「学校来ないの」と言いに来た奴は、近所に住んでいるが、幼馴染みでもなかった。中二の時にこいつの家が近所に引っ越してきたのだ。
家から遠い、同じ高校に進学して二年、俺はがむしゃらにがんばっていた部活で顧問の教師とぶつかり、夏休み明け、もう行く気がなくなった。
それをこいつは、そこまで仲良くもないのに、おそらく教師に頼まれて、義務的に俺の家に来ては「学校に来たら」と言う。生返事しかしない俺の態度を眺めて、何がしたいのか、長居して帰っていく。
ちょっと変わった奴だ。人当たりが良いから、みなこいつを害のない奴のように思っているだろうが、なんとなく、奇妙な奴だ。
今時「おれスマホ持ってないんだよね」と周りに言うのも、そのくらいに家が貧乏なのだと哀れな奴っぽいかんじを装っているがこいつは『関係』が必要ないと持っていないのだ。
中学の時には持っていた。そして卒業式の後、帰り道でやれやれというふうにスマホをアスファルトにすっと手から落として、無表情に近い顔でぼんやりどこかを見ながらガンガンと踏んで壊していたのを俺は見た。それからスマホだった物の残骸を蹴飛ばして、運んでいった。
いつもパステルカラーの飴玉をつなげたオモチャみたいなブレスレットをしている。
「学校来ないの
……」
放課後の、今日も遊びに、なぜかたこ焼きを手土産に持ってきて、俺の部屋に上がりこんで、差し入れじゃないらしく、一人で食べている。
めずらしく「部活かあ
……」とつぶやいて、部屋の壁にもたれて、本棚のものを手に取って見ている。
たこ焼き二つ残して「あげる」とプラスチック容器を渡してくる。ゴミを置いていく気か。
いつもなら、このあたりで帰るのに、今日はうぅ~んと考える様子で、
留まっている。
こちらを眺めて、人形が目を見開いたような笑った顔で、言った。
「どうしても、来ないんだ」
その顔を、おまえは誰かに見せたことあるかと訊きたくなるくらいに、不気味な表情だなと俺は眺め返した。
「そっか
……」
一人でうなずく。
いくらか残念そうに。
そんなことは初めてだったので、俺は怪訝に思った。
悲しそうに膝をかかえるような格好になって、額から頬へサラサラとした茶髪の髪が表情を隠すようにかかる。
「そう
……としたら、今日で最後だね」
ああもう、やっとここに、来るのをやめるのかと俺は、空になったたこ焼きのプラスチック容器に目をやった。これはそういう意味か。
顎を膝にのせて、ぼんやりとした口調で「うん
……」とつぶやいたあと、またこちらを眺める。
初めて、少しだけ、でもはっきりと、寂しそうな笑みを浮かべた。
「おれ
……学校やめるから」
急に言うので、俺はおもわずその顔を見つめてしまった。
膝をかかえたまま顔を伏せるようにして、手首のブレスレットを撫でる。
「
……ねぇ」
顔を上げた。膝をついて、こちらに腕を伸ばしてくる。
「いっしょに行かない?」
首に腕をかけると、耳許で言った。
俺が、どういうことだと顔をそらすとあっちがかたむけた顔が、唇がふれた。
たこ焼きの味がした。相手も同じだったのか、そっと離れる瞬間に、かすかに笑った気配がした。初めて聞く、作り物ではない、笑いだった。
それから、すぅっと身体が俺のそばから退いて、つまらなそうな、沈んだ、仕方なそうな表情で、しばらく佇んでから、立ち上がって部屋を出ていった。
学校に行った。
誰に訊いても、あいつのことを、行方を知らないどころかその存在を覚えていないようなことを言う。
教師たちに詰め寄っても、そんな生徒は在籍してなかったみたいに、あいつはそもそもこの学校に入学していないみたいに言う。
馬鹿な、と俺は思った。一年でも同じクラスだったし、二年でも同じクラスで一学期まで確かに居た。
急いで、あいつの家に行った。
小綺麗な一軒家だ。
だが塀の端から、玄関の門の前に長いチェーンがかかっていた。なかに立ち入ることができないように張られていた。
唖然として、よく見ると、小綺麗でもずっと人が住んでいないようなかんじで、チェーン越しにのぞいた庭には、妖精を模したガーデニングの置き物の残骸のようなものが割れ転がっていた。
親にも近所、同じ中学の誰にも、あいつとあいつの家族の記憶は無かった。
あいつの存在は俺の記憶にしかなくて、何を自分は見ていたのだろう、幻覚か何かかと首をかしげた。
その後、俺は転校し、そこで、特に何に打ちこむこともない平凡な高校生活を送って卒業し、地元の会社に就職した。
二十代も後半になった年の夏が過ぎて暑さもおさまってきた頃、夜に一人暮らしの安アパートの部屋のベランダのガラス戸を開けていたら、やわらかく弱い風が吹いた。カーテンがふくらんだ。
よっこら、というふうに四階のベランダから部屋にそいつは入ってきて、勝手にくつろいで座った。
年格好は変わらない姿で、手首のブレスレットを無造作に触り、顔を上げると、腕を伸ばして抱きしめてきた。
身体の感触はあった。俺はその背中に腕をまわそうとして、きつく、そうしたら、次の瞬間には、抱えたはずの身体は消えていた。
こんなに時間が経っても、また来るんだったら連れていけよと思った。
「次、来るときはそうしろよ」
誰もいない部屋で俺はひとりで、言った。
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