梶木鮪
2024-02-28 04:32:29
13876文字
Public
 
440964

レディキラーカクテル(前編)

愛らしい子ネズミよ、緑色の目の化け物には油断なきよう!
甘言を吐き暗闇へ誘う赤い口、捕らえて離さぬ執着心に!

※くるっぽーさん考案のセリフを拝借しています
※ナチュラルに現パロ(キド夢)
※色違いのWB(概要欄最下部に作品記載)がメインなので、性格も少々変わってるかもしれないです
※キッドが悪いやつで主ちゃんを騙します、甘いお話ではないのでご注意ください

https://x.com/______hamachi/status/1755570056296276224?s=20

ナナシ

王子様と結ばれるのは、いつだってヒロインのお姫様だ。
白馬の馬に乗った王子様にお似合いなのは、この世で最も美しいとされた純真無垢で素敵なお姫様以外にあり得ない。
普通の、名前すら与えてもらえない子は、鏡にも選ばれず、真っ赤に熟れた林檎を食すことも許されず、王子様のキスで目が覚めたりもしない。
せいぜい、お姫様の手助けをする親切な動物Aとして名を連ねることぐらいしかできないのだ。
そして、もちろんこの私も、分不相応な恋をしてしまった動物達の一匹だった。
 
——こうして、お姫様は王子様と結ばれ、幸せに暮らしましたとさ」
 
オレンジ色の光が斜めに差し込んでくる夕方、人もまばらな図書館内の隅の席に座って、昔から擦り切れるほど読んできた童話の最後のページを捲る。
挿絵の中の、日の光の下を仲睦まじげに歩く二人の姿にため息をついて、重厚な装丁の施された本を雑に閉じた。
物語はここで終わり、見事なハッピーエンドだ。
だから、たとえその他の登場人物が何をどう考えていたとしても、それが読者に伝わる事はない。
そもそも、名前もない動物が王子様に恋をしたなんて意味不明なストーリーは、三文小説もいいところだろう。
そう、これでいいんだ。
人気者なあの人に恋をして、でも想いを伝えることすらせず、恋敵にアドバイスまでしてしまった臆病者には、これくらいの結末が丁度いい。
そう自分の心に言い聞かせて、じわりと溢れかけた涙を拭った。
そのまま、曲の流れていないヘッドフォンを装着して、机の上に突っ伏して自分の顔を周囲から見えないようにした。
誰にも邪魔されることのない静かな暗闇の中で、ようやく心が少し落ち着いた気がする。
 
(もうちょっとしたら、あの子におめでとうの一言でも言ってあげよう)
 
もぞもぞと体を動かして腕枕の位置を調節しながら、そんなことを考えた。
物語の中のお姫様のような、白い肌に綺麗な黒髪の、優しい友達。
あの子みたいになりたくて、唯一張り合えると思って手入れをした黒髪は、途中で負けを悟ってからずっと一本に結んでしまっている。
ああそうだ、もう伸ばす理由も無くなったしバッサリ切ってしまおうか。
真っ暗闇の中で、一人でそう色んなことを思っていると、ふと目の前の席に誰かがやってきた。
ヘッドフォン越しにくぐもって聞こえる椅子を引く音に、はて誰だろうかと思い意識を向けていると、急にトントンと肩を叩かれた。
この気安い感じは知り合いかと思ったが、しかし何だか話をする気になれず、寝たふりを続行することにした。
 
(今は誰とも話したくない)
 
我ながら少々捻くれているとは思うけれど、失恋した日ぐらい好きにさせてほしい。
そう思って顔を上げないままでいると、また肩をトントンと叩かれた。
何だよ、しつこいな。
寝てるんだから放っておいてくれればいいのに、と思いながら依然として顔を上げないままでいると、ふとヘッドフォンを外された。
途端にクリアになる聴覚と急な相手の行動に驚いて、ちょっとと不満げな声を上げながら顔を上げた。
もしスリだったらぶん殴ってやると、そう息巻いた私の視界に映ったのは、帽子の影からこちらを見る綺麗なグリーンの瞳。
予想外の友達の登場に呆気に取られていると、ヘッドフォンを手に持ったまま男友達であるキッドは悪戯っぽく笑った。
 
「寝たふりは良くないな、子ネズミちゃん」
「その、子ネズミちゃんって呼び方、やめてくれない? 恥ずかしいんだけど」
「いいだろ、ピッタリなんだから」
 
不機嫌な声のままの私にヘッドフォンを返しながら、キッドは何が楽しいのか笑っている。
地味で大人しい見た目に反して悪戯好きな男だと、内心ため息を吐いた。
 
 
***
 
 
私が、王子様——キッドの相棒であるブッチに恋をして、キッドと友達になるまでには、結構複雑な事情があった。
まず、話は私がアルバイト先として喫茶店を選んで、そこで働いてしばらく経った日の休憩時間から始まる。
その日、何個か上の先輩に、内緒話をするように小声で言われたのだ。
 
「ここの喫茶店はね、王子様御用達なの」
 
週に何度か、すごく素敵な童話の世界の王子様がここに来るんだ。
そう得意げな顔で話す先輩に、へぇだかはぁだか曖昧な返事を返した気がする。
このご時世に王子様とは、随分メルヘンなことを話すもんだと、そう思っていた。
けれど、別の日になってその王子様が来店して目が合った瞬間、まんまと私も恋に落ちてしまった。
いつもコーヒーだけ注文して帰っていく、柔らかな金の癖毛が素敵な王子様。
ブッチという名前のその男の、優しい声と蕩けるほどに甘いアイスブルーの瞳に夢中になって、二言三言話せばもうダメだった。
その後の仕事を何とかこなし、休憩時間によろよろと裏に戻った私を見て、したり顔の先輩が口を開いた。
 
「その顔は惚れたね。ようこそ、迷える子ネズミちゃん」
 
ここで働く女の子は、皆一回はあの王子様に恋をするの。
私もそうだったよ、と笑ってそう説明した先輩は、しかし次の瞬間ふっと表情を曇らせた。
 
「でも残念だね。あの王子様には、もうお姫様がついちゃってるんだ」
 
だから、なるべく早く気持ちにカタを付けることをおすすめするよ。
そう話して背を向けた先輩に対して、私はうまく笑えていなかった気がする。
その後しばらくは、先輩の言う「お姫様」とやらが誰なのか気になって仕方がなかった。
一体どれほどの美人なのかと、その面を拝んでみたかったのだ。
でも、存外そのお姫様は近くにいて——道路を挟んだ向かいの古書店で働く人、しかも同じ学校の同じ学部の友達が、そのお姫様だった。
王子様と親しげに話すお姫様の姿を見て、その日は夕飯が喉を通らずろくに眠れなかったことを今でも覚えている。
化粧っ気の薄い肌は透き通るように白く、動きやすさを重視して肩口で切り揃えられた黒髪はそれでも一本一本が絹糸のように滑らかで細い。
すらりとした手足に薔薇色の頬、大きな両目に赤い唇、転がる鈴のように可愛らしい声。
ただ単純に綺麗な人だと思っていた友達は、その日から絶対に越えられない壁として立ちはだかるようになった。
本能で勝てないと思ってしまうほどの、圧倒的な美人。
でも、それでも諦めきれなくて、もう半分やけになって努力をした。
自分に似合う化粧を考えたり、小さい背丈を何とかしようと慣れないヒールを履いてみたり、伸び放題だった髪の毛を櫛で整えてみたり。
でも、それでも、あの子には全然届かなくて、毎日劣等感ばかりが募っていっていた。
そして、そんな日がしばらく続いた頃、王子様が背の高い男の人を連れて店にやってきた。
 
「ねぇ、あの王子様の隣の帽子の髭面、誰?」
「さぁ。初めて見る顔です」
 
興奮半分、訝しみ半分で耳打ちをしてきた先輩に、小声で返事を返す。
てっきり、先輩はもう知ってると思っていたんですがと言うと、あんな大男初めて見ると鼻息荒く答えられた。
じゃあ、ここで働いた合計時間が彼女よりも短い私は、知る由もない話だ。
何で私に聞いたんだこの人は、と思って先輩を見ていると、王子様が件の帽子男と一緒に注文をしてきた。
連れの存在も気になるけれど、兎も角仕事をしなければと注文を先輩に任せて、私は飲み物を作る機械の前に向き直った。
 
「俺はアイスコーヒーで。お前はどうする、キッド?」
「アイスティーで頼む」
 
王子様とキッドと呼ばれた連れの方の声の後に、確認のために注文を繰り返す先輩のハキハキとした声が聞こえる。
てっきり連れの方もコーヒーを飲むと思っていたから、ちょっとびっくりしたのはここだけの話だ。
苦いものが苦手なのかなと思いつつ注文の品を用意して、お待たせしましたと言ってカウンターに置いた。
にっこりと笑った先に、いつもの王子様ではなくヌッとした大男が立っていたので内心ビビり散らかした。
私が特に小さいせいもあるのだろうが、相手もなかなかに背が高い。
この体格差では、まるでネズミとヒグマじゃないかと考えて、ここで暴れたりしないよなと少しだけ身構えた。
だが、相手は特に怒鳴ったりするわけでもなく、ただ淡々とお礼を述べてお代を払って王子様のいる席へと帰っていった。
その後ろ姿を見送りながら、ふっと小さく息を吐いて先輩がまた話しかけてくる。
真面目に仕事をした方がいいと思うが、忙しいわけでもないのでとりあえず話を聞いた。
 
「大丈夫だった? あの男、帽子目深に被ってるし全然喋らないし、ちょっと不気味。王子様とどんな関係なんだろ? 護衛の人?」
「王子様って私たちが勝手に呼んでいるだけで、本職が王族じゃないとは思いますが……。まぁ、友達、なんじゃないですかね? なんか楽しそうですし」
 
作業する手をやめないまま、先輩の話に答えていく。
王子様の座る席を見ると、二人が何やら楽しげに会話をする様子が伺えた。
私たちの前ではあまり喋らなかった帽子の男も、王子様相手には笑ったり冗談を言ったりするらしい。
目深に被った帽子と口髭、そして少々オールドファッションな服装のせいか、古い映画のギャングのように見えるのに結構お喋りらしい。
あっちの方が素だろうか、と考えていると、先輩が話しかけてきた。
 
「あの様子を見るに悪い人じゃないんだろうけど、やっぱりちょっと怖いよね。帽子のせいで口髭しか見えなかったし」
「あれ、そうだったんです? あの人、綺麗なグリーンの目をしてて結構整った顔でしたよ」
 
品物を渡す際に見えた相手の顔をそのまま伝えると、先輩は一瞬驚いた後すぐに納得した表情になった。
その何だか生暖かい視線に、嫌な予感がして顔を顰めた。
 
「あんたは背が小さいもんねぇ。必然的に見上げることになるから、相手の顔が見えたんだろうね」
 
小さい子を褒めるような先輩の声色に少しムッとして、いいから仕事しましょうとつっけんどんに返して背を向けた。
全く、確かに私は背が小さいけれど、それは私がなりたくてこうなったわけじゃないのに。
むしろ、あのお姫様のようなスラッとしたモデル体型に憧れているのに、先輩は酷い。
そのまま若干むすくれたまま仕事をこなして、結局その日は終わったが、翌日からが大変だった。
他の従業員にも彼は王子様として女性に人気だったから、例の連れの話はすぐに共有されたが、私以外に背の低い従業員がいなかったせいか誰も彼の顔を見れていなかったのだ。
そのため、休憩時間は王子様関連の情報に飢えている従業員のために、例の男の容姿の説明に費やす羽目になってしまった。
何で名前も知らない、しかも好きでもない男について説明しなければならないのか。
そう思いつつ、同じ話を三回繰り返したあたりで流石に嫌になって、男の顔を描いて特徴をいくつか記した紙をスタッフルームのドアに貼った。
手持ちの鉛筆で即興で描いたにしては上手く描けていると思う。
 
「なんか、手配書みたい。分かりやすくていいけどさ」
「あ、本当だ」
 
ぽつりと呟いた先輩の言葉にハッとして、何だか居た堪れなくなって頬を掻いた。
日に焼けた古い紙に書いたからか、場末の酒場の壁に飾られている手配書の雰囲気がすごい。
伝えやすさを優先させたら、意図せず札付き感が出てしまった。
でも、どうせ従業員間の情報共有のためだけのものだから、このままでいいだろう。
そう一人で結論付けて、そのまま仕事をこなしていたらあっという間に日にちが経ち、あのキッドとかいう名前の男の姿にも見慣れた。
そして、その印象が「王子様の連れ」から「アイスティーを頼んでいく常連さん」にランクアップした頃。
ちょっとした——王子様の信奉者からすると大きな——事件があった。
同じ大学のお姫様、向かいの古書店のあの子が、携帯のメッセージに「好きな人ができた」と連絡を寄越してきたのだ。
嫌な予感のするままに確認してみると、その恋のお相手はやっぱりあの王子様で、休憩時間中のスタッフルームは一時騒然となった。
 
「うわぁ、すっごいことになってる。最後の審判の日でも、こんなに混乱はしないと思うわ」
「そうですか。水溢れてますよ、先輩」
「ありがと、子ネズミちゃん。……あんたはいつも落ち着いてるよね、今日ばかりはちょっと羨ましいよ」
 
喚いたり泣いたりしている他の従業員を見て、クールに微笑んだ先輩の震える右手のコップからこぼれた水を布巾で拭う。
すると、いつもよりちょっと声の大人しくなった先輩が、へにょりと眉を下げて私の肩を弱く叩いて言った。
そんなわけない、本当は私だって今すぐ泣き喚きたいのに。
思わず喉から出そうになった本音を無理やり飲み込んで、ゴミ出し行ってきますと告げてから足早に店の裏手へと出た。
つい三日前にゴミ出しをしたばかりなのは、自分がよく分かっていた。
けど、あの集団の中で泣いてしまうと、自分の負けを認めることになりそうで嫌だったのだ。
お姫様には勝てないのも分かってるし、あの子の方が可愛いのだって知ってる。
でも、それでも、好きという気持ちの重さに変わりはないのに。
 
「悔しいな、本当に」
 
人気の無い裏通りに呟いた声は、誰にも聞こえず灰色のコンクリートに吸い込まれていく。
じくじくと痛む心臓が、急に鉛のように重たくなった気がして壁際の地面にへたり込んだ。
そのまま、自分の体を外敵から守るように両腕で抱きしめて、声を殺して泣いた。
どんなに努力しても、あの子には敵わない。
動物がお姫様になれないなんてことは、本当は最初から気づいていたのに。
それでも、恋することを諦めるなんてことは、できそうになかった。
悔しい、苦しい、虚しい、助けてほしい。
誰でもいいからと一人で膝を抱えて泣いていると、ふと誰かの足音が聞こえてきた。
驚いて思わず顔を上げると、視線の先には見慣れた帽子と黒い口髭が見えた。
客がここにいるという焦りと、背の高い男と路地裏で二人きりという状況に混乱して声が出せないでいると、先に向こうが口を開いた。
 
「泣き声が聞こえるから迷子かと思ってきてみたが……何だ、ただの子ネズミちゃんか」
「こっ……子ネズミちゃんって、何でその呼び名を……
「顔がもう子ネズミちゃんって感じだしな、あんた。白くて細くてチビなあたりが特にそっくりだ」
 
つーか、その言い分だと俺以外にも子ネズミちゃんって呼ばれてんのか?
そう揶揄うように笑った髭に、何かを言い返そうとしてすぐにやめた。
割と羽振りのいい店の常連がいなくなるのは困るし、何より今は泣き顔をどうにかするのが最優先だ。
とりあえずこの場から離れようとして、シャツの袖でゴシゴシと雑に顔を拭ってスッと立ち上がり、礼をしてから店の中へ戻ろうとした。
……が、どういうわけか数歩足を踏み出したところで、がしりと腕を掴まれた。
自分のよりも大きな男の人の手にゾワッとして、思わずひゃっと声が出た。
 
「な、何ですか? まだ何か御用で?」
「おい、子ネズミ。お前まさかとは思うが、そのまま店の中戻る気か?」
「えっ、戻る気ですが……
「はぁー……あんたな、自分の顔一旦鏡で見てみたか? ひっでーツラしてんぞ?」
 
泣いた上に擦ったせいで目元腫れて赤くなってるし、マジでハツカネズミみたいだな。
そう呆れたように帽子の下からこちらを見る男に、カァッと頬に熱が集中する感覚がした。
何であんたにそんなこと言われなきゃいけないの、ほっといてよ。
そう叫んで腕を振り解こうとしたが、がっしりと掴まれていて全然解けない。
 
「まぁ、落ち着けよ子ネズミちゃん。俺は親切な男だから、あんたがその顔のまま中に戻って他の従業員や客に揶揄われないか心配なんだよ」
「余計な、お世話、ですっ」
 
第一、   あんたにそんなおせっかい焼かれる筋合いないでしょ。
そう何とか腕を振り解こうと格闘していると、ふとその髭が王子様の名前を声に出した。
 
……ブッチのことで、あんた泣いてたんだろ? どうやら惚れてるみてえだったし」
「えっ」
「はは、何で分かるんだって顔だな。そりゃあ分かるさ、何年あいつの横で俺が相棒やってきたと思ってんだ」
 
あいつ、確かにツラいいもんな。
あんたが惚れちまうのも無理はない、メソメソ泣くほど熱が入るのも納得の男だ。
ウンウンと頷いた男は、じっとあのグリーンの瞳でこちらを見つめてきた。
その瞳の奥に、心配の色がちらついているのを見て、徐々にささくれ立っていた心が落ち着いていく。
それに合わせて体に入った力を抜いていくと、目の前の男はほっと安心したように息を吐いて、左手に持っていた紙袋を私に差し出した。
店のロゴが大きく描かれたそれの中を覗くと、若干汗をかいた容器が入っていた。
容器の中で氷と一緒に揺れている明るい茶色の液体は、彼がいつも頼んでいるアイスティーだ。
どうしてこれを、と相手を見ると、相手は自分の目元をトントンと指差しながらこう言った。
 
「それで目ぇ冷やしな、子ネズミちゃん。あとそれ、まだ口つけてねえから飲んじまっていいぜ。嫌ならその辺に捨てとけ」
「でも、これ」
「いるのか、いらねえのか、どっちだ」
「い、いりますから!!」
 
どっちだと問いながら紙袋をぎゅうぎゅうと押し付けてきた相手の勢いに押されて、そのまま受け取ってしまった。
捨てるのは勿体無いのでとりあえずアイスティーの容器を出して、腫れて熱を持っている目に押し当てた。
ひんやりとした感覚が瞼を覆うのが気持ちよくて、ほうっと息を吐いた。
その間も、あの髭で帽子の男は私の前に立っている。
口つけるまでここにいる気か? と思いつつも、まぁ悪い人ではなさそうなので放っておくことにした。
このアイスティーも、味はよく知っているし何か混ぜ物がされていたとしても気づけるだろう。
喉は乾いているし、後で飲もうと考えて、反対側の目に容器を当てた。
 
「あの、キッドさん……でしたっけ?」
「客の名前くらい自信持って呼べるようになれよ、子ネズミ。あと、さんはいらねえ。敬語もな」
「じゃあ、えっと、キッド。あの、アイスティーありがとう」
 
でも、どうしてただの店員にここまで良くしてくれるの?
そう不思議に思って尋ねると、相手はふふんと鼻を鳴らして帽子のつばをキュッと摘んでこう言った。
 
「そりゃあお前、王子様との恋路にはそれを手助けする魔法使いが必要だろ」
……本当は?」
「あんたが全っ然動く気配がないから、焦ったくなった。あんなに分っかりやすい表情してんのに、ブッチの馬鹿は気付かねえしあんたはずっともじもじしてるし。もどかしくて仕方がないから、俺が何とかしてやらなきゃと思ってさ。ほら、俺って親切だから」
 
小さい心臓に見合った臆病ネズミだよ、あんたは。
そう揶揄い半分に言い放ったキッドをぎろりと睨みつけて、しかし言い返せずにそのまま黙った。
いや、この口を閉じてしまうところがダメなのかもしれない。
でも、今更言い返すのも憚られて、恨めしそうにしながらアイスティーに口をつけた。
普通の、いつも自分が作っているのと変わらないその味に、少しだけ安心した。
 
「そう睨むなって、子ネズミちゃん。俺はあんたをいじめに来たんじゃねえ、助けに来たんだから」
「助けるって、具体的に何するの?」
「俺はさっきも言った通り、ブッチの相棒だからな。あいつに関しての情報は、俺が一番多く持ってる」
 
それを俺が、あんたに流してやるよ。
情報交換はドーナツでもアイスクリームでも食いながら、気楽にやろう。
美味い店を知ってるんだと笑って手を差し出すキッドを訝しげに見ながら、少し考える。
まぁ、新たな男友達兼情報源ができるとするのなら、悪くはないのかもしれない。
この男のことはよく知らないし、正直信用できるかどうかも微妙だし怖いけど、でもメリットの方が大きいかも。
そう考えて、私は若干悩みながらも相手の手を取った。
 
「うん、よろしく」
「ああ、よろしくな」
 
そうお互いに握手をした瞬間、中から私の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
どうやら、もうすぐ休憩時間が終わるらしい。
慌ててアイスティーを飲み干して、空の容器を紙袋ごとキッドに押し付けて、大きな声で返事をした。
時間に厳しいというわけでもないけれど、生来の性格上遅れるのは避けたい。
パンパンとズボンについた埃を手で払いながら、目の腫れが引いたことをキッドに確認してもらって、店の裏口へと足を向けた。
と、その瞬間、優しく肩を掴まれて、ふっと体を寄せられた。
煙たいタバコの香りを鼻腔が感じ取って、思わず息が止まる。
 
「あいつが好きなら、俺がどうにかしてやるからさ」
 
仲良くしようぜ、子ネズミちゃん?
そうにこりと笑って囁いてきたキッドに、なぜだか背筋がぞくりとした。
そのまま、相手の緑色の両目から逃げるようにして、裏口のドアを潜った。
何だか、さっきのキッドはすごく怖い顔をしていた気がする。
でも、せっかく舞い込んできたチャンスなのだから、この機を逃したくはない。
最後まで、この恋に足掻いてみせると意気込んで、私を探している様子の先輩に声をかけた。
 
 
***
 
 
これが、私とキッドの友好関係の始まりだ。
そうして、定期的にキッドとドーナツやらアイスクリームやらを食べながら、彼から情報をもらっていたのだけれど。
今日からは、もう話す理由も合う訳も無くなった。
主人公たちがハッピーエンドで幕を閉じたなら、端役は散り散りになるのが定石だろう。
だというのに、この男は未だに哀れな子ネズミに絡んでくるのだから、心底不思議だ。
 
「ブッチが妙にご機嫌だったんで話を聞いてみたら、彼女ができたって言ったからさ。でも、相手は古本屋の娘だってあいつが言うもんだから、まさかと思ってあんたがいそうな場所をあちこち探したんだよ。そしたら、図書館の隅っこで泣いてる子ネズミを見つけたってわけだ」
 
で、あんまり可哀想だったから、連れ出してやりたくなった。
カウンター席に座ってそう訳を話すキッドに「キザったらしいなぁ」と言いながら、目の前に置かれた名前のよく分からないお酒に口をつけた。
あの後、キッドに手を掴まれて図書館から連れてこられたのは、いつもの可愛らしい内装の洋菓子店ではなく、ムードのある暖色の照明に照らされたおしゃれなバーだった。
こういう時は砂糖よりも酒飲んだ方がスッキリする、と豪語したキッドにささくれた心のまま乗って店の中へ入ったはいいが、正直場違い感がすごい。
以前、友達に誘われてこういう場所へ来たことがあったが、低い身長と元々の顔立ちのせいか店員に「お嬢ちゃん、お酒飲める年齢じゃないでしょ?」と言われたことがある。
それ以来何となく合わない気がして苦手意識を持っていたのだけれど、今回ばかりはそういう店でもいいから飲みたかった。
もし私が潰れても、ぼやきながら回収してくれそうな友達もいるし、久しぶりに飲み明かすのもいいかもしれない。
甘い紅茶のような味のするお酒をちびちび飲みながら、そう思って隣の男を見た。
店の落ち着いた雰囲気の中にキッドがいると、何だか本当に一昔前のモノクロ映画を見ているようだ。
思えばこの男は俳優にいそうな顔だったなと感心しながらキッドの横顔を見つめていると、視線がかち合った。
 
「何だよ、人のことジロジロ見て」
「いや、何だか様になってるなぁって。キッドってやっぱり格好良かったんだね」
「やっぱりって何だ、ふざけんな子ネズミ」
 
痛くはない、けれどそこそこ強い力で頭を叩かれたので、んぎゃっと大袈裟に呻いてみる。
だが、相手はそんなことお見通しだったようで、こちらを呆れたように一瞥すると手に持ったグラスに口をつけた。
酒の名称も種類も何も分からないが、何だか美味しそうに見える。
何だかふわついた気分のまま、それってどんな味? 一口飲ませてよ、と相手の喉仏を見ながら尋ねてみれば、文句ありげに細められたグリーンに睨まれた。
 
「お前にはまだ早いから、そっちの飲みやすいのでも飲んでろよ。……つーか子ネズミ、俺のこと口説こうとでもしてんのか? ブッチに失恋したばっかだってのに、そりゃあまた随分と変わり身の早いことで」
 
非難するような、もしくはものすごく馬鹿にしたような声色でキッドが吐き捨てる。
違う、そんなんじゃないと慌てて否定しようとした声は、「冗談に決まってんだろ」というキッドの笑い声でかき消された。
あんたが人を口説くなんてことをした日には、天地がひっくり返るぞ。
俺はあんたに情報を与えてきたが、動くかどうかを決めるのはあんたのはずだ。
でも、どうせあんた、ブッチに告白も何もしなかったんだろ、臆病だから。
マジで臆病ネズミじゃねえかと笑いを堪えつつこちらを見るキッドに、ろくに言い返せずに俯いた。
悔しいし腹立たしいけど、全くの図星だった。
この男は悪い奴ではないのだけれど、人の痛いところを容赦なく突いてくるなと思い口をへの字に曲げる。
 
「そんなの、自分が一番よく分かってるよ」
 
少し慰めてくれたっていいのに、酷い男。
動かなかったのは自分だし、せっかく手伝ってくれたキッドが怒るのも分かるけど、こういう日ぐらいは優しくしてほしいのに。
吐息混じりにそう呟いて、ふとした瞬間につきんと痛くなる心臓をそっと押さえ零れ落ちそうになる涙を瞬きで誤魔化した。
まぁ、元からこの男に甘く優しい慰めなんて期待してはいなかったのだけれど、流石にやられっぱなしは悔しい。
せめて何か反撃してやろうと、景気付けのために一回お酒をあおってから口を開いた。
 
「ほんっとうに優しくないよね、キッド。学校で女の子の扱い方とか学んでこなかったクチ? そんなんじゃ、いい子に会っても逃げられちゃうよ?」
「言ってくれるじゃねえか子ネズミ。これでも俺、結構引く手数多なんだけど? 流石にブッチには負けるけどさ」
「うっそだぁ、デリカシー無いくせに。そもそも、引く手数多ならどうしていつも店にブッチとばかり来るのさ?」
 
女の子の一人や二人、連れてきたっておかしくはないだろうに。
どーせ女の子に酷いこと言ってほっぺ叩かれて振られたりしてるんでしょ、ともうだいぶ中身の少なくなったグラスに口をつけながらニヤニヤ笑う。
すると、相手は酷く傷ついたような顔をした後、キュッと目を吊り上げてこちらを見てきた。
 
「デリカシー無えのはどっちだ。人がどんな気持ちでいるかも知らねえくせに」
「えっ?」
 
ぶつぶつと何かを呟いたキッドが、グラスの中身を飲み干して、空になったそれを随分荒っぽくカウンターの上に置いた。
結構大きな音が鳴ったが、しかしお喋りに夢中になっている他の客は気にもとめない様子だ。
初めてみるキッドの様子にびっくりして、恐る恐る相手の顔を覗き込む。
すると、相手は大きなため息を吐きながら顔を手で覆って、その隙間からこちらを睨みながら低く唸るような声で言った。
 
「好きな女がいる店だぞ。そこに、他の女連れていくやつがどこにいるってんだ、バッカじゃねえの」
「えっ……えっ!? す、好きな女って」
「好きな女って誰、って聞きやがったら許さねえからな」
 
お前以外にいねえだろうが、馬鹿、馬鹿ネズミ。
何だかどっと疲れた様子でぽつぽつと罵詈雑言を投げるキッドに、呆気に取られてしまう。
動揺と混乱に合わせてどくどくと脈打つ心臓を手で押さえながら、そっと相手に問いかけた。
 
「ブッチの情報流してくれたのは……?」
「お前と少しでも接点が欲しくて。あと、一緒にどっか行くための口実作り」
「ここの店に連れてきたのは……?」
「チャンスかな、と思って。口説こうとしたんだよ、あんたを」
「嘘でしょあれで? 口説こうとしてたってわけ?」
「うるっせーな、好きな女が自分以外の野郎にお熱なのを見て、不機嫌にならねえ奴はいねえだろ」
 
ムッとした表情でキッドはそう言ったものの、すぐにバツが悪そうに視線を逸らした。
その、悪戯をして叱られている最中の犬のような仕草に、思わずふふっと笑ってしまう。
随分ヘッタクソな口説き方だなぁと思ったけれど、相手をひどく傷つけてしまう気がしたので言わないでおいた。
別に、この男のそういうところは酷いとは思うけど嫌いじゃなかったし。
 
「そう……えーと、じゃあ、いつから好きだった、の?」
……
 
どきどきと高鳴る胸を宥めつつ、そうっと相手に一番気になっていたことを尋ねた。
すると相手はもう勘弁してくれとでも言いたげに唸ると、ふいっとそっぽを向いてしまった。
顔は見えないけれど、帽子の下から覗く耳はうっすら赤くなっている。
どうやら、よっぽど恥ずかしいらしい。
 
「なぁんだ、キッドも可愛いところあるんじゃん」
 
いつも自分を揶揄ってきた意地悪な友達の意外な一面に気分を良くして、ツンツンと相手を指で突く。
いつも何考えているのかうっすら分かり辛い男だけれど、今日はころころ表情が変わる。
お酒のせいかなあとぼんやり考えながら、残りのお酒を飲み干していると、ふと肩に手を置かれた。
想像していたよりもひんやりとしたそれは、今しがた私に告白してきた男の手だ。
 
「で、俺の話はここまでにして、返事はどうなんだよ。ナナシ
 
そっと耳打ちするように落ち着いた声色で尋ねられて、思わず肩が跳ねた。
思っていたよりも近い距離で聞こえた声に驚いてそちらを振り返ると、愛おしいものを見つめるように細められたグリーンの瞳と目が合った。
恥ずかしかったのかそれとも酔っているのか、うっすら目元の赤くなった相手の顔は、元々の落ち着いた雰囲気と合わさって妙に色っぽかった。
 
「なぁ、答えてくれよ」
 
肩に置かれていた手が移動して、するりと頬を撫でた。
その、まるで壊れ物を扱うように優しい手つきに、触れられた箇所が微かに熱を持った。
キッドって、こんな奴だったっけ?
今まで茶化してくる姿しか見たことがなかったからこそ、目の前の男の姿が信じられなくて目を逸らした。
 
「ブッチも勿体無い事したよなぁ。あんたは確かに臆病だったけど、面白いぐらい顔に出る素直でいい子だったのに、あの馬鹿結局最後まで気付かなかったし」
 
あんたはこんなに可愛いのにな、思わず攫っていっちまいたくなるほどに。
あいつが羨ましいよ、こんなにあんたに想われてて妬けちまう。
そう甘い言葉を吐いた後、冷えた指先が頬の横に落ちた髪を攫って、そのまま耳にかけて離れていった。
多分、熱を持って赤くなっている耳は、彼から見えてしまっているだろう。
 
「キッド、急にどうしたの?」
「好きな女が『学校で女の子の扱い方とか学んでこなかったのか』って言うから、真面目に口説いてみようかと」
「わ、悪かったって」
 
ニコッと笑って可愛らしく首を傾げたキッドに、慌てて謝罪の言葉を述べる。
口説こうとしてるのは本当らしいが、この顔はきっと怒っている。
先ほど言われたことがよほど癪だったのだろうと冷や汗をかいて、少し相手と距離を取った。
が、もともと動き辛いカウンタースツールの上なので、数ミリくらいしか離れられなかった。
 
「なぁ、あんたは俺のことをどう思ってんだ?」
 
俺はちゃんとあんたの質問に答えたぞ、だったらお前も答えないとフェアじゃねえだろ。
そう話した彼は、スッと私の顎を掬い上げ自身の方を向かせた。
蕩けそうなほど優しいグリーンの両目に見つめられて、そこでようやく彼に触れられるのが嫌じゃないことに気がついた。
 
……格好いいとは、思ってるよ。口は悪いし酷いことばかり言うけど、本当に嫌なことは絶対言わなかったし、優しかったもの」
「ふーん」
「でも、今までずっと友達だと思ってきたから、ちょっと考えるのに時間がかかるというか……いや好きなんだけど……あの、えーと、触られるのは嫌じゃないけどちょっとドキドキしちゃうというか」
「全く望みがないってわけじゃない感じか?」
「うっ……そう、です」
 
むしろ、ちょっとぐらついてきてる。
でも、今日失恋したばかりで別の男に乗り換えたなんてことは、絶対誰にも言えない。
正直に言うと、この状況だって恥ずかしくて仕方ない。
顎に手を添えられているから逃げ出すことはできないけど、相手と目を合わせていられなくなって視線を必死に逸らした。
 
「じゃあ、いつかあんたの口から直接言ってもらえるように頑張るな」
 
その間あんたは、照れてたり気まずくなるとすぐ目え逸らす癖、何とかしろよ。
顎から手を離す瞬間、するりと親指で私の唇を撫でた男は、そう言って笑った。
まさか、そんな癖まで見抜かれていたなんて、と何だか恥ずかしくなって、それを誤魔化すようにバーテンダーのお兄さんに注文をした。
 
「すみません、これと同じのください」
 
これ、と指差したのは、私がさっき飲み干した背の高いグラスに入ったお酒。
人のいい笑みを浮かべて注文を承ったお兄さんにお礼を述べると、隣でキッドが微かに驚いたような声を上げた。
 
「まだ飲むのか? あんた、そんなに酒強くねえんだろ?」
「そうだけど、まずはお酒から慣れようかなって」
 
キッドと色んな店行きたいし、と呟いた言葉は、きっと彼には聞こえていないだろう。
まだ自分の気持ちに踏ん切りがつかないし、相手に言う勇気もないけれど。
でも、いつか、言える時がきたらいいな。
心に芽生えた優しい気持ちを一度しまって、酔い潰れる前に止めてねとキッドに頼んでからグラスの縁に口をつけた。
 
 
そんな彼女の姿を、緑色の両目を持った化け物が、楽しそうに口元を歪ませて見ていた。