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ひやめし
2024-03-03 01:03:40
3641文字
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冬来りなば
冬眠する先生と見守るカカシのカカイルです
(たぶん)
分厚い雪雲に覆われて星影も見えない真夜中、真っ暗な部屋に「ただいま」と呟く声が虚しく響く。
週頭から降り続いた雪が積もったからなのか、窓の外はぼんやりと明るく、部屋の中央で布団に包まれた身体が微かに上下するのが見えた。
「うーん
……
俺そろそろかもしれないです」
里を囲む山々が赤く染まり始めた頃、居酒屋で新物の秋刀魚を突きながらイルカがカカシに告げた。
「もう?早くない?」
比べるものが去年のイルカしかないので確かではないが、その一年前のイルカと比べれば冬支度を始めるのが半月ほど早いように思う。それでもカカシは心の奥底で勘違いであってほしいと願っていたことが間違いではなかったことにわかりやすく肩を落とした。
イルカは今月に入ってからとにかく食べる量が増えた。イルカの身体が決して短くない冬を越えるための準備を始めている。
イルカが冬眠をするということを、カカシは一年前の今頃教えられた。蝉がうるさく鳴く季節に数年に及んだ友人関係から一歩進んで、緊張も幾分和らいだあたりだった。
「あの、もう少ししたら、その
……
カカシさんとは会えなくなるんです」
イルカがずっと何かを言いたそうにしていたのはわかっていた。それとなく話を向けることは簡単だが、イルカの様子を見ている限りあまりいい話だとは思えなかったのでできるだけ後回しにしてほしかったのに。
これは別れ話か、どうすればイルカの気持ちを真逆に転換できるのか。職業柄他人の恋心なんていくらでも思うように操れたはずのカカシが、イルカだけはどうにもならない。自分の気持ちすら持て余して、今だって何か言うべきなのに口を開いてもため息すら出せないほどだ。
「あ、えっと、別れたいとかそういうことではなくって。あの、俺そろそろ冬眠の時期なんです」
「冬眠?」
「冬眠」
そんな話をした後イルカは一月かけて尋常ではない量の食事をとり、初雪が降った夜に長い眠りについた。
おおよそ四ヶ月。遅くとも梅の花が散るまでには目が覚めます、そう言って布団の中で寝息をたてたイルカを見届けてカカシはしばらく途方に暮れた。
「あの時カカシさん顔真っ青でしたね」
イルカが思い出して笑う。
「だって、あんなこと急に言われたら別れ話だと思うじゃない」
「知ってると思ってたんですもん。ナルトたちから聞いて」
既に三人分は腹に入れたはずなのに食べ足りないのか、イルカはメニューと真剣ににらめっこをしている。ここまでくれば明日か明後日か、へたをすれば今日の夜にもイルカとはしばらくのお別れになる。
「今年は電気もガスも止めてないからちゃんとしてくださいね」
カカシは去年冬のほとんどをイルカの部屋で過ごしてしまった。本当に寝ているのか気になって忍びこんだ部屋でイルカは布団にくるまっていた。そっと頬に手を伸ばすと驚くほど冷たくて、このまま目を覚まさなかったらどうしようかと恐ろしくなった。
息を吸いこんだ肺が微かに膨らんでホッとしたのもつかの間、イルカがなかなか息を吐かないことにカカシは焦った。前線で幾度となく見た「息を引き取る」瞬間がカカシの頭をよぎる。
「先生!やだ、起きて
……
お願いだから」
揺すっても叩いてもイルカが目を覚ますことはない。わずかに触れる脈動だけがイルカの命に繋がるよすがのように思えてならず、祈るような気持ちでイルカの首に指を這わせた。永遠のように感じる時間の果てにイルカが吸った息を吐き出した時、カカシの目から安堵の涙が溢れた。頭の片隅で人間てこんなに涙が出るものかとぼんやり考えながらイルカを見守ることしかできない。
緊急の呼び出しで我にかえるとイルカが眠りについてから一日半が過ぎていた。
「目の下のクマがやべぇ」
「いつも以上に生気が感じられない」
全く遠慮のない教え子たちの言葉に、いつになく弱気になっていたカカシはグチをこぼした。
「冬眠なんだからそれくらい当たり前だってば」
「そうか、もうそんな時期なのね」
ナルトもサクラもあっけらかんとしている。聞けばイルカは冬眠の間当然アカデミーも休みなので、彼の教え子にとっては季節の風物詩くらいのものらしい。また、イルカから冬眠中のヒトの生態についても教えられているようで、カカシの狼狽を軽やかに笑い飛ばした。
「秋に蓄えた栄養で冬を越すんだもの、体温もギリギリまで下げるし呼吸も三分の一くらいになるのよ」
「あったかくして、普通に飯食ってたらなんとかならないもんかね」
普通野生の動物が冬眠をするのは食料の不足しがちな冬を越えるためだ。しかし人間には冬を温かく過ごす知恵もあれば食事に困ることもないはずである。
とはいえ、そんな都合のいい話があれば里は易々と現役の忍を長期間休ませたりしないはずなので春を待つよりほかないのだろう。
カカシは靄のかかる頭でなんとか任務をこなすと再びイルカのアパートに足を向けた。
イルカのアパートはカカシが朝出ていった時と変わらず暗く静まりかえっている。額宛をはずし鼻から下を覆う布を引きずり下ろすと、溢れたため息のたなびく様が白く浮き上がって見えた。
昼間サクラから聞いた話で一晩中イルカを監視しなくても大丈夫なことは理解したが、それでも側を離れることはまだ怖い。
精神的な疲労が蓄積した身体は猛烈に休息を求めている。今夜はこのままイルカのアパートで寝てしまうことにしたカカシは、ベストを脱いで次に自分がどうするべきか迷ってしまう。
本人の許可を得てはいないが寝ているイルカの隣に潜り込もうかと膝をついたものの、汗や土埃で汚れたままの身体で寝具を汚すのはさすがに気がひける。
わがままついでに湯を借りようと脱衣所のスイッチに手を伸ばしたところで電気が止まっているらしいことに気がついた。当然ガスも止まっていたがかろうじて水は出たので、濡らしたタオルで簡単に身体を拭ってから寝ているイルカの隣に身体を滑りこませた。
恋人と初めて一つ布団で眠る夜がこんなかたちでやってきたことにカカシは泣きたくなった。腕の中の身体は驚くほど冷たくて、一人置いてけぼりにあったような気持ちになる。
「先生
……
会いたい。早く起きて、お願いだから」
目の前のイルカがおそろしく遠く感じる。息がかかるほど側にいるというのに、さみしくて会いたくてたまらない。優しいあたたかな声で「カカシさん、好きですよ」といつものように笑ってほしかった。
「目が覚めた時、ふふっ
……
カカシさん俺よりげっそりしてるんですもん」
過ぎた春を思い出したのか、イルカは幸せそうな笑い声をもらしている。
おろした箸が再び持ちあがらないことに、準備が整ってしまったのだということがぼんやりとわかった。
カカシは去年一冬をまるまるイルカのアパートで過ごした。一度だけ自分の部屋へ行ったことはあったが、あかりの灯る部屋も湯気に曇る風呂場も温かい食事も、カカシの疲弊した心を癒してくれることはなく、暗く冷え切ったイルカのアパート以外ではまともに眠ることもできなかった。
明け方の冷えこみも緩み、軒下の防火バケツに氷が張らなくなった頃、イルカがもぞもぞと身動きをすると、長いことまぶたに隠れていた瞳がぼんやりとしかし確実にカカシを捉えた。
待ち望んだ再会に、霞む視界の向こうでイルカが笑っていることがたまらなくうれしかった。
「カカシさんは冬眠しないんですから、ちゃんと風呂に入ってあったかくして寝てくださいね」
色白を通り越して青いというよりない恋人の泣き顔が、去年イルカが目覚めて初めて見た光景だ。想像以上に不安にさせてしまったことが悔やまれたが、冬の間ずっとカカシが側で自分が目覚めるのを待っていてくれたことはとてもうれしいことでもある。
来る春も叶うならばカカシの腕に包まれて目覚めたい。売れっ子で里にいないことも多いカカシのことだから、イルカが春を迎えるタイミングと都合よく合うことはないかもしれないが、少しでもその確率を上げるためにも去年同様カカシにはイルカのアパートで冬を越えてほしかった。
「あんた、いっそのこと部屋引き払ったらどうですか」
どうせ夏も秋もカカシはイルカのアパートで過ごすことがほとんどなのだから。
「えっと、あの
……
いいの?本当に?」
「もちろんですよ。ずっとカカシさんが側にいてくれたら、俺きっと幸せな夢の中にいられると思うんです」
「イルカ先生が幸せな夢を見てる時、俺はきっとさみしくて泣いてるよ」
間違いなくカカシは今年の冬も孤独で不安でイルカを恋しがって泣いてばかりのはずだ。けれどその先に、お互いもっとずっと大切で愛おしい恋人と過ごす春が来ることをもう知っている。
子供のように笑いながら眠るイルカに頬ずりをして、まだ遠い春を待ち遠しく思いながらカカシもそっと瞳を閉じた。
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