苦艾キコ
2024-02-29 02:27:11
5756文字
Public 小説
 

天ノ川(中編)

前回の続きを途中アップ

どうして、天上界の神が人の子を嫌うか知ってる?」

?」

重苦しい雰囲気を察し、ジェイは居住まいを正す。可能であれば聞いておきたい。しかし話辛ければ無理にとは言わない。ジェイがそう伝えると、天ノ川は静かに頷き、枝を取って土に絵を書いて説明を始めた。

「昔はね、神と人の子は一緒に暮らしていたんだ。今のように結界で分かたれてなくて、地上の上に天上界があった。人の子が神に捧げものをして、神はその願いに応える。それに人の子は感謝して、また神は人の子を守護する。人の子の言葉でいうところの、”信仰”が成り立っていた。」

線を引いて地上とし、その上に雲、棒人間と翼の生えた棒人間を書いていく天ノ川。あまり絵心がない点については、何も言わないでおく。

「でも、神に守られた豊かな生活の中で、数を増やした人の子は力を得ていった。短い命の循環と蓄積は彼等に知恵を与えた。神を上回ったと、俺は思ってる。魔法や呪いとは別の理を見つけ出して、新しい武器を作り出した。石や鉄の球を、弓より早く飛ばせるようになった。」

語りながら、天ノ川は弓を描き、その隣に砲台のようなものを描く。きっと火薬が開発され、銃火器が登場したことを示しているのだろう。ジェイはなんとなく先の展開が分かってしまったような気がして、目を細めた。この予想が外れれば良いと思った。

「人の子は文明の為に森を、海を荒らすようになった。当然、土地を守る神は怒り、争いになった。それを繰り返している内に人の子はやがて発展を阻む神が、邪魔になった。」

暗い顔をしながら、天ノ川は四本足の胴体と頭を描き、そこに角を生やす。多分、鹿だ。

「人の子は武器を集めて”神狩り”を決行した。その最初の標的になったのが、各地の土地神。そのうちの一人が、大地に実りを与える白い獅子、通称”四季ノ神”だ。」

「彼?は、四季を司る神だったのですか?」

「正しくは、命の循環を導く役目を担っていた。元から土地神、祇(シキ)ではあったけれど、季節の変わり目に現れるから、人の子がそう呼ぶようになったんだ。祭り事が好きでね、似た姿を取って人の子と関わることも多かったし、とても慕われていた筈だった。」

そう言いながら、天ノ川は鹿の絵の周りに沢山の人間を描いていく。ジェイはつい、シキの姿で想像しそうになって、止めた。彼の特質顕現をその目で直接見たことはなかったが、シリカ曰く、見上げるほど大きく真っ白な、ヘラジカに似た異形であったという。白き獅子の四季ノ神と呼ばれたその人も、おそらくは。

「人の子は四季ノ神を追い立てた。他の土地神は狩れたから、彼も同じように狩れると思っていたんだ。でも戦いは人の子が思ったよりもずっと長引いた。元々、とても古くて力の強い神だったし、彼はね逃げれば逃げるほど体が黒く染まって、力を増してしまったんだ。どうしてだか分かる?」

地面に目を向けたまま、天ノ川は問いかけた。ジェイは暫し、思案する。追い詰められていく精神、黒く穢れていく体。それに伴って増した力。そんな状態の人間に覚えがあった。ラオのことを思い浮かべ、ジェイは静かに答える。

「呪いですか。」

天ノ川は小さく頷き、描いた鹿の体をガサガサと塗り潰していく。

「そう。彼は自分を裏切った人の子を呪い、呪われて、祟り神と化した。豊穣に繋がる命の循環には、必ず死が関わっている。鉛玉で肉が腐り、自分の土地も社も焼かれ、理性と力の均衡を失ってしまった彼は大地から生命を根こそぎ吸い取り、土地を次々と枯らした。結果的に実りは失われ、水は腐敗し、人の子を含めた生きとし生けるもの全てが飢えて死んでいった。”四季”ノ神は、死と飢餓をもたらす、”死飢”ノ神に転じてしまったんだ。そうなって困るのは、人の子だけじゃない。」

そう言いながら彼は、鹿の上ににょろにょろと、細長い筒状の生き物を描いた。

「蛇?」

「ごめん、龍。」

「あっ」

はっ、と口を噤むジェイ。天ノ川は申し訳なさそうに眉尻を下げながら、龍の頭に角を描き足した。

「赤龍、青龍、黄龍、黒龍、白龍。5体の龍神が居たんだよ。神族の中でも強い力を持って人間の守護を命じられ、天上界と大地を行き来して暮らしていた彼等も、神狩りに遭って三体が失われてしまった。残された二体、争いに疲れた黒龍神は行方をくらませて残る白龍神は枯れ果てた大地の惨状を憂いた。放っておけば人の子は死に絶えてしまうし、大地と水の汚染は彼らにとっても死活問題だ。だから同じ神を、四季ノ神を殺して止めるしかなかった。」

鹿の首にサッと線を引き、周りの棒人間も巻き込んでかき消していく天ノ川。人の業か、ジェイは息を詰まらせた。

「天上界の神は同族殺しを反対したけど、下界に生きるものはそんな悠長なことを言っていられない。そして白龍神に首を切り落とされた四季ノ神からは、溜め込まれていた膨大な呪詛が溢れ出した。これ以上大地を穢さないように、白龍神は自分の神通力と、生き残った他の土地神、未だ信仰を保っていた一部の人の子の力を借りてこれを封印して社を築いた。封印が解けないように、今もその人の子の末裔が守っている筈だよ。」

完全に信仰が失われた訳ではなかったのは幸いだった。が、同族を殺めるのはどのような心境だったのだろうかとジェイは想像するだけで沈痛な面持ちになった。

「この一件は天上界の神々にとっても、下界の人の子達にとっても、今後に関わる衝撃的な出来事だった。人の子なんて滅ぼしてしまおう、そんな意見も出たけれど話し合いの末、結界によって天上界と地上の世界を切り離すことにした。信仰を続けている人の子達の嘆願で、縁を完全に断ち切ることはしなかったけれど安易に下界に降りたり、天上界に人の子を連れ込んだり、人の子の前に直接姿を現すことは止めるようにとのお触れが出た。最も真面目に守ってない神もいるんだけどね、暁扇様とか

嗚呼、暁扇よ。ジェイは一瞬遠い目をした。天ノ川も遠い目をしていた。しかし、彼のお陰で暗くなりそうだった気持ちが少しだけ紛れた。そうして、一つ疑問が浮かんだ。

「あの方は何故、人の子を嫌っていないのですか?そして、貴方も。」

「暁扇様はお若いから、神狩りを身を持って体験はしていない。そしてあの方は芸術を司る根っからの創作好きだから、人の子の作る芸術や新しい才能、技法なんかを見に下界に降りているらしい。流石に、気安く人の子の前に姿を現したりはしていないと、思うけれど。多分、おそらく。」

自信なさげに答える天ノ川。自分の前にひょっこり現れたように、きっと暁扇は人間への嫌悪や恐怖より好奇心が勝るのだろう。帝からすれば頭が痛い存在かもしれないが、自分はその好奇心に救われたのだ。責めることは出来ない、と思った。

「俺は神狩りを見てきた。でも、天上界から殆ど降りる事のない俺にはあまり関係のない話だったんだよ。俺が駆り出されること、なかったし。」

そう言うと天ノ川は手にしていた枝を両手で握り込む。

「”四季ノ神”のことは残念だったよ、良いやつだったから。でも邪魔なもの、弱いものが淘汰されるのは自然の摂理だし、それは神族だって人の子に、時には同族にだってしてきたことだ。」

パキンッ、と枝が折れる音がした。彼は歯を食いしばり、何かを堪えているような強張った表情をしているように見えた。放り投げられた枝は乾いた音を立てながら転がっていく。何か声を掛けるべきかと身体を浮かせた瞬間、ジェイの肩に掛けられていた羽根の羽織が滑り落ちた。

「あっ」

それに気づいたジェイが慌てて拾い上げようとするより先に、天ノ川の手が届いた。
彼は埃を払い、ジェイの前に膝をつくと羽根の羽織をそっと掛け直してくれた。そうしてもらうと、再びじんわりとした温もりが広がっていく。

服、乾いたね。」

はい。」

そう言って薄く笑む彼に、ジェイも微笑み返す。

「これ、温かいですね。」

羽織の羽根をそっと撫でてみる。柔らかい羽根と羽毛をたっぷり編み込まれたその羽織は、よくよく見れば彼の羽根とよく似た玉虫色をしていた。

「俺みたいな鳥の神はね。寒い季節に子どもが凍えないように、母親が自分の羽根を抜いてこの羽衣を作るんだ。でもこれ長過ぎるから、小さい頃は引き摺ってたよ。普通こんなに長く作らないのにな。」

確かに、子どもが身に着けるには丈が、いやジェイの背丈になってやっと引き摺らない程度には長かった。幼い彼がこれを引き摺りながら歩いている姿を想像すると、なんとも愛らしくて思わず顔が緩みそうになる。

「夢中で作っていたのかもしれませんね。」

我が子が凍えぬようにと愛情を込めて織る物なら、しっかり身体を包めるように、もっと温かくなるように、そう願って羽根を抜く手が止まらなかったかもしれない。そんな思いの丈だけ長くなっていったのかもしれない。そんな素朴な考えがつい口をついた。何気なく発した一言だったが、天ノ川はハッとした顔をしていた。

「そう、なのかな。」

彼の声が震えている。潤んだ瞳を伏せると、涙がぱたりと零れた。

「母のことはよく知らないんだ。俺が物心つく頃にはもう居なかったから。」

彼は羽根の羽織に両手を伸ばし、ジェイの肩に軽く触れて俯いた。するとこの羽織は彼の母親の形見と言えるのだろう。彼はそんな大切なものを自分に着せてくれたのかと、ジェイは少し恐縮する。

「不器用な母親なんだって皆が馬鹿にするから、そうなんだと思ってたけどそっか、夢中で

おいおいと泣き出す天ノ川。あくまで憶測に過ぎないと訂正しようと思ったが、やめた。これだけの羽毛の密度からして、手を掛けて作った事実はきっと変わりないのだ。
大きな声こそ上げないが、泣きじゃくるその姿は子どものように見えた。気が付けば、ジェイはその手を彼の頭の上に置いていた。ぽん、ぽん。軽く数回、撫でるように叩いた所でジェイは我に返った。”神”相手に自分は何をしているのか。

「ジェイ?」

天ノ川は暫しきょとんとしていたが、照れくさそうに笑った。

ありがと、ジェイ。」

手で涙を拭ってから、彼は同じようにジェイの頭をポンと叩くと、立ち上がって室内に入り、また戻ってくる。その手にはジェイの上着と帯があった。

「これも乾いたみたいだ。」

礼を言いながら上着を受け取り、袖を通す。生地は少しゴワつき、皺になっている。家に帰ったら霧吹きをして、当て布をして、それからアイロンをと考えたが、果たして元の世界に帰れるのだろうか?少し不安な気持ちが募ってくるのを振り払うように首を振った。そうして帯を締めていると、天ノ川も何か察したのか、気遣うように声を掛ける。

「そ、そうだ、人の子に逢うことがあったら聞いてみたかったことがあって。いや、ジェイが知っているか分からないんだけど。」

ほう、とジェイは再び縁側の縁に腰を下ろす。天ノ川もその隣に座り込んだ。

「俺が空を飛んでいると、人の子が何かお祈りをしているんだよね。俺は下界には降りないから人の子は俺のことは知らないだろうし、俺に対する信仰は無い筈なんだけど、笹竹に色糸や絹を掛けて、”天ノ川”になにか願いを託しているみたいなんだ。」

そう言いながら、天ノ川は空を指差す。満天の星空と”星の帯、天ノ川”がそこに在った。
天ノ川と、笹に託された願いごと。ジェイはある物語を思い出す。

「七夕伝説

「たなばた?」

首を傾げる天ノ川。ジェイは自分の知る話であるが、と前置きをした上で彼に語って聞かせた。天帝の娘の織姫とその恋人の彦星、二人は結ばれるも遊びほうけ、仕事を放り出して天帝の怒りを買い天ノ川の両岸に引き離されること、年に一度だけ再会出来ること。裁縫や書の上達を願い笹竹を飾ること。後の時代には五色の紙に書くようになること。等、覚えている限りのことを伝えた。

「な、なるほど。そっか俺じゃなくて織姫への信仰か。そう言えば昔は恋人にうつつを抜かして怒られたって言っていたような気がするよ。」

残念そうに、しかし何処か愉快そうな顔で遠くを見つめる天ノ川。

「帝の娘ではないけれど、こっちの世界にも織姫は居るんだ。同じように天上界で機を織って、それで服を縫う人気の仕立て屋だよ。俺の服も織姫が作ったんだ。」

ジェイは彼の服をしげしげと見つめる。深い青と黒の衣。他の神々ほど華やかな色味ではないが、絹に似た艶やかで上質な生地。繊細な刺繍に緻密な織柄、銀の縁取りなどを見ても時間を掛けて丁寧に作られたものであることが分かる。

「見事な腕前ですね。」

それは自分の世界基準で見れば十分過ぎるほど華麗なもので、高貴な人間が着ているような衣装で、天ノ川にはとても良く似合っている。そんな衣装に身を包みながらも皆から下に見られているような彼の立ち位置にジェイは少し疑問を覚えたが、それを直接聞くことはさすがに憚られた。なにより彼にこれ以上、暗い顔をさせたくない。

「でしょ?腕は確かなんだ。ちょっと変な子だけどね。黒月様の衣装も喜んで縫うんだ、美しい方だから腕が鳴るんだって。あの子にとっては黒月様のしてきた事より、似合う衣装が作れるかどうかの方が重要らしい。ちょっと暁扇様と似た気配がするよ。」

そう言って苦笑いする天ノ川。それだけでこの世界の織姫という女性がどのような人柄であるか、ジェイは大体分かったような気持ちになった。

「ジェイの衣も、俺のと少し似てるよね。だから皆、俺の子と間違えたのかな。」

言われてみれば、とジェイは己の衣を見やる。色味と刺繍、暗い色の髪に白い肌、東洋系の容貌。似ていると言えば似ているのだろう。

「みんな馬鹿だな。俺の子がこんなに可愛い訳がないのに。」

ぽんっ。天ノ川がジェイの頭に手を添える。やはり子ども扱いされているのかもしれない。

(続く)