君がいる幸せに辿り着く場所
感覚はゆっくりと浮上する。身体を包む柔らかい毛布と温もりからベッドの上にいるのだと理解すると、カスティエルはゆっくりと瞼を上げた。
目の前に浮かんだ現実離れした光景にドキリと胸が高鳴った。カスティエルが数年前に愛していると自覚した相手、ディーン・ウィンチェスターが穏やかな表情で寝入っている。思わず息を止め、周囲を見渡す。
カーテンの隙間から照らされる僅かな光の角度から朝日だと知る。キングサイズのベッド、窓辺にはカスティエルが好みそうな植木鉢と観葉植物が置かれている。カーテンはディーンの瞳と同じ色のヘイゼルグリーン。バンカーでもモーテルでもない一室は、二人部屋で生活感あふれている。見覚えのない部屋だと、察知すれば警戒心を巡らせる。
傍にいるディーンに起きるよう促そうと腕を伸ばしたが、彼があまりにも居心地良さそうに寝入っているので一瞬躊躇う。彼は眠りが浅い。少しの物音にも敏感だ。隣にカスティエルがいれば尚更。
しかし、カスティエルの隣で安心しきっているディーンは、幸せそうで心穏やかだ。鼻先に散りばめられたそばかすを思わず魅入っていたが、ディーンの寝顔を許可なく見つめるのは良くない。
カスティエルはディーンの名を呼び、肩をゆっくり揺さぶる。
「んー
……、」
ディーンの口から掠れた声が漏れると、カスティエルは胸の奥が熱くなるのを感じた。
鼓動が高鳴る。
(これは、良くない)
自身のディーンに向ける感情に性的な欲望があることを自覚しているカスティエルは、ディーンの肩に置いた手を引っ込めた。
「
……キャぁス? おはよう、」
寝ぼけまなこでディーンが欠伸をしながら起き上がる。同じベッドにいることは全く気にしていない彼に、カスティエルはドギマギしてしまう。緊張し、身体を硬直させていると、ディーンは、首を傾げながら笑みを向けた。
「どうした? 今日は、おはようのキスは無しか?」
「ディ、ディーン!?」
カスティエルを抱き寄せ密着したディーンに対し、カスティエルは狼狽する。こんなこと、普段の彼なら要求しない。なんとも現実離れした光景だ。そんな思いに駆られている間に、カスティエルはディーンの口付けを受け止める。
「ん? 本当に今日は変だな? さては
……」
軽いソフトタッチのみの口付けだったが、それでもカスティエルは緊張して動けなかった。しかし、ディーンの方が違和感を察知し、理解するのが早かった。
「お前、こっちのキャスじゃないな?」
ジッと、カスティエルを見つめるディーンは明け透けにそう言い放つ。
「
……君の方こそ。ここはどこだ? ジンの幻影が? 私は胸を
――」
と、途中で言葉を切ると、カスティエルは自身の胸に手を当てる。最後の記憶は、背後からルシファーに天使の剣で胸を突かれた衝撃で眩い光を放ったこと。
「ルシファーに突かれ死んだはず
……」
ならば、ここは天国だろうか。ポツリと呟けば、ディーンは一瞬、息を飲み、目を丸めた。
「あの頃のお前か」
「どういうことだ?」
ディーンの返答で不安を過らせたカスティエルは、緊張する身体を強張らせたままシーツを握りしめる。
しかし、カスティエルの問いに答えず、ディーンはベッドから降りると椅子にかけていたガウンを羽織る。彼は上半身に薄いTシャツを着ていたが下半身は下着のままだった。カスティエルは咄嗟に視線を逸らす。下着姿を滅多に晒さない彼が何でもないことのように、ベッドを共にして朝のキスを強請る。そんな光景をカスティエルは思い浮かべたことがある。欲深い妄想だと、自身を叱咤こともある。しかし、ここは
――
「詳しい話は後で話す。とりあえず、お前も服を着て、落ち着いたら下に降りてこいよ」
ディーンはそう言うと、戸惑うカスティエルに微笑んだ。その視線はカスティエルがどんな感情で彼のヒップラインを見ていたのか見透かされているようで、居たたまれなかった。
カスティエルもまた、自身が素肌を晒し下着姿であると気付き、慌てた。ディーンはすでに階段を降りている。
部屋にあるクローゼットにはディーンとカスティエルの衣服が仕舞われている。カジュアルな服もあったがワイシャツとネクタイ、そしてスーツとトレンチコートを見つけると、カスティエルはそれらに腕を通した。
一階に降りると、コーヒーとトーストされたパンの匂い、ベーコンを香ばしく焼く匂いがカスティエルの鼻を掠める。ディーンがカスティエルの姿を見やって、一瞬驚いた視線を向けたがすぐに懐かしそうに笑みを浮かべながらリビングにあるテーブルにつくよう促した。
椅子を引いて腰かけると、カスティエルの前にコーヒーを置いたディーンは向かい側に座った。そうして、彼はコーヒーを飲んでから、カスティエルにピーナッツバターとジャムを塗ったトーストを皿に乗せた。
「好きだろ?」
そう言って笑う彼をぼんやり見つめながら、カスティエルは胸の奥が熱くなるのを感じた。
「ここは、どこだ?」
一口、トーストを口に含んで驚いた。人間になった時に味わった味覚があったからだ。分子の味ではない。コーヒーも美味しかった。カスティエルは自身に起きた異変に目を丸める。
「天国」
ディーンの答えは、至極真っ当だ。カスティエルは「そうか」と、呟いた。
「ただし、ここはお前の天国じゃない」
カスティエルは顔を上げる。そこには少し眉を寄せ怒っているようなディーンがいた。
「お前が、ここに来るのはまだ先ってこと」
この場所が天国なのは分かり切っているカスティエルに対して、ディーンが少し苛立っているのは気にかかる。
けれど、ディーンの話が本当なら、彼もまた天国にいることになる。
「君は、死んだのか?」
「いいか、今はお前の話だ。キャス」
カスティエルの疑問には答えないディーンは溜息をつき、こちらを見据えた。
「お前は、俺が知っているキャスのちょっと前のキャスだ」
「
……つまり、時間のズレで来るべきではない時に天国にいる。ということか」
「そう。ジャックがまだ天国は完璧じゃないって言っていたから、こういうことが時々起こる。特にお前は」
言葉を一旦、飲み込んだディーンは眉を歪めた。その表情からカスティエルが何度も死を体験することを指しているのだと悟る。神の気まぐれで何度も生還を果たしているが、ディーンの口ぶりから今回も地上に戻されるようだ。
「私は、もう充分だと思っている」
このままで良い。と、零れた言葉は取り返せず。呟かれたそれは、ディーンにとって充分悲しませる刃となった。俯いた彼からはもう表情を読み取ることはできないが、一瞬見せた瞳に滲ませた哀愁は、カスティエルを動揺させた。ディーンにそんな顔をして欲しくなかった。
しかし、地上に戻されたとしても、彼らの助けになるほどの力はない。ディーンに寄せる情が大きくなればなるほど事態が悪化していることは自覚していた。
愛している。
この感情は日々、カスティエルの中で大きくなっていく。伝えるつもりはない、この感情を押し殺すのは息苦しかった。ディーンの傍にいられるなら、その苦しさも耐えられる。けれど、今、目の前にいるディーンは
――カスティエルの欲に塗れた激情を知っている。
「ディーン
……、私は」
言い訳の言葉はすぐに浮かばず、濁すしかない。
「すまない
……君にそんな顔をさせるつもりは」
「分かってる」
ディーンは、それだけ言うと顔を上げて無理やり笑顔を作る。
「お前はいつも俺の
……俺たちのことばかり考えてたよな。あの頃の俺、お前に対して何も言えてなかった」
「ディーン」
「とにかく、お前を早く戻さないと」
「ディーン!」
カスティエルは思わず目の前の彼を抱きしめた。
「今の私がここでは場違いなのは理解している。そんな私の言葉で傷つかないでくれ」
「違うんだ、キャス
……俺は、お前に言わなきゃいけないことが
……けど、俺は
……あの時の俺は言えない」
ディーンは意を決したように顔を上げてから。
「
天国では言える」
と、か細い声で囁く。
彼の言葉を聞きたかったが、今のディーンからではない。だから先に言葉を遮った。
「ディーン、私は戻るよ。君の
――私のディーンの元に」
「キャス、俺」
「いずれ、その言葉を私は聞けるのだろう? ここで伝えなくて良い」
抱きしめたディーンの身体を離す。目を合わせると、カスティエルが好きな笑顔を見せてくれた。
すると、見知らぬ青年が「こんにちは」と片手を上げ現れた。彼は正体を明かさなかったが、カスティエルの額に指を添えると凄まじい恩寵が身体を覆った。記憶が薄れていくのが分かる。もう一度、ディーンの笑顔を見たかったが視界が揺らいだ。
次に目を覚ますと、真っ暗な世界に立っている。
けれど、進むべき場所は分かる。脳裏に浮かぶのは幸せそうに微笑むディーンが道標だ。
今はまだ彼の傍に居たいから。
終
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