千代里
2024-03-01 19:23:50
4394文字
Public ナグサの話
 

ナグサの話・その2


 さらさらと、髪をくしけずる衣擦れのような音が響く。そんな風に、丁寧な宝物のように髪を触られるのは久しぶりだった。何せ、これまで髪結いを一任していた相手は、紐を結ぶことすら上手くできず、ちぐはぐな蝶結びばかり作っていた神様だったからだ。
 では、自分の方はどうかと言うと、片腕がないために髪を結うことすら直に億劫になってしまって、だらりと肩から流すままにしていた。
「何かしてほしい髪型はあるのかい。要望を出すなら、今のうちだよ」
「別に」
 ナグサの髪を梳いている老女――ヒヅルに向けて、彼はひどく端的な言葉を返す。
 実際、ナグサにとって髪型などどうでも良い事柄に過ぎない。見せる相手も、媚を売らねばならない相手もいないのなら、己の容姿や衣服など物品以上の価値はない。
「だったら、アタシの好きなようにさせてもらおうかね。さて、何がいいかねえ」
 好きなように、と言質をとったからか、ヒヅルは遠慮容赦なくナグサの髪の毛を取り分けていくと、今まで彼が見たこともないような結い方を始めた。一房をまとめるようなことはせずに、代わりに髪の毛を幾つにも細かく取り分けていく。そのうえで縄をなうようにそれらを編むやり方は、ナグサの知る髪結いとは違う手法だ。
 一見、草履や縄をなうときの手つきに似ているが、それを髪でやるのは初めて見た。ヒヅルのやや細い水気の少ない指が、ひょいひょいとナグサの赤毛を編み込んでいく。
「あんたは綺麗な髪色をしてるね。こんなにも鮮やかなんて、まるで神様みたいさね」
 彼女の言葉にどう返していいか分からず、結局無言になってしまう。だが、あまりに黙りこくっているのも場が持たなく、何となく気まずい。
 だから、何となしに思いついた疑問を口にする。
「どうして、髪を結うんだ」
「どうしてって、これから出かけるからだよ。さっきもそう言っただろう?」
 ヒヅルの言う通り、外出をするから着替えろと促されて、ナグサは渡された着物に練習も兼ねて一人で着替えを済ませた。渡されたら着物自体は柿色が鮮やかな着心地のいい一品で、決して安いものではなく、袖を通した時はどこか治りが悪いような、自分が箪笥の上に飾ってある高級な人形にでもなったような居心地の悪さを覚えた。
 閑話休題。
 そして、日常生活で乱れた髪を整えるために、ここに座れと促されて、鏡台の前に正座した。そんな経緯があったから、髪を梳くところまでは、状況は理解していたつもりだった。
「そんなに……時間のかかる結い方をする、理由が」
 自分でも話のとっかかりとして口にしただけに過ぎないので、言葉がうまく出てこない。
 理由が、ともう一度繰り返してから、ナグサとは言葉を繋ぐ。
「髪なんて適当に結べばいい。どうせ後で解くんだから。それぐらいなら、自分でもできる」
 片腕がなかった頃は仕方ないが、新たな作り物の腕を手に入れた今なら、自分の髪を自分で結ぶことぐらいはできる。いくらかほつれが出るかもしれないが、どうせ夜になって水浴びをする頃には解くのだから、それぐらいは許容範囲だ。
 しかし、ヒヅルは手を止めるどころか、より複雑な結い方を続けながら、
「そりゃあ、あんたの言う通りだろうね。でも、あんたは髪がいじられるのが嫌だって、アタシを拒絶しなかったじゃないか。そうだろう?」
 ナグサは回答に迷った末に、小さく頷いた。実際、拒絶するつもりはない。そんな積極的な理由が、彼には存在していない。
「でも、別に俺は頼んでない」
「はっはっは! 面白いことを言う子だね。世話を焼くなんてことは、頼まれてするもんじゃないさ! アタシが世話を焼きたい気分で、あんたがそれを拒む気分じゃない。それなら、それでいいじゃないか」
 ヒヅルの論はナグサの理解できない理屈の飛躍をしていて、彼は何も返事ができなかった。その間にも、ナグサの髪の毛はいくつもの縄をなったような編み込みが加えられていた。彼女が差し出した手鏡にちらと見えた後頭部では、縄たちが渦を巻くような結われ方をしている。
「何だこれ」
「ハヤメが昔いた国じゃ、こういう結い方が流行っていたらしいんだよ」
……しめ縄みたいだな」
 正月飾りや社にある縄を思い出し、率直な感想を口にする。
「そりゃ、見た目は縄と変わらないからね。あんたの言うように、注連縄ってやつにも似てる。あれは、こちらとあちらの境を決めるもんさね。そいつにあやかるってわけじゃないけれど、あんたが街中で余計なもんに絡まれないようにって、ある種の願掛けみたいなもんだよ」
 ただでさえ、ナグサの髪色は目立ちやすい。髪色如きで喧嘩をふっかけてくるような連中はいないだろうが、何事も油断は禁物だ。角度を変えて何度か髪型を見やってから、ナグサは背後に立ち、自身の成果に満足そうにしているヒヅルに言う。
……単にバアさんがやりたかっただけなんじゃないか」
「そうとも言うね」
…………
 悪びれもせずに言い切る嫗に、ナグサは大きく息を吐く。この手のやり取りで自分が勝てたためしはないし、勝とうとも思わない。
 代わりに、彼は問う。
「このやり方、教えられるか」
 自分でも、どうしてそんなことを尋ねたかは分からなかったので、理由を聞かれたら困ると思った。
「ああ、いいとも。あんたは手先が器用だからね。きっとすぐに覚えるさ」
 皺が寄った顔にからっとした笑みをひいて、彼女は理由も聞かずに応じてくれた。
 それもまた、世話を焼くことの一つなのだろうか。ナグサには分からないが、本人が受け入れてくれるのなら今はその流れに身を任せようと、編まれた髪の端を指でなぞってみた。
 *
 編み込みのやり方を教えた後、ヒヅルは自分の支度をするためと、ナグサを残してさっさとどこかへと去って行ってしまった。残されたナグサは、いくつかの衣桁と鏡台が置かれた身支度を整えるための一室で、手持ち無沙汰となり、意味もなく鏡面を見つめていた。
 以前目にしたものよりもずっと滑らかで透明度の高い鏡面は、町民ではなかなか手の出せない水神が手がけた水鏡なのだという。そのおかげで、ナグサは常よりもくっきりと自分の顔を見ることができた。
 昼下がりの鳥の鳴き声と、どこかで聞こえる誰かの話し声。そんなものに耳を傾けていると、トタトタと軽やかな足取りでこちらに近づく者の足音が迫ってきた。
 それはナグサのいる部屋の前でぴたりと止まり、
「ナグサ、いるか?」
 わざわざ誰かと問うまでもない。襖を勢いよく開いて入室してきたのは、白に薄緑を添えたような髪色の童女――カヅチだ。
「いるけど、近いうちに出かける。……どうしたんだ、それ」
 振り返って返事をしつつ、思わずナグサは質問を投げかけてしまった。
 それもそのはず、カヅチの体にあちこちには草葉がこびりついていたからだ。極め付けはその髪だ。いつもは寝起きにナグサが結っているカヅチの二つ結びの髪が、どちらも解けている。たっぷりとした彼女の白緑の髪は、豊かな川の流れのように背中を流れ落ちている。尤も、どこかに引っ掛けてきたのか、その髪もところどころがもつれて無惨な姿を晒していた。
「ああ、これか? さっき、庭の木を見に行っていたら解けたんだ」
「見に行っただけで解けるわけないだろ。木登りでもしたのか」
「ああ、もちろん!」
 悪びれず答えるカヅチに、ナグサは瞬時かける言葉を見失う。
 彼女の自由奔放な振る舞いは今に始まった事ではない。むしろ、子供の姿である分、今の方が幾分か可愛げらしいものが見えると考えるべきなのだろうか。
「ナグサ、どこか行くのか? わたしもついて行くぞ」
「行きたいなら俺じゃなくて、バアさんたちに言って……ああ、いや、それよりも先に」
 ナグサの答えを聞いて、一目散に部屋を出て行こうとするカヅチに「ちょっと来い」と声をかける。呼ばれた彼女は素直に振り返り、とてとてと短い足を懸命に動かして、ナグサが示すままに、彼の前につくねんと座った。
「何だ? 何かするのか?」
「お前の髪。そんな頭でバアさんの前に行ったら、またあの人、長々といじり回し始めそうだ」
「そういえば、今日のナグサは頭が変だな!」
「その言い方はやめろ」
 気が触れたみたいな言葉選びをするなと間髪入れず指摘してから、鏡台の前に置き去りにされていたつげ櫛を手に取る。自分でも何をしているのかと思いながらも、ナグサはカヅチのボサボサになった髪の毛を櫛で梳いていく。
 人の髪を結うのは得意だ。幼い頃は、目についた少し年嵩の子供達に頼んで、時折髪結い師の真似事をして遊んでいたからだ。
「お、カヅチの頭もナグサみたいにぐるぐるになるのか?」
「ぐるぐる……のやり方は分からない。でも、似た感じにはできそうだな」
「おおーっ」
 歓声を上げている童女の後ろで、ナグサは流れ落ちている白髪のもつれを丁寧にほどき、丁重に梳いていく。
 指が問題なく通るくらいに整えてから、今度はそれを掬い上げて三つの房にわけていく。それらの房をヒヅルに教えてもらったように編み込めば、先だって教えてもらったとおり、縄をなったような髪型が出来上がる。
 髪がばらけないように、髪紐を巻き付け、口を使ってギュッと締める。義手ではまだこのような力を込めた動きが上手くできない。それぐらいなら口を使った方が、まだ上手く仕上げられるという自負があった。
 つづけてもう半分も同じように仕上げると、さながら二本のしめ縄をぶら下げたような髪型の童女が、鏡の向こう側に映る。
「なあ、ナグサ。これは何というんだ? どうしてこれにしたんだ?」
「いや、名前までは知らないけれど……というか、知らないのに任せていたのか、お前」
「うむ。ナグサだからな、好きにしていいと思った! 他のやつには許さないぞ!」
 にぱっと笑うカヅチに、どうも調子が狂うと少年は自分の編み込みに手をやる。本当は、がしがしと頭を掻きたい気分だったが、せっかくのヒヅルの作品が台無しになるので、それはやめておいた。
……お節介なんてものは、やりたい気分になって、相手が断る気分じゃなかったらそれでいい、か)
 さっきは謎かけのような言葉に聞こえたものが、何だか今は妙にしっくりくる。カヅチはといえば、大きな縄のようになった自分の髪をいじり回しているうちに、何やら嬉しいと思ったのか、頭頂部に生えている角状の木からぽつぽつと花を咲かせている。
 漂ってきた梅の香に目を細め、手持ち無沙汰となった手で、ナグサは彼女の頭にポンと手を置いた。
「ほら、行くぞ」
 いつものようにそっけなく。けれども、その足取りは今までよりも少しだけ軽く感じられた気がした。