小椋
2015-05-15 23:13:48
1990文字
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【つるみか】ワンライ第三回

※ お題:衣替え



「つる」
 そっと名を呼ぶ声がする。聞き慣れた、耳に心地いい低音だ。
「鶴」
 呼ばれるのはやぶさかではないが、今はいかんせん状況が悪かった。
 だが情人には、芳しい返事が得られなくても諦める気などさらさらないらしい。肩を掴んだ手に揺さぶられて、鶴丸は渋々薄目を開けた。
 促されるまま起きる気にはなったものの、いかんせんまだまだ寝足りない。ぼやけた視界で、折り曲げた三日月の膝を捉える。その後ろに広がる障子戸は、未だ宵の気配を思わせる藍色に染まっていた。おそらくは、陽が山間から僅かに顔を覗かせたころなのだろう。眠気を振り払いきれないのも無理はない。それでも鶴丸は、横臥から仰向けへと体勢を変えた。
「起きたか」
 身を屈めるようにして覗き込む顔には、安堵の色が浮かんでいる。
「なんだ、どうした」
「着替えてくれ」
「は?」
 いったい何事かと思っていれば、藪から棒に請われて目を丸くする。起き抜けゆえに頭の回転が悪いせいで、三日月の意図がまるで掴めない。首を捻る鶴丸に三日月は、見て分からんのか、と自身の襟を掴んで引っ張ってみせた。弛んだ襟元から、さらに胸元が露わになる。滑らかな肌だ。鶴丸の目には、いつもと変わりないように映る。
「見えるところに痕を残した覚えはないぞ」
……見えないところには残したのか?」
「確かめてみるかい?」
「後でな」
 ようやく調子を取り戻して繰り出した戯言も、しれっとかわされてしまう。
 仕方なく三日月の手元をじっと見つめていた鶴丸は、ようやくあることに気づいた。すぐさま半身を起こして、自分の着衣を確認する。核心を得るなり、こいつは驚きだな、と思わず笑みを零した。
 鶴丸は三日月の、三日月は鶴丸の寝巻を身に着けてしまっていた。
 昨日の夕方のことだ。出陣から部隊を引きつれて帰城した三日月の後に続くようにして、鶴丸も長期間に渡る遠征から帰還した。
 このところ互いに予定が立て込んでいて、ゆっくり言葉を交わす暇もなかったのだ。鶴丸には積もる土産話があり、三日月の武勇に耳を傾けたくもあった。
 とはいえふたりきりになるや否や、結局はろくに会話もせずに、褥へと雪崩れ込んでしまったのだが。
 想いの募った結果であったものの、疲労が溜まっているときに少々無茶をしたせいか、終わりごろの記憶が遠い。どうにか最低限の後始末は済ませたようだが、強烈な眠気に意識を奪われそうになる最中、寝間着を取り違えてしまったのだろう。丁寧に帯まで交換していることに、肩を震わせずにはいられない。
「知らず知らずのうちに衣更えをしてたってわけか」
「そういうことになるな。まあ、このまま帰ってもよかったんだが」
「へえ。俺のを着て帰って、誰かに気づかれでもしたらどうするつもりだったんだ?」
「言いわけが必要か?」
 ふっと目を細めて返された言葉に、鶴丸はくつくつと喉を鳴らした。
「なるほど、正直に打ち明けるときたか。堂々と惚気てくれるなんて嬉しいねえ」
「無理に隠す必要もなかろう」
「下手にひけらかす必要もないと思っているくせになあ」
 三日月が立ち上がったのに合わせて、鶴丸も腰を上げる。しゅるしゅると寝巻を脱ぐと、本来の持ち主に返しあった。
 着替えを終えた鶴丸が視線を向ければ、三日月はまだ帯を結んでいるところだった。決して不器用ではないのだが、いかんせん動作がゆったりとしているのだ。
「もうひと眠りするのかい?」
「いや、湯浴みに行こうかと思ってな」
 本丸に設けられた大浴場は、どういう仕掛けか夜もすがら湯が沸いている。いつでも好きなときに湯浴みができるのは、至極便利なことだった。
 ようやく帯を締め終えた三日月が、くるりと身を翻して障子戸に手を掛ける。
「俺も行こう。君は着替えを取りに行くんだよな?」
「ああ」
「ならあっちで落ち合うか」
……さすがに身が持たんのだが」
「ははっ、いやいや違う違う。昨夜は結局ろくに話せなかっただろ。少し付き合ってくれよ」
「ふむ。いいぞいいぞ。それならよし」
 三日月にも積もる話はあるようで、どことなく上機嫌に口許を緩めてみせる。
「しかしどうせ一緒に湯浴みをするなら、向こうで着替えてもよかったな」
――いやいや、それじゃあもったいないぜ」
「んん?」
 乱れてもいない襟元を正すようにすれば、ふわりと残り香が広がった。ふとしたときに、愛しい相手の移り香が鼻腔を擽るのだ。
「これはこれで、乙ってもんだろう?」
 悪戯っぽく笑ってやれば、三日月は同意を示すように笑みを深めた。



衣更え・更衣
  1. 衣服を着かえること。
  2. 季節の変化に応じて衣服を着かえること。(以下略)
  3. 外観やおもむきを変えること。
  4. 男女が互いに衣服を交換し、共寝したこと。
(広辞苑より)

小椋@OgrYtk