた。
思い出話の方へ会話が流れて、それが途切れると、そろそろ出ようかと彼はゆっくり立ち上がった。
憂い顔で周りを見ながら街路を歩く彼の髪に午後の陽射しが当たり、風に吹かれると髪に浮いた光の輪が、揺れ動くようだと思った。
気ままに足を向ける様子でおれを連れて、彼は路地の先の入り口のそばの露店を指差した。
芝生の広がる公園の近くで、彼と立ち食いをしながら、おれは言った。
「やりたい事、探してる。三十になるまえに、できる事」
彼はティッシュで口元をぬぐって、おれを見つめて、「ほう
……」という表情になった。
「
……いいな。そーいうの」
長い間をはさんで、彼はなんだか、甘い声で言い、おれはまたどきまぎした。
芝生を行き交う家族連れの光景をそろって眺める格好で、彼はつぶやいた。
「
……三十になるまでのあいだのことなんて俺は、今は、考えられねえ
……と思ったけど、そうだな
……」
腕を組む彼の横顔は遠くを見つめるような感じになった。
そして、哀しそうに黙っていた。
「いつ、引っ越すんだ?」
おれが訊くと、彼は、ばつの悪いような、頬から唇を歪めた笑いで、じつは引っ越し先もまだはっきりは決めてないと、言った。
なんだか、つらいことを白状させてしまったみたいになってしまっておれは慌ててなんとかとりなしたくなって
「いま休日なんだったら
……予定を、その
……おれの車で、どこかに行かないか?」
変な言い方になったなと思いながら、直近の休みの日を、続けて言った。
彼は、何かうかがうような顔で身体を傾けてこちらを見ていたが、ふむというようにうなずいて、携帯をあらためて取り出す。画面を操作する。
おれが言った日付を、繰り返した。
なにか確かめてくれているようだ。
彼は駅へ引き返して行く道で、車と旅行の話をした。
それから、電車に乗って、別れ際、最後に小声でつぶやいた。
「
……この季節だけど、海、行きてえな」
聞いて、おれは、行こう海と思った。
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