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時緒
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魔法使いの約束(ミスルチ)
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【ミスルチ】煙草と角砂糖
山越えをする時荷馬車から荷物が消えるのでどうにかして欲しいとの依頼を受けたミスラとルチルの話です。
山で道に迷った時は、馬車から降りて葉巻を一本吸うといい。
もし狐に化かされているんだったら、大体はそれで解決するんだ。狐はあの臭い香りを嫌うからね。いや、それが美味いんだって? そりゃあそうだろうが、狐と人間は違うからね。
……
それでも駄目だった時? 俺はそれくらいしか退治方法を知らないな。何、狐も馬鹿な旅人に飽きる時が来るさ。それまでは馬を労ってじっとして、お狐様が飽きるのを待とう
――
。
魔法舎への依頼で、南の国の山の下の村をミスラさんと一緒に訪ねていた時、夕暮れ時の酒場で耳に入ったのはそんな会話だった。酔っ払いの、よくある台詞だ。
私も、同じようなことを故郷の村で聞いたことがある。山で迷うのは狐のいたずらだから、煙草の煙で追っ払え。そう言い含められて、子どもでも念の為安い煙草とマッチを持たされていた。でも南の国の子どもとは都会の子と違って娯楽が少ないものだから、十を過ぎると狐に化かされたと嘘を言って、安い煙草に火をつけてよく吸ったものだ。私も例に漏れずフィガロ先生にもたされた煙草を友だちと一緒に吸ったけれど、それはなぜか他の子と違って美味しくて、あれ? おかしいなと思ったことがある。正直に煙草が美味しかったんですと言ったら、フィガロ先生はルチルもそんな歳になったんだね、と笑っていたっけ。そうして、できることならば美味しい煙草の味を知って欲しかったんだよね、とも言っていた。まずい狐避けの煙草の味もなかなかに風情があるけどさ、とも。
「狐なんて、殺せば一発ですよ。すぐにまじないが解けます」
「ミスラさん、そういう問題じゃないんですよ
……
」
ミスラさんはミートボールがたっぷり入ったパスタで口を汚し、赤ワインでそれを飲み込んだ。私も同じものを食べ、同じものを飲んだが、お酒だけはミスラさんよりもハイペースだった気がする。そんなこと、どうでもいいのかもしれないけれど。
ちなみに今回の依頼は、山越えをする時荷物が消えるのをどうにかしてほしい、というものだった。予想通りそれは狐のしわざで、ぐるぐると道に迷わせ疲弊したところで、食べ物を奪うらしい。でも、私たちはまだそれを解決できていない。さて、どうしたものかと考えていると、ミスラさんはワインを飲み干すと立ち上がり、窓から差し込む夕暮れ時の光を見て「行きましょう」と言った。「そろそろたそがれ時ですよ」と。そして「化け物が好む時間帯だ」と付け加えて。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「あら、ありがとうね、綺麗なお兄さんたち」
私はコインをテーブルの上に置き、そそくさとミスラさんを追った。彼は最初のうちは、ところ構わず魔法を使って移動しようとしたものだが、最近は人間の目を避けてのそれにしてくれている。約束したわけではないから適当な時もあるのだが、大体は、多分心の中で諍いを起こしたくないと考えているのだろう。
「そうそうお兄さんたち、狐に化かされた時用にこの煙草をあげる。マダム・アメデの品さ。ここいらの名産品なの。コインが少し多かったからどうぞ」
「あ、ありがとうございます
……
」
私はパッケージに抽象画が描かれた葉巻を受け取って、今度こそミスラさんを追った。彼はもう店から遠くの草原にいて、誰もいないそこで空間を切り取って、今か今かと私を待っている。
夕暮れ時が闇に変われば、そこは精霊とあやかしのものになってしまう。人間と交わることはないのだ。魔法使いはその埒外だが、依頼は人間からのものだから難しい。私は他の子どものように煙草を持たされたけれど、箒で飛んでしまえばすぐに迷路から抜け出せたから。
だからこそ、早く山に行かなければ。多分迷っているだろう人を探しに、そんなふうに魔法をかけた狐を探しに。
私たちが飛び出たのは、山を越える、小さな(少しみすぼらしい)乗り合い馬車が立ち往生しているところだった。馭者から話を聞けば、昼下がりからずっと同じところばかりを駆け回って、大変なのだという。迷信通り煙草を吸って休憩してみても駄目だった、一服してから進行方向とは違う、左右の分かれ道を曲がっても元来た道に戻って来てしまった。あなた方が来るまで、異界に入り込んだのかと皆冷や冷やしていたんですよ。
「そうですか。でも大丈夫ですよ、私たちは魔法使いですから。依頼を受けて、あなた方のような迷い人を助けに来たんです」
私はそう言って、馭者と握手をした。彼は涙ながらに、これでもうおしまいなんですね、と言い、私はそうですよ、と答えた。それじゃあ出発しましょうか、そんな言葉が口をつきかけた時、ミスラさんは私の腕を引っ張って、「あそこを見てください」と言った。ミスラさんの指の先には、今まで見えなかった、ぼろぼろの服を着た女と、小さな子どもが一人いた。私はとっさに、あれが狐だ、と思った。でもこの乗り合い馬車は食料を乗せていない。乗っているのはみんな貧乏な人で、仕事を求めて中央の国に出てゆく人や、反対に夢破れて中央の国に帰ってゆく人が多かった。その出身は多岐にわたるのが民族衣装で分かる。みんなげっそりとしていて、それは食事を満足にとっていないというより、道に迷い続けて不安で、と言った方が正しそうだ。
「あれは狐ですよ。殺しますか?」
「だ、駄目ですよ。ご飯をあげましょう
……
って私も持っていないや」
「本当に欲しいのはご飯なんでしょうかね」
ミスラさんが唇に指を添える。それだけで驚くほどの色香を放つ彼は、乗り合い馬車の女の人たちにきゃあきゃあ言われていた。でも不思議なのは、あのぼろぼろの服を着た女と、小さな子どもに誰も注目しないということだ。やはりあれは魔法生物の類なんだろうか? 狐に似た、そういう力を持った何か。
「どういうことです?」
「あの狐、すごくげっそりして顔色が悪いですね。食べてないだけじゃないように見える」
「え? 病気ってことですか? 大変だなぁ
……
ここにフィガロ先生がいればよかったんだけど
……
」
私は心底気の毒に思って、狐の親子(便宜上そうする)を眺めた。ここに薬があればいいのだけれど、私に出来ることといえば、シュガーを作ることくらいだ。だったら、そうするしかないんだろう。
「ねぇ、あなたたち、シュガーを食べない?」
自分たちが見えていることに気づいて驚いたのか、二人は身体を硬くする。しかしすぐに同類だと思ったのだろう、二人は私が近づいても、手のひらの上にきらきらしたシュガーを落としても、何も言わなかった。星の形が気に入らないのかと思って、すみれの花にしてみたり、角砂糖にしてみたりすると、子どもはもっと! もっと! と初めて声を出した。私は出来る限りの美しいものをイメージして、ちょうちょや、小鳥、つる花に幾何学模様と、いくつもいくつもシュガーを作った。すると子どもは喜んで手のひらの上で転がし、微笑み、口元に運んでまた笑った。それを見た女は驚いて私に深く深くお辞儀をした。そして初めてこう言った。
「この子は、何を差し出しても食べぬ子で、困っていたのです。どうぞ、もっとくださいませんか」
「いいですよ、シュガーを作るのは得意ですからね!」
私は、空からぱらぱらといろんな形のシュガーを落とす。それは夕暮れ時の光と、もう空に浮かびつつある星と月の光を照らして、きらきらと光っていた。
「あぁ、そんなにいただいてすみません。もう充分です。お疲れになったでしょう」
「狐の女。疲れたところを食べようったって、そうはいきませんよ。これは、ルチルは俺のなんで」
「ミスラさん!」
「俺のには変わりはないじゃないですか」
「滅法もございません。あなたさまを食べようだなんて。我が子の救い主さまですから
……
」
狐の女はそう言って手をすり合わせた。私はもういいですからと言い、そして彼らをそろそろ解放してやってくださいませんか、と、乗り合い馬車を見やった。
「申し訳ございません。我が子に何か食べさせてやりたくて。でもあの連中、悋気で少しもよこさず
……
」
「貧しい方たちなんですよ。そんなことは言わずに。これからはあまり人間を追いかけすぎないようにしてくださいね。度がすぎると、人間に討伐されますよ」
「そうです、俺が来てよかったってものです」
ミスラさんが言う。でも、この人って今回何をしただろう。私は考えたけれど、いつだってミスラさんは知らないうちに何か事件を解決してしまっていたから、今回もそうなんだろう。
「ありがとうございました。ルチル、ミスラ」
輝いて、一人の女と、その子どもが消えてゆく。夕闇の中に、月が浮かぶ空の中に。すると馬が鳴き、もう走れる、もう走れると馭者に合図を送る。私は笑って、「もう大丈夫ですよ」と、不安げな彼らに言った。
「もう出発しても大丈夫ですよ。でも、ここいらの狐は甘くて栄養のあるものが好きみたいだから、煙草より角砂糖をポケットに入れておくといいかもしれませんね」
「角砂糖
……
? もう出てもいいんです?」
私は馭者に頷き、空の明かりを見上げる。走り出した乗り合い馬車は、今度こそ上手に山を乗り越えて、中央の国にたどり着くだろう。そこで彼らに何があるのかは分からないが、今日のことが土産話になればいい、と思う。それくらいの軽い思い出になればいい、と思う。
「酒場のマスターにも、煙草より角砂糖を売れって言いますか?」
「そうですね、それもいいかもしれませんね。虫歯の子が増えちゃうかもしれませんけど」
私は笑って、乗り合い馬車を見送って、ミスラさんと手を繋いだ。最初のうち、この人と結ばれてすぐのうちは本当に少しも離れていたくなかったけれど、今は違う。依頼で一緒になるのは嬉しいけれど、離れていたって、一緒だって思える。
夜空を見上げて同じ月や星を見るように、私は時には彗星になって、ミスラさんの目に入るだろう。それはそれは自分勝手だけれど、私はミスラさんに私を見ていてほしいのだ。離れいても平気だって言ったくせに、馬鹿みたいだけれど。
「しばらく、こうしていますか? それとも、早々に宿屋を取りますか?」
「もう、ミスラさんったらムードがないんだから」
私は笑う。そしてミスラさんと短いキスをして、誰もいなくなった道のうえで抱き合った。ミスラさん、好きです、ミスラさん、好きです。迷った時は、煙草を吸うのでもなく、角砂糖を舐めるのでもなく、私たちはキスをしましょうね。そうしたらきっと、私たちを化かしている妖精か何かも、呆れて正しい道を教えてくれるでしょうから。
だからどうか、キスをして。
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