【ミスルチ】もしもあなたと踊れるのなら

ミスラが昔潰した山で、踊りの相手を探す幽霊をどうにかして欲しいという依頼を受けるミスラとルチルの話です。

 もしもあなたと踊れるのなら、私は焼けた鉄の靴でも履くだろう。赤い赤い熱い靴。あなたの髪と同じ色の靴。
 でも、私はただの人間で、あなたは怖い魔法使い。私の故郷を崩した魔法使い。でもそれだっていいの、私はあなたに恋をしているのだから。
 
 
 ミスラさんの部屋で、セックスを終えて寝物語に思い出話をしていると、私はふと、この人にも大切な人がいたのだろうか、と思った。千年以上生きている魔法使いだ、いくら好んで骸骨と暮らしていた人だといっても、一夜をともにした女の人がいない方がおかしいのではないか。私だって、二十年と少しの人生で、愛しい女の子がいたことがあるのだから、そうだって不思議じゃない。その子は、牛何頭かと引き換えに嫁入りして行ってしまったけれど。
「ミスラさんは、好きな人っていましたか?」
「あなた、たまに訳が分からないことを言いますね。やきもちを妬きたいんですか?」
「そんなんじゃないですけど、ミスラさんの過去が知りたいっていうか。一千年って長い時間でしょう。気が遠くなっちゃうくらいの間、あなたが一人だったら寂しいなって」
 私がそう言うと、ミスラさんは裸のまま考え込んだ。ミスラさんは淡白だけれど、女を抱き慣れているのが毎夜セックスをしていても分かった。というか、女のように抱かれているっていうことが、彼の腕の中で悶えている私には分かった。初めてセックスをした時、ミスラさんは唇や耳や胸や、女の人が好みそうな場所ばかり愛撫して、なかなか先に進もうとしなかったから。あれは男同士のセックスが初めてだった私を思ってのことだったのか、それとも女の人とのセックスしか知らなかったからか、私には分からない。
「チレッタに絶対気が合うからって紹介された女と寝て、しばらく連絡を取らなかったら不誠実だって二人に追い回されたことがありましたね」
「へぇ、母様がそんなこと……。しそうだなぁ……
「あとは見ず知らずの村娘に告白されて、厩で寝たりとか……相手も楽しんでたと思いますよ。あなたは俺が上手いっていうし。女は嘘を言うけど、あなたは嘘を言わないでしょう」
「私は千歳のミスラさんしか知らないから上手いって言ったんですよ。まだ若いミスラさんだったら、反対に女の人に弄ばれてたかも」
 私はやっぱり、ミスラさんを慰めてくれていた人がいたんだって安心して、ミスラさんの赤い癖毛を抱きしめた。
 魔法使いは孤独だ。魔力が尽きるまで生きて、それがいつ終わるともしれない。子を成したって、魔法使いが生まれるとは限らない。誰よりも愛しい子が先に死んでしまうことも多い。
 でも、ミスラさん、私たちってずっと一緒ですよね。ミスラさんは強いから、私はまだ若いから、きっとずっとずっと、一緒ですよね。母様とミスラさんが約束したから、私たちが離れることはないですよね。お願いだからそうなるように努力してください。危険なことになんて手を出さないで、ずっと私と眠っていて。
「満足しましたか? ルチル」
「少し満足しました。あなたが一人じゃなかったんだって分かって」
「嫉妬しないんですか? 女たちはよく昔の恋人に嫉妬していましたよ」
「私はいいんです。ミスラさんはずっと大切な人ですから」
 私は肌をミスラさんの頭にこすりつけて、ぎゅう、と抱きしめた。ミスラさんが一人でなかったのなら良かった。でも、ミスラさんの最後の人になりたいな、私もあなたを最後にするから、私はミスラさんの最後の人になりたいな。
 
 
 翌日賢者様に呼び出されたミスラさんにくっついて談話室にゆくと、そこには誰もおらず、暖炉だけがぱちぱちと炊かれていて、乾燥した空気の中ではワインの残り香がした。と思ったのだけれど、それは賢者様が用意した紅茶から香って来ていて、きっとネロさんが用意したフレーバーティーか何かなのだろうと私はあたりをつけた。
「あ、ミスラ、ルチル。こっちです」
「賢者様、どんなご用なんですか? 私にもお手伝いできるでしょうか? 今日の授業が見送りになって少し暇なんです」
 嘘だ、いや、授業がなくなったのは本当だけれど、私はミスラさんと一緒にいたかったからそう言った。誤魔化した。でも賢者様はありがとうございます、と笑って、実はですね、と話し始めた。
「北の国にオズの爪痕みたいな場所があって、それがどうも、ミスラの名前がついている崩れた山らしいんですが、そこに女の人の幽霊が出るって言うんです」
「え、ミスラさん、山を壊しちゃったんですか?」
「覚えてませんね。うーん、ムラムラしてたんですかねぇ……
 ミスラさんは口元に指を載せ、そんなふうに考え込んだ。深い緑の瞳が揺れる。耳元のピアスが揺れる。あらわになった喉仏が、賢者様の用意した紅茶を飲んで上下する。 
「その幽霊はダンスの相手を探しているらしくて、夜山に登って来る旅人に話しかけて来るそうなんです。そこは大切な交易路で、旅人たちや商人たちが怖くて通れないからどうにかしてほしいって陳情して来て……
「誰かがダンスをしたら消えちゃうんじゃないですか?」
 私が言うと、賢者様は首を振って否定した。
「怖いもの知らずの村の若者たちが踊ったらしいんですが、その幽霊は探している相手が存在するらしくって。誰でもいいってわけじゃないみたいなんです」
「消せばいいだけでしょう。すぐに終わりますよ」
 ミスラさんは紅茶を飲み干し、皿の上に置いてあったクッキーを齧った。
 ミスラさんは消したら終わりだって言うけれど、私は出来たらその幽霊の思い人を探してあげたい。そうして、終わりを迎えさせてあげたい。そんなの無茶だって分かっているけれど、それでも。
「一応見るだけ見に行ってみましょうよ。案外、話が分かる幽霊かもしれませんよ。駄目なら強引ですが封印しましょう」
 私は笑って、紅茶に口をつけた。
 死んでまでダンスを踊る、愛しい相手を探す女の人の幽霊。姿を変えてまで愛しい相手を持ったということは、私には羨ましく思えた。いや、私だって大切な人がいる。ミスラさんだけじゃない、ミチルにフィガロ先生、レノックスさん、賢者様、仲間である賢者の魔法使いたち。でも、それでもやっぱり私はミスラさんを選んでしまうかもしれない。それくらい、私はミスラさんのことを愛していた。これまでの価値観を消し去ってしまうくらい。
 
 
 夜、ミスラさんが崩したという謂れのある山に行くと、そこには幽霊を恐れない旅人や交易商たちが作った焚き火を囲むキャンプがあった。私たちはまず彼らに聞き取りをして、幽霊を封印しに来たと告白すればホットワインを振る舞われた。ミスラさんは干し肉を噛んで、仏頂面のままキャンプに加わっていた。
 空には星があり、月があり、他には何もなかった。時折鳥が鳴き、獣が吠え、私は少しだけ心細くなる。
「ミスラさん、私はちょっと辺りを見て来ます」
「俺も一緒に行きましょうか?」
「いや、魔力が強いミスラさんが来たら幽霊も警戒するかもしれませんから。何かあったらすぐに呼びますから心配しないで」
 そう言うと、ミスラさんはまたホットワインを飲んで焚き火に当たった。誰かが歌を歌う。もの寂しい、旅人の歌。リュートの音色。私はそれを背に歩き出す。魔法で指先に火を灯して、それをふわふわと顔のあたりに飛ばして。でもこんな鬼火みたいな使い方をしていたら、私が幽霊と勘違いされるかもしれない。
 ――踊りましょう。
 ――踊りましょう。
 ――あなたをずっと待っているの。あなたが気まぐれに私の村を消した日からずっと。
 山道を歩いてしばらく、そんなか細い声が聞こえた。でも姿は見えない。目撃談のような幽霊は見えない。ミスラさんを呼ぶ前に、幽霊の本体を見つけなければ。誰かの魔法がこの声を出しているのだとしたら、ミスラさんの魔道具みたいに骨を使われているかもしれない。だから無念で、ダンスの相手を探しているのかもしれない。
「ルチル、今、女の声が……
 私がぼんやりと立っていると、いつの間にかミスラさんが後ろに立っていた。ミスラさんは私が顔の横に漂わせている鬼火をかき消し、声の元を探る。私はそれを見つめ、こう尋ねる。
「ミスラさん、幽霊ってこの声だと思うんですが、でも見えないんです。どうしてなんでしょう。魔力が少ないと見えない? でも人間の方たちも見たんですよね」
「ルチル、見えますか? 赤い靴を履いている女がいますよ。ほら……
 ミスラさんが、骨ばった指を黒い虚空にさす。するとそこにはぼんやりとした輪郭の金髪の少女が浮かび上がり、熱い目でこちらを見つめた。いや、正しくはミスラさんを見つめた。
 ――ミスラ。やっと見つけた。踊りましょう。踊りましょう。
「踊ったら消えるんですかね、これ」
「どうでしょう……
 今朝の私なら素直に勧めただろう。でもさっきの歌声は、ミスラさんが気まぐれに村を消したと言った。そんな男と踊った先にあるのは何なのか。私はそれが恐ろしくなり、ミスラさんの腕を引っ張る。
「やっぱり駄目です。ミスラさん、昔山を崩したんでしょう? そこにあった村の者かもしれません。きっと怨霊です。行っちゃ駄目です」
 私には魔力があまりないけれど、それでも母様の血を引いているからか、何かが見える時があった。あの幽霊はミスラさんを求めている。ダンスをしたいと求めている。でも、本当の目的はミスラさんをあちら側に連れてゆくことだ。そうでしょう? 可哀想なあなたのことは分かるつもりです。私だって、母様と父様が天国に行った時は悲しかった。いや、駄目だ、私は生き残り、尊いミチルが残されたのだから、そんな甘っちょろい説得では駄目だ。
「俺が負けるとでも思ってるんですか?」
「踊っちゃ駄目って言ってるんです。踊るのは、もう私だけにしてください」
 ――ミスラ、踊らないの? 私はずっと待ってたのよ。あなたが村を消した日から、お父さんやお母さんや妹たちが死んでしまったあの日から、憎くて憎くて、なのにあなたが恋しくてたまらなかった……
 幽霊がこちらに近づいて来る。ミスラさんが呪文を唱えようとする。でも私はそれを制して、力を込めてこう唱えた。
「オルトニク・セトマオージェ」
 ――いや、いや、消えたくない、私はどこに行くの? いや、いや、ミスラ、あなたも来て、ミスラ、ミスラ……
 幽霊の輪郭がぼやけてゆく。姿が暗闇に消えてゆく。私はそれを眺めながら、初めて自分のエゴで魔法を使ったのだと思った。ミスラを憎く思い、それでも恋をした幽霊の娘を、この手で消したのだと思った。
「ルチル?」
 ミスラさんが私の名前を呼ぶ。その声色は優しかったけれど、この人は山を崩し、多くの人の人生を奪った魔法使いなのだった。
 そんな人でも私はミスラさんが好きだ。だからあの幽霊を消した。封印するのじゃなく、思いを遂げさせるのじゃなく、ただ消した。
「なんでもないですよ」
 私は暗闇の中で笑顔を作り、キャンプに戻りましょうと言う。そして私たちは、いや、酷い心根の私は、星の中、月の中、綺麗なものばかりの中をそっと歩きだしたのだった。