ガイベル
2024-03-07 03:06:17
1894文字
Public お話
 

両手の痣

サニーの手に吐……ダコがある話。
共依存ぽく、暗め。

自分の抱えていた罪を打ち明けたあの日以降、ずっと背後にいた"なにか"は見えなくなって、全て綺麗さっぱりめでたしめでたし……というわけもなく。
あの日あの時、間違ってしまった瞬間から地続きの今までを、どうしようもなく生きている。
勇気を奮い起こしてすべて乗り越えた。
……やった事を、自分自身を受け入れて……
とは思っても、身体はすぐには変わらない。
習慣や癖というものはかくも恐ろしいものだ。
4年分のそれは"染み付いてしまった"というより他にないかもしれない。
だから今だって精神的に参れば割とすぐに吐いたりなどする。
あるいはろくに食事を取らなかった後に、好物だからと手近にあったピザだのお肉だのを食べてしまい胃が受け付けず、頼もしいトイレにお世話になった事も、一度や二度ではない。
ただ、それは少しずつ時間と共に和らいで、薄らいではいる。吐きやすくなるために利き手にできていた痣が、目立たなくなる程度には。
──問題は。

その症状をそっくりそのまま、彼までもが引き継いでしまったような事だ。
単に今まで知らなかった、知ろうとしなかっただけかもしれない。そもそも僕がバジルに向き合わなかった時間も長かったし、その間の彼の生活を知る由などなかった。
都合の悪い全てを夢の底に押し込めていた時にもずっと、忘れられなかった彼の言葉を反芻する。
『ずっと傍にいるって約束して』
…………

歪な友情は、今でも続いていると言える。


バジルの発作のようなそれは頻繁に起こっているようだったし、それに自分が居合わせることも多かった。

暗闇で光る瞳に大粒の涙をたたえながら、苦しそうな彼の浅く早い息遣いだけが冷たく静かなバスルームに響いている。
安易に背をさするのは逆効果で、手を添えようとすると触るなとばかりに押し返される。
それが体調不良ゆえの反射的な反応だろう事は理解できても、やはりいい気分ではない。
……できることなら自分だって1人になりたい。
こんな冷たい室内から、全身で苦しみを表現し、僕の事を責め立てているような彼を置いて、逃げ出してしまいたい。
そうやって彼に対して未だに僕が罪悪感を抱えてしまうのも、悪い癖なのかもしれない。
でも、自意識過剰であろうがなんだろうが、彼がこんな事になってしまう原因が自分以外に……他に、思い当たることなどないのだ。
ここから今すぐにでも逃げたい気持ちでいっぱいな事に変わりはないけれど、暗くて冷たい部屋にバジルを1人きりにして……本当にそうしてしまったら、もっと良くない事が起こってしまうような、どこか確信めいた気持ちもあった。
腹に穴を空け、なにかの陰が広がっているかのような血の海に、冷たく横たわり動かなくなった彼の身体。
あってほしくない光景が、光を無くした右目に白昼夢のように映る事がある。警鐘を鳴らすような耳鳴りと共に、その光景はやってくる。
存在しない記憶のはずなのに、あんなのは二度と見たくない、起こらないでくれと強く思う。
だから今僕が彼のそばにいるのは、支えるための前向きな強さでも、彼に対する純粋な優しさでもないのだ。


なにより彼は自分に比べて吐くのが上手くない。
できる限り感情を無にして何も言わず、黙って彼の舌の付け根、喉奥に自分の指を押し込める。
考えてしまえば、引きずられる。
自分も吐かずにはいられないから。
ぐ、と強く押すと彼の身体が異物を排除しようと反発して、生理的に嘔吐えずく。
僕は利き手でバジルの頭と首を抑えて、彼の口から出てくるものが胃液だけになるまで何度も、何度もそれを繰り返す。

これが彼をケアする方法として、適切ではないのだろうとわかっている。
彼にも自分にも、もっと健全で、他に良い方法があるかもしれないことも。
でも、1人ではうまく吐く事ができない彼にはこれが、自分の今できる唯一だった。
僕は、僕がいつも吐く時に相対するトイレをどこか頼もしいと感じていたけれど、きっと彼にとってはそうではないから。


吐瀉物を流し、サニーが持ってきていたミネラルウォーターで口を濯ぐ彼を横目に、自分は洗面台で手を洗う。
冷たく流れる水に、サニーの利き手ではない方の手の甲がヒリ、と痛む。手を押し込んだ時に反射で閉じようとする彼の歯に当たるのだから仕方がない。
今では利き手の反対に、すっかり色濃く刻まれた痣。
習慣というものは恐ろしいものなのだ。


その手の痛みと色が今のサニーに唯一存在する、バジルとの痛み分けの証拠だった。


end.