紺屋
2024-03-02 13:56:50
3142文字
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果実

リクエストいただいた『いちご狩りに行くささろ』です!素敵なお題ありがとうございました〜🙌

まだコートの手放せない気温ではあるものの、暦は冬を過ぎ新しい季節を迎えている。スーパーマーケットの店頭に並ぶ春の味覚は目に優しい色彩とともに、香りもまた瑞々しくかぐわしい。
「菜の花って普段食わんけど、出てくるとちょっと嬉しなるよなぁ。あのほろ苦い感じがたまらんっちゅうか。お、見て盧笙、アスパラもうまそぉ。塩茹でしてマヨか、天ぷらもええなぁ」
食べ歩きを趣味と公言するだけあって簓は美味いものに目がない。視界に入った食材に片っ端からコメントしていくせいで、客がひとり、またひとりと次々に足を止める。良く通る声と言わずもがなの知名度のおかげで、簓は期せずして青果売場の販促要員と化してしまった。
「ちょっと、ぬるさらのせいで天ぷら食べたなってしもたやんか。どないしてくれんのぉ」
「えー? なになに奥さん、なんで天ぷらアカンのん? お魚売り場で海老もお安くなっとるで? 今日天ぷら食わんかったらいつ食うんよ」
「ちゃうやんか、昨日お台所の掃除したばっかりやから揚げ物すんの嫌やねん! もうな、換気扇までピカピカにしたったんやで? ちょっと家まで見に来てほしいわ」
「はっはぁ、なるほど! けどほら見てぇやこの柔らかぁて瑞々しいアスパラちゃん! こんなん今だけやで。これ食べたら今日も明日(あす)もパラダイスや! アスパラだけに〜!」
あれほど天ぷらを渋っていた主婦はくだらない駄洒落に大ウケし、アスパラを2束もカゴに入れた。さらに数人の客もそれにつられるようにして手を伸ばす。「ハイこちらのおねえさんもお買い上げ!」と簓が景気のいい声を上げ、野菜売り場はちょっとしたイベント会場のようだ。根っから人を楽しませるのが好きな男は、オフの時間でもファンサービスを惜しまない。気が済むまで喋り倒したらうまく抜け出してくるとわかっているから、盧笙はそっと離れて喧騒を見守った。
果物の売り場もまた鮮やかな色彩と香りに満ちている。殊に今はいちごが最盛期を迎えようとしており、華やかな甘い匂いについ視線が引き寄せられた。
大粒の果実が透明なパックの中でひしめきあい、食べて食べてとこちらを誘うようだ。年始ごろに比べればずいぶん値段も下がった。少しばかり春の贅沢をしてみようかと手を伸ばしかけたところに、ひょいと脇から簓が顔を覗かせた。
「あー、イチゴうまそぉ」
「おお、終わったんか」
「へへっ。なんとアスパラも菜の花も完売! 青果の主任が飛んできて、明日もまた来てくれ言われたわ」
簓はにっかりと笑って顔の横でピースサインを作ってみせる。
「来るん? 明日も」
「いやぁ、さすがにこれ以上は事務所通してもらわんとねぇ」
「そらそうや」
「そらそうよ。で、イチゴ買うん?」
「うん、うまそうやな思て。おまえも食う?」
「食う食う!」
盧笙が手頃な価格のパックに手を伸ばすと、簓はその隣のほうが美味そうだからそちらにしろと言う。四桁価格の高級ブランドいちごなのだから、そりゃ粒も大きく美味そうに決まっている。
「3パック買おや。俺払うし」
「は? ひとつでええやろ」
「いやいや、そんなん足らんて。どうせやったら腹いっぱい食お」
「おまえ、そないイチゴ好きやっけ?」
「え? うん、好きやで?」
不思議そうに簓は言う。あまり簓が果物を好んで食べているイメージがないのだが、考えてみるとおそらくそれは、まだふたりとも金がなかった芸人時代のころの記憶によるものだろう。あの頃は果物なんて贅沢品もいいところで、差し入れのミカンくらいにしかありつけなかった。
そうか、それなら――
盧笙は持っていたカゴを簓に押しつけると、おもむろにポケットからスマホを取り出した。
「なになに? どした?」
画面を覗き込もうとする簓を手で制しながら、盧笙は検索画面をタップする。幸い、目的のサイトはすぐに見つかった。
「簓、イチゴは明日までお預けや」
「へ?」
盧笙が差し出したスマホ画面にさっと目を走らせた簓は、次の瞬間大きく破顔した。
「盧笙!」
「なんや」
「おまえほんま天才やな!」
「せやろ?」

盧笙のひらめきに簓が賛同してからは早かった。夕飯の買い物は即座に中止。簓は車を取りに自宅マンションへ戻り、盧笙は明日のために必要なものを買い込んでアパートに。夜には再集合して綿密な計画を立てた。
明日は珍しく予定のない休日となるはずだった。ゆっくりと恋人らしい夜を楽しもうと話していたのにもはやそれどころではない。まったく、面白いことや楽しいことが根っから好きでたまらないふたりであった。

翌朝、まだ窓の外は暗く、いつもの休日ならまだ裸でだらだらと抱き合っているような時間から起き出した。いそいそと支度をして簓の車に乗り込む。助手席の盧笙の膝には、彼特製の大きなおにぎり。ふたつの保温マグにはそれぞれ熱いお茶とコーヒーが入っている。今日の行き先もさることながら、まるで遠足のようなシチュエーションに胸が高鳴った。
「しっかし盧笙もほんまよぉ思いついたもんやで、イチゴ狩りなんて」
「教頭先生がこないだお孫さんらと行かはったゆうの聞いててな。あんな高いイチゴ買うくらいやったら、いっそのこと食べ放題でええやろ思たんや」
「確かにそうよな! あー、ほんま楽しみやー! 俺もう畑のイチゴ全部食うてまうかも!」
「おー、食え食え、なんぼでも食え」
太陽はまだ東の空の低い位置にある。オオサカ府内とはいえかなりの郊外にある観光農園までは1時間半ほどの距離で、休日のドライブとしてはほどよいコースだ。車窓の景色に目を細める盧笙を、簓は横目でそっと盗み見る。
「盧笙、眠かったら寝ててええよ」
「アホ。楽しみで寝てられるかい」
「ははっ、そらそうか」
簓よりも早くから起き出していた盧笙だが、やはり彼もこの外出に高揚しているようだ。眼鏡ごしの瞳がキラキラと光っている。同じことを同じ気持ちで楽しめることが嬉しくて、簓はほんの少しアクセルを緩めた。早くいちごを頬張りたいのはやまやまだが、それと同じくらい、この穏やかな時間が少しでも長く続いて欲しいと思ったのだ。

農園主は朝一番の予約で現れた客がどついたれ本舗のメンバーだとわかると少し驚いた顔をした。だが粛々と受付を済ませ、いくつも並ぶハウスの中でも最奥に位置するこぢんまりとしたハウスに案内してくれた。テーブルや収穫用のカップなどが後から運ばれてきたところをみると、おそらく本来は営業用のハウスではないのだろう。簓も盧笙もスーパーや街なかで昨日のように一般客に囲まれることには慣れっこだったので特に気にしてはいなかったが、配慮はありがたく受けることにする。
ハウスの中は少し汗ばむくらい暖かく、差し込む陽光で眩しいほど。腰の高さほどの位置に設えられた栽培ポットが何列も並び、緑の葉の間に真っ赤な果実が数え切れないほど実っている。受粉を促すために飼われているという蜜蜂がその中を静かに飛び交っていた。
「なんや、天国みたいやな……
「ああ……ええな……
どちらからともなく手を握りあった。立っているだけでほんのりと甘い匂いに包まれる。
「来てよかったわ……
簓が心底満たされたというように呟いたのが可笑しくて、「まだなんも食うてへんで」と盧笙は肩を小突いてやった。
手を繋いでいちごを摘みながら、ときどき隠れてキスをした。
「こんなんしとったら、イチゴ全部食いきれへんで」
「えー? なんのことぉ?」
くすくすと密やかに笑い合い、甘くなった互いの唇を味わう。
永遠にこうしていたいような気持ちも、早く帰って思いきり抱き合いたい気持ちも、ふたり同じだった。