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chu!ppiness
2024-03-07 07:27:28
4386文字
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chu!ppiness 第2話「くじらの歌」
nanaにて活動予定のアイドルユニット「chu!ppiness」結成秘話🌸
第2話「くじらの歌」
桐生心海にとっての光と、抱いた願いのお話です。
書き手:柚鈴 (
https://twitter.com/Citlisamusic
)
🍓柏木あんな>>
https://nana-music.com/sounds/06afc04e
chu!ppiness 公式nanaアカウント>>
https://nana-music.com/users/10589522
chu!ppiness 公式Twitterアカウント>>
https://twitter.com/chuppiness_
❁桐生心海
くじらの声は、歌に似ているらしい。
そう知った日から、心海はずっとくじらに会ってみたかった。両手を広げても足りないくらいの大きな体で、押し寄せる波の隙間を縫うようにして。懸命に歌うくじらの姿を想像すれば、なんだかいじらしく思えた。心海よりもずっと大きくて強いと思っていたくじらも、心海と同じように歌うんだ。その事実に親近感が湧いた。くじらの背中に乗って、大海原を駆け抜けていく。まるで、友達みたいに。ひとりぼっちの夜は、何度もそんな夢を見た。入院続きの寂しい日々は、そんな他愛のない空想に励まされていた。
心海は幼い頃からずっと、身体が弱かった。入退院を繰り返していたこともあって、幼稚園にも小学校にもほとんど通えていなかった。白い壁に、白い床。ツンと鼻を刺す病院の匂い。綺麗に整えられた真っ白のシーツ。心海の世界はずっと、手を広げれば両端に届くほどに狭かった。寝返りを打てば落ちてしまいそうなベッドの上で、両親の持ってきてくれた本を読むだけの日々。孤独な時間を埋めるように、心海は本に描かれた世界に夢中になった。くじらの歌にも、「友達」という存在にも、本の中で出会ったのだ。本を開けば、そこにはいつだって素敵な夢が詰まっていた。病弱な心海でも、どこまでも駆け出して冒険出来るような気分になれた。繰り広げられる物語を眺めているだけで、心海は満足だったのだ。友達も、冒険も、現実の心海には無縁のもの。下ろしたてのキャンバスみたいな心海の世界は、真っ白なまま終わっていくのだろう。長引く入院生活に、そんな諦めが巣食い始めていたある日。心海の視界は突然、鮮やかな彩りで満たされた。好きな色を目一杯広げて虹を描いたみたいに、目に映る光景すべてが煌めいて見え始めた。そのきっかけをくれたのは、あんなとの出会いだった。あんなの母も、心海と同じように身体が弱買ったらしい。お見舞いに来たという彼女は、寂しそうな顔の心海を見つけて、手を取って歌ってくれた。彼女が紡いだのは、知らない歌だった。だけどこれまで聴いたどんな歌よりも、とびきり気持ちが弾むような歌だった。宛先を目がけて飛んでいく伝書鳩みたいに、真っ直ぐに心海の胸を撃ち抜く歌だった。こんな歌を歌える人がいるんだ。初めての出会いに心が踊って、感動が願いに変わる。この子と、友達になりたい。そんな衝動に突き動かされるように、心海は気付けば口を開いていた。
「あ、の
……
! 私と、友達に、なってください
……
!」
しどろもどろになりながらも、なんとか懸命に言葉を紡ぐ。自分の願いをここまではっきり口にしたのは、もしかすると初めてのことかもしれなかった。普段なら絶対に言えなかった。迷惑になるかもしれない。困らせてしまうかもしれない。そんな弱音が邪魔をして、いつも心の奥底に閉じ込めてしまうから。外に出てみたい。学校に行ってみたい。心海のために頑張ってくれている両親や看護師さんにそんな我儘を言えば、きっと負担になってしまう。そんなことを考えて、思いを押し込める癖がついてしまった。だから初めて声に出した本音は、不恰好に震えていた。まるで、卵から生まれたばかりの雛鳥のように。自分の声が耳に届いて、情けなさで顔が赤くなる。ちゃんと話も出来ない、変な子だって思われたかもしれない。もう一度心の準備をしてからやり直したかった。だけど不思議と、後悔はなかった。あんなと、友達になりたい。それは紛れもなく、心海の本音だったから。
「もちろん! 私たち、もう友達だよ!」
つっかえながら発された心海の申し出に、あんなは笑顔で頷いた。それがどれほど嬉しかったか、きっとあんなには想像もつかないだろう。あんなの浮かべた柔らかな微笑みは、心海にとって雲間に差し込んだ一筋の光だった。春の訪れを告げる初咲きの花のような、優しい希望だった。閉じられた小さな世界の壁を壊して、あんなは心海に光をくれたのだ。
病気が良くなって、心海が学校に通えるようになってからも、あんなはずっと心海の隣にいてくれた。人見知りで口下手な心海を励ますように手を引いて、クラスの輪に馴染めるようにしてくれた。誰にでも優しいあんなだけど、心海には特別に優しかった。そんなあんなのことが大好きだった。明日世界が滅ぶと聞かされたなら、間違いなく一番に会いたいと思うだろう。心海はあんなに、返しきれないほどの恩がある。
だけど、あんなの心が深く傷付けられたとき。心海は、その恩を返すことが出来なかった。あんなのために、何も出来なかった。新入部員を集められなければ、合唱部は廃部になってしまう。そう聞かされたのは突然のことだった。前例がなかったので教師の側も決めかねていたのだが、目立った実績もなかったことから、規定通り廃部の運びとなったらしい。その話を聞いてからというもの、心海は全霊を尽くして勧誘活動に励もうとした。居場所をくれたあんなに、お礼が出来るチャンスだと思ったから。だけどその試みは、僅かにも上手くいかなかった。心海はもともと、人と話すのが得意ではない。話を聞くだけならともかく、誰かに話しかけるには無限に近しい勇気が必要だ。かといって、友達の少ない心海には声をかけられるような人脈もない。新入部員を集めるというミッションにおいて、心海はほとんど戦力外だった。何より最低だったのは、この期に及んでもなお、心海は自分の心配で頭がいっぱいになっていたことだ。役に立てなかった。あんなに嫌われてしまったらどうしよう。四月の末が近付くにつれて、それだけが脳裏を占めて眠れなかった。心海はきっと、あんなを心配していたのではない。あんなのために頑張りたかったのではない。一番大事なのは、自分だったのだ。だから勇気を出して声をかけることも出来なかったし、同級生を引き止めることも出来なかった。そんな自意識と向き合うたびに嫌気がさした。だから、だろうか。身勝手な心海に下された罰だったのだろうか。
合唱部がなくなった日から、あんなは歌うことを止めてしまったのだ。どうして、歌わないの。部活以外でも、歌えるのに。思わずそう尋ねてしまった心海に対して、あんなは目元を滲ませて答えた。泣いちゃうのが、怖いから。大好きだった歌が、悲しみに塗りつぶされてしまうのが怖いから。あんなは誰に対しても、怒ってなんかいなかった。理不尽な先生たちにも、手のひらを返した同級生にも、役立たずだった心海にも。誰にも怒りを向けることなく、ただ一人で悲しんでいた。そんな状況になって、初めて気付いた。あんなが一人で悲しみを背負ってしまうのは、嫌われるよりもずっと辛いことだった。心海のせいだと怒ってくれたら、きっと彼女は前を向いて歩き出せる。心海を敵に仕立て上げて、新しい居場所を探すことが出来る。だけど誰のせいでもないなら、その悲しみは自分一人で抱え込むしかない。荷物の重さに潰れて立ち上がれなくなって、そのまま座り込んでいるしかない。諦めたように乾いた笑みを浮かべるあんなを目にするたび、心臓が刺されるように痛んだ。いっそのこと、心海を嫌ってくれればよかった。そうしたらきっと、あんなは歌を続けてくれたのに。何より恐れていた事態を希ってしまうほど、歌を止めたあんなを見ているのは辛かった。なんとかしなくちゃ。焦るような気持ちばかりが絶え間なく浮かぶけれど、何をすればいいのかなんて見当もつかなかった。心海はただ、あんなに歌っていてほしかったのだ。寂しかった昔の心海を救ってくれた日のように、歌い続けていてほしかったのだ。きっとそんなの、ただの心海の我儘だ。自分の欲望を押し付けているだけだ。それでも、どうしても、心海はあんなに歌ってほしかった。あの日の心海を撃ち抜いた彼女の姿に、焦がれずにはいられなかったから。
「くじらの歌、って知ってる?」
燃えるような夕焼け空の下に、息を詰めて。心海はかすかに声を震わせながら、そう切り出した。何度も頭の中でシミュレーションしたのに、次の言葉が喉につっかえる。それでもあの日の歌に背中を押されるように、必死に言葉を探した。
「くじらの発する音って、反復的だから。歌みたいに聞こえるんだって。気持ちを伝えるために、クジラは歌うんだよ。その
……
だから、ね」
何を言いたいのか分からない、支離滅裂な言葉が続く。口下手な自分が嫌になって、じくじくと胸の奥が痛む。それでも、言わなければいけないと思った。ちゃんと声に出して、自分の本音を伝えること。そのための勇気を教えてくれたのは、あんなだったから。
「あんなにも、歌ってほしい。また、一緒に歌いたい。泣いても、いいよ。泣いたって、いいんだよ。私が、あんなの分も、歌うから」
幼い頃から何も変わっていない、下手くそな言葉を懸命に紡いで。夕空の下、心海は歌った。あんなが初めて聴かせてくれたものと、同じ歌を。あの日から何度も繰り返し、聴き続けてきた歌を。サビに差しかかったあたりで、声が重なった。あんなの歌が聴こえた。ぼろぼろと大粒の涙を流しながらも、あんなは歌っていた。悲しげなその姿が、ほんの少しだけ嬉しそうに見えたのは、心海の願望だろうか。半年ぶりに耳にしたあんなの歌に、胸が詰まって喉が震えた。
「心海。私、歌が好きだよ」
嗚咽混じりの言葉に堪えきれなくなって、心海の瞳からも涙が溢れる。
「ずっと、歌ってたいよ。どんなときも、一緒に
……
!」
「私も。あんなと、歌いたい。私、歌ってるあんなが大好きだから」
涙を拭わないまま、心海はあんなの手を取った。出会った日と同じように。何度だって伝えたかった。あんなの歌が、心海の背中を押してくれたこと。嬉しいときも悲しいときも、いつも心海の気持ちに寄り添ってくれたこと。そんなあんなが大好きだから、ずっと幸せに歌っていてほしいと、願わずにはいられないのだ。
あれほど好きだった歌を、嫌いにならないでほしい。変わらず灯り続けていた心海の祈りが、きっとあんなに届いたのだろう。二人で声を重ねた日から、あんなはまた歌うための居場所を探し始めてくれた。最終的に辿り着いた結論は、アイドルグループを作ること。本音を言えば、心海はどんな形であっても変わらなかった。あんなの歌が持つ輝きは、どこで歌っていたって決して色褪せないから。あんなが、歌を続けてくれる。ただそれだけで、心海は世界で一番の幸せを手に入れたみたいに嬉しかったのだ。
少しずつ暖かくなり始めた校内を、まるで春を迎えに行くかのように駆けていく。きっと今この瞬間にも、広い海のどこかでくじらは歌っている。目を閉じて耳を澄ませば、新たな始まりを祝福する歌が聴こえてくるような気がした。
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