【ミスルチ】星をつくる

魔法舎に帰る途中の酒場で、酔っぱらいのおじいさんに『空から星が減っている、星を元に戻してくれ』との依頼を受けるミスラとルチルの話です。

 どうも、空から星が消えていっている気がするんです。どうにか星を元に戻してやってくれませんか、魔法使いさまたち。星がなきゃ、星がなきゃ、また天が落ちてきて、あっしたちは苦しい暮らしをしなきゃならない。ねぇ、あなた方は偉大なる魔法使いさまとお見かけしました。どうかお願いです。あの島を、元の暮らし良い島に戻してくださりませんか。
 
 
 魔法舎に帰る道すがら、西の国の小さな酒場で、酔っ払いのお爺さんからそんな依頼を受けて私たちが指し示された島は、そこからほど近い小さな孤島だった。私は騒々しい酒場の空気に肌を触れさせながらも、偉大なる魔法使いさまと持ち上げられて、いい気になっているミスラさんを眺めた。彼の機嫌がいいのはいいことだ。悪かったら島一つ破壊するなどお手のもので、そうなっては困ってしまうから。
「星が消えてゆくって、どういうことなんでしょうね」
「さぁ、西の国の人間のくせに、迷信ぶかそうな人でしたからね。きっとくだらない話ですよ」
 ミスラさんはそう言うと、私を上の宿に誘った。今まで飲んでいた酒場の上は娼婦が使ったり、連れ込み宿だったりしたから、正直ここは旅人向けの宿ではなかったのだけれど、ミスラさんは多分、私を充分に叱りたいから、この宿を選んだのだろう。賢者の魔法使いと名乗れば、きっとこの街一番の宿を与えられる。でもミスラさんはそんなことを望まない。ミスラさんは、あまり人間が好きではないのだ。もちろん、魔法使いも好きではないけれど。
「気分じゃありませんか?」
「気分って、私はただ、ミスラさんがちょっと落ち込んでいるようだったから……
「俺は落ち込みませんよ。ただ、迷信深い人がいなきゃ俺たちは生きづらいのに、そういう人はこの国では俺たち以上に生きづらいから、不憫に思うだけです」
「優しいんだ、ミスラさんは」
 私たちはチップを多めに酒場のマスターに渡し(宿代も渡し)、何があっても知らないふりをしてくれと言外に伝えて階段を上った。その途中で娼婦の大袈裟な喘ぎ声や、ベッドが軋む声がしたけれど、私もあんなものだと思うとちょっとおかしかった。ミスラさんは真剣な顔をしていたけれど。
 その夜、泊まった窓から見た星々は、確かに以前よりも、というか南の国よりも少なく見えた。それがどうしてなのかは分からない。私は慣れた快感に飲み込まれて、何も考えられなくなってしまったから。娼婦よりももっと酷く喘いで、もっともっとと、彼を求めたから。
 
 
 翌朝早く、依頼主が言った島につくと、そこは新しいホテルの基礎が作られ、電灯が置かれ、あぁ、星が減ったのはそういうことか、と私は思った。西の国が孤島に新しく宿を作って観光客を呼び込もうとしたから、夜もともしびが光って、星の数が減ったのだ。ということは、あの酔っ払いのお爺さんの依頼主は、ホテル事業の撤退を私たちに願ったのだろうか? 賢者の魔法使いならば文句をつけて撤退させてくれるって? いや、彼は私たちが賢者の魔法使いであるということを知らなかった。ただ魔法使いならばどうでもいいみたいだった。でも、さすがにホテルの撤退まではさせられない。
 私はとぼとぼ舗装されたばかりの道を歩く。するとすぐに高い建築物が見えてきて、私はその下で砂を運ぶ男の人に声をかけた。
「綺麗な島ですね、どんなホテルになるんですか?」
「西の国最先端のホテルだそうですよ。私たちはただの人夫ですから分かりませんがね。そうだ、観光にはちと早いですが、海に行くといいですよ。軽石がたくさんあるから、怪我には注意して」
「ありがとうございます」
 私は仕事中の人夫に声をかけて、答えをもらって、ミスラさんと一緒に海に行くことにした。まだ朝だから星が少なくなったかどうかは分からないけれど、私が考えた通り、新しい街灯が星を消しているので間違いはないだろう。でも、ホテル事業は国の財産だ。西の国では特に。そしてそんなホテルを撤退させるのは、やっぱり難しかった。今のところ、ホテルの建設に反対している精霊の声もしない。こちらの精霊たちは人が好きで、特に変わっていて、複雑で、醜悪な人が好きな変な精霊で、たとえばシャイロックさんにそのまま翅を生やしたみたいな、小さな人だった。
「どうします? ミスラさん。ホテルの建設は止められませんよ」
「いや、星が増えればいいんでしょう。簡単な話ですよ」
「え? でも……
「あ、海ですよ。軽石に注意して、海水に入ってみましょうか。今の季節ならクラゲもいませんですしね。……そうだ、軽石といえばこんな話があったな」
 そうそう、チレッタが昔俺に聞かせた昔話があるんです、聞きます?
 ミスラさんが言った。母様の言葉に飢えていた私は、頭をぶんぶんと上下させて、靴を脱ぎ、ぴちゃぴちゃとまだ冷たい海に入った。
 ――ある島のお話です。ある日強い神さまが天が低いため窮屈に暮らす地上の人々に同情して、木の棒で天を持ち上げたんです。でも、神さまの息子はそれを笑って、二人は喧嘩になりました。どっちが勝ったと思いますか?
 ――そりゃあ強い親の方の神さまじゃないですか?
 ――違います。その息子です。父親の方は、力がおとえてきていたんですね。そうして父親の神さまは天穹もろとも星と星の間に囚われて、骨になった今もきらきらと空で光っているんだそうです。それが星で……えぇとそうそう、軽石の話でしたね。軽石は、その神さまの骨って言い伝えもあるらしいですよ。
 ――ちょっとびっくりしました。でも、突然そんなことをするなんて酷いですね、悲しいお話だな。
 ――仲良く天と地を分離させるというお話もあるらしいですよ。ほら、子どもがよく聞くじゃないですか、どうして空はあるの? とか、どうして星はあるの? とか、どうして地べたはあるの? とか、それを説明する昔話ですよ。
 ミスラさんはそんなことを言って、ズボンを折り上げ、海水の中を進んだ。貝殻を拾い、軽石を拾い、これは星だったかも、と唇を釣り上げた。私は彼がくだらないけれど、優しく私に接してくれていることを知って、少し、嬉しくなった。母様の話をしてくれたことも嬉しかった。
「でも、星を増やすのは難しいですね。なかなか俺でも大変かもしれません。軽石をとにかく集めないと」
「どうしてですか?」
「呪術に使うんですよ。昔話って言い伝えにあるくらいだから、なかなかどうして馬鹿にならない呪力を持っているんです。さぁあなたも魔法を使って軽石を集めて。期限は夜まであるからゆっくりでいいですよ」
 ミスラさんが笑い、潮の香りのする風が私たちの間を吹き抜けてゆく。まだ寒い、三月の風は、西の国でもやはり冷たかった。足元を小さな熱帯魚がすり抜けて行っても、まだここは冬なのだ。私はそう思い、軽石を少しずつ集めた。
 そうして軽石が山となった時、そこらじゅうには夕暮れの光が満ちていた。ミスラさんが「準備が出来ましたね」って笑う。私はよく意味が分からなかったけれど、彼に従って、水位が太もも近くまで上がっていた潮の中でミスラさんの赤い髪や、緑の瞳を見つめた。ただ、見つめた。陽が落ちてゆく中で、愛しい人だけをみていた。誰かの依頼なんて考えずに、ただ、愛しい人だけを見つめていた。
 
 
 夜になって、水面がもっと高くなった頃、私たちは箒に乗って軽石の山を見つめていた。街灯がついた島は確かに明るく、空の星は薄暗いものはよく見えなかった。でも、ミスラさんはあきらめない。あれは酔っ払いのお爺さんの戯れ言かもしれないのに、依頼を引き受けてしまったからには、ミスラさんは遂行しようとするのだ。とんでもなく律儀に、人がいいと悪い意味で笑われてしまう私ですら驚いてしまうくらいに。
「それじゃあ行きますよ……アルシム」
「あ、わぁ……
 ミスラさんが呪文を唱えると、積み上げた軽石はかつてどこかの島の住人のために空を押し上げた神さまの骨になり、それは星と星の間に囚われたままの神さまとくっついて完全になり、きらきらとすごく大きな星座になって輝き出した。さすがに月の明かりには負けてしまうけれど、ミスラさんの呪文で、あたりの道を歩いていた人夫や、海にやって来ていた気の早い恋人たちは、突然増えた宵の明星のように輝く星を驚きをもって眺めた。
「ミスラさん、これ、いつまで続くんです?」
「人が呼ぶ永遠くらいには」
「どういうことです?」
「人間の短い一生くらいは光続けるんじゃないですか? 俺にも分かりませんけれどね、もしかしたら、チレッタが言った昔話はこの島のものだったのかも」
「え? それじゃあ喧嘩した息子の神さまが怒っちゃうんじゃ……
 私が気を回すと、ミスラさんは笑って、大丈夫ですよ、そうしたらあなたが仲介に入ってください、と言った。厄介ごとは、全て私に回すつもりらしい。もしもそんなことがあったなら、だけれど。でも思うに、あの軽石にはマナ石のかけらが含まれていたのだろう。だから空で輝くのだろう。全部分かってしまえば、簡単なままごとだ。でも、人は、魔法使いは、それに縋って生きるしかないのだけれども。
「ミスラさん、この星、あの酔っ払いのお爺さんにも見えたらいいですね」
「酔っ払って寝てなきゃあ、見えるでしょう。きっと」
 ミスラさんが笑う。
 私たちは箒に乗ったまま、星々の下でキスをする。ちゅ、ちゅ、と唇を重ねて、吸って、ついばんで、何度も、何度も、キスをする。
 人は星のない空を恐れる。でも私は恐れない。私が恐れるのは、ミスラさんがいない世界だ。ミスラさんに選ばれない世界だ。そんな傲慢な世界を恐れて、私は今夜もミスラさんの腕を取る。そろそろ魔法舎に戻らなきゃいけないって分かってるのに、今は賢者の魔法使いじゃない、ただの気まぐれな魔法使いとして、空を漂うのだ。さざなみの音が聞こえる中を、星の光がまぶしくまぶたを照らす中を。