小椋
2015-07-23 20:01:11
1809文字
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【つるみか】ワンドロ第十二回

※ お題:鏡



 遠征から帰還した鶴丸は、自室を目指して回廊を進んでいた。
 戦支度を解いて軽く汗を流すかと考えながら、ふと庭先に目を向ける。なんとなしに視線を流した先で、見覚えのある姿を見つけた。
 三日月だ。
 別部隊で遠征に出掛けていたはずだが、おそらく鶴丸より先に帰還していたのだろう。まだ陽が高く暑い盛りだというのに、外に出てきたらしい。太鼓橋の掛かった池のほとりにしゃがみこんで、水中を覗き込んでいるようだ。
 鶴丸は自室で手早く戦支度を解くと、履物を再び身に着けて三日月の元へ足を伸ばした。
 僅かに丸まった背中を眺めながら、いつかもこんなふうに近寄ったことを思い出す。あのときはわっと声を掛けたのだが、同じことを繰り返すのは驚きに欠ける。代わりに両肩に手を置いて背後から覗き込むようにすれば、水面に映った三日月と目が合った。
「自分に見惚れてるのかい?」
「おお、鶴か」
 鶴丸の振る舞いに動じることなく、三日月は穏やかに口元を緩めてみせる。
「わざわざ確かめなくても、君はいつだって美しいから安心しておけ」
「はっはっは」
 いちいち口にするまでもない事実を告げた鶴丸は、それを快活に笑い飛ばす三日月の隣に座った。先程まで三日月がしていたように、池の中を覗き込んでみる。
 やわらかい風が通り過ぎて、水面をそっと波立たせた。底まで見渡せるほど澄みきった池の中で、二匹の鯉が優雅に泳いでいる。ふよふよと揺らぐ水草にじゃれているようにも見えて、鶴丸は微かに口角を持ち上げた。
「お前も変わらず美しいぞ」
「っ、ははっ」
 唐突な意趣返しに噴き出しながら、君に言われると照れるなあ、と嘯いてみる。ふっと微笑んだ三日月が、さて、と腰を上げた。鶴丸もそれに合わせて立ち上がる。そろそろ屋敷に戻るのだろうと踵を返したところで、くっと袖を引かれた。遠慮がちな引き止め方に物珍しさを感じながら振り返れば、底の知れない微笑みとかちあう。嫌な予感を覚えたのも束の間、今度はがしりと腕を掴まれ、勢い任せに引っ張られた。
「おわっ」
 驚きに声を上げると同時に、平衡を崩した体が盛大に傾ぐ。ざぶん、という水音は、池の中に至るや否やすぐにくぐもった。
 落下の衝撃によって閉じた視界を広げれば、道連れにした犯人が悪戯っぽく目を細めている。鶴丸は挑戦的な笑みでそれに応えると、お返しとばかりに三日月の腕を引き寄せた。いかにも陳腐な企みだが、驚かされっぱなしでいるのも性に合わない。水の抵抗を凌いで、戯れに顔を近づける。境界が曖昧になり、感覚がぼやける水中で、一瞬だけ得たやわらかな感触だけが鮮烈だった。
 衣装の纏わりつく腕を動かして、どうにか浮かび上がる。息の継げない苦しさが一気に膨らんで弾けた。荒れた呼吸を整えきれないうちに、自然と笑みが溢れてくる。
「まったく、君ってやつは!」
 意趣返しはあれだけではなかったのだ。こちらが驚かそうとしてもたいして動じないくせに、こちらの不意を突くのはやたらとうまいのだから敵わない。
「ははっ」
 濡れて肌に張りついた髪を振り払っていると、無邪気な笑い声が届いた。
「一度やってみたくてな。リベンジ、というやつだ」
 そう弾んだ調子で告げられたのをきっかけに、鶴丸は以前の記憶を掘り起こす。
 背後からわっとやっても驚かないことに焦れた結果、鶴丸は三日月の腕を掴んで引き寄せ、一緒に池へと落ちたのだ。さすがの三日月も、水面から顔を出した直後は驚きに目を瞬かせていた。詰られることも多少は覚悟したが、まもなく返ってきたのは鷹揚な笑い声だ。あまりにも無邪気に表情を崩してみせるものだから、その無防備さにかえってこちらが虚を突かれた。
 くすぐったい思い出に浸っていると、濡れた頬に親しんだぬくもりが与えられる。
「水も滴るいい男、だな」
 見事に仕返しをやりおおせた三日月が、上機嫌に口元を綻ばせている。頬を撫でる指に己のそれを重ねて、鶴丸は同じように三日月へと手を伸ばした。
「それを言うなら君のほうだろう」
 花のかんばせは、透明な滴に飾られてますます鮮やかに輝いている。
 絡まることを知らない髪を梳いてから、掌で頬をすっぽりと包み込んだ。ぞんぶんに愛でてくれとばかりに、三日月が擦り寄ってくる。
 そろってずぶ濡れになりながら、ふたりはひとりきり笑いあった。



小椋@OgrYtk