大陸の中でも開拓が進んでいない南の国の、そのまた辺境の村から依頼が届いたと聞いたのは、西の国から戻り、日常が戻った頃のことだった。
私にその依頼を告げた賢者様は、どこか複雑な顔をしていた。それもそうだろう、今回の依頼は山の神様に捧げた若い娘が帰って来てしまった、気に入らないのかと思って他の娘をやっても帰ってきてしまう、このままでは障りがあるのではないか、という、田舎に住んでいた私でも疑ってしまうくらいの依頼だったから。
「それで、何か悪いことが起こったりはしたんですか?」
昼食を終え、紅茶を飲みながら尋ねると、私の目の前に座った賢者様は「それが……」と言葉を続けた。
「それが、何の災いもないらしいんです。でも、先の大いなる厄災で山の神様が死んでしまったのかもしれないって、怯えてて……」
困っちゃいますよね。賢者様が苦笑いをする。彼女も、今回の依頼を未開の地の民の戯れごとだと思っているようだった。そりゃあそうだろう、賢者様の住む世界は西の国の魔法科学よりずっと進んだ技術があって、マナ石がなくても人は空を飛べ、馬車よりずっと速い乗り物が安価で手に入るらしいのだから。
「山の神様が死んじゃったら、もう恩恵は受けられないからですか?」
「そうみたいです。ですから、よかったら賢者の魔法使いに神聖な結界を張ってもらったりなんかして、また山の神様を下ろせないかって……」
「適当なことを言いますね。魔法使いが精霊の力が借りれるからって言っても、いくら俺でも神様は作れませんよ。そういうのは口の上手い連中の仕事じゃないですか?」
フィガロとか、ああいう類の男。
デザートのプリンを一口で食べ、ミスラさんが言った。
「私も無理だって言ったんですが、祝福だけでもして欲しいって強く言われちゃって……」
賢者様はため息をついて紅茶に口をつけた。私はそれを見て、この人は良くも悪くも断れない人なのだ、と思った。神様を作れだなんて、そんなことはミスラさんの言う通り魔法使いでも無理だ。もしかしたら、魂が砕け散る前のムルさんなら、うまく切り抜けてしまったかもしれないけれど。でも、祝福を捧げるくらいなら、それくらいなら私でも出来るだろう。
「分かりました。ちょうど授業がひと段落したところでしたし、山を祝福して帰ってきます。神様に捧げられた若い女の人も気になりますからね」
「あなたはまた安請け合いをして……」
ミスラさんがはぁ、と息を吐く。
「だって気になるじゃないですか。崇められている山の神様が本物でも、モンスターでも、精霊でも、危険なものに変わりはありませんから」
「すみません、南の国の村の方々も、悪意はないと思うので……」
賢者様が何故か南の国の人々を庇って言う。まるで無知な子どもを庇うみたいに。
賢者様は優しいから知らないのかもしれないけれど、悪意がなくたって、人は平穏のために何の罪もない女の人を神様に捧げるのだ。私のいた村ではとうに絶えたと聞いていた風習だったが、まだ残っているところがあったとは。出来ることならば、それが二度と復活することがないよう言い含めなくてはならない。
賢者様が席を立つ。またミスラも一緒にお願いしますね、と言って。私はそれに笑って、たまにはミスラさんを休ませてあげてくださいね、と告げた。
「怖い顔してますね。そんなに山の神様が嫌いですか?」
私を見つめ、ミスラさんが言う。
「嫌いというか、誰かの犠牲の上に成り立ってる神様が嫌なんです。みんなで手を取り合えばそれで解決するのに、神様に頼るだなんて、北の国の魔法使いに頼る人間みたいじゃないですか」
「今日のあなた、結構厳しいですね。実は双子やオズが嫌いだったりしますか?」
「そんな……あの人たちは贄をとらなかったじゃないですか」
「そういう問題かな。力のあるなしでパワーバランスが変わるのは普通じゃないですか」
ミスラさんが紅茶をすすり、立ち上がる。私もそれに遅れて紅茶を飲み干して、呪文を唱えるミスラさんに続いた。空間が切り取られる、貧しい村が見える。学校も何もない、住居以外にはただ祈りのための小屋しかない村が見える。私たちはそこに行くのだ。生贄を拒否した山の神様がいるらしい、それを信じて生きて来ていた人々の元へ。
賢者の魔法使い様、賢者の魔法使い様と手をこすられて受け入れられた私たちは、村の長の家に通され、そこで賢者様から聞いたのと同じ依頼内容を伝えられることとなった。私は一応山に神様がまだいるか確認し、いなくなっていた場合は山を、この村を祝福することを誓った。長は神様をおろして欲しがっていたけれど、そんなのはいくら賢者の魔法使いだって無理な話なのは、村の人々は皆薄々分かっているようだった。南の国では魔法使いが尊ばれるけれど、魔法使いが神様じゃないことくらい皆知っている。けれど長は、長くこの辺境の村で暮らしてきたのだろう彼だけは、神に縋っているように見えた。
「賢者の魔法使い様、どうか、どうか頼みますよ」
私たちはそうやって山に送られた。まるで私たち自身が生贄みたいに、神様を呼び起こす、生贄みたいに。
「精霊がざわつきだしました。この山、まだ誰かのものですよ」
「えっ、でも山の神様はそれまでとっていた生贄をやめたんでしょう? 精霊がざわついているのは、ここが誰のものでもないからじゃないんですか?」
私がそう言うと、ミスラさんはしばらく考え込み、「そろそろ茶番はいいかもしれませんね」、と言った。それは山の中腹に来た頃のことで、見送りにやってきた村の人々が帰った頃で、私はどういうことかと首を傾げた。
「あなたももう少し気配というものに敏感にならなくちゃいけませんよ、ルチル。早く出て来てください、そこにいる人。精霊がざわついているのは、あなたのせいでしょう。どうせ山の神様と呼ばれる誰かと通じたんでしょう」
「……どうして分かったの?」
それは鈴の音のような軽やかな声をした、民族衣装に身を包んだ娘だった。彼女は山の木の狭間から現れ、私たちに質問した。
「あの魔法使いは私を世話係にもせず、帰れと言ったわ。もう贄を取るのはやめるとも言った」
「それでありふれた恋に落ちたんですね?」
ミスラさんが言う。まるで詩篇のような響きに、私は恋、と、唇をなぞった。
「そうよ。でも結局あの人は私を村に帰した。私は何度も山に通ったわ、でも、あの人は現れなくなった。私を捨てたのよ」
娘はそう言って、静かに俯いた。彼女は森の中に佇み、私たちを見つめている。私はどうにか慰めたくて言葉を探したけれど、上手くいかなかった。でも、ミスラさんは違ったみたいで、「どうせ違う時間を生きるのがつらくなったんでしょう」と言い放った。すると娘は「それでも一緒にいたかったのよ」と言った。私の母様は魔法使いで、父様は人間だった。でも、母様は父様と同じ時間を過ごした。先に死ぬという形で。でも、ミチルを産んで死ななかったのなら、母様は父様と生きた時間も、いずれ忘れ去ってしまったのだろうか? それとも違う時間を生きるということに耐えきれず山の神様のように、父様の元から去ってしまったのだろうか?
「いい加減、そっちの誰かさんも出て来たらどうですか? 精霊の扱い方が独特すぎるんです。それじゃあ気配を消せていませんよ」
ミスラさんが突然言う。すると、山の中から狼が現れた。それはやがて青年の格好をした魔法使いになり、私たちに向き合う。
「帰るんだ。結ばれなくても、ずっと見てるから」
青年が言う。しかし娘は首を振って、「いやよ、いや」と言ってきかない。私は段々と悲しくなって、そしてどういうわけかむかむかした。そしていつの間にかこう言っていた。
「……生きる時間が違ったっていいじゃないですか。午睡の夢でも、愛した喜びは消えません。私の母様は魔女で、父様は人間でした。母様は覚悟していたと思うんです。どんな終わりが来ても、愛は喜びだって」
青年が口ごもる。でも、彼の決意は固いみたいだった。
「私だって出来ることならば一緒にいたいさ。愛しているんだから。でも今この娘が消えたら、また贄の風習が、私が自分勝手に始めた風習が復活してしまう。それは避けたいんだ。不幸な娘を増やしたくない。私はこの山を去る」
「そんな……」
「だったら、賢者の魔法使いが、山に住む男と村娘の駆け落ちを見届けたことにしてやりますよ。あなたたちみたいな可哀想ごっこは見てられないんですよね。……俺の師は人間と結ばれました。不幸があって死にましたが、別れが来たって後悔はしなかったはずです。そういうものでしょう、あなたたちがしきりに言う愛ってやつは」
青年と、娘が向かい合う。そうして二人は手を取り、青年は狼になり、娘はその背に乗る。狼は山をかけてゆき、やがて見えなくなる。娘は手を振り、ありがとうと笑う。
あっけない終わりだった。あっけないが、気分のいい終わりだった。彼らはきっと幸せになる。私の両親がそうだったように、幸せな暮らしをするはずだ。後悔はしない、そんな日々を送るはずだ。
「ミスラさんって、結構ロマンチストなんですね」
「は? 馬鹿にしているんですか?」
「いいな、って思っただけですよ。それじゃあさっさと祝福をかけて村に戻りましょう。あの狼の魔法使いと娘さんにも祝福を贈って。それから……」
私はそう言って、気だるげに腕を組むミスラさんの手のひらにキスをした。
「それから、私たちのこれからにも、私が祝福を贈ります」
「全く、そういうところ、本当にチレッタに似ていますよ」
私はその言葉に笑い、呪文を唱える。狼に変身する魔法使いが消えても、その魔法使いと恋をした村娘が消えても、きっとこの村は変わらず静かに時間が過ぎてゆくだろう。娘がしたことは村に対する裏切りなのだろうが、それでも、村の外に駆け落ちなんて、南の国でもよくある話だ。
それに私たちは賢者の魔法使いなのだ。そこいらの魔法使いとは人々の受け止め方が違う。私たちの嘘くらい、簡単に信じ込まれることだろう。
私はそう願って、二人の門出を祝福し拍手をする精霊たちに混じって、呪文を繰り返した。山奥の村にも届くように、迷信を信じることでしか日々を過ごせない人々を慰めるように、呪文を繰り返した。
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