Ykanokawa
2024-03-08 18:50:39
5875文字
Public クリテメ
 

メイプルシロップとパンケーキ

※エピローグまでクリア推奨
※エピローグ後にフレチャで同棲しているクリテメが料理を作って食べるだけの話(連作になる予定)

エピローグ後にと言いつつ1話めはほぼ1章の話。
レシピを紹介する作品ではありません。料理して食べる2人を眺めるだけ。むしろレシピを守っていないので参考にしないようにしましょう。

 その朝、テメノスは非常に陰鬱な気分で炊事場の食材ストックを開けた。
 人間とはつくづく面倒くさい生き物だな、と思う。
 人間というか、まあ、大方の生き物に言えることではあるのだが、食べなくては生きていけないという部分が。
 食欲がなくても身体の方は空腹感を訴えてくるし、無視し続ければ動けなくなる。面倒くさい。もっとこう、例えば植物のように日の光と水だけでも栄養を補完できるような。そんな造りになっていればよかったのに。
 鬱屈したものを抱えているときに限って、食材棚が潤っているのが困る。
 野菜、果物、チーズ、ソーセージやジャムといった加工品。フレイムチャーチの住人たちは根が善良な者たちなので、少しでも憂鬱な表情をしているとこうして裾を分けてくれる。単純な善意だ。食べたいのに食べられない飢餓を知っているから無駄にしようとは思えない。
 それでも食事という行為が億劫に感じている今、これらと向き合うにはちょっとした辛抱が必要だった。
 ――何か傷んでいるものは。
 ざっと目を走らせて、ふたつ並んだ林檎の枝が萎れ始めているのに気がついた。もうすぐ底の部分から茶色く染まっていくだろう。
 手に取って頭を悩ませる。そのまま齧っても問題ないが、それでふたつとも消費するのはきつい。食べ終わる頃にはしゃりしゃりした歯応えがきっと嫌になっている。
「ふむ……
 ダイニングから続く寝室を見遣る。滞在している彼は朝から甘いものは平気だろうか。
 一瞬だけ考え、そこまで慮る必要もないと思い直した。出された食事に文句をつけようものなら、皿を下げればいいだけの話だ。
 水桶の中に林檎を放り込み表面を擦るように洗う。まな板の上に乗せ、真上から半分に割ってしまう。虫食いの跡がないことだけを確かめると大雑把に芯をくり抜いてざくざく大振りにカットする。皮を剥くのも面倒なのでそんな細やかなことはしない。
 釜戸に火を入れ、小さめの鍋に林檎の欠片をすべて投入する。一欠けらだけ口に入れてみた。変な感じはしないので、まあ、大丈夫だろう。
 常備しているメイプルシロップの瓶を手に取る。楓だらけのフレイムチャーチでは砂糖よりこちらの方が安価で手頃だ。ざっと多いくらいに回しかけて火にかける。温まった頃合いに木べらでざっくり混ぜる。焦げ付かなければそれでいい。
 耐熱皿にひとかけバターを落として火の傍に置いておく。
 ボウルに卵を2つ割り入れ、適量のミルク、小麦粉、少量の砂糖と一つまみの塩を加えて一度に混ぜる。口当たりをふわりとさせるなら最後に小麦粉を振るってさっくり馴染ませるべきだが、今のテメノスにそんなサービス精神はない。材料が混ざったところでちょうど融けていたバターも混ぜ込んでしまう。
 小鍋を覗くとしんなりと色を変えた林檎が即席のコンポートになっていた。レモンを絞る工程を横着したので見た目はよくないが、味はさほど変わらないだろう。たぶん。
 コンポートの鍋を火から下ろして代わりにフライパンを置く。バターを落とすと特有の匂いを放ちつつじゅわりと溶ける。
 ボウルの中の生地をお玉で掬ってみる。4枚、いや5枚くらいか。2人前はやっぱり面倒くさい。
 生地をフライパンへ流し込んで薄く広げる。数分もしないうちに表面が乾いてくる。フライパンを揺すると固まった生地が小さく動いた。手首のスナップでひっくり返してそのまま片面も焼いてしまう。
 完成した薄焼きのパンケーキを次々皿へ取り分けていく。コンポートを包むのはすべて焼き上げてしまってからだ。
 最後の1枚を焼いてしまおうとして、手が止まった。

『テメノスさん、後ろに下がってください』

『僕が……お守りします』

……
 ――最後にあんなことを言われたのは、いつだったか。
 そんなことを、思ってしまった。
 ――別に、守られるような謂れはなかったのに。
 テメノスは異端審問官だ。異端は頭脳派で狡猾な人間から、つい先日、町に現れたような腕っぷしに任せた暴徒まで様々である。あらかじめ企みを潰したことは何度もあった。暴徒にも魔物にもそうそう敗北することはない。
 そんなテメノスは長らく町の人間に頼られてきたし、腹に一物抱えた鴉には疎まれてきた。
……食材が減る分には、助かるか」
 誰に何の言い訳をしているのだか。
 食材ストックの中からソーセージを掴み、ナイフで薄く削ぎ切りにする。まだバターの香るフライパンに放り軽く炙る。ついでにチーズを手元に出しておく。
 一度、ソーセージを取り出して肉汁の混じるフライパンの中に最後の生地を流し込む。両面が乾いてきたところでチーズをナイフで細く削り、ソーセージを乗せ、端からくるくると巻き込んでしまう。やや長めに火を通してチーズが溶けるのを待つ。
 他の4枚にコンポートを包み、皿に取り分けたところでダイニングの向こうから、おはようございます、と声がした。視線を上げる。
 少々くすんだ金糸の髪、馬鹿正直とも取れるほど澄んだ青玉の瞳、背丈も高ければ肩幅も胸筋もよくよく育っている。さすがに室内ではあの重たげな鎧は外している。最低限の身支度を整えたラフな格好だ。
 先日、大聖堂に配属されて早々事件に巻き込まれてしまった新人の聖堂騎士。名前をクリックという。
 本来なら宿舎に入るはずだったのが、限られた部屋数を上司たちに奪われた可哀想な子羊でもある。
「すみません、手伝いもせずに」
「いいえ。大したものでもありませんし。君、朝は珈琲? 紅茶?」
「えっと、では紅茶で。あ、僕がご用意します!」
「それには及びません。洗顔はまだでしょう? 裏に井戸がありますから済ませていらっしゃい」
 少々、気後れした様子ではあったが、家主に従うべきだと判断したのかクリックは素直に頷いた。テメノスが指示した通りに裏口へと向かう。彼の背が消えてから、こっそりと息を吐く。
 ――調子が狂うな。
 薄っすらと浮かんでいたクマに気づいてしまった。熟睡できていないのだろう。
 まあ、彼がここへ来て目にした光景を考えたなら、それも致し方ないか。
 せめて食欲は落ちていないことを願っておこう。そう思いながら、テメノスはフライパンに残っていたソーセージとチーズのパンケーキを彼の分の皿へ移した。


 淹れ立ての紅茶の香りが食卓を彩っている。茶葉が完全に開くのを待ってからカップに注ぎ入れると、さらに香り高いよい匂いが立ち昇った。
 その紅茶とともに供されるのは林檎のコンポートを包んだパンケーキ。卵と一緒に小麦粉を混ぜ込んだ生地はふんわりというよりもっちりしている。表面にバターを飾り、その上から垂らしたメイプルシロップがつやつやと光って見える。
 甘いものは平気でしたか、と尋ねようとしてテメノスは口を噤んだ。パンケーキを見つめる彼の青玉がきらきらと輝いていたからだ。好物を前にした子犬を思わせる。
「どうぞ」
「あ、えっと、すみません」
 紅茶のカップと同時にカトラリーを渡すと彼は妙に恭しく受け取った。
 好物を前にしたとしても、テメノスも目の前の彼も聖職者だ。習慣である食前の祈りのために両手を組んで、しばし目を閉じ、短い祝詞を口にする。口にしながらすぐに冷めてしまうようなスープにしなくてよかったな、と思った。ひとりのときはサボってしまうこともままあるもので。
「私たちの心と身体の糧とならんことを」
 最後の一節まで終えてから、クリックは武骨な騎士の指でカトラリーを持ち上げた。なかなかどうして様になっているし、音を立てずにパンケーキを切る所作が洗練されている。意外なものだ。一口大に分けられたパンケーキが大きな口に運ばれていくのを観察しながらそんな風に思う。
 一口を咀嚼したクリックの青玉がますますきらきらと輝いたので少々面喰った。
「美味しいです……!」
「そう。それはよかった」
 面倒くさいことに耐えた甲斐はあったらしい。
「パンケーキは厚いものしか食べたことがなかったんですけど」
「ああ、そうでしたか。では、ご満足いただけなかったかもしれませんね」
「いいえ。僕、こちらの方が好きかもしれません。もちもちしていて、クレープみたいで……!」
 純粋な目で語るクリックに爪の先ほどの罪悪感が湧く。そのもちもちはきちんとレシピを守らないテメノスの物ぐさの産物なので、どう言ったものか困る。いや、これが言わぬが花というやつか。
 実に美味そうにクリックがパンケーキを平らげていくものだから、既に味を知っているはずのものがだんだん美味しそうに見えてくる。不思議なものだ。
 食指が伸びずにいたテメノスもカトラリーを手にして、雑に切った一口を食んでみた。
 もっちりとしたほんのり甘い生地を噛み切ると、ぶわりと林檎の香りが口いっぱいに広がる。林檎に歯を立てると果汁とメイプルシロップの香りが鼻腔をくすぐり、最後にほのかなバターの塩味が残って後を引く。
 そんな味がした。
 そんな味を感じたことに、テメノスは驚いた。
「テメノスさん?」
 どうしました?
 一口を味わって、そのまま沈思しているテメノスを不自然に思ったのだろう。はっと顔を上げれば心配そうにこちらを窺うクリックの青玉と目が合った。
……なんでもありませんよ」
 不覚にも胸に込み上げた感傷を呑み下して、テメノスはカトラリーを動かして二口目を口にした。
 ソーセージとチーズのパンケーキを切り分けた子羊が歓声を上げてフォークに被りついている。珍しく、らしくもなく。彼が滞在している間にもう一度、ちゃんとしたレシピで作ってもいいかもしれない、とそんなこと考えた。


……なんてこともありましたねぇ」
 林檎のコンポートを包みメイプルシロップに浸されたパンケーキを切り分けながら、テメノスはそう回想した。
 コンポートの林檎はきちんと薄切りにされているし、きっちりレモンが絞られているので綺麗な紅色に染まっている。あの頃は置いていなかった香辛料のシナモンがわずかに香って食欲をそそる。包み込むパンケーキも均一の厚さに仕上げられており、最初にふわっと、噛み締めるともちっとした弾力が返ってくる。贅沢な朝食である。
 最初の頃は生地が厚過ぎて包めていなかったり、逆に薄く焼き過ぎて破れてしまったりしていたのに。
 上手くなったものだ、とパンケーキを作った当人を見遣れば、彼はテメノスを見つめたままテーブルの向こうで固まっていた。
 クリック。
 クリック・ウェルズリー。
 以前、大聖堂に配属されて早々事件に巻き込まれてしまった新人だった聖堂騎士。宿舎に入るはずだったのが、限られた部屋数を上司たちに奪われた可哀想な子羊だった彼。そして今はテメノスの同棲中の恋人だ。
 きゅう、と太い眉を寄せ、男前の顔を歪めて何やら渋面を作っている。
……初耳なんですが」
「適当なレシピで作っていたことが?」
「いいえ」
「古い林檎を使ったこと?」
「違います」
「はて?」
 他に何かそんな顔をさせることがあっただろうか。文句を言われるようなことがあるのだとしたら、その2つくらいだと思うのだが。
 今ひとつぴんと来ていないテメノスに、クリックが大仰な溜め息をひとつ吐く。カトラリーを丁寧に置いたクリックが立ち上がり、わざわざテーブルを横切って隣に立った。
 馴れてしまったものでテメノスも持っていたグラスを置くと、少しかがんだ彼にぎゅう、と抱きしめられた。食事の最中にこれは少し苦しい。
「食べるのが面倒で、味を感じたのに驚いた、って。なんですか」
 そちらだったか。ようやく合点がいった。
「だって、一応、身内を亡くしたばかりだったんです。葬儀の手配は降りかかるわ、うるさい鴉は近くで騒ぐわ。食事くらい面倒になりますよ」
「それは……そうですけど」
 理解はできても納得はしていないらしい。テメノスの背中の輪郭を確かめるように触れてくるあたり、考えていることはなんとなくわかる。どうせ肉付きが悪い痩せた身体だ。
「また変なことを考えていません?」
「いえ、別に」
……あなたはもう、本当に」
 本当に、なんだ。旅を終えてから、いや、子羊から一皮剝けて妙に察しがよくなって可愛くない。
「私は結構、君に感謝してるんですよ」
「え?」
 テメノスのつむじに頬を寄せていた子羊がようやく顔を上げる。ぱちぱちと瞬く青玉をようやく正面から見ることができる。手の甲で頬を撫で、当たり前に感じる彼の体温に安心する。
……もう食べることはないかも、と思っていたんです」
 暗に皿の上のパンケーキを指して言うと、クリックは少し思案して俯いた。本当に勘がよくなってしまったな、と思う。
 テメノスがよく食べていた、食べ馴れているということは、子どもの頃から口にしていたということだ。彼を育てていたのが誰なのかを知っていれば、自ずと答えは見えてくる。同時に誰と育ってきたのかも。
「湿っぽい顔はおやめなさい」
「いた」
 今度は眉根を下げ始めた子羊の頬をぺちり、と軽く叩く。
 どうせ勘がよくなるのなら、もう一歩だけ考えに至ってくれてもいいだろうに。
「今は君が一緒に食べてくれるでしょう?」
 その事実があれば十分だった。
 あの頃のテメノスは自分でも気がつかないストレスに身を焼かれていた。湿っぽいのは性に合わないはずなのに、食事を避けていたのがいい例である。
 意思と心は奮い立たせられても、身体の方が正直だった。味蕾は緩慢で、空腹になっても胃袋の動きは鈍かった。
 たぶん、おそらく、あのときに彼と朝食を共にしなければ、レシピごとテメノスの生活からなくなってしまったかもしれないもの。
 今はもっとも愛しい人に作ってもらい、こうしてともに食卓を囲んでいる。それが幸せでないとすれば、他に何をそう呼ぶのだろう。
 クリックの腕からそっと離れて、切り分けた一口分のパンケーキを頬張る。
「うん、美味しい」
 しっかり味わいながらそう一言零すと、クリックにもようやく笑顔が戻った。


……なので、昼も夜もお願いできると助かるんですが」
「それを言っておけば僕が折れると思っているでしょう。僕だってテメノスさんの料理が食べたいです」
「君、本当に可愛いのに可愛くなくなりましたね」
「どういう意味ですか」