だすと
2024-03-05 20:51:26
7000文字
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忘れん坊の境界

父水
自覚なし/自覚ありの両片想い
色々詰めたらとっ散らかりました。
当然のように体と記憶あり。

たたん、たたん。
バタバタバタバタ。
屋根板を小さく鳴らしていた音が、徐々に強くなる。思わずグッと拳を握った。
「やはり降りおったか!土砂降りじゃ〜!」
雨の気配は感じていたが、何せ天の気分。深夜に降り出しては意味がない。そのまま数刻そわそわしていると、烏が鳴いた。合図だ。膝の上に座っていた倅を抱き上げ、踊るようにくるりと回る。
「水木を迎えに行くぞ、鬼太郎!」
「あぅ!」
笑う倅に微笑み返して玄関を閉め、バチっと(妖怪ではない)唐傘を広げた。
「あめあめふれふれとうさんが、唐傘おむかえ嬉しいのぉ♩」
人間の子供が雨の日によく口ずさむ歌を、ちょっと替えてみる。嬉しい。はて。元の歌で嬉しがっていたのは迎えに行く母か、それとも子供の方であったか。まぁどちらでも構わない。
わしにとって雨の日に水木を迎えに行くことは、多分に嬉しいことだった。







きっかけは、三月ほど前だったかと思う。
「今日の晩はかなり降るぞ。傘を持って行くといい」
朝餉の味噌汁を啜りながら言うと、水木は視線を新聞から窓の外に、そして再び新聞に戻した。
「こんなに晴れてるのにか?天気予報も全国終日お日様マークだが。幽霊族は天気も予知できるんだな」
「わしらにそんな力はない。気配と勘じゃ」
「そうか、解った。じゃあ洗濯物は頼むぜ」
煙草を咥え小気味よく笑っていたが、結局水木は傘を忘れた。わしも見送りの時に忘れてるぞと言うのを忘れた。出掛けに鬼太郎が水木のスーツを掴んでいやいやと泣くので、2人であやして失念してしまったのだ。

夕刻を過ぎれば見事な土砂降り。
ううんと唸る。人間がどうやって天気の先読みをするのか知れないが、どうにも雑だ。時を重ねれば上達するのだろうか。
ううん、とまた唸って、そうじゃ!と閃いた。
「水木を迎えに行こうかの!今までやったことないから、きっと驚くぞ!」

その閃きは思いやりというより、悪戯心からだった。妖怪の性分なのか、やはり人間――水木を驚かすのは楽しい。かつ難しいのだ。
愉快な気持ちで驚かせたいと思った、初めての人間。初めての人間の友。初めて尽くしで、どうにも塩梅が掴めない。
不意をつきバァと驚かせば、白けた表情で笑われる。その癖正面から撫でるように触れると、ビクリと体を跳ねさせ距離を取り、「心臓に悪いからやめろ」と恨みがましく睨むのだ。難しい。だが豪胆さと繊細さを併せ持つ、水木らしいとも思っている。
一度、人を化かすことに長けた妖怪達に相談しようか、という考えも浮かびはしたが、即座に沈んだ。水木のあらゆる表情は、わし自身の手管で引き出したい。

カァカァ。
誂え向きに、烏が鳴く。
「おお、こんな雨の日まですまぬの」
幽霊族と一緒に暮らす人間、ということで、水木は妖怪達の間で興味の的だ。害の無い者達ならばまだ許せるが、あれを傷付ける存在は見過ごせない。万一の時にはすぐ駆け付けられるよう、烏を数羽つけて見張らせている。
その烏達が水木が会社から出たことを報せてくれるので、駅に向かう頃合いが解った。鬼太郎を抱き抱え、逸る気持ちで傘を掴む。早く水木に会いたい。どんな顔をしてくれるだろう。


ほったて小屋のような駅の軒先で、水木は空を見上げていた。弱まりそうもない雨の勢いに、眉を顰めている。そして覚悟を決めたように勢いよく軒先から飛び出した。
合わせてこちらも、ひょこりと物陰から顔を出す。
「水木〜!」
「ッ、うわっ、ゲゲ郎!?鬼太郎まで!?」
たたらを踏んで、こちらに来る。そのたまげた表情にしてやったりと、くふくふ笑いながら傘に入れた。
「どうじゃ!驚いたか?」
「驚いたよ!わざわざ迎えに来てくれたのか。朝言ってくれてたのにな。悪い
照れ臭そうな微笑みが、視線を下げて徐々に萎んでいく。顔を上げ、ジトリとこちらを睨んだ。
……なんで迎えに来て、俺の分の傘持って来ないんだよ」
「あっ」
それもそうか。驚かすことばかり考えて、うっかりしていた。
水木は呆れたように笑いながら、「まぁ、だいぶ大きいから入れるか。貸せよ」と柄に手を伸ばした。その手を2人が濡れない角度で、ひょいと躱す。
水木がきょとんと目を瞬かせた。こういう表情は、やけに幼く見えるからいけない。悪戯心の刺激されるまま、少し高めに傘を掲げた。
「わしの方が背が高いんじゃから、わしが持つべきじゃろう?」
「なんだと!?身長は関係ねぇだろが!いいから寄越せ!」
丸くなっていた眦を上げ、水木が踵を上げて手を伸ばす。平均的なそれだろうに、背丈の話をするとムキになるから面白い。

「みじゅ、みじゅ」
いくらか避けて遊んでいた所で、鬼太郎が水木に手を伸ばした。どうやら帰りは水木に抱っこして貰いたいらしい。
水木はまた眉を下げて、ちょっと待ってろ、とハンカチでスーツや顔を拭った。そして鬼太郎だけにしか向けない、穏やかな目をして両手を広げる。
「お迎えありがとな、鬼太郎。おいで」
「みじゅ〜!」
友の手に倅を預ければ、グッと幸せそうに抱き寄せ髪に鼻を埋(うず)めた。きゃっきゃっと倅も楽しそうに水木にしがみつく。

雨の夜、倅を抱く友。
いつか見た奇跡の光景が甦り、思わずほろりと涙が溢れてしまった。慣れた手つきで、ハンカチを渡される。
鼻をかめば、雨と水木の匂いがした。



抵抗する水木から会社鞄を奪って、帰路につく。この辺りは民家が少ない上、土砂降りですれ違う人間はほとんどいない。
それでも稀に出会う人々は、皆揃って目を見張った。首を傾げれば、乾いた声で笑われる。
「まぁ今どき唐傘、着物にスーツ。野郎2人と赤子の相合傘だもんなぁ。そりゃあ二度見するだろうよ」
「相合傘?……おお、そうか。これが
「?なんだよ、奥さんとはしたことなかったのか?」
「ないの。妻はわしよりよほど雨の匂いを察するのが上手くてな。仕事の行き帰りの時間に雨が重なる場合は、必ず傘を持って行っておったよ」
そして人間が寄り付かない野山などでは、むしろ傘など邪魔よ!と言わんばかりに雨に打たれ戯れていた。そのわいるどな姿がまた魅力的であったが。

――そうか。言葉として知ってはいたが、これが相合傘か。視線を傘に向ける。

ザァザァザァ。
バタバタバタ。
雨が降る音、傘を打つ音。
が、やけに耳に響く。
湿気と共に、この身を囲む。

――――
「好きなのか、雨」
水木の問われて、初めて自分が微笑んでいることに気付いた。……雨が、好きか……
……ふむ。好きというより、どこか懐かしい気持ちになるの
「懐かしい?雨なんてしょっちゅう降ってるだろ」
「うぅむ……理由はハッキリと思い出せないんじゃが
「ジジイかよ」
「ともあれ、嬉しいぞ!初めての相合傘が、他でもないおぬしとの相合傘じゃ!」
興奮のまま水木の方を向いてはしゃぐと、水木は目を瞬せた後、プッと吹き出した。
「ガキかよ!」
おかしそうに友が笑う。その屈託ない笑顔が眩しく、愛しい。しみじみ眺めていると、ふいに口を引き結び、プイと顔を背けた。
……早く帰ろうぜ」
惜しい。だが見下ろすその耳は、ほんのり色付いている。
「うむ」
なぜだか無性に、たまらない気持ちになった。


ザァザァザァ。
バタバタバタ。
雨音がする。
ひとりぼっちの、わしがいる。



後日。
天気のいい日に迎えに行っても、特に懐かしい気持ちにはならなかった。
家で待つより早く水木に会えるのは、やはり嬉しかったけれども。








「水木!お迎えじゃ!」
「じゃ〜!」
「ゲゲ郎、鬼太郎!」
そして二度目の雨の日のお迎え――今に至る。

水木は軒先からパッと顔を輝かせた後、あーとどこかバツが悪そうに頭を掻いた。
「そりゃあ勿論ありがたいがな。鬼太郎をこんな雨の中連れ出すなよ。可哀想だろ。それに帰る頃降るのが解るんだったら、朝教えてくれりゃいいじゃねぇか」
「鬼太郎だって早く水木に会いたがっておる。それに朝は――あ〜すまぬの、教えるの忘れとったわ」
………ちなみに。俺の分の傘は」
「忘れた。うっかり」
「ゲゲ郎」
「これは仕方ないのう、また相合傘じゃ水木!」
「ゲゲ郎!」


結局また水木が鬼太郎を抱いて、わしが傘と鞄を持って並んで歩く。水木との相合傘は嬉しい。だがなぜか前の時よりも水木が距離を取っていて、面白くない。
「肩が濡れる。もっと寄らんか」
指摘すると水木はグッと何か堪えるような顔をした後、ぎこちなく寄った。そしてこちらに視線を上げる。妙に、唆る目だ。
「っ、ゲゲ郎。お前さ俺のこと……あー、いや……
らしくなくモゴモゴしている。首を傾げて続きを待てば、
「なんだ、その今日もこんな天気だが、また懐かしい気持ちになってるのか?」
と聞かれた。どうにも雑に話題を変えられた気もするが、ふむ、と改めて己に問いかけてみる。


視界に広がる水の線。
囲む雨の音。
窮屈で、それでも満たされた空間。
ひとりぼっちのわし、と

今は――――


すとん、と。前に思い出せなかったのが不思議なくらい、合点がいった。
……ああ、そうじゃの。懐かしい。そしてなぜこんな心持ちになったのか、思い出したわ」
放った話題が返されると思っていなかったのだろう。意外そうに、え、と水木が息を漏らす。そのあどけない表情に、くすりと微笑んで続けた。

「まだ幼い頃、雨の日はよく木のうろに入って過ごしていての。あの頃のわしは――妻と会うまで、そう感じていたことさえ気付かなかったが――きっと、寂しかった。じゃが、悲しくはなかった。雨の激しい日はほとんどの生き物が身を潜める。噛みついてくる獣も石を投げる人間も、同胞がいないことを囃したてる妖怪にも出くわさない。
うろに入れば、雨音と幹がぱくりとわしを包(くる)んでくれる。わしは結界を張るような類の術は使えぬが、うろと雨は、わしとわし以外に線を引いてくれたんじゃ。小さな狭間にいるような奇妙さは、心地よくての。ひとりきりで満たされている世界であれば、悲しみなど湧かぬ」

水木が歩を止めた。
一歩先でこちらも止まる。地面はぬかるみ、馴染みの下駄の響きはない。

ザァザァザァ。
バタバタバタ。

周りを取り囲み、忙しなく傘を打つ雨音。幹の内で聞いていたそれとは異なる。それでも

「この傘の下は、あの頃いた木のうろに似ておる。わしの味方はいなかった。敵もいなかった。
じゃが今は、わしひとりぼっちの世界ではない。おぬし達が――鬼太郎と水木がいる」

ばしゃ。
水溜りに構わず、一歩寄った。

「雨の日が好きかと聞いたの。好きじゃ。正確には、雨音が囲む狭い場所ではあるが。じゃが子供の頃よりもずっと。今、倅とおぬしと共に、雨音に包まれとる空間が愛しい」

わしと、鬼太郎と、水木。
三人ぼっちの世界。

「この傘の下、常世も浮世も地獄も極楽も関係ない。わしと、わしの愛する宝物だけの境界じゃ」 


ザァザァザァ。
バタバタバタ。

変わらず、雨が地面も木々も傘もけたたましく打っている。それでも傘一本分の、内側の距離だ。取り零しなく聞いて、受け止めてくれたのだろう。
水木は目を見開いたまま、じんわり頬を染めていった。

その様を、うっとりと眺める。眺めながら、己の喉や胸の奥に、不思議な熱を感じた。
ふだん体温などそう変化しないのに、水木といると、まるで人間みたいに熱を覚える時がある。
それでいて水木といると、妖怪――というより、やけに獣じみた衝動に駆られる時もあった。
この男の体を隅々まで舐めたい。噛み付きたい。幽霊族は人間を捕食したりなどしないというのに。どうしてこうも美味そうなのだろう。
水木、水木。
人間を友に迎えると、様々な感覚に揺さぶられて面白い。人間社会に馴染んでいた妻も、こんな気持ちになったのだろうか。
新鮮でくすぐったく、それでいてどろりと骨が溶けるような気分が愉快で、口角が上がる。

水木はなぜか見張っていた目を更に丸くし、ゴクリと唾を呑み込んだ。そのまま半歩後ずさる。それでも傘の外には出ない。
まるで本当にそこで、世界が線引きされているかのように。それ以上体を動かせなかった。優しく甘い男なので、倅を濡らしたくなかっただけなのかもしれない。
頬をすっかり染め上げ、怯えたようにこちらを見上げる。ぶわりと肌が粟立った。勢いのまま掴み寄せたいが、両腕は塞がっているので仕方ない。更に一歩踏み込み、その髪に、耳に唇を寄せた。びくりと肩が揺れる。
……ぁっ、や……ゲゲ郎!」
なんて声を出すのだろう、この友は!
もっとこの声を聞きたいとも、この声ごと呑み込みたいとも思って――考えるより先に、体は後者を選んでいた。
仰け反る水木の背を、鞄を持つ手で押さえ込む。少し屈んで瞳を己のそれで射抜けば、ひ、と体を震わせた。別に今、驚かしてなどいないのに。
ああ、しかしその顔もいけない。
こんな、わしらだけの世界で。
水木。水木。

ひときわ美味そうなそこへ、齧りつこうとした牙に――
ぺたり
軟い紅葉が触れた。

「とーしゃ」
……ん?
ふふっ。うむ。父じゃよ、鬼太郎」

愛する倅に頬を擦り寄せる。
にわかに、水木の腰に回していた手に重さが掛かった。力の抜けた体が、ベシャリと片膝を泥濘に付ける。座り込む前に慌てて腰を支えた。
っと。どうしたんじゃ?気分が悪いのか?」
水木が口をあんぐりと開ける。
そしていくらかパクパクさせて震えた後、勢いよく立ち上がった。
「〜〜どっ、どうしたって!?お、っ前なぁ!?自分がどんな顔をして今何をーーーっクソッ、もういい!こんなもん藪蛇に決まってる!」
蛇どころか怪獣でも出てきそうだ!とよく解らないことを喚きながら、頭をぐしゃぐしゃ掻きむしる。それでもしっかり鬼太郎を抱え直しているところが我が友らしい。
深い息を吐いて、ギッとこちらを睨んだ。

「友達に会わせろ」
「は?」
「だからお前の!妖怪のできれば人型の男の、とにかく一番仲の良い友達に会わせろ!色々確認したいことがある!相手方が人間と話したくねぇってんなら、お前と普段どんな遣り取りしてるか見せてくれるだけでいい!比較させろ!」
「いきなり何を言うとるんじゃおぬし……
つい先刻まで仔犬のように震えていたのに、急にギャンギャン吠え出した。これはこれで愛らしいが、言ってる内容が可愛くない。
素直に首を横に振る。
「嫌だね。会わせとうない」
「なんでだよ!」
「おぬしは妖怪に好かれる気風をしておるからの。……意気投合して、わしより仲良うなったらイヤじゃ」
「おま、お前〜!」
口を尖らせながら言えば、水木は怒っているのか慌てているのかよく解らない声を震わせた。とにかく、イヤなものはイヤだ。

「だいたい比較と言われてもの。友の比較など、野暮と承知しているが
左耳へ。
内緒話をするように、小声で伝える。
わしがこれほど心を寄せた友は、後にも先にもおらん。おぬしだけじゃよ"ッ!?」
ガッ!
勢いよく頭突きをかまされた。
不意を突かれて地味に痛い。
「なにをする!?凶暴じゃのぉ!」
「うるっっせぇこの唐変木が!うう、鬼太郎ぉ〜!頼むからお前は父ちゃんみたいなニブチンにはならないでくれよ〜
「よう解らんが失礼な奴じゃの
顔を真っ赤にして叫んだあと、水木はさめざめとした調子で鬼太郎に頬擦りする。そのままぷちゅっと額に口付けた。
「わしにも!」
……なんで」
「わしと水木は、友であり家族じゃ。口付けしても良いではないか」
「い・や・だ・ね!……そんだけ求めといて、ちっとは他の答え浮かばねぇのかよ
「?」

フン!と鼻息荒く、ずんずんばしゃばしゃ水木は進む。スーツや靴が泥まみれなので、もう吹っ切れているようだ。再び並んで、呼びかける。
「水木」
「なんだよ」
……また雨が降ったら、わしの傘に入ってくれるか?」
問いを口に出して、後悔した。これにも嫌だね、と返さられたら寂しい。悲しい。

水木はちらりと視線をこちらに向け、また正面に戻した。そしてぶっきらぼうに言う。
……晴れてる日の朝に、お前が声を掛け忘れて。俺が傘を持って行き忘れて。迎えに来たお前が、俺の分の傘を忘れてる、なんてポカがもし重なったら。仕方ないから入ってやるよ。鬼太郎を濡らす訳にはいかないからな」
「!そうか!うむ、うむ
忘れる。忘れて行くから、おぬしも朝晴れとる時は、傘を忘れて行くんじゃぞ!」
じわりと境界が滲んで。だから忘れんなっての、と笑う水木の顔は、押し当てられたハンカチ越しでよく見えなかった。


ザァザァザァ。
バタバタバタ。
雨音がわしらを包む。
懐かしい、狭く愛しい世界。



それから、わしが唐変木ではなくなって。
人間の天気の先読みがうんと上達し、
鬼太郎がお迎えについて来る日も、ついて来ない日でも。
水木もわしも、うっかり傘を忘れていた。