ひさね
2024-02-29 20:35:55
1836文字
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胎内回帰願望

母親の観念がない男の胎内回帰願望について。ケンラト。ケント視点。

 さらさらと髪を撫でつけられる感覚で瞼を開く。太陽が眩しいかと思えばそうでもなかった。視線の先にはラトネィの顔がある。もこもこした長い髪がぼくの顔に時折かかる。それで丁度影になっているらしかった。それから硬い地べたにつけた筈の頭が沈みそうで沈みきらない肉感を拾っていることに気がつく。
 微かにくるると生き物のような、内臓が規則的に動く音がした。左耳側には彼女の腹がある。体温がある。
 相変わらず生きているようだ、と思う。
「あ。起きました?」
 にこやかに形の良い口が弧を描く。寝起きにはやや眩しいなと目を細くした。
……何で膝枕してるんだ?」
「たまたま見つけて、それで、やりたかったから」
「そういう所あるよな」
 昔から、と体良く言い加えた。はて、とわざとらしいのか本気なのか分からない雰囲気で首を傾げる彼女を横目に、時折くるると隣から鳴る内臓の音に耳を傾けていた。不随意で良く動くものだな、と感心する。
 そこに出し抜けに彼女が口を開いた。
「そんなことよりケントさんが昼寝だなんて珍しいですね。何時寝てるか分からないって言われているぐらい動き回っているので有名なのに」
「何だそれ。ぼくだって多少は寝るぞ。丁度さっき寝たし。噂ってよく分からないな」
「ふふ、そうですね。それで何してたんですか?」
「んー、いつも通りだぞ。そこらの売人追いかけたり、死体捜したり、子どもの世話したり、仲間内と今日は何するか調整したり」
 多少適当な思考で思いついた側から日常の一環、ルーティーンワークを指折り数え上げた。
「殆ど一日分の内容じゃないですか。それを今日の午前から?」
「いや、一昨日の深夜からさっき寝るまでだからダブってるのもあるぞ」
「あら。だったら噂もさもありなん、ですね。普通の生活と少しズレてる」
「えー? そんなに?」
 たかが睡眠の頻度でそう捉える人の心理に顔をしかめると、ラトネィはくすくすと笑う。心底楽しそうに。ぼくの頭をなでながら。
 ぐるると一際大きな腸の音がした。ぱっと浮かんだ軽い文句も喉で霧散していく。規則的に動く内臓が彼女の中には確かにあるらしい、とくどい程反芻する。
「もうじきお昼ですよ。お腹も道理で減る訳ですね」
 そう言いつつも、特に立ち上がる気配がない彼女は淡々とぼくの前髪に指を通してさらさらと落としていく。時折かすめる指先は温かい。
 そっと頭を持ち上げて耳を彼女の腹に擦り付けるようにしてみる。先ほど大きく鳴ったのが嘘のようにくるくると微かな低い音がよく聞こえた。
 ぼくの腹からはそういうものは出てこない。空く感覚もよく分かっていなかった。
 ずっと、内臓、というものの実感が湧かないでいる。
 外側から見えていないのに音が聞こえるだけでまるで生きているようだ、と思う。音から血液と体温を感じる。死体にないものだった。生きている証明は内側にある。そんな錯覚があるようだった。
 ラトネィは髪を弄るのに飽きたのか、また頭を緩く撫でる。伝わる体温は、ぼくの人より低いそれには些か温かすぎた。
 少ない睡眠と、あっても動いているか曖昧な内臓、低い体温。確実に足りてはいないのだと、彼女を通して思い知る。
 だから目の前の胎を裂いて入ってみたい、と思った。温かなもの、生きているものにくるまれて。目を瞑って。それから。欠陥を埋め合わせるように、ひとつになる。そうやって、一心同体、切っても切りようがないものに、なる。
 ――不埒な想像だ。
 我に返って、眉を顰める。
 耳から伝わる微かな振動が思考を鈍らせた。気がした。そういうことにした。
……ぼくはそこまで減ってないぞ」
「わ。急にご機嫌斜めになりますね。気に食わないことでもありました?」
 彼女は白々しくまた笑った。わしわしと撫でてくるから、髪がくしゃくしゃになる。
 分かっているだろうに、と言いたくて、でも分厚い前髪の中でどんな顔をしているのか想像して、止めた。結局彼女が面白がっているのならそれでいいか、と思うぼくがいる。
「自己嫌悪の類いだぞ」
……それも珍しい」
「本当にな」
 ラトネィが手を止めた隙を見て起きる。「昼飯貰ってくれば良いぞ」と言えば、彼女は一瞬つまらなさそうに口を結んで、それから「また後で」と立ち上がって去って行った。
 立ち上がるとき、足が痺れたのか少しふらついていて、やっぱり生きているように上手くできている、と思った。